さて、ここからが未知の道!岩間寺を目指します!
開山堂の横にある鳥居が岩間寺への道の入り口でした。
鳥居をくぐると右手には上醍醐陵の敷地が見えます。円墳になっているみたいです。
すぐに分岐があり、左側の道に進むようになっているところで、石仏があったので行ってみると、そこは古い墓地でした。
今でも綺麗に手入れがされているのですが、怖いよぉ~!昼間でもこれだから夜だったら・・・ひぃ~~~!間違いなく鳴けます!いや、泣けます!
ひんやりとしたところで先に進むと祠がありました。
昔はこの辺りにも醍醐寺の堂宇が建っていたのか、石垣が崩れそうになりながらも残っています。
上醍醐から岩間寺へ歩いていく人は少ないのか岩間寺への道は少々廃れ気味でこのままではいずれ歩けなくなりそうです・・・
しばらく歩くと民家の庭先みたいな場所に出てきました。ここが西笠取の登り口みたいです。
水で顔と手を洗うと本当にリフレッシュ出来ますねぇ~
ここからは舗装された道を所々にある道標にしたがって歩いていきます。川で水遊びをする子供たちを見ながら歩いていると自分も歩くのをやめて川に入りたくなりました。
西笠取から東笠取へは一つ上り坂を越えなければなりません!
登りきった所には杉の木が祭られています。
この辺りは歩道が無いし、クネクネとした道なので車には注意しましょう!
ここから見えるところに清滝宮という神社がありました。
時代劇に使えそうなシチュエーションです!ここで休憩したくなる所ですが、虫が多いので休憩するなら少々暑くても、さっきの霊杉の所でするほうが良いと思います!
東笠取からは奥宮神社経由で岩間寺に行くことにしました。
しばらくすると舗装が無くなり、車も人も通った気配がしなくなってきますが、登りきった所は駐車場!なんとも言えません!
駐車場は奥宮神社のもので、駐車場から石階段を登った一番高い所に社がありました。
古い神社ではなくて近年になって造られた単立の神社みたいです。
これから歩く石山方面なのでしょうか?琵琶湖まで見晴らすことが出来ます。
この奥宮神社からは登りも無く、ヒグラシの鳴く木の生い茂った道を五分も進めば岩間寺でした。
話は違いますが明日は広島に原爆が落とされた日です。私は学生時代に広島に住んでいながら式典に行くことはありませんでした。当時、バイトなどでお世話になった方の中には被爆手帳を持った方も結構いたのですが、普段の会話の中に原爆の話が出ることは無く、よそ者の私が原爆の話を聞いたり、式典などに行くことはいけない事の様に思っていました。今も、その考えはあまり変わっていないのですが、遠くからですが、手を合せていたいと思います。
開山堂の横にある鳥居が岩間寺への道の入り口でした。
鳥居をくぐると右手には上醍醐陵の敷地が見えます。円墳になっているみたいです。
すぐに分岐があり、左側の道に進むようになっているところで、石仏があったので行ってみると、そこは古い墓地でした。
今でも綺麗に手入れがされているのですが、怖いよぉ~!昼間でもこれだから夜だったら・・・ひぃ~~~!間違いなく鳴けます!いや、泣けます!
ひんやりとしたところで先に進むと祠がありました。
昔はこの辺りにも醍醐寺の堂宇が建っていたのか、石垣が崩れそうになりながらも残っています。
上醍醐から岩間寺へ歩いていく人は少ないのか岩間寺への道は少々廃れ気味でこのままではいずれ歩けなくなりそうです・・・
しばらく歩くと民家の庭先みたいな場所に出てきました。ここが西笠取の登り口みたいです。
水で顔と手を洗うと本当にリフレッシュ出来ますねぇ~
ここからは舗装された道を所々にある道標にしたがって歩いていきます。川で水遊びをする子供たちを見ながら歩いていると自分も歩くのをやめて川に入りたくなりました。
西笠取から東笠取へは一つ上り坂を越えなければなりません!
登りきった所には杉の木が祭られています。
この辺りは歩道が無いし、クネクネとした道なので車には注意しましょう!
ここから見えるところに清滝宮という神社がありました。
時代劇に使えそうなシチュエーションです!ここで休憩したくなる所ですが、虫が多いので休憩するなら少々暑くても、さっきの霊杉の所でするほうが良いと思います!
東笠取からは奥宮神社経由で岩間寺に行くことにしました。
しばらくすると舗装が無くなり、車も人も通った気配がしなくなってきますが、登りきった所は駐車場!なんとも言えません!
駐車場は奥宮神社のもので、駐車場から石階段を登った一番高い所に社がありました。
古い神社ではなくて近年になって造られた単立の神社みたいです。
これから歩く石山方面なのでしょうか?琵琶湖まで見晴らすことが出来ます。
この奥宮神社からは登りも無く、ヒグラシの鳴く木の生い茂った道を五分も進めば岩間寺でした。
話は違いますが明日は広島に原爆が落とされた日です。私は学生時代に広島に住んでいながら式典に行くことはありませんでした。当時、バイトなどでお世話になった方の中には被爆手帳を持った方も結構いたのですが、普段の会話の中に原爆の話が出ることは無く、よそ者の私が原爆の話を聞いたり、式典などに行くことはいけない事の様に思っていました。今も、その考えはあまり変わっていないのですが、遠くからですが、手を合せていたいと思います。