雨が天窓を強く打つ音で目が覚める。今日も相変わらず肌寒い。それでも15年越しの恋が実るような嬉しさが、苛立ちのような心のざわめきに変わる。伝統ある祭りを見物するつもりで、今日の午後をずっと待ち続けていたのだ。僅か6キロ先の二つ先の町で執り行われる。しかし聖霊降臨祭の火曜日となると前日までとは違い平日なので、今までこれを訪れる機会は無かった。今頃は雨の中で、祭りの行進が始まっているのだろうかと思いながら、ベットから飛び起きる。
山羊を競る祭りである。昔から各地にある、教会の毎に開かれる臨時市場での動物の競り売りである。そのような市は、フェスティヴァルとして継承されている事も多い。強いて言えば、古代の生贄の伝統が見え隠れする。
この競りが、通常の祭りやそれに類する競り市と違うところは、その売り手のと競りを行う(町)が契約をしていて602年の間、毎年行われて来た事である。つまり山向こうのとスパイヤー司教区の覇権の及ぶ二千年以上に及ぶワイン産地の町では、今日に至るまで経済格差が大きい。近隣のとの関係もこれに準じている。
実際の式次第は、伝統に則って行われる。夜明け前の5時半にそので新たに結婚した若夫婦が、競りに賭けられる山羊を連れ立って山向こうを出発する。途中山中の谷の小屋で「国境」の通過式があったりする。こうして、一日賭けて山を越えて谷を下ってダイデスハイムにやってくる。午後4時に役所前で式典が始まる。それから午後6時の最後の競りのハンマーが振り落とされるまでの二時間がハイライトである。
朝からの断続的な強い雨足に濡れ夕刻の雨後の冷たさが残る市庁舎前は、行進のための道路を空けて、人で埋まって来た。舞台は備え付けられて、一行の到着を待つのみとなっている。幾つかのワインスタンドが建ち、手にはショッペングラスを持った観衆が、各々少しでも良い場所をと見物場所を定める。老婆などは、杖に付いた椅子を広げてどっかりと腰を落ち着ける。薄雲が天へと飛び散る微かに青い空を背景に、庁舎の背後に見える鋭塔の時計が4時を指す。ブラスバンドの響きが本隊が先導する。
そして、先週の13日の金曜日に結婚したばかりの夫婦が、舞台に備え付けられた一段と高いお立ち台に立つ。そこに山羊の育ての親がピッケル帽子を被り、山羊に付き添いそれを引きつれる。山羊は、上から綱を引かれて、下からも押し上げられると、足を広げてお立ち台へ全力を振り絞って突っ張りながら必死に攀じ登る。
そして式を進行する親爺は、我が仲間内で「右翼の店」と慣れ親しむ、この種の文化行事を司る非営利親睦団体が何時も常連席に集うワイン酒場のオーナーである。彼が颯爽と舞台に登場して、式典の説明とご挨拶を手際良く行う。
参照:
ワイン街道浮世床-ミーム談義 [ 文化一般 ] / 2005-05-25
山羊の競り落とされる日(2) [ 生活・暦 ] / 2005-05-20
山羊の競り落とされる日(番外1) [ 生活・暦 ] / 2005-05-20
山羊の競り落とされる日(番外2) [ 生活・暦 ] / 2005-05-21
山羊の競り落とされる日(番外3) [ 生活・暦 ] / 2005-05-21
山羊の競り落とされる日(3) [ 生活・暦 ] / 2005-05-22
山羊の競り落とされる日(結) [ 生活・暦 ] / 2005-05-23
山羊を競る祭りである。昔から各地にある、教会の毎に開かれる臨時市場での動物の競り売りである。そのような市は、フェスティヴァルとして継承されている事も多い。強いて言えば、古代の生贄の伝統が見え隠れする。
この競りが、通常の祭りやそれに類する競り市と違うところは、その売り手のと競りを行う(町)が契約をしていて602年の間、毎年行われて来た事である。つまり山向こうのとスパイヤー司教区の覇権の及ぶ二千年以上に及ぶワイン産地の町では、今日に至るまで経済格差が大きい。近隣のとの関係もこれに準じている。
実際の式次第は、伝統に則って行われる。夜明け前の5時半にそので新たに結婚した若夫婦が、競りに賭けられる山羊を連れ立って山向こうを出発する。途中山中の谷の小屋で「国境」の通過式があったりする。こうして、一日賭けて山を越えて谷を下ってダイデスハイムにやってくる。午後4時に役所前で式典が始まる。それから午後6時の最後の競りのハンマーが振り落とされるまでの二時間がハイライトである。
朝からの断続的な強い雨足に濡れ夕刻の雨後の冷たさが残る市庁舎前は、行進のための道路を空けて、人で埋まって来た。舞台は備え付けられて、一行の到着を待つのみとなっている。幾つかのワインスタンドが建ち、手にはショッペングラスを持った観衆が、各々少しでも良い場所をと見物場所を定める。老婆などは、杖に付いた椅子を広げてどっかりと腰を落ち着ける。薄雲が天へと飛び散る微かに青い空を背景に、庁舎の背後に見える鋭塔の時計が4時を指す。ブラスバンドの響きが本隊が先導する。
そして、先週の13日の金曜日に結婚したばかりの夫婦が、舞台に備え付けられた一段と高いお立ち台に立つ。そこに山羊の育ての親がピッケル帽子を被り、山羊に付き添いそれを引きつれる。山羊は、上から綱を引かれて、下からも押し上げられると、足を広げてお立ち台へ全力を振り絞って突っ張りながら必死に攀じ登る。
そして式を進行する親爺は、我が仲間内で「右翼の店」と慣れ親しむ、この種の文化行事を司る非営利親睦団体が何時も常連席に集うワイン酒場のオーナーである。彼が颯爽と舞台に登場して、式典の説明とご挨拶を手際良く行う。
参照:
ワイン街道浮世床-ミーム談義 [ 文化一般 ] / 2005-05-25
山羊の競り落とされる日(2) [ 生活・暦 ] / 2005-05-20
山羊の競り落とされる日(番外1) [ 生活・暦 ] / 2005-05-20
山羊の競り落とされる日(番外2) [ 生活・暦 ] / 2005-05-21
山羊の競り落とされる日(番外3) [ 生活・暦 ] / 2005-05-21
山羊の競り落とされる日(3) [ 生活・暦 ] / 2005-05-22
山羊の競り落とされる日(結) [ 生活・暦 ] / 2005-05-23
ドイツもつまらないものが殆んどです。毎週街道沿いでやっているワイン祭りも只の売れないワインの倉庫一掃が目的ですから。しかし、これも一度扱いましょう。
フランスは、中央集権と革命の影響が出ているのかもしれません。南西フランスの方に何かありそうなのですが、良く知りません。異教として弾圧された地域やケルト、バスク文化地域などが面白そうですね。大体伝統的祭りは、汎宗教のアニミスムの要素が強いと思います。専門的な見解は分からないのですが、宗教の枠組みで祭りの違いが出てくるようです。私が見た伝統的な祭りは、神事ではなくて慣習と言う事がキーポイントのようです。続きでその辺も触れます。
それはそうと、「担いでいた」で力自慢の根拠が分かりました。ちゃきちゃきですね。例えば神道の場合は、そのまま祭りになっているところがその宗教の本質を表しているのでしょう。
ドイツにはこんなお祭りがあるのですね。
オリジナルで、一見の価値が大いにありそうで、羨ましいです。
フランスは、お祭りって何だか皆おんなじ気がするんです…。私が知らないだけでしょうか。
そう、カーニヴァル系というのでしょうか、作り物のハリボテ人形と花車?の行進、沿道の観客が花吹雪を投げる、みたいな。
お祭り好きな私は、ちょっと寂しい感じがしています。
…そうなんです、今度の週末は、東京浅草の、浅草寺で三社祭が行われる日。
こちらに来る前までは、必ず担いでいた私は、お祭り!と聞くと心が浮かれるのです。
ドイツは、オクトーバーフェストもありますしね!!!