Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

「証拠を示せ」と迫られて

2005-06-08 | 文学・思想
最近は、雑誌の評価番付けのような書籍が出版されている。ワインの世界も然り。雑誌でのお遊びは、髪結い床や歯医者などで待つ間にペラペラと捲ればそれで用が足りる。勿論、専門家筋には資料としての意味があるのだろう。しかし、ワインなどを点数で評価するなどは愚の骨頂である。

その評価法を系統化して、公平な数字を挙げる努力は敬意に値する。乗用車などの評価も、主観・客観評価の両方を峻別する。そして前者が感覚的、後者が理性的とは必ずしもならない。結局は、その示す意味を受け手が各々の経験に照らし合わせて、自分なりに咀嚼して初めて用に立つ。

客観的評価への信奉と言うような態度があり、そのような学徒から屡「証拠を示せ」と迫られて、たじろぐ。新奇な発想がなければ、既成概念の積み重ねの上に未来は開けないのだが、これは思考の共有化や効率化とは相容れない。

欧州統一のマクロな経済観などが文化人から示され、またはそのような文化人が否定法で現状の危機を訴えても、客観的な証拠を求める巷では、その影響は限定される。予測以外には近未来を現出させる事など出来ないのに拘わらずである。

ワインの化学分析等を自己の経験と照らし合わせて、その質の客観評価を展開出来る人はワインの通人である。そういうオピニオンリーダーの主観評価こそが客観的な意味を持ち合わせている。巷で必要とされるのが、そのような評価である。これは点数システムでは提供されない。

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5 コメント

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記事とは関係無いですが・・ (はっちー&ハリー)
2005-06-08 22:51:57
先程サッカー日本代表がドイツ行きを決めました・・・。



来年そちらに日本人が沢山お伺いします・・礼儀正しい奴等です・・観掛けたら宜しくお願いします・・・。
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現実でさえ解釈でしかないのに ()
2005-06-09 00:18:23
表現行為の受諾という最も個人的体験にあって、数値というザイルを欲しがる登山家は、端から山を登っていないのも同然であり、今回の記事で感じられている違和感は私自身、周辺に日常的に感じています。食事や映画、その他一切の表現を体験しようとする登山家の多くが今日もザイルを血眼で探しており、その状況でザイルを放せという人は変わり者になってしまう点が、最も喜劇的です。
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数値信仰 (unsociologue)
2005-06-09 03:08:31
 お久しぶりです。unsociologueです。



 複数の変数を用いて多変量解析とか、非線形ベクトルなどを用いれば、一義的ではない客観的評価も可能かも、、、というのはあくまで質の悪い冗談です。たとえそれが可能であるとしても、ワインの味などに用いるのは愚の骨頂というものでしょう。



 ただ、他方で、そうした数値信仰、あるいは自分の味覚ではなくブランドを信仰するメンタリティーが、あるような気がしますが、いかがでしょうか。
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記事とは関係無いですが、 (pfaelzerwein)
2005-06-09 04:08:51
快挙です!はっちー&ハリーさん、今日は私も朝からチケットの収集方を仕事仲間と話しておりました。チャットでヴィデオなども覘かして頂きました。フィニッシュさえ決めれるようになれば、ドイツチームとも戦えるようになりますね。コンフェデーションカップが先ず見ものです。





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本能で握る、辛うじて理性を保つ (pfaelzerwein)
2005-06-09 05:20:48
氷さん、ザイルの例えは鬼気迫ります。特にクリティックな状況でほど、人は本能で手の力を抜く事が出来ません。知性では分かっていてもです。そして力が入っていると、違う手で介助してその握りを開けてやらなければザイルを放せません。トレヴェニアン原作、イーストウッド監督主演の「アイガー・サンクション」の自分のぶら下るザイルを切るシーンなどは如何でしょう。宇宙遊泳の命綱などの方が現代的でしょうか。



本能ゆえに、我々万人がこれに縋り付いているのですね。これから手を離すと考えるだけで、一人空に投げ出されて何処か知らないところへと浮遊してしまいます。泳ぐのも先ずは恐怖心と戦って身を投げ出してからですね。







unsociologueさん、こちらこそご無沙汰しております。「一義的な解析ではない評価」は、決して冗談ではありません。



最も基礎的な化学分析で「アルコール、残糖に果汁比重」は比例反比例関係があるので扱いやすいのですが、「酸」、「残亜硫酸もしくは炭酸」などのパラメーターが入り、その上多様な「酸の組成」を見るだけで通常はこのワインを直感的に把握出来なくなります。



三要素を越えて新たな要素が加わると極端に困難になりますね。色による視覚的な表現を試みたとしてもそれが限られる事はご存知の通りです。それでも私達はそのような積み重なる既成概念(ブランド)の上を歩むことで、辛うじて理性を保っているのではないでしょうか。



しらふではなかなか語れないようなお話でした。お付き合いのほど感謝いたします。

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