デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



プリンセン運河の方へ

『アンネの日記』は深町眞理子訳で読んだことはあった(2003年に出版された増補新訂版は未読)。読んだきっかけは、第二次大戦を題材に戦争や平和のことを考える授業の資料で引用されていたことだった。


乗ってきたトラムが行く



来た方向を振り返ってみた




このポストのところから地図に従って歩き、左手にプリンセン運河を目にすると、とうとう来てしまったのだなと思った。


プリンセン運河

『アンネの日記』の初読の時には、SS(ナチス親衛隊)やゲシュタポのことなど知らなかったし、日記に出てくる在宅時に家宅侵入される息を呑む描写、食料の品質がだんだん悪化していくこと、常に息を殺すようにして生活することなどに対してぜんぜん想像力が働かず、ただ中学生ぐらいの普通の女の子が驚くべき表現力で戦争について考えさせる文章が「かっこいい」と思っていた程度だった。また、隠れ家の場所が、「プリンセンフラハト二六三」という番地(現在では展示スペース拡張等で267まである)であることをすぐに言えるだけで、誇れることでもないのに鼻高々に独りなっていたものだ。


西教会



西教会については『日記』でも記述がある

隠れ家に移り住んだ頃、アンネ本人は西教会の時鐘の音に平気だったが、彼女の父・母・姉は慣れなかった。


見学を終えたか、集合場所にきたところなのだろうか



プリンセン運河



入口に並ぶ前に



入場前の注意事項

「プリンセンフラハト二六三」にとうとう来てしまった。『アンネの日記』を読んだ頃に「一生のうち一度は行きたい場所、老年になって人生の総括のつもりで行ければいいなぁ」と思っていたところに、あれよあれよという間に着いてしまった。
実のところ、私のアムステルダムでの第一の目的は、国立ミュージアムにあるレンブラントの「夜警」を鑑賞することだった。「アンネ・フランクの家」に真っ先に行ったのは、比較的に遅い時間まで開館しているから観光客は「家」を後回しにするゆえに遅くいけばいくほど行列が長くなる、よって早めに行っておけ、といったような記述がガイドブックにあったからに過ぎない。その記述には納得がいった、それに日本での特別展覧会じゃあるまいし「夜警」で行列ができているとは思えない、ならば先に…というわけだ。
しかし、当初、二番目以降の目的地であったところが、現地で最も印象に残る一つのところになってしまう旅の妙を、ここで実感することになったのだ。

つづく

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