デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




ポン・デュ・ガールはガール橋もしくはガルドン橋とも書けるが、そもそもは古代ローマ帝国の水道橋であり、橋の北西にある水源から水を供給する目的で造られたものであった。
ではどこに水を導くために造ったのか。それは小ローマと呼ばれたニームへ水を供給するためであった。



建設は紀元前19年、アウグストゥスの時代である。アウグストゥスはクレオパトラを破ってエジプトを平定したが、その勝利の軍団を今のニームの建設に当たらせた。そのニームに水を送るための水道橋がポン・デュ・ガールであった。



ポン・デュ・ガールの建設に当たったのは公共目的の建築に熱心だったアグリッパである。アウグストゥスの右腕ともいえるアグリッパが建てさせた公共建築物は首都ローマだけでなく帝国全域におよんでいる。



それにしてもこれほどまでに周囲の風景とマッチし、美的センスを感じさせ、なおかつ実際にインフラとして機能していた建築物は、世界中の遺跡を探してもそうあるものではないように思う。



橋はローマ帝国滅亡後、維持・管理ができなくなり、9世紀には放棄されてしまったことは既に書いた。中世に生きた人々は、ポン・デュ・ガールがローマ人が遺したものであることを忘れていき、これほどまでのものを人がつくれるはずはないと思った。橋は悪魔がつくったものと信じてしまい「悪魔橋」の通称が生れたという。
自分が理解できないものや、説明がつかないことを見たり聞いたりした際、それを神や悪魔の所為にしてしまうのもまた人間であるが、このエピソードは人類の文明が一度は最高点まで到達し、衰退を経ていることを示すものではないだろうか。

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