デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ミュージアムを出た後で

しかし、アンネ・フランクの家は、『アンネの日記』の内容と展示品との関連を逐一照らし合わせてゆっくり見学できるところではなかった。実際のところ、動く本棚の手前で見た隠れ家の模型が置いてある部屋では入館者で混みだしてきたし、アンネの部屋を過ぎてからは次の展示までゆっくりとしか歩みを進めることができないのであった。


再び西教会

ペーターの部屋までくると、ぎゅうぎゅうというほどではないが、見学の列がなかなか進まず混みあってきた。注意力が散漫になり、アンネ・フランクの家を課外授業か遠足か何か訪れている子どもたちの中に、ラップが流れているイヤホンをつけたままさっさと展示室を通り抜けようとしたり、友だちとふざけあったりしている光景などが目に付きだした。
ペーターの部屋から踊り場に出、外を見た時に西教会の時鐘の音が聞こえてきた。隠れ家に潜行していたアンネが見上げていた空や、耳にしていたかもしれない鐘の音かもとか思った。
ホロコーストで使用されたフランク家の家族の名が載った書類、ベルゲン=ベルゼン収容所でのアンネの様子について語るハンネリ・ゴスラル婦人のビデオ、逮捕された中で唯一生き残ったアンネの父オットー・フランクのメッセージビデオを見た後、アンネが実際に使用していた日記帳と彼女直筆のノートが展示されている部屋まで来た。
実物の日記を目の前にした時点での『日記』の内容についての個人的所感は、平和を考えさせることうんぬんよりは、13~15歳の女の子が家族との関係や同居人に対する繊細な思春期独特の情感、学校生活や自分自身の成長に対する戸惑い、ユダヤ人ということだけで発生する世の不条理に対する憤懣、将来の夢などについて思春期の人間しか書けない一級の資料、どんな作家でもここまでリアルかつ赤裸々に子供の内面を表現することは難しいだろうというものだった。
実際の彼女の直筆の筆跡を見たところで、私には「キティー」しか分からなかった。英語で対訳してあるプレートをなんとか読もうとしたが、自分の英語力では厳しかったのは否めなかった。世界各国の言語に訳された『日記』も展示されているのを見て、紋切り型のようだがやっぱり世界中で読まれているのだなぁと思った。

ミュージアム・ショップと出口への螺旋階段を降りながら、よく晴れている日だなと、これなら国立ミュージアムも行きやすい、その前に腹ごしらえしなきゃと思った。





出口とミュージアムショップ

ミュージアムショップで、送りたい分数枚と自分用に3枚の絵葉書を買った。


昼の12時五分前になると行列が長くなっていた



アンネ・フランクの家の現在の外観


つづく

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