山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

水俣病

2008-11-21 19:36:25 | 環境
「水俣病」とは、1956年(昭和31年)に熊本県水俣市で発生が確認された公害病。
工業排水にメチル水銀が含まれていて、それが海に流れ、魚介類に蓄積され、それらを食べた地域住民に、手足や口がしびれるなどの症状が起こり、死者もでた。

症状としては、中毒性中枢神経疾患であるため、感覚障害、運動失調、視野狭窄、聴力障害、平衡機障害、言語障害、手足の奮えなどがある。
重症の場合は、狂騒状態から意識不明になり、死亡したりすることもあり、軽症の場合は、頭痛、疲労感、味覚・臭覚の異常、耳鳴りなど。軽症の場合、水俣病によるものかどうなのかの判断は難しい。

原因は、「新日本窒素肥料」(現在の「チッソ」)という会社の水俣工場で、アセトアルデヒドの生産に触媒として使用した無機水銀(硫酸水銀)に由来するメチル水銀による。
アセトアルデヒドは、アセチレンを希硫酸溶液に吹き込んで、触媒下で水と反応させることにより生産されるが、触媒の反応過程で副生されたアルキル水銀化合物(主として塩化メチル水銀)が工場から排水として流されていた。特に1950年代から60年代にかけて水俣湾(八代海)に多量に廃棄され、海の魚にメチル水銀の生体濃縮が起こり、これを日常的に多量に食べていた沿岸の住民に被害が及んだ。

初めのうちは、原因がわからず、そのために対応も遅れて被害が拡大した。

「水俣病」という名前はあまりにも知られている言葉だが、実際はなんだったのか、あまり考えたこともなかった。自分が小さい時に、やはりニュースなどでよく聞いていたもので、記憶に残ってはいるが、そんな世代の人間でさえもほとんど内容がわかっていないのだから、現在の子どもや若者は詳しいことは知らないだろうと思える。
私は、水俣市というのが熊本にあるというのも初めて知った。熊本には水俣病の資料館もあるらしい。


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四日市ぜんそく

2008-11-21 00:58:29 | 環境
四大公害病

1 水俣病
2 新潟水俣病
3 イタイイタイ病
4 四日市ぜんそく

この中で、「四日市喘息」について書いてみます。
1960年から1972年にかけて発生しました。石油化学コンビナートから排出された硫黄酸化物による大気汚染が原因で、喘息や気管支炎になった住民がたくさんでたそうです。
「四日市」とは、三重県の四日市市です。
当時は、公害についての認識が薄く、経済成長を最優先させていたので、被害が大きくなってもなかなか対応が進まなかったようです。
石油コンビナートは海沿いの地域に6社が建設していて、そのうち、最初に対応したのは現在のコスモ石油でした。対策は「脱硫装置」を使ったことでした。また、これ以後、硫黄を多く含んだ原料を使うのをやめたそうです。
そして、今では石油コンビナートがあっても、大気汚染はおきていません。

さて、ここで「四日市ぜんそく」を取り上げたのは、これが始まったのが1960年という、私が生まれた年だったからです。しかし、その他の3つも同じ時期を前後して起きていることに気がつきました。この時代は、そういう時代だったのかと改めて認識しました。
すでに戦後の混乱からは立ち直り、その後高度成長でぐんぐん発展した時代でしたが、このように人体や環境に深刻な問題を起こす公害がさまざまなに発生していたのですね。そんな時代に自分は成長したんだなということを思います。

子どものころ、私は静岡県の伊豆に住んでいましたが、ニュースで確かに石油コンビナート地域の喘息のことを放送していたのを見た記憶があります。それは、遠い都会の出来事のように思えました。
小学生4年生くらいのときに、川崎から喘息の男の子が転校してきました。空気のきれいな伊豆のおばあちゃんの家で生活するためとのことだったと思います。色が白くて、そういえばなんとなく体が弱そうな感じでしたが、その子が田舎に来てから喘息の発作を起こしたというようなことは、見た記憶も聞いた記憶もありません。やはり、空気がきれいなのでよかったのかもしれませんね。思い返してみると、その子は中学に入るときはいなかったので、1年くらいで戻って行ったのでしょうか。

そんなこともあって、自分の地域に比較的近い場所では、神奈川県川崎市というのも大気汚染の激しいところだという印象がありました。
川は京浜工業地帯で、石油コンビナートや重化学工業の工場が多数あるようです。

しかし、四日市喘息が4大公害に入っていて、川崎は入っていないのですから、四日市の大気汚染は、川にくらべて、はるかにひどいものだったのでしょう。
でも、日本全国さまざまな場所で、似たような問題が起きていたことは確かですね。

当時、工業が発展したら、大気汚染になるのはあたりまえだと思っていました。それは避けがたいことだと思い込んでいたのです。しかし、そんなことはありませんでしたね。
ちゃんと取り組めば、様々な問題は「解決できる」可能性も高いといえるでしょう。
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