このあいだ、話し方・マナー教室というのに参加しましたが、その中で講師の方がおっしゃっていたことのひとつに、
自分が思っていることは本当に自分の意見か?人の意見を鵜呑みにしているのではないか?考えてみよう、というのがありました。
よくあることは、テレビの報道によって洗脳されることですね。そうすると、それを見ていた人々がみな同じ考えを持つようになってしまったりします。
また、近所の勢力のある人が、誰かのことを悪くいっていたりすると、自分がその人とつきあったことがあるわけでもないのに、聞いたことをそのまま信じてしまいかねません。
人の言うことはたしかに事実である可能性も高いですが、自分の目でたしかめる、自分が体験してみて自分で判断するということが大切であり、少なくとも、人が言っていたことを100%信じ込み、さも自分も知っているかのようにふるまうのはやめるべきですね。
報道が正しいかどうかということの例ですが、後期高齢者の健康保険料については、テレビでは値上げされて苦しいという老夫婦の訴えなどが次々に放送されていました。そして、そんな老人を苦しめるひどい改正ならば廃止にしようという動きもでているようです。
しかし、田舎で一人暮らししている母は健康保険料が以前より下がったそうです。老夫婦が高くなったというのは、以前は、世帯の人が割安になっていて、個人という単位でお金を払っていなかったからでしょう。母の場合はもともと一人で誰の扶養にもなっていないので、自分で世帯分を払っていたということでした。これも母の言うことでどうなっているんだか実際のことはわかりませんが、母の頭もボケてはいないようなので、母の保険料が安くなったことは確かだと思います。テレビでも自民党の政治家が、安くなった人もいると発言していましたが、その実例が取り上げられたのは見たことがありません。それで、この医療制度はわるいことばかりでいいことは何もないのだと、多くの人が思うようになったようです。
近所の人が振り撒く噂について。
町内で自衛消防団を募集していますが、なかなか参加してくれる人がいないようです。これを引き受けると月に1回日曜日の朝にポンプなどを持ち出して消火訓練をすることになります。
うちの主人が昼間外を歩いている姿などを近所の人が時々見かけ、うちの夫にやってもらったらどうかと別の人に言ったそうです。
すると、その別の人(うちの至近距離の人)が、「ダメダメそこのご主人は勉強家で、勉強でいそがしいから消防なんかする人じゃない」と答えたそうです。
全く変です。どこから夫が勉強家だという話が出たんだかわけがわかりません。そして、夫は仕事もしないで毎日家で勉強をしているということになってしまっているのです。
しかし、夫は全く、いわゆる「勉強」などということはしていません。もし近所の人が夫のことを勉強家だと思うなら、それはうちで捨てる本や雑誌を見てか、大学からの郵便(子どもへのダイレクトメールや私の放送大学の郵便等も含む)などがポストからはみ出ているのを見てのことでしょう。
さらに、夫が消防団ができないのは、土日も昼夜も関係ないサービス業であるため、日曜の朝の訓練に都合がつけられないからです。それを昼間ぶらぶらしていることがあるからといって、毎日ぶらぶらしているなどと思い、「時間はとれるけど、消防団なんかやるような人じゃない」などというと本人の悪口を言うようだから、気を利かせて勉強をしているということにしたつもりか知りませんが、他人に、さも詳しいことをしっているかのように伝え、聞いた人間がそれを鵜呑みにしてさらに他の人々に伝えるという恐ろしいことがおきています。
消防団をやる人を探している人が、もし本人(夫)かもしくは私に直接聞いてくれれば、ちゃんと理由を話すことができたでしょう。
「勉強家だからやらない」などと伝えた他人は、夫が一度失業したことを知っていて、そこまではしっかり把握していたようですが、その後再就職したと言っても、それは全くアタマに入らないようで、永久に失業していると思いこみたいようです。それならそれで、仮に失業しているのだとすれば、消防団をする暇もあるわけですから、他人が本人に代わって「できない」などと返事をしてしまうのもおかしいです。夫は以前の職場では防火管理者であったこともあり、避難訓練なども実行している人間です。自衛消防団とは内容が違いますが、そういうことに対して意識がない人間ではないため、噂をふりまく人がもつ夫のイメージと実像はかけ離れているのです。
ああ、何か変な話を延々と書いてしまいました。
しかし、話は尽きません。
私は自治会の会長をしていますが、普段は仕事をしているために家にいないことが多いです。しかし、団地に関する作業があって業者の人が来るときなど、前以てわかっている限りは仕事を休んで家にいます。
にもかかわらず、業者の人が我が家に立寄ろうとするのを呼び止めて、会長は仕事をしているので普段は留守ですから行っても無駄ですよ、私が代わりに聞いておきましょう、などという近隣住民がいるのも変な話です。業者の方がそれを信じてしまうのも仕方がないことかもしれませんが、訪問してみるとか電話をしてみるとかしてみたらどうでしょうか。
お留守のようだったので・・・って、「お留守のようだった」というのは、単に他人がそう言ったことを鵜呑みにしていただけのことでしょう。
会社のなかで。
新しい新入社員やパートタイマーが入ってくると、すぐにも、上司がいかに変な人間であるかを吹聴する古いひとたち。会社の待遇が悪いとか、関心を持つに足りないような無意味な集団であるとか、もう見捨てているのだとか、そういうネガティブな情報を、入ってきたばかりの人に聞かせないでもらいたい。もし、それが事実だとしたら、そのことは自然に本人がわかることに違いない。実際に本人が何も体験していないのに、社内行事はくだらないから参加する意義がないとか、この会社は変だ、などということを植え込んで、おかしな先入観を植え付けるべきではない。
本当に変なんだろうか?いいところもたくさんあるんじゃないのだろうか。
私は村上龍氏が好きだが、村上氏は自分の判断でものごとを見る。
たとえば、産婦人科の救急医療が万全でないことは確かだが、日本の医療は堕落したかのような報道に対し、昔とくらべたらよくなっているという客観的判断をしていた。食品の品質管理にしても昔に比べればいいはずである。それでも問題があることは事実であるが、近年になって救いようがなく堕落したかのように思える報道はおかしい。適切な処置によって助かったひとは誰もいないように思えてしまうが、実は助かっている人も多くいるはずだ。
先日の講習のときの先生のお話でも、近年の学校教育が堕落し、教師は変な人間ばかりであるかのような報道が多いが、現場を実際に見てみると、熱心な教育者が多いそうで、一生懸命こどもを見守り育てようとしている人が多いと言っていた。
色眼鏡で物事を見るのはやめ、人のいうことを鵜呑みにせず、自分の目で確かめて、自分で判断しよう。
自分が思っていることは本当に自分の意見か?人の意見を鵜呑みにしているのではないか?考えてみよう、というのがありました。
よくあることは、テレビの報道によって洗脳されることですね。そうすると、それを見ていた人々がみな同じ考えを持つようになってしまったりします。
また、近所の勢力のある人が、誰かのことを悪くいっていたりすると、自分がその人とつきあったことがあるわけでもないのに、聞いたことをそのまま信じてしまいかねません。
人の言うことはたしかに事実である可能性も高いですが、自分の目でたしかめる、自分が体験してみて自分で判断するということが大切であり、少なくとも、人が言っていたことを100%信じ込み、さも自分も知っているかのようにふるまうのはやめるべきですね。
報道が正しいかどうかということの例ですが、後期高齢者の健康保険料については、テレビでは値上げされて苦しいという老夫婦の訴えなどが次々に放送されていました。そして、そんな老人を苦しめるひどい改正ならば廃止にしようという動きもでているようです。
しかし、田舎で一人暮らししている母は健康保険料が以前より下がったそうです。老夫婦が高くなったというのは、以前は、世帯の人が割安になっていて、個人という単位でお金を払っていなかったからでしょう。母の場合はもともと一人で誰の扶養にもなっていないので、自分で世帯分を払っていたということでした。これも母の言うことでどうなっているんだか実際のことはわかりませんが、母の頭もボケてはいないようなので、母の保険料が安くなったことは確かだと思います。テレビでも自民党の政治家が、安くなった人もいると発言していましたが、その実例が取り上げられたのは見たことがありません。それで、この医療制度はわるいことばかりでいいことは何もないのだと、多くの人が思うようになったようです。
近所の人が振り撒く噂について。
町内で自衛消防団を募集していますが、なかなか参加してくれる人がいないようです。これを引き受けると月に1回日曜日の朝にポンプなどを持ち出して消火訓練をすることになります。
うちの主人が昼間外を歩いている姿などを近所の人が時々見かけ、うちの夫にやってもらったらどうかと別の人に言ったそうです。
すると、その別の人(うちの至近距離の人)が、「ダメダメそこのご主人は勉強家で、勉強でいそがしいから消防なんかする人じゃない」と答えたそうです。
全く変です。どこから夫が勉強家だという話が出たんだかわけがわかりません。そして、夫は仕事もしないで毎日家で勉強をしているということになってしまっているのです。
しかし、夫は全く、いわゆる「勉強」などということはしていません。もし近所の人が夫のことを勉強家だと思うなら、それはうちで捨てる本や雑誌を見てか、大学からの郵便(子どもへのダイレクトメールや私の放送大学の郵便等も含む)などがポストからはみ出ているのを見てのことでしょう。
さらに、夫が消防団ができないのは、土日も昼夜も関係ないサービス業であるため、日曜の朝の訓練に都合がつけられないからです。それを昼間ぶらぶらしていることがあるからといって、毎日ぶらぶらしているなどと思い、「時間はとれるけど、消防団なんかやるような人じゃない」などというと本人の悪口を言うようだから、気を利かせて勉強をしているということにしたつもりか知りませんが、他人に、さも詳しいことをしっているかのように伝え、聞いた人間がそれを鵜呑みにしてさらに他の人々に伝えるという恐ろしいことがおきています。
消防団をやる人を探している人が、もし本人(夫)かもしくは私に直接聞いてくれれば、ちゃんと理由を話すことができたでしょう。
「勉強家だからやらない」などと伝えた他人は、夫が一度失業したことを知っていて、そこまではしっかり把握していたようですが、その後再就職したと言っても、それは全くアタマに入らないようで、永久に失業していると思いこみたいようです。それならそれで、仮に失業しているのだとすれば、消防団をする暇もあるわけですから、他人が本人に代わって「できない」などと返事をしてしまうのもおかしいです。夫は以前の職場では防火管理者であったこともあり、避難訓練なども実行している人間です。自衛消防団とは内容が違いますが、そういうことに対して意識がない人間ではないため、噂をふりまく人がもつ夫のイメージと実像はかけ離れているのです。
ああ、何か変な話を延々と書いてしまいました。
しかし、話は尽きません。
私は自治会の会長をしていますが、普段は仕事をしているために家にいないことが多いです。しかし、団地に関する作業があって業者の人が来るときなど、前以てわかっている限りは仕事を休んで家にいます。
にもかかわらず、業者の人が我が家に立寄ろうとするのを呼び止めて、会長は仕事をしているので普段は留守ですから行っても無駄ですよ、私が代わりに聞いておきましょう、などという近隣住民がいるのも変な話です。業者の方がそれを信じてしまうのも仕方がないことかもしれませんが、訪問してみるとか電話をしてみるとかしてみたらどうでしょうか。
お留守のようだったので・・・って、「お留守のようだった」というのは、単に他人がそう言ったことを鵜呑みにしていただけのことでしょう。
会社のなかで。
新しい新入社員やパートタイマーが入ってくると、すぐにも、上司がいかに変な人間であるかを吹聴する古いひとたち。会社の待遇が悪いとか、関心を持つに足りないような無意味な集団であるとか、もう見捨てているのだとか、そういうネガティブな情報を、入ってきたばかりの人に聞かせないでもらいたい。もし、それが事実だとしたら、そのことは自然に本人がわかることに違いない。実際に本人が何も体験していないのに、社内行事はくだらないから参加する意義がないとか、この会社は変だ、などということを植え込んで、おかしな先入観を植え付けるべきではない。
本当に変なんだろうか?いいところもたくさんあるんじゃないのだろうか。
私は村上龍氏が好きだが、村上氏は自分の判断でものごとを見る。
たとえば、産婦人科の救急医療が万全でないことは確かだが、日本の医療は堕落したかのような報道に対し、昔とくらべたらよくなっているという客観的判断をしていた。食品の品質管理にしても昔に比べればいいはずである。それでも問題があることは事実であるが、近年になって救いようがなく堕落したかのように思える報道はおかしい。適切な処置によって助かったひとは誰もいないように思えてしまうが、実は助かっている人も多くいるはずだ。
先日の講習のときの先生のお話でも、近年の学校教育が堕落し、教師は変な人間ばかりであるかのような報道が多いが、現場を実際に見てみると、熱心な教育者が多いそうで、一生懸命こどもを見守り育てようとしている人が多いと言っていた。
色眼鏡で物事を見るのはやめ、人のいうことを鵜呑みにせず、自分の目で確かめて、自分で判断しよう。