山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

台風のせいか?

2011-09-03 22:25:22 | 日記
西のほうでは台風の被害が出て大変なことになっているようだ。関東はかるかかなたなのだが、台風12号はかなり大きな台風で、今日は東京でも風が強く、午後には雨も降って、どこかにでかけるような天気ではなかった。風は湿気を帯びていて吹き方も尋常ではないので、家の窓を開けていても不快である。朝から頸が凝って苦しい。低気圧頭痛というらしい。昔から雨の日に家にいると頭が重い。
ゴーヤ・朝顔・ヘチマのミックスカーテンは、朝から強風にあおられながら耐えていた。
黄色くなった葉が、下の階の家に落ちたら迷惑なので、ハサミで切ってゴミ箱に入れるという作業をした。ゴーヤの葉はハサミで切らないと取れないが、朝顔の葉は手でポロリときれいに取れる。一日中ヒマなので、昼頃も緑のカーテンを見てみた。すると、朝きれいにしたばかりなのに、さらにまた黄色や茶色の葉が増えていたので、きれいにした。
午後になってふと見ると、ヘチマのすべての葉が異様にしおれていることを発見。水がないらしい。朝やったように記憶しているし、今日は、日が照りはしたが、おおかた曇りだったので、水不足になろうとは思わなかった。しばらくすると水を吸って元気を取り戻したが、緑のカーテンを見ると、今度は縁のほうから黒く枯れたゴーヤの葉が何枚も見つかった。それらは確かにその前までは緑だったはずである。台風の風でたたきつけられ、くしゃくしゃになってしまったところが、壊死した感じだ。しかも水をやってから急激にそうなったような気がしてならない。
黒く湿って枯れた葉もきれいに取り去った。今日だけでどれだけの葉がダメになったことだろう。どっちにしても、もう秋なので、毎日枯れ葉が増え、緑のカーテンは隙間だらけになっていきそうだ。ちょっと寂しい。

風が強すぎるのでドライブはせず、車を洗うか草を取ろうかと考えていたが、草を取ろうと思っていたら日光が強くなってきたので夕方にすることにした。アタマが重いのでいつものごとく昼寝だ。昼寝から目覚めて、いよいよ草取りに行こうとしたら、今度は雨が強く降ってきて大嵐になったので、中止した。
結局何もしなかった。

今もまた、生あくびが出て、アタマがすっきりしない。
こんな無駄な1日を過ごしているのは、やっぱり台風のせいだろうか、それとも自分の怠慢か。

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政治

2011-09-03 10:23:09 | 日記
政治のことはよくわからないので、私が書くようなことじゃないですが、とりあえず、野田さんが総理になって、良かったんじゃないかと思います。
野田さんのことは、今までほとんど知らなかったけど、5人の候補者が出て、それぞれがインタビューに答えたりしていたときに、野田さんの話し方はよくわかり、この人が5人の中で、一番の器だなと感じました。あまり目立つ人ではなかったようですが、意外に力強いと思いました。落ち着いているし、信頼できそうな人です。いろいろな人間を調整してまとめてくれそうな気がします。あの人が好きだとか嫌いだとか言っていたら、雪だるまは転がせないというようなことを言っていましたね。野田さんを中心にした政治に期待します。

さて、先週は新しい総理大臣が誰になるのかが注目されていて、最初は海江田さんがトップだった。そして、野田さんと海江田さん2人の決戦になり、残りの候補者の票が、野田さんのほうに移動したので、海江田さんが負けた形となりました。
その結果が出る途中の昼休みに、パソコンでニュースを読んでいたら、「海江田万里ではなくかいらい万里だ」というタイトルが出ていました。その時は、もう海江田さんが総理になるのが決まったかのような書き方でした。
「かいらい」とは何???記事を読んでみると、小沢さんの支持を得て票を獲得し、総理になったら小沢一郎の言いなりになるとのことです。
恥ずかしながら私は「かいらい」という言葉を知りませんでした。そこで、パソコンでさっそく調べると「傀儡」という漢字がわかり、意味は「操り人形」「人の手先となってその意のままに動くもの」だということがわかったのでした。ここまでわかるのに数分がかりました。今も「傀儡」がなかなかパソコンで変換できず大変な苦労をして記入したところです。辞書には「かいらい」のところに「傀儡政治」という言葉が載っていて、その意味は「表面上は独立した政権であるが、影で他の勢力にあやつられ、それらの支配や統制に置かれている政治の事」と書いてありました。へえ~、「かいらい政治」という言葉はきっと知識のある人には常識的な言葉なのでしょう。でも、この漢字は常用漢字じゃないから、ひらがなで表記されています。もし漢字を見たところで一般的な漢字ではないので、元々この言葉を知らない人間には意味もわかりません。50歳の一般的おばさん(一応自分をそのように思っています)にわからない言葉が、多くの人にわかるのかな?
「かいえだ」と「かいらい」が似ているので、使いたかったのでしょうかね。
まあ、1つの言葉で「小沢氏の言いなりになる可能性の高い海江田」ということを表すには「かいらい万里」となったのかな。
今朝、パソコンを開くと、選挙に負けた海江田さんが「かいらい万里でかまわない」と朝日新聞のインタビューに答えたとかいう記事が載っていて、この言葉のことを思い出した次第です。ちなみに海江田さんの話では中曽根内閣のときも、始めは「田中曽根内閣」などと言われ、田中角栄の傀儡だと言われていたが、結果はそうではなかったという実例があるので、小沢のかいらいと言われてもかまわないという意見だそうです。

海江田さんが負けたのは、むしろ小沢さんの支持を得たからでしょう。小沢さんなんてみんな嫌いですからね。

野田さんは自分を「ドジョウ」だというので、コリドラスの私は応援します。
頑張れドジョウ!

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ハス(神代植物公園)

2011-09-03 00:37:20 | 植物・花・木


最近、ハスの花が好きになった。以前は断然スイレンのほうが好きだった。平らな葉っぱが水の上にぴったりと浮いていて、花も端整で美しいからだ。ハスはよく見たこともなかったが、花も葉も水面から容赦なく出てくるところが気に入らない気がした。
しかし、最近は、スイレンの小じんまりした、型にはまったような美しさには、あまり魅力を感じなくなってきた。ハスは原始的であり、勢いがある。スイレンより規模が大きい。
以前とは逆に、そんな姿に魅力を感じるようになった。

神代植物公園では、スイレンは温室の中にあるのを知っている。それをわざわざ見たいとも思わない。水生植物園のハスは以前ご紹介したが、それ以外にハスがあるとは思っていなかった。
しかし、意外なところで「ハス」と遭遇した。



なんで、緑の芝生にハスなのか。



それは、こういうわけなのだ。



ハスというのは、大きな池がなくとも、根元が水に入っていれば成長することができるようだ。そして、こんなふうに、芝生の広場のところに、ハスが並び、ハスの小路のようになっていたのだった。



ハスにはそれぞれ名前が付いているが、私にはピンクと白の違いくらいしかわからなかった。



つぼみや種がいくつもあったが、残念ながら、完璧な姿で開いている花はなかった。
なかなか難しいもんだ。朝とかじゃないとダメなのかな。

それにしても、予期しないところでハスに出会えたのは嬉しかった。

(写真は8月27日に写したものです。)
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確信のある人

2011-09-03 00:09:57 | 日記
私は人に圧倒されることが多い。それだけ、他人は自分自身に確固たるものを持っているのだ。

今日は、2ヵ月ぶりに1000円カットに行ってきた。そこで、私よりちょっと年上の婦人がお客として来ていた。1000円カットは、大部分オッサンと子供なので、婦人というのは少数派である。中年女性がいると思うと、だいたい子どもの付添いだ。だから、付添いではなく、自分がカットしてもらうなんて、私のようなビンボーな人かな?と思う。
その婦人は、めずらしくよくしゃべる人だった。いや、たぶん普通の美容院では普通の女性客だろう。女性客は何かと美容師さんと世間話などしているものだ。
実を言うと私は、美容師さんと取り留めのない話をするのが苦手だ。いったい何を話したらいいのかわからない。美容師さんは私の事なんか聞きたくもないだろうし、私から美容師さんに、あれこれ聞くのも失礼だろうと思うと、何も話すことがなくなる。私は、世事に疎いので、今話題の映画とか芸能界のことなどもわからない。多くは、今年の夏はどこに行きましたか?などという話になるのが自然の流れだが、幸いにして1000円カットの店では、所要時間が短いということもあって、ほとんどのお客は世間話をしないうちにカットを終えて帰って行く。私はそんなことも気に入って1000円カットに行っている。

よくしゃべるお客さんと美容師さんの会話は、自然に耳に入ってきた。それによると、そのお客さんは、毎年東京から離れたあるリゾート地に出かけているのだそうだ。それは正直、私にとっては意外な話で、1000円カットに来るようなビンボー人が、そんなところに毎年行くはずはなかろうと思うのだった。だが、その確たる具体的な話から、それが事実であることがわかるのだ。ということは、この人は、そういうことにはお金をかけて、髪の毛にはお金をかけない人なのかもしれない。話によると、その人は、その他にもいろいろなところに出かけており、その人なりの行動パターンというものがあまりにもはっきりとしていた。確かに知り合いにも、毎年ゴールデンウィークには家族で沖縄に行き、夏には軽井沢に行くことにしている人などがいる。それは定例であり、それ以外に別の旅行を企画するわけだ。生まれてから1度も沖縄に行ったことがなく、一生に1度行くことをいつか計画しようと思っている私とは次元が違う。この人もそういう人だったのか。

次に話は近所の公園のことになったが、その人によると、その公園はすばらしいので一度是非行ってみるとよいとのことだった。あれっ?そんなにすばらしいかな~。その人は、その公園がいかに美しく、いろいろなものがあり、一見の価値があり、知り合いは毎年その公園を見にやってくるのだということだ。その話を聞くと「そうか。ではぜひ一度行って見よう」という気になるのは間違いなしだった。私もその公園はキライではない。しかし、そんなに太鼓判を押せるほどの公園だろうか?自分がとても気に入っていたとしても、他の人が気に入るかわからないし、私にはそれを自信をもって人に勧めるということは到底できない。私は絶対にセールスマンには、なれない人間だと思う。

私くらいの年齢の人間になると、自分の確たる方針みたいなものがはっきりしている人が多い。料理にしても、野菜はこう切るべきだとか、何にはどうやって下味をつけるべき、とか自分の方法が決まっていて、それが一番ふさわしい方法だと確信している。たしかに、これまでの人生経験の中でそういうことを築いてきたのだろう。
私も私の方法というものは確かにある。でも、私はその方法が一番良いものだとして、人に勧めることはできない。そういう自信はない。

自分がその人と会話をしたわけでもないのに、なんだか圧倒されて帰って来た。そして同時に、自分があまりにもインパクトのない人間であることを再確認した。
少なくとも美容師さんは、その人から様々な情報を得たはずである。そして、私からは何の情報も得なかったということだ。
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