山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

人間VS機械

2011-09-15 18:38:13 | 日記
仕事では、文書の誤記チェックをしている。今は、ワード文書になったので、語句を入れて検索をかけると該当文字がマークされてでてくるので、間違った言葉などを見つけ出すのに重宝している。語句の統一にも便利だ。クルマ・車・自動車などとばらばらな言葉を1つにしたりできる。その他にも、特別なソフトがあって、それに設定されている様式になっていない部分があると、ちゃんと指摘されて出てくるようになっている。職場では、最近、さらにもっと高度な添削機能のあるソフトを導入することが検討されているらしい。

そこで、人間が見つけた誤記と、機械が見つけた誤記の違いを検証することになった。
同じ言葉が連続して重複していたり、正しい文としてあり得ない構造になっていたりするとマークされて出てくるらしい。機械でどこまで正確にみつけられるかということだ。
機械がすることだから、一定の条件に引っかかるとマークされるで、それがいつも正しいかどうかはわからない。その後は人間が判断することになる。
また、機械では見つけられない、内容にかかわる誤記というのも当然にあるはずである。

だが、逆に、絶対に違っている誤字や脱字について、機械が漏れずに指摘してくるのに対して、人間の見落としミスというのは、必ずある。
どうしても、眠いときもあるし、集中力が途切れる時、間がさすときがある。いとも簡単な誤字や脱字に気がつかなかったりする。

機械が見つけられない誤記と、人間が見落とす誤記はどっちが多いのだろうか?
こうなると、当然、人間個人の性能が問われる。これが恐ろしいのだ。いかに、長時間神経を集中させて文書のチェックを精密にできるかという能力の問題になってくる。

で本日、人間が確認した後に、機械(新しく導入するかもしれないソフト)でチェックをかけてみたわけだが、自分の見落としがいろいろと見つかってしまった。また、自分が再チェックした結果、以前、機械でも自分でも見つけられなかった誤記がボロボロ出てきた文書もあった。
その文書を以前チェックしたときは、忙しかったか、疲れている時間だったか、と思って作業記録を見てみると、全然忙しくもなく、時間も夕方などではない午前10時過ぎに始めたものだったりするのだ。午前10時なんて、仕事に乗りはじめた時間帯だし、夕方のように疲れていたわけでもない。なのに、なんでこんな見落としが・・・。愕然としてしまう。

同じ仕事をしている同僚は、まず添削機能・誤記チェックをかけてから文書を点検しているそうだ。一方、私は自分が点検してから、最後に添削機能・誤記チェックをかけている。私が、機械を後で使用するのは、まずは自分の力でやってみようと思うからである。そこで、見落としがあったら、肝に銘じるというような具合だ。しかし、同僚の場合は、きっと合理的で、最初に機械にかけてしまう。そうすれば、それ以外のところに気をつければよいので、無駄な時間を取らなくていいともいえる。
効率を考えればそのほうがいいのかもしれない。

私は昔、出版社の校正部で働いていたが、その当時はパソコンなんか無かったし、点検するものは、クルマが定期便で印刷工場から運んでくるゲラ刷りだった。当時は1日中校正をしていて、同じ文書を、初校・再校・校了というふうに3人くらいでチェックしていた。最後の校了はベテランがするので、そこで初校、再校の人間の見逃しが判明すると、呼び出されて大目玉を食うようなこともあった。その回数がボーナスの査定に直結しているようなものだった。その仕事は2年くらいでやめてしまったので1人前にはならなかった。
今思えば、当時、ベテランという人でさえ、今の私よりも10歳は若いような年齢である。そして、あの頃は、3人がかり。本当に人間の力だけで成り立っていたのだ。

その頃に比べると、年齢ばかり取ってはいるが、校正の能力はお粗末なものだなと自分で反省する。1人でやってるから見逃しがそのままになる可能性が高いのは仕方がないが、それにしてもお粗末だ。それで、自分の力を試すためにも、まずは機械ではなく人力で点検をしようと思っているのだ。まあ、職人気質といえばそうなんだろうけど、時代遅れかもしれない。

今回の検証で、機械が人間よりも優れている、機械で添削は充分、ということになると、私の仕事はお払い箱になってしまうかもしれない。誤記チェックソフトによって、時間が短縮されて効率化されることはよいことだが、クビにはなりたくない。
機械に負けないように頑張らなくてはと、ちょっと焦る。
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