5月15日の夜、ナタリー・シュトゥッツマン&オルフェオ55の演奏会に行きました。
場所は、四谷駅から徒歩数分の紀尾井ホールです。
ナタリー・シュトゥッツマンは、コントラルトの声楽家であるとともに、指揮者でもあり、オルフェオ55は、ナタリー・シュトゥッツマンが結成している管弦楽団です。
ここで、ナタリー・シュトゥッツマンは、指揮をしながら自らソロで歌を歌うのです。
私は、数年前にユーチューブで、ナタリー・シュトゥッツマンとオルフェオ55の演奏を初めて発見し、そのときからずっと虜になっていました。そして、生演奏をこの目で見て、聴くことが夢でした。
ナタリー・シュトゥッツマン個人は、これまでも何度も来日して指揮や歌の演奏会をしていますが、オルフェオ55と共に来日し演奏会を開くのは、今回が最初です。しかも、都内での演奏。これは絶対に逃すものかと、1月中にチケットを購入しました。
私は、元々、クラシックの知識もほとんどなく、演奏会の経験もほとんどありません。いったい、どの席を取ったらよいのかもわからないのです。A席の中で、すでに良さそうな席は埋まっていました。
結局、2階の舞台に向かって右側で、ステージと客席の境界線の真上あたりの位置を選びました。
紀尾井ホールはもちろん初めてでした。あまり大きくはないですが、とてもきれいなホールで、天井には6個の豪華できらびやかなシャンデリアが下がっていました。
どんな観客が来るんだろうかというのも、私の関心でしたが、男女比では女性のほうが多く、年齢層はちょっと高めで、50代女性の私は充分溶け込める大多数の部類でした。
舞台の上の右側2階といえば、演奏者と指揮者を真上から見下ろせる位置であり、舞台に登場するときに、舞台左側のドアが開いて出てくるので、そういう場面もよく見えるはずです。最初は、調律師の人が、舞台の上のハープシコードの調律をしていました。
そして、いよいよ演奏会が始まるときには、楽器を持った楽団の人たちが、左側の扉から登場してきました。
弦楽器は若い女性が多く、ああ、やっぱりフランス人だな~と感じる容姿で、パリジェンヌだな~などと感動しました。
それから、音合わせ等していましたが、そのうち舞台右端のリュートのような古楽器が静かな演奏を始めているらしく、とても良い感じでした。
舞台右上にいる私からは、その姿が見えず、開演前の時間つなぎに演奏しているのかと思っていました。
そのうちに華々しく左側から指揮者シュトゥッツマンが登場するんだろうと思っていたのです。
真下を覗き込むと、リュートのような楽器を弾くのは男性で、髪の毛がちょっと長くウェーブがあり、これもまたヨーロッパ的、バロック的な素敵な雰囲気だなと思ってその音色と姿を心地よく感じていると、同じような雰囲気のもう一人の人が、その演奏者に寄りそって近づいており、そのとけあうような姿がとても素敵な雰囲気でした。
すると、なんと、それがナタリー・シュトゥッツマンだったのです。
なんという素敵な始まり方なのでしょう!
左ではなく、右から登場していたのでしょうか。
そして、ナタリー・シュトゥッツマンが歌い始めて、演奏会は自然に始まったのです。
今回の演奏曲は、バロック時代のイタリア歌曲です。これらの曲は、19世紀にはピアノに合わせて演奏方法が変化しており、一般的にはそのまま現在に至っているそうですが、ナタリー・シュトゥッツマンたちが古い楽譜などを研究し、もともとの古来の演奏方法を再現しているのだそうです。
この辺の違いについても、私はそもそも何もわかりません。実際、ユーチューブでオルフェオ55しか聴いたことがないわけで、そのため、それが普通だと思っていて、クラシックというものについて、初めて魅力を感じたからこそ、わざわざチケットを買って来たのでした。
しかし、その音楽が私にとって「いまだかつて体験したことのない魅力」だったのは、たしかにその音楽がいまだかつて演奏されたことのない種類のものだったからかもしれない。
そのことに今気がつきました。
今、この演奏会について、色々な人の感想などを検索して読んでいますが、「ナタリー・シュトゥッツマンの声が一風変わっていて最初はなじめなかったが、聴くうちにその世界にひきこまれた」などと書いている人もいます。
私は、ナタリー・シュトゥッツマンの声だけしか聴いたことがないので、そういう感覚はありません。そして、気がついたことには、私はそもそも、シュトゥッツマンの声だからこそ、これらの音楽を聴くようになったので、そうでない人の歌に特段の魅力を感じたこともなく、聴こうと思ったことがないのだから、比べようがないのです。
そして、他の人の感想を読むと、シュトゥッツマンの歌はとてもすばらしいが、コントラルトという低音のため、あまり大きく響かないとか、中音域の声量が少ないという感想もあります。しかし、それがバロック風の古楽器の音質とマッチしているのだそうです。
なるほど。私はそういう要素に惹かれ、虜になったのかもしれません。
指揮者として、その姿を見ているととてもかっこいいです。上下黒い服です。男性のようにズボンと上着ですが、首にキラキラ光るダイヤのようなネックレスをしていてステキでした。右腕にブレスレットもしています。
姿は美しいです。動きが感情豊かで、曲想の付け方等すばらしいです。
明るく楽しい曲は、踊るように指揮をしています。
歌は、言葉がわからないのに、何度も涙があふれるほど感動します。
悲しい曲、激しい曲、楽しい曲、心に響きます。
2階席のステージの上というのは、舞台左側の演奏者のバイオリンやビオラあたりまでは表情までよく見えるのですが、右側はほとんど見えません。時々身を乗り出して真下を覗きこんだりしていましたが、そういうことをするのはいけないのか、周りのひとは行儀よく座っているようでした。
終始、手すりの棒の下から、覗くような感じで舞台を見ることになります。
バイオリンの人の衣装など、人によって違っていて個性もあって面白かったです。
シュトゥッツマンの指揮中の顔の表情や歌っている時の顔等も上からの角度ではあるものの、距離的には近く、よく見えます。
しかし、視線はやはり別の方を向いているという感じが否めず、舞台の人は、決して上を見上げないわけです。声も1階の観客席に向かって発しているという感じで、決して上に向かってはこない感じで、下の世界で行われていることを上から傍観しているという状況は2階の舞台の上の席であるかぎり仕方がないですね。
どの席も一長一短はあるのでしょう。
でも、今回とにかく行ってみて良かったと思います。次回は、また違う角度や違う位置の席を取ってみようと思います。
まだまだ、書きたいことは山積みですが、長くなったので、今日はここまで。
場所は、四谷駅から徒歩数分の紀尾井ホールです。
ナタリー・シュトゥッツマンは、コントラルトの声楽家であるとともに、指揮者でもあり、オルフェオ55は、ナタリー・シュトゥッツマンが結成している管弦楽団です。
ここで、ナタリー・シュトゥッツマンは、指揮をしながら自らソロで歌を歌うのです。
私は、数年前にユーチューブで、ナタリー・シュトゥッツマンとオルフェオ55の演奏を初めて発見し、そのときからずっと虜になっていました。そして、生演奏をこの目で見て、聴くことが夢でした。
ナタリー・シュトゥッツマン個人は、これまでも何度も来日して指揮や歌の演奏会をしていますが、オルフェオ55と共に来日し演奏会を開くのは、今回が最初です。しかも、都内での演奏。これは絶対に逃すものかと、1月中にチケットを購入しました。
私は、元々、クラシックの知識もほとんどなく、演奏会の経験もほとんどありません。いったい、どの席を取ったらよいのかもわからないのです。A席の中で、すでに良さそうな席は埋まっていました。
結局、2階の舞台に向かって右側で、ステージと客席の境界線の真上あたりの位置を選びました。
紀尾井ホールはもちろん初めてでした。あまり大きくはないですが、とてもきれいなホールで、天井には6個の豪華できらびやかなシャンデリアが下がっていました。
どんな観客が来るんだろうかというのも、私の関心でしたが、男女比では女性のほうが多く、年齢層はちょっと高めで、50代女性の私は充分溶け込める大多数の部類でした。
舞台の上の右側2階といえば、演奏者と指揮者を真上から見下ろせる位置であり、舞台に登場するときに、舞台左側のドアが開いて出てくるので、そういう場面もよく見えるはずです。最初は、調律師の人が、舞台の上のハープシコードの調律をしていました。
そして、いよいよ演奏会が始まるときには、楽器を持った楽団の人たちが、左側の扉から登場してきました。
弦楽器は若い女性が多く、ああ、やっぱりフランス人だな~と感じる容姿で、パリジェンヌだな~などと感動しました。
それから、音合わせ等していましたが、そのうち舞台右端のリュートのような古楽器が静かな演奏を始めているらしく、とても良い感じでした。
舞台右上にいる私からは、その姿が見えず、開演前の時間つなぎに演奏しているのかと思っていました。
そのうちに華々しく左側から指揮者シュトゥッツマンが登場するんだろうと思っていたのです。
真下を覗き込むと、リュートのような楽器を弾くのは男性で、髪の毛がちょっと長くウェーブがあり、これもまたヨーロッパ的、バロック的な素敵な雰囲気だなと思ってその音色と姿を心地よく感じていると、同じような雰囲気のもう一人の人が、その演奏者に寄りそって近づいており、そのとけあうような姿がとても素敵な雰囲気でした。
すると、なんと、それがナタリー・シュトゥッツマンだったのです。
なんという素敵な始まり方なのでしょう!
左ではなく、右から登場していたのでしょうか。
そして、ナタリー・シュトゥッツマンが歌い始めて、演奏会は自然に始まったのです。
今回の演奏曲は、バロック時代のイタリア歌曲です。これらの曲は、19世紀にはピアノに合わせて演奏方法が変化しており、一般的にはそのまま現在に至っているそうですが、ナタリー・シュトゥッツマンたちが古い楽譜などを研究し、もともとの古来の演奏方法を再現しているのだそうです。
この辺の違いについても、私はそもそも何もわかりません。実際、ユーチューブでオルフェオ55しか聴いたことがないわけで、そのため、それが普通だと思っていて、クラシックというものについて、初めて魅力を感じたからこそ、わざわざチケットを買って来たのでした。
しかし、その音楽が私にとって「いまだかつて体験したことのない魅力」だったのは、たしかにその音楽がいまだかつて演奏されたことのない種類のものだったからかもしれない。
そのことに今気がつきました。
今、この演奏会について、色々な人の感想などを検索して読んでいますが、「ナタリー・シュトゥッツマンの声が一風変わっていて最初はなじめなかったが、聴くうちにその世界にひきこまれた」などと書いている人もいます。
私は、ナタリー・シュトゥッツマンの声だけしか聴いたことがないので、そういう感覚はありません。そして、気がついたことには、私はそもそも、シュトゥッツマンの声だからこそ、これらの音楽を聴くようになったので、そうでない人の歌に特段の魅力を感じたこともなく、聴こうと思ったことがないのだから、比べようがないのです。
そして、他の人の感想を読むと、シュトゥッツマンの歌はとてもすばらしいが、コントラルトという低音のため、あまり大きく響かないとか、中音域の声量が少ないという感想もあります。しかし、それがバロック風の古楽器の音質とマッチしているのだそうです。
なるほど。私はそういう要素に惹かれ、虜になったのかもしれません。
指揮者として、その姿を見ているととてもかっこいいです。上下黒い服です。男性のようにズボンと上着ですが、首にキラキラ光るダイヤのようなネックレスをしていてステキでした。右腕にブレスレットもしています。
姿は美しいです。動きが感情豊かで、曲想の付け方等すばらしいです。
明るく楽しい曲は、踊るように指揮をしています。
歌は、言葉がわからないのに、何度も涙があふれるほど感動します。
悲しい曲、激しい曲、楽しい曲、心に響きます。
2階席のステージの上というのは、舞台左側の演奏者のバイオリンやビオラあたりまでは表情までよく見えるのですが、右側はほとんど見えません。時々身を乗り出して真下を覗きこんだりしていましたが、そういうことをするのはいけないのか、周りのひとは行儀よく座っているようでした。
終始、手すりの棒の下から、覗くような感じで舞台を見ることになります。
バイオリンの人の衣装など、人によって違っていて個性もあって面白かったです。
シュトゥッツマンの指揮中の顔の表情や歌っている時の顔等も上からの角度ではあるものの、距離的には近く、よく見えます。
しかし、視線はやはり別の方を向いているという感じが否めず、舞台の人は、決して上を見上げないわけです。声も1階の観客席に向かって発しているという感じで、決して上に向かってはこない感じで、下の世界で行われていることを上から傍観しているという状況は2階の舞台の上の席であるかぎり仕方がないですね。
どの席も一長一短はあるのでしょう。
でも、今回とにかく行ってみて良かったと思います。次回は、また違う角度や違う位置の席を取ってみようと思います。
まだまだ、書きたいことは山積みですが、長くなったので、今日はここまで。