私は、自分が10代の頃に好きな作家だと思った伊藤整のことを、自分が生きているうちにもっとちゃんと知っておきたいと、この頃思うようになった。
それで、今年は伊藤整の小説を順に読んで行こうと思ったのだが、老眼がひどくて文庫本の小さい文字を読むことができなくなってしまっており、そうなるとこのあいだ買った小学館の P+D BOOKS しか読めないことがわかった。
「若い詩人の肖像」があるのだから、伊藤整の他の作品もそろっているのだろうと思い込んでいたら、そうではなく「変容」だけしかないことがわかった。
それで、しかたなく「変容」を購入して今読んでいる最中だ。
この作品は、伊藤整の晩年の作品らしく、おそらく60歳を超えてから書いたものらしい。それで、内容も熟年の主人公になっており、思えば私もアラカンなのだから、読者としてはちょうど良い年齢なのかもしれないなあと思う。
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この「変容」の主人公は画家である。それで、絵についての感性を書いてある部分もあり、伊藤整は絵画に対しても関心のある人だったのだなと感じたりして嬉しい。
私は若いころには美術には特に関心はなく、上京してから友人に誘われて美術館に行ったりしたことで、絵画に関心を持つようになったが、頻繁に絵を見るようになったのはここ15年くらいのことなのだった。
それから、このあいだ読んだ「若い詩人の肖像」では、英語のできる主人公「私」が小樽で外国人夫婦の家に日本語を教えに行く場面があることを発見した。夫に日本語を教えるのために通っているのだが、夫人は日本語を覚える気は全くなく、ものすごい速さの英語でべらべらしゃべり、色々なことを訴えてくる。日本の生活にストレスを感じているようだった。「私」は毎回、夫人の主張を聞くことに徹するのだが、その中には日本人のお手伝いさんが英語を理解しないので意思が通じず困るとのこと。それで、今度は女学校を出た英語のできる女子を探してやり、お手伝いさんにするのだが、そうしたところ、むしろ英語の分からなかった女中のほうがましだったと夫人が嘆いたという場面があった。この体験は笑ってしまう場面でもあった。
ああ、そして、これは私が20年くらい前に、日本語ボランティアをやっていた頃にも通じるものがあった。言葉が通じず異文化の中で暮らす外国人にとっては、言葉を覚えることよりも、自分の思いを理解してくれる人がまず必要なのだ。そして、女中は言語が通じるからといって役にたつわけではない。
この本質を、伊藤整は「若い詩人の肖像」の中に既に書いてあったのだが、私が最初にそれを読んだときには、私はまだ日本語教師や日本語ボランティアなどに関しては全く関係のない人間だったので、何も記憶にとどめなかった。私は知らずに40代になってから数年間、日本語を教える人となった。今になって、伊藤整が日本語を教えていたことに驚き、その内容に共鳴する。
色々な共通点を発見するのは嬉しいものだが、ふと、伊藤整って車の運転はしなかったのかな?と思った。もししていたら、これもまた同様の感覚を書き記してくれていたかもしれない。
でも、思うに、昔の人って車の運転なんかしない人が多いだろう。
そういえば、だいたいどのくらいの年代の作家ならば車の免許を持っているのだろうか。
クルマの運転をする作家が書いた小説の中には、そういう場面があるはずである。
そうなると、石原慎太郎くらいの年代の人なら、本人が運転をしていたということであろう。
現代人ならば、村上春樹とか車の場面がいっぱい出てくるし、荻原浩も車はよく出てくる。
現代人は当然として、一番古い作家ではどのあたりから運転場面が小説の中に出てくるのかな~とちょっと興味が出て来た。
そういうのって、かたっぱしから作品を読まないとわからないだろうから、自分にはできないので、すでに研究しているものはないのかな~。
石原慎太郎は、1968年に参議院に初登庁した時に、スポーツカーで行ったことで話題になったそうです
スポーツタイプの車が好きだったようです
作品を読んだことないので、飛鳥さんの知りたいことは、書いてあるのかわからないです。ちなみに1932年生まれ
曽野綾子は、1960年にアメリカで免許をとったそうです。(この1960年というのが正しいのか?ちょっと疑問です。もしかしたら1950年の間違いかも)というのも、昭和30年(1955年)に初めて車を購入と書いているからです
昭和30年に、東京から大阪まで車で行って戻ってきたことを友人に伝えると
「大阪まで道があるの?」と驚かれたそうです
1968年に東名高速が出来る以前のことですから、東海道の松の並木をのろのろと進み、箱根では道が凍結していて、たいへんだったそうです。もちろん休息する所も無い時代です
ちなみに1931年生まれ
伊藤整は1905年生まれだから、同時代の人がわからない
谷崎潤一郎は、だいぶ上でしょうし
三島由紀夫が昭和37年に運転免許をとりに教習所に行ってたようです
そういえば、遠藤周作が狐狸庵日記で、教習所に行って、いろいろ憤懣やるかたないことがあると、自身を奮起させるのに
「あの曽野綾子だって、免許とれたんだぞ」と言い聞かせるところがユーモラスでした
遠藤周作の中で、曽野綾子さんは理系のことにとっても弱い印象があったようです
遠藤周作と曽野綾子さんあたりが面白そうですね。教習所に通った内容とか読んでみたいものです。
調べてみたら、私の父が1924年生まれで遠藤周作の1つ下でした。同世代の人は普通に車を運転していたので、それよりちょっと上の作家でも運転していたかもしれませんが、伊藤整世代ではさすがにしてなさそうですね。