赤く咲くのはケシの花
白く咲くのはユリの花
どう咲きゃいいのさ このわたし
夢は夜ひらく
このごろ、ヒナゲシのことから、「ケシの花」について興味が広がっています。
それで、こんな歌があったな~と思い出したんです。
やはり、ケシっていうのは、本来は「赤」なんだろうという感じがします。
それも「真っ赤」なんじゃないかと思います。
だから、淡いオレンジのナガミヒナゲシってのは、本当のケシの代表ではないように思うんですよね。
本当の「ケシ」っていうのは、やっぱり、麻薬のとれるヤツだから、実際に目に入るところに存在するわけがないですね。それは、もっと大きな花で色も濃いんじゃないかな~と勝手に想像しています。
そういえば、ネットで検索するといろいろなケシの紹介が出てきますね。
東京ではここでしか見られない花・ケシ(東京都薬用植物園)
ケシ(富士山の植物 <リクエストコーナー>)
アグネスチャンの歌詞も初めて気に留めたんですが、藤圭子さんの歌詞も、改めて確認すると、自分が思っていたのとは違うことに気がつきました。
「どうさきゃ」の「さきゃ」が「咲けば」って意味だと、初めて気がついたんですよ。
ただなんとなく、「この先どうすりゃいいのか」みたいな意味だと思いこんでいたんです。バカですね。
この人は女としての花を咲かせようとしていたんですね。
子どもの私は、その前の花の歌詞とのつながりなんて全然考えてなかったんですね。
それに、なぜか「真っ赤なケシの花が夜開く」みたいに思い込んでいたようです。
そして、「白いゆり」については全く無視で、「藤圭子が真っ赤な夜の花のケシみたいに咲こうとしている」かのような、めちゃくちゃな解釈をしていました。
今確認すると、この人は、ケシのようにもユリのようにも咲けないってことですね。
藤圭子の歌は暗い雰囲気だったから、そんな人かと思いこんでたら、宇多田ヒカルのお母さんなんだから、本当の人間はあの歌のイメージとは違うわけですね。
それにしても、あの詩を考えるとまた驚きです。
15・16・17と私の人生暗かった~
と歌っていますが、
この年齢はまだまだ子どもじゃないですか。
この3年間くらい暗かったからって、そのため、今後も人生に何の期待もできないって言う心境は、今の感覚ではぴんと来ないです。
それを、何の違和感もなく受け入れていたんですね、昔は。
(もちろん、今でも、そういう人生を送っている人はいることはいると思いますけどね。)
藤圭子さんがこれを歌い始めたときは、18歳か19歳くらいだったようですね。
次々に別の男に会い、過去を振り返りも未来を描きもせず、生きていく女。
現実の夢はないけど、すべてが「夢は夜開く」というフレーズでしめくくられる不思議な歌詞です。
「石坂まさを」という人の作詞ですね。
ずいぶんと、陰気くさい歌だな~と思うわけですが、それがあのころ売れたんですね。
この歌は1970年のヒット曲のようです。
このまえ、奥村チヨさんの「終着駅」のことを書きましたが、あれが1971年だったようです。その当時は、はかない現実を見据えて開き直ったような歌が流行った時代だったのかな~
なぜなんだろう・・・。
圭子の夢は夜ひらく
うぉ~
すごいインパクトだ
それに、すごく目がきれいですね。藤圭子さんて!
歌詞は傑作です。
(夢は夜ひらく歌詞)意外に笑っちゃいますね。
3番・6番なんかとくにおかしい。
真剣に歌っているところがまた不思議。