西国三十三観音巡礼にあたり、結願は33番の華厳寺にするのが一番感動的だと思う、というブログを見たこともあり、最後の日を33番さんで迎えることにこだわってきました。
いよいよ結願その時が来ました♪
総門から仁王門までは門前町が続きます。
紅葉の頃はさぞかし美しいことでしょう。
華厳寺の由縁は、798年会津の大口大領が京都の仏師に観音像を造らせたのが始まりで、完成した観音像を故郷に持ち帰る途中で、観音像が重たくなり、動けなくなってしまったそうです。
大領は観音像が谷汲山にとどまることを望んでいると察し、山中で修行していた豊然上人に相談し、一堂を立てて観音像を安置したということです。
その観音像は、ご本尊の十一面観世音菩薩さま。
大口大領の末孫は「富岡屋」と号し、現在に至っています。
富岡屋さんでニジマスののった「満願そば」を頂きたかったのですが、その日午後は土砂降りとなり、ほとんどの門前の商店は閉めており、お寺の駐車場もその日は無料となっていました。
山門は、運慶作の金剛力士像が立つ仁王門。
奥ノ院があるんですね。
33ヶ寺と番外3ヶ寺。
1000kmの道のり、長かったですね、いろんなお寺があって。
3回も飛行機往復して、私ひとりで、ほんとよくやったものだと思います。
3ヶ寺はバスツアーだったけど。
リュックの重さをかみしめながら、一歩一歩。
雨にしょぼ濡れて、新緑の緑が映えます。
雨の降りが強くなり、轟々と水が流れています。
結願が雨なんて、ちょっと残念な気分。
観音さまと同行二人もここで終わりなんですよね。
事故もなく、ゆるぎない心で、無事巡礼できたことに、感謝の気持ちしかありません。
雨の降りがいよいよ激しくなって、贅沢にもほぼ貸切のようなお参りです。
参道を歩く時はお寺さんの場合、左側通行です。
観音さまの右手にお尻を向けてはいけないと考えられています。
(一部の寺院では、住職様のお考えで、そうでないお寺もあります)
お手水場。
ありがたいほど穏やかなお顔のお地蔵さま。
華厳寺の宗派は天台宗。
いよいよ本堂。
本堂内は歴史を感じ、風格がありました。
「開経偈」「懺悔文」「三帰 三竟」「般若心経」「観音真言3回」「十句観音経3回」「回向文」。
おびんずるさま。
本堂の裏手に回りお参り。
華厳寺さんには、西国三十三番の結願札所として花山法皇が詠まれた御製三首の御詠歌にちなみ、ご朱印は3つ。
3つの御朱印とは本堂(観音堂)・満願堂、笈摺堂を指し、それぞれ現世・過去世・未来世を意味するとされています。
私は間違って本堂→おいずる堂→満願堂の順で回ってしまいました。
本堂から回廊が渡っており、おいずる堂と子安堂に繋がっているので、間違えてしまったんです。
つまり、満願堂(現世)の前に、おいずる堂(未来世)をお参りしてしまいました。
納められたおいずるはずいぶん古いものもあり、巡礼者たちが何を願ってお参りしたのかと、心にこみ上げてくるものがありました。
建物から出て、満願堂へ。
ほんとうに、最後のお参りです。
たぬきさんがたくさん。
この満願堂に最後の納め札を入れて、本堂と同じお参りをしました。
たぬきさんを見ていると、皆で満願を喜んでくれているような気がしてきました。
それでもうひと頑張りしようと奥ノ院に向かったのですが・・・。
雨のため参道から水が流れている場所もあり、この観音像に番号がついていて、1番→2番→3番→4番。
4番で止めにしました。
道が整備されていないし、33番にたどり着くとしたら、完全な山登りになりそうです。
本堂に戻り納経印を頂き、先達申請書を頂きました。
こみ上げる喜びに満たされるのかどうか、この日を楽しみにしていたのですが、私の場合は、淡々とした気持ちでした。
四国八十八箇所でも2度目、3度目の結願の時は、この淡々とした気持ちなんですよね。
結願が嬉しくなくはないけど、終わったな、って。
高まる感情もなく、湧いてくるような喜びもなく、こみ上げてくる思いもなく。
最後に精進落としの鯉、と五色の綱に触れ結願です。
精進には次の意味があります。
1 雑念を去り、仏道修行に専心すること
2 一定の期間行いを慎み身を清めること
3 肉食を断って菜食をすること
4 一つのことに精神を集中して励むこと。一生懸命に努力すること
巡礼期間中は、肉食を完全に断ったわけではないけど、確かに1~4に専心したと思います。
鯉を撫でた後は、本日の宿泊先、門前の立花屋さんに向かいます。