プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

板東英二

2017-02-01 23:37:09 | 日記
1961年

先発の板東は乾いたシャツに着がえると医務室でブドウ糖の注射を打ってもらっていた。「別に悪くはないが、これで元気をつけるんだ」と笑っていたが、針が静脈にはいると顔をしかめながら「みんな(河村、権藤のことらしい)調子がいいので引きずられますね」とニヤリ。後楽園での巨人戦の時のような表情の堅さはない。森はロッカーでハダカになりアーアと大きなアクビをしていた。「どうしてこんなにねむいんだろう」と目をしょぼしょぼさせながら「だるくてしようがない。開幕早々にバテがきたかな」と笑いとばし「フリー・バッティングでもいい当たりがとばない」とぼやく。「オープン戦でそんなことをいいながらでかいのを打ったじゃないか」とひやかされると「ヘッヘッヘッ」と笑いながら石川マネに「ジュースをちょうだい」と勢いよく立ちあがっていった。試合がきまると板東は真っ先にかけ寄った与那嶺に帽子をとって「ありがとうございました」とおじぎをしていた。巨人打線の欠点をアドバイスしてくれたお礼の意味なのだろう。そのうちナインにとりかこまれもみくちゃ。本多コーチが「やった、やった」と板東の頭をコツンコツンとたたく。「カーブやシンカーなどを投げましたが、結局球が低目にきまったということじゃないですか。こんな暖かい日に投げたのははじめてなので、思いきり投げられた。巨人ですか?こわいですよ」とけんそんしながら「去年より(10勝)勝ちたいです。権藤、河村さんがいいのでいい刺激になります」といっていた。板東は昨年も巨人を九回二死までノーヒットにおさえたことがある。最終回ウイニング・ボールをがっちりととった森はゆうゆうとベンチへ引きあげ、顔を洗っていた。おしゃれな森らしい。「四回のホームランは真ん中の絶好球だ。カーブだった。ちょっとつまったがね。それより八回ファウルになったフライは、ふつうならホームラン・コースだよ。風がきついので流れてしまったが・・・」とくやしそう。「だるいといいながら打ったじゃないか」といわれると「ほんとうや。ワシのからだは自分でもわからん。いいと思うとアカンし・・・」と笑いながら、報道陣にかこまれている板東のそばにいき「英二、ナイス・ピッチング」と握手を求めた。
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河村保彦

2017-02-01 22:35:28 | 日記
1961年

マウンドをかけおりた河村は、そのままベンチへとび込んだ。アルミのコップに水をこぼれるほどつぎ込むのどにグイグイ流し込んだ。「登板予定? あるもんですか。だってゴンちゃん(権藤のこと)が先発。ゴンちゃんでスタートすればブルペンで投げるのなんかヤボですよ」すぐかわいてしまったクチビルをなんどもなめまわしながら怒ったような口調。最後に2点とられたのがよほどくやしいらしい。「別に勝ちを急いだわけではないのに、カーブがみんな真ん中へはいってしまったんだ。やはり気のゆるみかな。それともスタミナがなかったのか・・・」質問に答えるというより、自分にいいきかせているようだ。「三回藤本さんに打たれて3点目をとられたのは外角です。ウォーミングアップは十分。やはり力で負けたんです」ここまでくると声が急にはずんだ。「でも四回からはよかったでしょう。ストレートがポンポンきまったものね。それに四回のヒットもごきげんだったし・・・」四回のヒットと無死二、三塁で右前に打った同点のタイムリーだ。「あれはシュートだった。ぐいっと内角にくい込んでくるやつを夢中で打ちかえしたら右前にボツン。ぼくのバッティングもまんざら捨てたもんじゃあない・・・」河村は12勝目にすっかりごきげんだった。
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徳久利明

2017-02-01 22:24:34 | 日記
1961年

マウンドからおりてくる徳久を近鉄ナインは一列に並んで迎えた。「ありがとうございます」と一人一人にていねいに頭をさげる。そして「二日間で勝ち星三つは運がいいんですよ。これもみんなのおかげです」とけんそんする。好調の原因については「フォームが安定してきたことです。それにコントロールもよくなりました。とくにこの東映3連戦はスライダーが外角におもしろいほどきまりました」と説明する。もっともこれには一つのきっかけがあったそうだ。七月十二日の対東映戦で張本の打球を左ヒザに受け負傷した。それ以来左足をかばうようになり、りきんだ投球をやらなくなった。これが結果的によく、投法もスムーズになった。「マウンドに立っていて点をとられるような気がしないんです。投げるのが楽しくて・・・。ねらったところにビシビシきまるでしょう」というとおり、2日間で12イニング投げて四球1つ、奪三振13。「高校時代(高知商)には連投を何度もやったからこたえませんよ。ぼくは暑さには強いんです」とケロリとしていた。新人王だね、という質問に「いや、そんなことはありませんよ。とにかく目標は早く10勝ラインを越えることですよ。それ以外はなにも考えずに・・・」と笑ったが本命のいなかったパの新人王の最有力候補にのしあがった。
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山本久夫

2017-02-01 21:20:28 | 日記
1961年

「がんばれ、スモール・スーパーマン!」十一回二死一、二塁で山本(久)が打席にはいると、東映ベンチは合唱をはじめた。宿舎を出るときに、東映ナインはスーパーマン稲尾に対抗させるために山本(久)に小さな鉄人というニックネームを贈ったそうだ。小さなからだで大メシを食い、昼は二軍の練習、夜は一軍のベンチと、食っては野球、野球をしてはメシを食う生活をくり返している山本(久)が寝ては投げ、投げては寝るという稲尾の対抗馬としては一番ピッタリというわけだ。当然、稲尾が出ることを予想した東映ナインのこの直感?は3球目に打った中前クリーン・ヒットで実を結んだ。ウイニング・ボールをとった山本(久)は歯をくいしばってベンチに帰ってきた。手を差しのべた水原監督の目がショボショボしている。アゴのあたりにうすく無精ヒゲをはやしたスーパーマンは意外に小さな声で話した。「ヤマをはっていたということはないけどさ、大体稲尾さんは違いところを攻めてくるピッチャーだからさ、ある程度は予測できたけどね・・・」山口県の桜ヶ丘高からノンプロ東圧彦島を経てプロいりした一年生。シーズン五か月。やっと東京弁が半分くらい身についたところだ。歯切れの悪い東京弁を使うのがうれしくてしようがない。そんな表情でしゃべりつづける。「稲尾さんはさ、そんなにスピードはなかったんじゃない。まだ足がよくなってないので、一回から出るとなんとなく疲れるような気がするんだ」(対阪急戦七月三十日)で痛めた右足首はまだ完全になおっていない。ストッキングの下につけたサポーターが砂によごれて真っ黒だった。
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稲川誠

2017-02-01 20:58:08 | 日記
1963年

「たまには負けるさ」とナインは口々に勝ったような顔でベンチから出てきた。長島は「きょうの稲川はよかった。とくにカーブがね。内角へ向かってくるシュートだと思う球がグッと曲って外角へはいってしまう。これではちょっと打てない」王は「徹底的にヒザもとを攻められた。しかも低目でカーブがブレーキよく変化した。審判までそれにつられて低いボールをストライクというしね。一回、三振した球は完全な低いボールだ。連続安打はストップするしおれはおもろうないわい。まあいいや。これからまた打てばいいさ」稲川をほめる選手ばかりの中で一人だけ違うことをいうのが皮肉屋の広岡だ。「おれが二本もライトへいい当たりをしたくらいだから稲川は大したできじゃなかったんだろう。(とニヤニヤして)稲川より風だね。ライトからレフトへ強く吹いた風さえなければ、ウチはもっと長打が出たよ」広岡が二本、国松、森がそれぞれ一本ライトへ放ったライナーは瞬間最大風速二十二㍍の逆風がなければホームラン、あるいは右越長打になったかもしれない。そういえば風は一方のチームだけに味方するというジンクスがある。天知俊一氏は稲川と巨人打線についてこう診断する。「稲川はたしかにスライダー気味のカーブがよく切れていいできだったが、二安打、シャットアウトというほどのピッチングとは思わない。左打者にはヒザもとを、右打者には外角を攻めて成功したが、巨人選手はライトへ打てば風でダメということを意識しすぎたような感じだ。きょうの稲川のようなピッチングに対してはライトをねらうより手はなかったろうと思うのだが・・・」ライトへ打つ以外に稲川攻略法はないし、そこへ打っては風のためにのびない。そのジレンマに巨人は負けたのだ。
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森中千香良

2017-02-01 20:32:53 | 日記
1963年

試合前のベンチで森中は鶴岡監督の隣にすわっていた。近鉄ベンチをのぞき込むように光っている監督の目と、女性のようにやさしい森中の目が対照的だった。「オイ、先発はオマエやで。きのういったとおりや。まさか忘れてへんやろな」という監督に森中は静かに答えた。「ハア、だいじょうぶです」試合はこの森中の一人舞台で終わった。プロ入り六年目ではじめての完封勝利。二回表にとんだブルームのたった一本のゴロのヒットがなかったら、ノーヒット・ノーランができるところだ。それでも森中は落ちつきはらった目と静かな言葉でしゃべった。「野村さんのサインどおりに投げたんです。それだけですよ。それをこんなにかこまれて・・。悪い気はしないけど困っちゃうな。そりゃあ調子はよかったです。ストレートやカーブもシュートもみんなよかった。だからシャットアウトできたんでしょうね」まるで人ごとのようだ。プロのマウンドをふんでから一度も捕手にグチをいったことがない不思議な投手。四人兄妹の三男坊。すぐ上の兄さんと妹さんが四年前から新聞のスクラップをしている。新聞を見ながらときどき励ましの声をかけるのは妹さんの役目。六年目だが、公式戦に出たのは四年前から。そのスタートの年が5勝。それから11勝、10勝と安定したピッチングをつづけている。だから心中では10勝投手に不満だ。「いくらたまに好投しても、投手はやはり20勝せなあかんよ。10勝じゃまだ一人前じゃない。ちょうど半人前だもの」ときどき妹さんのスクラップをのぞいているから自分の成績に詳しい。去年は一度も完投はなかった。リリーフで九つ勝って、あとひとつが先発。結局スタミナがなかったんや。だからことしのキャンプは一生懸命やりました。一にスタミナ、二にもスタミナでね・・・」プロ入り27勝目ではじめてシャットアウトできたのは、この猛練習のせいだ。「ことしは調子がいいです。やれそうです。こんなにいいスタートを切ってどび出したし、ことしこそおとなのグループ(20勝投手)の仲間入りしなくちゃ・・・」六年間気が弱いヤツといわれてきたが元気にいった。野村も手ばなしでほめた。「あいつ(森中)は、ほんとうに力のあるヤツなんや。このあとの東映戦が楽しみやね」

小雨が降りつづく悪条件で、当っている近鉄相手に一安打の完封勝ちはりっぱだった。シュート、カーブがよく切れて、低目にきまっていた。森中にすればこれだけやれたのは捕手のリードがよかった、ということらしいが、いずれにしても捕手のサインどおりに投げられればそれで一人前の投手だ。投球数九十八球もしめすように最高のピッチングといっていい。スタートは球数がやや多かった。とくにブルームと山本(八)に対してそうだった。極端に高目を警戒して低目低目とボールをつづけていた。いくらことしからストライク・ゾーンの高目が広くなったといっても、無造作に高目へほうれば力のある近鉄の打者に一発をかまされてしまう。森中と投げあってハドリ、小池にホームランされた黒田がそのいい例だ。その点森中は考えながらうまく投げた。後半は文句なしによかった。球数がスタートに比べてずっと少ない。六回から一イニング九球の割りだ。簡単に打って出た近鉄のまずさを責めるよりも、森中のピッチングをほめるべきだろう。
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