プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

産経テスト生

2017-02-18 19:46:00 | 日記
1967年

サンケイアトムズは二十五日午後二時、東京・有楽町の球団事務所で、十一月に行われた新人選手公募テスト合格者のうち、別表の五人の正式入団を発表した。すでに九人の入団は正式発表されており、これで公募テスト合格者十四人の入団が決まった。またこの日、秋季練習にテスト生として参加していた君島洋造内野手(19)=1㍍75、73㌔、右投げ右打ち、水戸高=の採用もあわせて発表された。この日発表になった六人は、すでに二十三日に球団事務所でサインをすませており、発表の席に姿をみせたのは潮田、鈴木、西村、金井の四選手だけ。岩佐海蔵球団常務の紹介を緊張した表情できき入っていた。これで今年度の新人選手公募テストの合格者が全部決定したわけだが、大量十四人も採用した点が目をひいた。岩佐常務は「昨年も佐々木、井上、渡辺保という素質ある若手を発掘した。こんどの十四人の中からも、必ずチームを背負ってたつ選手が出てくれると思う」と期待していた。来シーズンから支配下選手のワクが六十人にひろげられる。さらにサンケイは神奈川県横須賀市に専用練習球場でファーム選手をみっちりきたえる指導組織もできあがった。うもれた金のタマゴをみがき上げる環境は、完全にできあがったわけ。「プロ野球としての新しいいき方が成功すれば、画期的なことになると思う」と岩佐常務は話していた。サンケイの新入団選手は、移籍の河村投手(中日)、久代捕手(阪神)、ドラフト会議で交渉権を得て入団が決まった中野遊撃手(日本楽器)、簾内投手(日鉱日立)、高井投手(日本コロムビア)、奥宮捕手(九州工高)、中新井捕手(鹿沼農商)をふくめて全部で二十二人になった。なお、公募テスト合格者十四人と君島内野手は一月八日から自主トレーニングに参加する。

投手=潮田輝雄(20)1㍍77、75㌔、右投げ右打ち、水戸商中退
捕手=工藤守彦(20)1㍍76、77㌔ 右投げ左打ち、青森一高ー明大中退ー大昭和製紙
内野手=鈴木幸弘(24)1㍍82、75㌔、右投げ右打ち 福島県石川高ー明大ー清峰伸銅
内野手=西村秀一(20)1㍍65、60㌔、右投げ右打ち 鳥取工高ー大阪鉄道管理局
外野手=金井元三(18)1㍍71、69㌔、右投げ右打ち、東洋大付属高

金井選手の話「一度、自分の力を試してみようと思ってテストを受けた。高校時代は投手でノーヒットノーランを練習試合で記録したこともあります。しかし、自分では打線に興味を持っているので打者としてテストを受けました。ベース一周14秒5を記録したこともあるし、なんとか一軍にでられるようがんばります」

潮田選手の話「シュートには自信を持っている。一日も早く一軍で投げられるようがんばります」

西村選手の話「あこがれのプロ野球のユニホームを着ることができてうれしい。足には自信がある」

鈴木選手の話「テスト受験は経験があったので冷静にやれた。それがいい結果を生んだのだと思う。明大時代野球部にいて、新人戦でチャンスをつかみそこねたことがあるから、こんどはその分もとりかえしたい。力いっぱいやる」
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佐々木剛・渡辺保

2017-02-18 10:06:25 | 日記
1967年

サンケイアトムズの「新人選手公募テスト」に合格した四人のうち、投手二人が二十八日、アトムズ入りの意思表示をした。この二人の投手は岩手県・釜石北高の佐々木剛選手(18)=身長1㍍75、体重70㌔、右投げ右打ち、岩手県釜石市東前町=と新潟県・新発田農高卒の渡辺保選手(18)=身長1㍍75、体重74㌔、右投げ右打ち、新潟県北蒲原郡中条町=で、このほど、サンケイ球団から合格通知にたいし、入団することを表明したもの。これで合格者四人のうち、三人の入団がまとまった。佐々木投手は、十五日に行われた第一次審査で真っ向うから投げ込む速球が首脳陣の注目をあびた。とくに高めにくるタマはホップして臨時選手をつとめた篠田がポロリとやったほど。渡辺投手も、速球を主にしたスリークォーターの右投げ。低めにコントロールされた投球は、昨年、高校を卒業したばかりの投手とは思えないほど。粗けずりな佐々木投手とは対照的に、渡辺投手は完成品に一歩近い感じの投手。審査のとき、中原ヘッドコーチも「まとまった投球をするわりに、タマの威力もある、いい投手だ」とほめていたほど。渡辺投手は、赤いアンダーシャツを着ていたところから、球団首脳陣に赤シャツというニックネームをもらっていた。

渡辺保選手の話 「中学時代からあこがれていたプロ野球選手になれてうれしい。昨春新潟県の新発田農高を卒業し、中条町の水沢化学に勤務したが、野球が忘れられなくて一人でトレーニングをつづけていた。アトムズのテストを受けるとき両親にだまっていたので、いまうちじゅうが驚いたり喜んだりでたいへんです。新潟県からプロ野球の選手になった人は少ないので、一生懸命にやって、よい選手になりたいと決意をあらたにしています」
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