1971年
入団発表に現れて近藤投手は、さすがに落ち着いていた。新人の入団発表という若々しい希望にあふれた中にもどこか浮ついているものだが、近藤投手にはそれがまったくない。「ノンプロでは先発完投だったが、プロにはいったらそうもいかないでしょう。打順ひと回り、押えればと思っています」長いサラリーマン生活が自分をわきまえさせるようになった。ロッテが指名獲得したのも「3イニングをピシャリと押えられるし、即戦力になる」(田丸スカウト)と判断したからだ。それを裏づけるように近藤投手はいう。「セ・リーグではち密な野球をやるが、パ・リーグでは少々荒っぽい。私はシュート、スライダーを得意にしているのでパの方が通用すると思います。ロッテでよかった」もし、指名したのがセ・リーグで、先発完投という期待をされたらプロ入りはしなかったという。しかし近藤投手はこのドラフト会議で指名されなかったら、やはりサラリーマンを続けただろう。福島県石川郡の学法石川高から三十六年、日本コロムビアに入社した。それ以後は同チームの主戦投手として活躍。三十九年には夏の都市対抗で久慈賞を受賞したこともあった。だが、ことしにはいって本社が経営不振になり、九月に野球部は休部した。二十五人いた同僚のうち六人以外は転職、近藤投手を含めた六人もちりぢり。近藤投手は、オリオンズにいた山本管理課長の力で川崎工場から本社に転職した。そのころ、会社側は希望退職者を募りだした。「私もそこで考えました。このままでは将来が不安になると思いましてね。就職さがしをはじめたんです」なんとも身につまされる話だが、そのときの月給六万円少々。かほる夫人と圭子ちゃん(三つ)をかかえた生活もある。しかし、好きな野球はやめたくない。一時は軟式でもと思い、話を進めたこともあった。それに、サラリーマンといっても、つまるところやはり野球選手。一年の半分以上は本職の事務はとっていない。「そうかといって、おいそれと野球のできる職はないしと思っていたんです」そんなところへ、ロッテの指名が降ってわいたわけである。だが、近藤投手はまたまた考え込んでしまった。「野球は好きだが、プロとなるとねえ。プロは厳しいですからね。生半可な考えではやっていけないですもの」この入団発表の前日の二十九日、近藤投手の会社日本コロムビアは再建整備のため、約千二百人の希望退職者計画を完了した。同じ日、永田ラッパの大映は遂に解散に追い込まれた。それもこれもドルショックの不況嵐が年末の町を吹き荒れているからだ。厳しい世の中である。サラリーマン世界も負けず劣らずに厳しい。確かに近藤投手は瀬戸際に立たされた。だが、厳しいがプロ野球というはなやかな世界への手がかりをつかむことができた。やはり幸運にめぐり会えたといってもいいのではないだろうか。「これまで女房に苦労させていたし・・・」瀬戸際に立たされた男の度胸が、来季のマウンドでどう出るだろう。
入団発表に現れて近藤投手は、さすがに落ち着いていた。新人の入団発表という若々しい希望にあふれた中にもどこか浮ついているものだが、近藤投手にはそれがまったくない。「ノンプロでは先発完投だったが、プロにはいったらそうもいかないでしょう。打順ひと回り、押えればと思っています」長いサラリーマン生活が自分をわきまえさせるようになった。ロッテが指名獲得したのも「3イニングをピシャリと押えられるし、即戦力になる」(田丸スカウト)と判断したからだ。それを裏づけるように近藤投手はいう。「セ・リーグではち密な野球をやるが、パ・リーグでは少々荒っぽい。私はシュート、スライダーを得意にしているのでパの方が通用すると思います。ロッテでよかった」もし、指名したのがセ・リーグで、先発完投という期待をされたらプロ入りはしなかったという。しかし近藤投手はこのドラフト会議で指名されなかったら、やはりサラリーマンを続けただろう。福島県石川郡の学法石川高から三十六年、日本コロムビアに入社した。それ以後は同チームの主戦投手として活躍。三十九年には夏の都市対抗で久慈賞を受賞したこともあった。だが、ことしにはいって本社が経営不振になり、九月に野球部は休部した。二十五人いた同僚のうち六人以外は転職、近藤投手を含めた六人もちりぢり。近藤投手は、オリオンズにいた山本管理課長の力で川崎工場から本社に転職した。そのころ、会社側は希望退職者を募りだした。「私もそこで考えました。このままでは将来が不安になると思いましてね。就職さがしをはじめたんです」なんとも身につまされる話だが、そのときの月給六万円少々。かほる夫人と圭子ちゃん(三つ)をかかえた生活もある。しかし、好きな野球はやめたくない。一時は軟式でもと思い、話を進めたこともあった。それに、サラリーマンといっても、つまるところやはり野球選手。一年の半分以上は本職の事務はとっていない。「そうかといって、おいそれと野球のできる職はないしと思っていたんです」そんなところへ、ロッテの指名が降ってわいたわけである。だが、近藤投手はまたまた考え込んでしまった。「野球は好きだが、プロとなるとねえ。プロは厳しいですからね。生半可な考えではやっていけないですもの」この入団発表の前日の二十九日、近藤投手の会社日本コロムビアは再建整備のため、約千二百人の希望退職者計画を完了した。同じ日、永田ラッパの大映は遂に解散に追い込まれた。それもこれもドルショックの不況嵐が年末の町を吹き荒れているからだ。厳しい世の中である。サラリーマン世界も負けず劣らずに厳しい。確かに近藤投手は瀬戸際に立たされた。だが、厳しいがプロ野球というはなやかな世界への手がかりをつかむことができた。やはり幸運にめぐり会えたといってもいいのではないだろうか。「これまで女房に苦労させていたし・・・」瀬戸際に立たされた男の度胸が、来季のマウンドでどう出るだろう。