プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

矢ノ浦国満

2017-02-12 22:39:19 | 日記
1977年

勤務先の不動産会社で集めた金を横領したり、ゴルフ道具をだまし取って業務上横領、詐欺罪に問われた長野市三輪10の13、元プロ野球選手矢浦国満に対し、大阪地裁の竹重誠夫裁判官は七日午後「同じ手口の犯行を何回も重ねており、被害金額も多い」と懲役一年六月、執行猶予三年(求刑懲役一年六月)の有罪判決を言い渡した。判決によると、矢浦は大阪市北区内の不動産会社に勤めていた四十七年十一月、客から集金した土地代金など約百六十万円を横領したほか、昨年一月から十月までの間に大阪府東大阪市内のゴルフショップなど三店からゴルフ道具約二十点(約四十一万円)をだましとった。矢浦は三十五年三月福岡県立東筑高校卒業後、近鉄に入団、「矢ノ浦」の名で内野手として活躍し、四十一年に当時の国鉄に移った。その後、アメリカのグローバルリーグに参加したが四十四年帰国、不動産会社に勤めていた。最後の公判で弁護人は「野球バカで若いころからチヤホヤされ、華やかだった昔のことが忘れられず、一般社会に溶け込めなかった」と弁論、矢浦も起訴事実を全面的に認め「ほんとにアホなことをしてしまった。これからは一生懸命やって自分を取り戻したい」といっていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

矢ノ浦国満

2017-02-12 19:47:58 | 日記
1973年

大阪・曽根崎署は十日、元プロ野球選手矢ノ浦国満(31)=大阪市東淀川区淡路本町2-302=を業務上横領の疑いで書類送検した。調べによると矢ノ浦は、昨年七月から大阪市北区神山町64、不動産会社太洋ランド=中浜栄社長(32)=のセールスマンとして働いていたが同十月、大津市瀬田の会社員Aさんと滋賀県甲賀郡水口町の湘南ニュータウン翠ヶ丘の土地約百七十平方㍍を二百六十三万七千円で売買契約し、頭金百万円は会社に入金したが、十一月十七日Aさんの妻から受け取った残金と登記手数料計百六十七万四千円を持ち逃げした疑い。矢ノ浦は「十一月十八、十九日の京都競馬で約百万円を使い込んだ。返済のあてがなく逃げた」と言っている。矢ノ浦は三十五年、北九州市東筑高校を卒業後、近鉄バファローズに入団、六年間名ショートとして鳴らした。その後サンケイ、巨人などを転々、四十五年、野球生活をやめた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三宅秀史

2017-02-12 16:51:32 | 日記
1963年

七回広島の攻撃が始まると、三宅(秀)はベンチをとび出した。右翼ラッキー・ゾーンの中にあるブルペンで森光がピッチング練習をしていたが目を慣らすため打者に立った。右翼へ歩く三宅(秀)にものすごい拍手が起こった。ソロムコが満塁本塁打を打ったときよりものすごかった。昨年九月六日、大洋戦の試合前の練習で小山の送球を左目に受けて入院、手術。ウエスタンでトレーニングしていたが、青田、小柴両コーチが相談して試合前に急にベンチにはいることになった。ベテランの三宅(秀)も妙に落ちつかない。「自信なんて全然ない。どのコースが打ちにくい?全部や」と試合前にいっていたのに七回初打席にはいったときは、ガラリとかわって自信に満ちていた。「ぼくもプロの選手や。あれだけの拍手が起こると、やらなあかんと思った」二塁にみごと内野安打。藤本監督が思わずベンチから腰を浮かした。藤本監督も右足のリューマチで十五日から休んでいた。三宅(秀)のカムバックといっしょになって上きげん。「三宅(秀)の戦列復帰を待っていたんや。これで村山もカムバックしたし、顔が出そろった。打線ものぼり調子やから、これからやで」と威勢がいい。「調子のいいのは巨人だけや。あとはモタモタしている。しかしきのう大洋がちょっといい試合をしたね。もうちょっとでほんものになりそうやな」と観察も鋭い。試合後ロッカーでは二つの輪ができた。藤本監督と三宅(秀)を取り巻く報道陣。三宅(秀)は「ナイターはやはりええ。しかしはじめてでちょっととまどった。八回の大和田のライナーなんか昼間だったら軽くとれている。ウエスタンの初打席が二塁打。こんども安打が出るような気がした」と気持ちよさそうに語る。視力のことになると一瞬表情をくもらせた。「これは書かんで下さい」とボッツリいって、すぐ「試合はナイターの練習だと思ってやります」と表情をやわらげた。藤本監督は「三宅(秀)は代打か、代走に出すつもりだったが、楽勝のケースだったので思い切って出した。りっぱだったよ。これからはどんどん使っていくつもりだ。勝つためには三宅(秀)に働いてもらわんと困る。リューマチ?そんなことはどうでもええやないか」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外山博・大西譲治

2017-02-12 10:38:30 | 日記
1970年

中日の外山博投手(22)は二十日午後二時過ぎ市内中区栄の球団事務所に東方代表をたずね、右肩痛を理由に退団を申し入れ、受理された。球団はすでに、シーズン中から今シーズン限りで整理選手にする方針を決めていた。近日中に任意引退の手続きをとる。同投手は四十二年春名電工から入団、期待されたが公式戦は昨シーズン先発で一試合に登板しただけで勝敗の記録はない。なお大西譲治投手(20)も同日球団事務所をおとずれ、プレーをつづける自信を失ったとして辞表を提出したが、慰留された。同投手は1㍍86、86㌔とチーム一の体力にめぐまれ年齢的にもこれからで、球団では将来性を評価、この春大リーグ、ドジャースのキャンプに参加させるなど力を入れてきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする