プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

榎本直樹

2017-02-04 21:59:20 | 日記
1974年

一回のヤクルトの得点で、勝負の大勢がきまるという味けない試合。ヤクルトはこの回・東条が金城の初球を中前安打すると、船田が三遊間を抜き、若松が右へ3点本塁打。ロペスはストレートの四球で歩き、山下も右前安打、一死後城戸も二番手の横山から中前安打して4点となった。金城は初球を打たれてから力んだのだろう。単調な投球だった。金城とは対照的にヤクルトの榎本はよかった。カーブ、シュートを混じえた多彩なピッチングに、広島は八回までわずか2安打。やっと九回山本浩、衣笠の長短打などで、零敗をまぬがれた。榎本はプロ入り初完投。

・どっちかといえば安田投手に似たタイプの投手だと思うか?

そうですか。そんなに似てますか。安田さんの場合は左投手にしてはめずらしい横手投げでどちらかといえば変則投手。僕の場合はスリークォーター気味でボールの出が安田さんよりも少し上になりますね。

・得意な球種は? フォークボールです。これは大学(中京大)のときからつかっているウイニング・ショットです。コントロールがいいのはシュートで、はやいボールとゆるいボールの二種類投げることができる。球種はそれらを入れて五、六種類ですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内田照文

2017-02-04 20:18:37 | 日記
1971年

西鉄ライオンズの古賀球団常務は二十六日午後三時、広島へのトレードが決まった内田照文投手(21)=身長180㌢、体重72㌔=を呼び、ウエーバーによる広島移籍を伝えた。突然の決定で同投手はとまどいの表情だったが、トレードを知らされたあとは「球界のルールだからしかたない」と移籍を内諾した。だが同投手にとって悩みのタネは百万円にも満たない年棒だ。四十三年に熊本工からテスト生として西鉄入りしたが、来年はプロ入り五年目を迎える。「ボーナスのある一般サラリーマンとそれほど大差ないとすれば、ここらで球界から足を洗ったほうが・・・」という気持ちもあるようだったが、同日夜、熊本市北千反畑に住む父親精太郎さん(51)=文具店=に電話で相談した。「広島に移籍して芽が出た藤本和宏投手のような例がある。それに退団させられたのではないから心機一転して励め」といわれて、改めて広島入りを決意した。西鉄在籍の四年間でショートリリーフとして、試合に登板しているが、ウエスタンリーグでは四年間で通算6勝2敗。広島としては同投手の制球のよさに目をつけたようだ。

内田投手の話 西鉄でやれないならプロ野球から身を引こうと思ったが、父や周囲の人に励まされ考え直した。広島では死にもの狂いでがんばる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

副島末男

2017-02-04 19:38:54 | 日記
1969年

阪急ブレーブスの藤井スカウトは、ドラフトで八番めに指名した副島末男投手(18)=佐賀・塩田工、身長179㌢、体重71㌔、右投げ右打ち=獲得のため、去る五日いらい佐賀県鹿島市浜町の同選手宅を訪れ、父親辰雄さん(64)をはじめ親族と交渉を続けていたが、このほど入団の内諾を得た。正式契約は期末試験の終了を待って大阪で行われる。

阪急・藤井スカウトの話 速球の威力はたいしたもの。未完成だが将来が楽しみだ。バッティングにもいいセンスを持っている。

副島投手の話 プロからのさそいがあれば入団したいと思っていた。スピードには自信があるし、ストレート一本で勝負できるような投手になりたい。右の江夏といったタイプが理想だ。コントロールをつければ、プロでもやっていくれると藤井スカウトも保証してくれた。毎日一時間くらい走って鍛えているので、キャンプになってもあわてないだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中山孝一

2017-02-04 19:02:38 | 日記
1974年

南海の中山がキャンプでみがきをかけてきたナックルボールで王を三振させた。ウエスタンで投げたことはあるが、一軍の顔ぶれを相手にほうったのはこれが初めて、見事な成功だった。「昨年の日本選手権のときより緊張した。調子はよかったが、足がブルブル震えて、自分の体ではないようだった」のが原因かどうか、六回まで投げて3回の四球を出した。だが、許した安打は2本だけ。王と長島には1本も打たれなかった。野村監督は「ローテーション入りは決まった」とタイコ判を押した。中山の成績は過去四年間でたった1勝だが、野村監督は素質を見抜いている。背番号を17から13に変えてやり、1月の美穂夫人との結婚式場では中山に寄せる期待を述べた。この日、マウンドに上がったとき胸にはお守り袋が下げてあったが、これも野村監督がキャンプ中に「はだ身離すなよ」と贈ったものである。中山は監督の励ましにこたえられるまで成長した。「でも、まだ満足はしていない。カーブはよかったが、ストレートが伸びなかった。それに制球はキャンプ中から課題にしていたが、3個も出してしまった。王、長島さんを打ちとったのは気持ちがいい。自信もついた」と喜びと不満を織りまぜてしゃべったが、何勝ぐらいしたいかは何度聞かれても口にしなかった。柳田に二塁打されたことについて「相手がストレートに強いのは知りながら投げてみた」と度胸のよさそうなことを口にしたが、実はそうでもないらしい。野村監督の説明では「彼には不運なところがあった。背番号もそのために変えたのだ。13という数字は気の弱い者に向いていて、17は逆に気の強いのに合うそうだ。だから17は外山にやったのだ」という。こんどの巨人との三連戦、野村監督が投手陣で使えるメドをつけたのは中山と外山の二人だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする