1966年
静岡県小笠郡浜岡町ー。遠州灘の荒波が、目の前に迫るような町。そこが奥柿の生まれ故郷だ。プロ野球で名をなした選手には、家が漁業だったというケースが多い。父親の手伝いで、舟に乗り、ろをこいだことが、結果的に強ジンな腰をつくるからだ。だが、奥柿は、そうではない。母親のこうさんの手ひとつで育てられた。八人きょうだいの末っ子。世間一般に通用する甘えん坊なところは小指の先ほどもない。朝は六時に起き出して、近くの病院へ働きにいく母親の姿をみながら、奥柿は浜岡中へかよった。プロ入りを決めたとき、奥柿は「親孝行がしたい」といった。口先だけではない。大地に足をふまえた実感がそこにあった。サンケイ入りしたら「おかあさんといっしょに住みたい」といった裏には、高校生活三年間の下宿生活の愛情飢餓状態とはまるでちがう。加えて、浜岡中は野球では伝統ある学校だった。毎年、静岡商へは、何人かの優秀選手が送りこまれている。静岡商野球部の本間文雄部長は、中学時代の奥柿に目をつけていた。「ピッチャーをしていたが、やはりバッティングが鋭かった。投手より打者でいったほうがいいと思った」という。奥柿は、正直だ。ドラフト会議でサンケイが第一位にランク、交渉権を獲得したとき、奥柿の周囲は進学説で固まっていた。「大学受験の勉強を始めなければ・・・」という声に、奥柿は苦笑してこういった。「オレ、参考書はほとんどないよ。教科書でじゅうぶんだ」野球でもそうだ。今夏の甲子園大会で、金沢商の庄田からホームランを打つと、マスコミは長距離打者ともてはやした。だが、本人は、それを真っ向から否定した。「予選じゃ、本塁打は打っていない。ぼくは中距離バッターです」自信がないのかというと、そうではない。言動すべてに、慎重なのだ。サンケイ入りを決めるときは、三時間も無言の行をつづけたすえOKした。何を考えていたのかと聞いたら、ケロリとしてこういった。「プロ野球でやれるかどうか、自分で自分に問いかけたんです。いいかげんな気持ちではなく、自分に聞いてみて、それでよしという返事が出るまで、考えぬきました」奥柿は、一度、こうと決めたら、あとは、一歩もひかない。堂々と自分の道を進む。高村光太郎の詩に「牛はなかなか一歩を出さない。しかし、出した一歩は絶対に引っこめない」という意味の一筋があった。そういうシンの強さを、奥柿はヒシヒシと感じさせる。入団発表後、飯田監督がこういった。「学帽の校章を、変にかくすようなかぶり方をしない高校生を、久しぶりにみたよ。奥柿って、いいね」
静岡県小笠郡浜岡町ー。遠州灘の荒波が、目の前に迫るような町。そこが奥柿の生まれ故郷だ。プロ野球で名をなした選手には、家が漁業だったというケースが多い。父親の手伝いで、舟に乗り、ろをこいだことが、結果的に強ジンな腰をつくるからだ。だが、奥柿は、そうではない。母親のこうさんの手ひとつで育てられた。八人きょうだいの末っ子。世間一般に通用する甘えん坊なところは小指の先ほどもない。朝は六時に起き出して、近くの病院へ働きにいく母親の姿をみながら、奥柿は浜岡中へかよった。プロ入りを決めたとき、奥柿は「親孝行がしたい」といった。口先だけではない。大地に足をふまえた実感がそこにあった。サンケイ入りしたら「おかあさんといっしょに住みたい」といった裏には、高校生活三年間の下宿生活の愛情飢餓状態とはまるでちがう。加えて、浜岡中は野球では伝統ある学校だった。毎年、静岡商へは、何人かの優秀選手が送りこまれている。静岡商野球部の本間文雄部長は、中学時代の奥柿に目をつけていた。「ピッチャーをしていたが、やはりバッティングが鋭かった。投手より打者でいったほうがいいと思った」という。奥柿は、正直だ。ドラフト会議でサンケイが第一位にランク、交渉権を獲得したとき、奥柿の周囲は進学説で固まっていた。「大学受験の勉強を始めなければ・・・」という声に、奥柿は苦笑してこういった。「オレ、参考書はほとんどないよ。教科書でじゅうぶんだ」野球でもそうだ。今夏の甲子園大会で、金沢商の庄田からホームランを打つと、マスコミは長距離打者ともてはやした。だが、本人は、それを真っ向から否定した。「予選じゃ、本塁打は打っていない。ぼくは中距離バッターです」自信がないのかというと、そうではない。言動すべてに、慎重なのだ。サンケイ入りを決めるときは、三時間も無言の行をつづけたすえOKした。何を考えていたのかと聞いたら、ケロリとしてこういった。「プロ野球でやれるかどうか、自分で自分に問いかけたんです。いいかげんな気持ちではなく、自分に聞いてみて、それでよしという返事が出るまで、考えぬきました」奥柿は、一度、こうと決めたら、あとは、一歩もひかない。堂々と自分の道を進む。高村光太郎の詩に「牛はなかなか一歩を出さない。しかし、出した一歩は絶対に引っこめない」という意味の一筋があった。そういうシンの強さを、奥柿はヒシヒシと感じさせる。入団発表後、飯田監督がこういった。「学帽の校章を、変にかくすようなかぶり方をしない高校生を、久しぶりにみたよ。奥柿って、いいね」