プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

柚木秀夫

2017-11-13 07:19:59 | 日記
1968年 高校時代

今大会もう一つコントロールに難があったため、一度も登板しなかったが鈴木健とともに前工投手陣を背負っている。打者としても勝負強さがありそれを買われて、県大会ではしばしば代打に起用され3打数2安打3打点の成績で、高商戦、桐商戦では活躍した。負けずぎらいで、ポーカーフェースだが、左腕からの快速球が胸元に決まる。繊維科2年身長176㌢、体重70㌔、埼玉県久喜中出身。
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井村典夫

2017-11-12 20:54:38 | 日記
1955年

九州学院では第二投手だった。第一投手の松井は阪急に入団したが、阪神は何の見どころがあってかこの投手をとった。セントラルには珍しいアンダー・スローで、面白い存在だが、体力が無いのではたしてどこまで働けるか疑問である。まあBクラスの筆頭といったところか。
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井洋雄

2017-11-12 20:31:19 | 日記
1958年

一昨年本大会で室蘭(富士鉄)を相手に一試合77球という大会最小投球数の新記録を作り、ワンヒットに押さえた井投手はがぜん中央球界の注目をひいたが、その井投手が昨年の不振から脱し見事にカムバックして名古屋を1安打、1四球のシャット・アウトに押さえて二瀬勝利の原動力となった。サブマリン村上と併用するこの二瀬の投手陣は一方の井が正統派なら、村上は老練の下手投げとあって好対照をなしていたが、昨年は村上が強豪高砂(鐘化カネカロン)を相手に都市対抗史上空前の完全試合を成しとげ、今年は井投手の働きの年となって二度目のワン・ヒット・ゲームを記録した。ワンヒット・ピッチングは都市対抗ではこれで七回目であるが、そのうち二回を一人で記録したのだからたいしたものだ。スラリとした長身から投げおろす投球は打者を威圧するほどのすご味はないが、外角低目へ小気味よくきめるスライダーと小さいが鋭く割れて球速の変わらないアウドロとは全く非凡であり、名古屋は四回まで無安打、五回辛うじて内海が左越え二塁打を見舞ったが、この一本のみに押さえた。アッパレというほかあるまい。二瀬濃人監督は「彼は昨年ヒザを痛め踏ん張りがきかなくなったので不調をかこったが、今年はこれも治り右足首をねんざしたケガも大分回復したのでご覧のような元気な姿で現すことができた」といっている。井投手も「そうですね。やはり一昨年はこわいもの知らずで無心に投げていたのが成功していたが、本物ではなかった。今年が勝負の年ですよ」と割り切っており「こんど当たる熊谷ー拓銀の勝者もあまりこわい相手ではないのでさらにがん張りたい」と次の一戦へ闘志を燃やしていた。20才、業務課資材係勤務。
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関口一郎

2017-11-12 20:00:57 | 日記
1957年

明大当時「ブルペンエース」とあだ名された関口も、昨春の台湾遠征ですっかり自信をつけ、春のシーズンは防御率1.13で投手成績第四位となった。最後の秋のシーズンはあまりに変化球に頼りすぎて、コントロールを乱し不振だったが、彼の長い指であやつられるナックル、フォークボールは相当な威力を持っている。しかし昨秋のように変化球ばかりを練習し、かんじんの球速が落ちれば何にもならない。下半身を強くし安定したフォームで、速球をびしびし投げてこそ、得意の変化球も生きてくるので、この本末を転倒しないよう、キャンプでスピードとコントロールに精進すれば、秋山のいい補佐役となるだろう。
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上土井勝利

2017-11-12 19:56:25 | 日記
1957年

資金難から毎年これという大物がとれず、地元の高校生を集めるのがせい一ぱい。しかし白石監督以下の熱意で、無名の新人が徐々にのびて行くのは頼もしい。今年も有名選手は上土井だけ。

上土井は昨年久し振りに名門広島商を、甲子園に進出させた殊勲者で、甲子園では一回戦か二回戦で早くも姿を消したが、彼の技巧的なピッチングは、玄人筋の評判がよかった。一見長谷川ばりのバネのよく利いたサイドスローの投手で、武器はシュートとコントロールのいいこと、手薄な広島のピッチングスタッフだから、登板のチャンスは案外早いかも知れないが、もっと体力をつけないと、五尺六寸、十六貫では心細い。
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秋光新二

2017-11-12 19:51:10 | 日記
1955年

左投手の育たない阪神にとっては、是が非でも大成させたい素材であろう。球速には遺憾はないのだが、カーブがないのが玉にキズ、オープン戦にも出場して大いに腕を磨いている。阪神新人投手中では文句なしのAクラス。
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米田敏美

2017-11-11 22:24:26 | 日記
1962年 十和田高校時代

春の県北大会で前代表を12-1で破ったことがこのチームに自信を与えた。昨年のエース米田が健在。一㍍八〇に近い長身から投げおろす速球にみがきがかかり、欠点だったコントロールも大分よくなった。カーブ、シュートも武器として使えるようになり、低目の速球には市内で立ち向かえる打者はほとんどいない。「県内の投手でもAクラスは近いでしょう」と藤盛監督も目を細めている。打線では昨年から四番を打っている米田が更に長打力を増しており、対外試合でもすでに二本のホームランをカッ飛ばしている。
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西五十六

2017-11-11 21:47:14 | 日記
1958年

丸善の西(兄)投手は無類の好投で都市対抗野球史上二度目の完全試合の大記録をつくった。立上り丸善は先頭紺田の四球を足場に一死後、谷井の左翼線二塁打に始まる4長短打の連続という鮮やかな集中攻撃で一挙3点をたたき出した。この先取点に守られた西兄投手は南東四・五㍍の追風を利して快速球を外角低目にビシビシと決める絶妙のコントロールと、時折まじえる切れのよいカーブ(102球のうちカーブは11球)で琴竜打線から10三振を奪取、バックスの好守もあってついにパーフェクトゲームという偉業を樹立した。

丸善石油看板兄弟投手の兄、昨春弟の三雄投手とともに丸善石油へ入社、昨シーズン前半は弟投手の陰にかくれていたが、秋の九州遠征ごろからしだいに調子をあげ、戦力となり優秀投手に選ばれた。今シーズンは春の四国大会以後神経痛で不調の弟投手に代ってエースとなり、去る四月大阪でハワイ朝日チームを6-0でシャットアウトしてからますます自信を強めた。最大の武器は外角低目をつく伸びのある快速球で、この日もほとんど直球で琴竜打者を完全に沈黙させた。二十九年和歌山大成高校を出て一時住友金属和歌山で軟式をやっていたが、三十年阪神へ入団二年間のプロ野球生活では1勝1敗の成績であまりぱっとしなかったが、やはりその快速球は弟の重い球質とともに社会人球界ではずば抜けており、全国一流の好投手である。二十二歳、和歌山大成高出身、身長1㍍77、体重71㌔、右投右打。

西投手の話 「調子は普通でした。トーナメントですから一球一球慎重に投げました。ほとんど直球で外角低目に決まったのがよかったと思う。六回ごろから記録を意識しましたが、バックスがよく守ってくれたので助かりました。記録もうれしいですが、やはり優勝しないことには・・・」

稲原日本社会人野球協会全四国連盟理事長の話 「実に立派な記録でした。初日の四鉄との時のピッチングはあまりよくなかったが、琴竜とのゲームは西(兄)投手としては普通のできであったと思う。一回の味方の先取得点で気分的に楽に投げられたことと琴竜打者のバッティングが練習不足で腰から下が弱いにもかかわらず強振する乱れたフォームに助けられていた。いずれにしても完全試合という大記録は長い野球生活でも二度とないものだ。バックスの守備陣がよく守った点も見逃せない。四国社会人球界を代表する本格派投手として今後一段と成長してもらいたい」
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佐藤敬典

2017-11-11 18:57:39 | 日記
1955年

AクラスとBクラスの中間に位している今一息のところでAクラスに入れるのだから努力の仕甲斐もあろう。重い速球とナチュラル・シュートを武器にしている。
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石川良照

2017-11-11 18:52:41 | 日記
1955年

今年の阪神は十名の投手を獲得したが、そのいずれもが、全部といってもいいくらい速球を生命とする本格的の投手だが、その中でも一番ボールの速いのがこの石川である。しかも単に速いばかりでなく打者のバットにグンと手ごたえのする重い球質の持主であり、カーブ、ドロップもすでに威材の片りんを示している。このままノビてゆけば大いに楽しめよう、Aクラスの一人。
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白川久夫

2017-11-11 15:27:37 | 日記
1958年

新人ではあるが、めぐまれた体格からの速球は、かなり期待できよう。武器としては切れの良いカーブとシュートに強味がある。
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西五十六

2017-11-11 15:16:19 | 日記
1955年

Aクラスの仲間入りするだけの素質はもっている。オープン戦でもしばしば出場したが、まだまだこれからに期待をかけようというところ、しかし球は速く、スピードの点は申分なく、スライダーもモノにしているのは強味だが、速い球が素直過ぎるのが欠点。
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下村栄二

2017-11-09 21:04:20 | 日記
1965年

名商大のスタートの攻撃は快調だった。一回は二死一、二塁から伊藤友の右前安打と右翼手からの送球を中継した一塁手の失策で二者生還、さらに山口のヒットで早くも3点。そして二回は相手内野陣の2失策で2点、四回には柴田を救援した村松に浅井勝、東松が長短打をあびせて2点と前半で大量点を奪った。一方の愛学院は名商大の左腕下村の内外角をゆさぶるピッチングに手こずり七、八回に2本の内野安打と5敵失でやっと3点を返しただけ。2安打、15三振という貧攻では勝ち目がなかった。

名商大 投手陣は主戦の高井を軸に下村、梅村、河合がいる。高井は二年生になり、投球内容にも幅が出てきた。打者の手元で浮きあがる球は威力がある。左腕下村も使える。梅村、河合は今年四年生になってやる気をだしている。

投手陣は、高井、下村、浜島、有里ら人材豊富だが、二年目のエース高井の右腕がポイント。高井はストレートに伸びを加えた。カーブ、シュートの切れはいまひと息。杉浦監督は左の下村、下手投げ浜島らもクセがあっておもしろい存在と期待している。しかし優勝戦線に食いこむには高井が連投、連投で投げまくる以外にないだろう。
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島谷勇雄

2017-11-09 19:00:59 | 日記
1956年 高校時代

盈進は一回、2四球に続いて佐藤文、島谷の長短打があったが、三盗の失敗があって1点に止まった。しかしムラのない打線は毎回のようにチャンスをつかみ、二回は園田の左翼二塁打を足場にスクイズを成功させ、五回は堤の適時打、六回は中前安打の佐藤文が、島谷の右翼安打で三進し、伊東の二ゴロ野選で帰って4点目とし、ジリジリと点差をひろげた。廿日市は一回、四球の谷口が二、三塁を連盗したあと、棚田の中前適時打で、一度はタイに持ちこんだが、二回以後は島谷の速球とドロップに打棒を封じられて、11三振を奪われ反撃できなかった。
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原田孝一

2017-11-08 21:15:43 | 日記
1954年

六回阪急は四球のレインズが二盗後、中谷が中前安打する理想的な攻めぶりでリードを奪ったのち奈良、山下が第一球をねらい打つ積極性が連安打となって追加点をあげた。そのあと八番打者の河野がバントに失敗したため離塁した二塁走者が捕手牽制球に刺される不手ぎわで、阪急の集中攻撃は半ばで挫折した。西鉄は四回関口の14号ホーマー(山内(毎)と同数、リーグ首位)で同点としたが、前半アウト・カーブを多投後半変化球と重い球質の原田に目先を変えられて安打なく最終回3安打で1点を返したのみ。
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