プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

竹野吉郎

2021-06-24 12:58:40 | 日記

1965年

中日が射とめた新宅捕手と同じ浜田高の出身。からだにこそ恵まれないが、実戦的なバッティングは早くから注目されていた。広島は木庭スカウトが高校時代から新宅とともに目をつけていた。駒大では五番を打ち、昨年秋と今春の二度、打撃十傑にはいり、ベストナインに選出された実績があるバッティングは長打力にとぼしいが、左右に打てる柔軟性がある。とくに肩と足には定評があり、守備はプロでも一級品。木庭スカウトは「からだ全体にいま一つ力がつけばじゅうぶん戦力になれる」といっている。 竹野選手の話 プロのことはなにも知らない。それだけに一日も早く、プロのスピードをハダで知りたい。目標はやはりレギュラーになることですが、新宅には負けたくない。古葉さんのようになれたらと思っています。

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清原雄一

2021-06-24 12:48:36 | 日記

1987年

「帯広北の高木君は140㌔台の速球を投げる本格派。僕はかわすピッチングで勝負しようと思ってました。投げ勝ててうれしい」柳ヶ浦の左腕のエース、清原が帯広北を5安打に抑える好投で、今大会完封勝利一番乗りを果たした。中盤までは、内角を鋭く突くストレートとスライダーが主体、中盤以降はシュートを武器に、的を絞らせず、危なげのないピッチング内容だった。しかも、無四球が示すように制球力も抜群で「完封は、五回くらいからやれる気がした」と言う。一年生からエースとしてマウンドを死守してきた。投球フォームも、一年生のころはサイドから投げ、二年生のときはスリークォーターと変幻自在。そして晴れの舞台のこの日は、その二つの投球フォームを織り交ぜて目先を変えた。けん制球にも相当自信を持っている。一回は無死一塁、五回は一死一塁の場面で走者を絶妙のけん制球で刺し、自らピンチの芽を摘んだ。「県大会では僕がけん制のうまいのをみんな知っているんで、あんなリードをしてこないですよ」わずか95球の省エネピッチング。「少ないですね。全然疲れていませんよ」と、大粒の汗をしたたらせながら元気いっぱい。大悟法監督は「きょうは自分のペースでほうっていた。最後まで本人に任せっ放しでした」と、百点満点に近いエースに一段と信頼を寄せていた。

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藤原仁

2021-06-24 12:11:28 | 日記

1981年

昨年、ルーキーながら、物おじしないプレート度胸で、胸のすくワンポイント・リリーフをやってのけた。ドラフト一位の左腕・益山をいとも簡単に抜き去り、今度はロング・リリーフに挑戦するという。「いま、フォーク・ボール、そしてパーム・ボールの開発に取り組んでます。プロに入り、新しい球種を持つことが、いかに大切か思い知らされたんです」社会人当時は、直球とカーブしかなかった。これでは通用するはずがない。藤江投手コーチが最初に命じたのはカミソリ・シュートのマスターだった。新しい武器を身につけ、打者に大きく揺さぶりをかけられるようになった。右打者にも左打者にも効果満点。特に偉大な王が手も足も出なかった。引退の一原因を藤原がつくったのかもしれないほどだ。しかし、2年目。同じパターンでは袋叩きに遭ってしまう。それこそ、手を変え品を変え、藤原は多彩な投球術を駆使してみせるとか。元来、直球の威力は抜群。鬼に金棒となるかもしれない。愛妻・千鶴夫人との間に、ベビー誕生もねらいたいしと欲深の藤原。山本に次ぐ左腕№2の座は安泰だろう。

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黒原祐二

2021-06-24 11:12:47 | 日記

1979年

中央では無名だが、宮崎県下では№1投手との評も。

1983年

昨年、イースタンで13勝をマーク。最多勝は右田(大洋)に譲ったがリーグ2位。しかし11セーブポイントで最優秀救援投手になった。カーブ主体の変化球投手だが、ことしはいよいよ一軍入りに挑戦する。ちょっと気が弱いか。

1985年

からだ全体を使って投げるオーバースローの本格派。速球のキレは素晴らしいものを持っている。昨年は18試合に登板、徐々にではあるが実績を備えた。プロ入り7年間を迎え本人もヤル気十分、大きく飛躍する年になりそうだ。

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佐藤文男

2021-06-24 10:52:53 | 日記

1982年

ドラフト外、契約金1800万。高校時代26連勝したこともある。昨春の選抜では月山捕手とバッテリーを組み準優勝。その月山とともに阪神入りした。コントロールもあるし、カーブ、シュートなど多彩な球種を持っている。将来の一線級になる素材。

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高橋正己

2021-06-24 10:49:08 | 日記

1980年

ドラフト2位。東北人独特のねばり。ピッチングもその性格同様、ねばっこく「非常に失点の少ない投手」として木田、竹本(新日鉄室蘭)とともに投手のビッグスリーの評判だった。長身をしなやかにひるがえしてのサブマリン投手。シンカー、スライダーのゆさぶりに加えて無類の制球力を誇り、同姓ということを別にしても第二の高橋直になりうる期待を集めている。

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丹野祐樹

2021-06-24 10:45:04 | 日記

1999年

契約金3500万。昨年夏に甲子園出場。初戦の京都成章戦に先発も、6回途中で降板し、初勝利は果たせなかった。宮城大会では19回1/3を投げて23奪三振をマークした。140キロの速球にスライダー、フォークも良く、育てれば将来エース格になる可能性がある。

140キロの速球と豊富な変化球でクレバーな投球を展開、母校を甲子園初出場に導いた。「コイツが打たれたら仕方ない、と信頼される投手が目標。即一軍は無理なので忘れられた頃に出ます」

2000年

伸ばした左腕を抱え込み、右腕が遅れて出るきれいなフォーム。球の回転もいい。課題はシュート。

2002年

ファーム23試合。コーナーを狙うあまり四球も出すが、安定した投球を展開。シュートでうちとるピッチングに磨きをかける。

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山蔭徳法

2021-06-22 17:04:50 | 日記

1984年

盛岡商はエース山蔭が二回に3連打を浴びて2点を許してから、直球主体のピッチングからカーブを交えカウントを稼ぐ投球に切り替えた。

「ストレートは走っていたと思う。変化球もよく切れた。内角低めを狙ったつもりが真ん中に入ってしまい痛打された」試合終了後、盛岡商の山蔭徳法投手はしゃくり上げながら語った。同投手は大会屈指の好投手である大船渡の金野とわたり合い敗れはしたが、ナイスピッチングを披露。佐々木宏監督も「実によく投げた。最高の投球だった」と満点をつけた。「悔いがないといえばウソになる。しかし、自分の果たせなかった夢はきっと後輩がかなえてくれると思う」と後輩の背中をポンとたたき、なお涙ぐみながら球場を去っていった。

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石橋功行

2021-06-22 14:40:58 | 日記

1980年

投打の中心は石橋功。石橋の活躍が大きなポイントを握っている。大黒柱・石橋功が期待通りに成長してきた。冬場の走り込みの成果が出て、内外角のストレートは一段と威力を増し、安定してきた。練習試合でも1試合で平均10個の三振を奪っている。防御率は0.48。

「打ったのはインコースのカーブ。直球を待っていたのでタイミングが合わず、泳いで手打ちになった。でも飛んだコースがよかった」大田高のエースで四番打者石橋兄は、一回裏二死三塁から、三遊間を抜き、先取点をただきだした。この一打でチーム全体にやれるというムードが出たという。しかし、そのあとは3打席とも三振や凡打。5割以上打率を残している石橋兄は「肩に力が入りすぎた。さえないです」とやや不満そう。一方、投球は4安打を許し、後半しばしばピンチを迎えたが、8三振を奪いうまく要所をしめて浜田商打線を完封した。「きょうはカーブを4-5球投げただけで、あとはすべて直球。前半80点、後半50点の出来です」と投球もやや不満そう。「チームのムードが上向いており、がんばります」ときっぱり。県下屈指の好投手といわれた石橋兄も、ことしが最後の甲子園へのチャンス。精神的にも大きく成長。勝ち運がないといわれているが、まずは順調な一歩を踏み出した。

大田のエース石橋功は準々決勝の松江商の打線に9安打を打たれたが、要所は締めて2点に抑えた。長身から投げ下ろす速球、カーブに威力があり、特に走者を出してからの速球は一段と速い。

「大田・石橋投手」というアナウンスをついに甲子園で聞くことは出来なかった。一年生の時から将来の大器と話題を集め、今大会でも「県内随一の本格派投手」と評された石橋。黄色いタオルで流れ落ちる涙をふき、185㌢の長身を前かがみにして県立浜山球場から去っていった。「インコース高めにはずしたつもりの球を打たれた。くやしいです」じっとこみ上げる涙をこらえる。「まだ、まだ投げられます」という言葉がくやしさを象徴しているようでもあった。甲子園には出場出来なかったが、石橋の将来性は高く評価されている。本人も「この先の進路など決めてませんが野球は力いっぱいやります」ときっぱり。

阪神がドラフト3位に指名していた大田高の石橋功行投手(18)=185㌢、83㌔、右投げ右打ち=の入団交渉は十一日午後二時半から、大田市大田町のプラザホテル「さんべ」で行われた結果、条件面で合意に達し、入団が内定した。正式契約は二十六日、大阪市北区梅田の阪神球団事務所で行われる。 交渉には石橋投手、父親・一男さん(50)、母親・二美さん(49)と阪神の久保征弘スカウトが出席して行われた。今回は先月二十八日に次いで二回目の交渉で、久保スカウトからすでに提示のあった契約金二千万円、年棒二百四十万円(いずれも推定)などで合意した。交渉後の午後五時から、近藤明平同校野球部長、白根斉同校野球部監督らも同席して記者会見が行われ、久保スカウトは「ストレートで押す本格派の投手に育ってほしい」と大きな期待を寄せていた。仮契約を終えた石橋投手はやや緊張した顔で「好きな阪神にお世話になることが決まり、ホッとしている。入団後はまず体力をつけたい。目標はタイプは違うが、阪神の小林投手」と決意を述べた。父親の一男さんは「プロ入りは大学を卒業してからでも遅くはないと思っていたが、本人がどうしてもプロでやりたいというので、本人の意思を尊重した」といい、母親の二美さんも「いろいろと心配したが、これで安心した。これからは体に気をつけてがん張ってほしい」と話していた。近藤部長と白根監督は「プロの世界は厳しい。しかし、素質はすばらしいものを持っているので、持ち前のファイトでがんばれば、必ず立派な選手になれる。しっかりやれ」と励ましていた。大田高出身でプロ野球に入った選手は石橋投手が七人目、現在、同校出身者では一昨年ドラフト1位でロッテに入団した福間納投手がいる。

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尾山敦

2021-06-21 21:04:55 | 日記

1987年
エース古仙が4点を取られ四回から登板した尾山は、体をいっぱいに使ったフォームで直球、カーブ、シュートを低めに集めて、長崎商に三塁を踏ませなかった。

1993年

尾山は序盤、速球主体の投球、中盤以降は一転、スライダーを低めに集め、ゴロを打たせた。

ルーキーの若さにまかせて、がむしゃらに投げた4年前の優勝と違い、住友金属の尾山は円熟の投球術を披露した。打者との駆け引き、ボール球を使うしたたかさ、試合の流れを読み取る冷静さ。自ら「状況変化に応じた社会人の投球」と評した顔は、自信にあふれていた。落差は小さいが速球と変わりないスピードを持つ尾山のフォーク。この日はそのウイニングショットをボール球にして日産自動車の強力打線を封じた。「フォーク狙いがバットの先まで出ていた。前半はストレートを、後半はスライダーを増やして揺さぶった。今季最高の内容でした」

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金丸久夫

2021-06-21 13:43:21 | 日記

1981年

長野県岡谷市の冬は寒い。諏訪湖に面し、塩尻下ろしが厳しく、震え上がる寒さ。氷点下十数度になることも珍しくない。岡谷工の金丸投手は、この冬の間も新聞を積んだ自転車のハンドルをこごえる手でつかみ、ペダルを踏み続けてきた。白球を握ることが出来なくなる十一月から三月にかけての新聞配達を、高校の三年間休んだことがない。1㍍76、68㌔の体格は、きわだっていいとはいえない。このため、自らに課した試練の自主トレだった。理屈っぽいのが長野県民気質の一つといわれるが、金丸は不言実行タイプ。しかし、粘り強い県民性はちゃんと備えていた。地味な練習の成果を、金丸は一球一球にこめて投げ込んだ。早稲田実の荒木のような、スムーズで華やかな投球ではないが、いかにも高校生らしく、丹念に投げるけれん味のない投法だ。伸びのある直球を主体にカーブ、シュート、スライダー、それにナックルという多彩な変化球を使い、毎回の計15三振を奪う快投。圧巻は、五回から七回にかけて津久見の打席を6連続三振に切って取ったことだった。大西にカーブを右中間三塁打されて2点を失った直後からのことである。回転のない球がフワフワときたと思ったら、ホームプレートの手前でストンと落ちた。打者のバットが空を切り、空振りの三振。このあと、津久見の打者は、初めて見るこのナックルに全く手が出ず、見逃しの三振を重ねた。ナックルボールは、普通なら三本の指をまげて投げるが、金丸のは人差し指と中指の二本をまげて投げる低目のもの。10球ほど投げたこの魔球は、走者のいない時の勝負球に使っているが、これまで打たれたことがないという。ボールを握って練習を繰り返し、本格的にこの球を使うようになったのは、この夏から。予選でテストした魔球は、甲子園にも間に合った。この金丸、昨年の夏は県大会三回戦でコールド負けしている。打つ方でも五回の満塁に三塁打をかっ飛ばして「本当にうれしい」という。短い言葉に万感の思いがこめられていた。岡谷工は、諏訪蚕糸という名だったころの昭和5年、決勝まで進出して広島商に敗れた。金丸たちの目標は、もちろん先輩たちの雪辱を果たすことだ。

1982年

金丸久夫 右投右打 173㌢、69㌔、昭和38年4月6日生まれ。

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岸川登俊

2021-06-21 13:05:27 | 日記

1995年

早いカウントで打者を追い込み、落ちる球で勝負する即戦力左腕。前田、園川、河本、加藤らを脅かす可能性を秘めている。社会人時代の同僚・富岡(西武ドラフト1位)には強烈なライバル心を抱いている。

1996年

仲田、石貫らの左腕が加入したことで立場は苦しくなるが、新人ながら一軍マウンドを踏んだ昨年の経験を生かしたい。今年が勝負となるが、まずは中継ぎで実績を。

1998年

145キロの速球とカーブが武器。中継ぎ先発にも意欲を出したい。

1999年

移籍1年目は力出し切れず、まずは左のワンポイントとして首脳陣にアピールだ。

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白次謙二

2021-06-21 12:45:15 | 日記

1984年

「どうしても左投手が欲しい」という山内監督の希望で入団が実現した、ドラフト外ルーキー。58年春のセンバツ大会では調子を落とし控え投手だったがその素質に目をつけられていた本格派でキレのよい速球と大きなカーブが武器。「中日は大好きなチーム」と白次はプロでやれることに大喜び。

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市川達也

2021-06-21 12:38:03 | 日記

1984年 右投右打、183㌢、75㌔、昭和40年7月11日(18歳・かに座) 宇都宮学園

血液型

A型 制球力抜群のアンダースロー

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鍋屋道夫

2021-06-19 18:08:18 | 日記

1978年

二年生投手鍋屋は、181㌢の長身から投げ下ろす速球が武器。カーブ、シュート、フォークと球種も豊富だが、いまひとつスタミナが欲しい。

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