想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

体感すること

2010-10-20 10:06:38 | Weblog
今年初めての秋らしい陽のあたる日、あたたかいので川へ入れた。
でも案外すぐに上がってくる、やっぱ水は冷たいらしい。


この斜面を昇れるときは、親分の体力がまだある。でも実はハラハラ
してみているのである。


          
テラコッタがおもいがけなく咲きました。最後のバラ、よく香ります。

      

山道から移植した一株のりんどうが敷地内で咲いてくれました。

東京にいるとバタバタして時間が過ぎるのが早い、まとまって思考する
時間がなくすぐに深夜になってしまう。
眼の疲れは風邪のせいもあるかなあ‥、とりあえず写真で失礼しまーす。

追記:神を知るとは、文字で知って頭でわかることではなく体中で
理屈抜きに実感することですから。
それは普段は分離している心身がひとつになること。稀な瞬間。
長続きしないけど、じゅうぶん生まれ変わったここちを感じられ、
諸々の雑多に溜まった自分の中のゴミを一掃できるはず。

しかしながら言うは易しで、神を実感した人などそうそういない。
神のようなもの‥なら少しはいるかもしれんというくらい。
ホンモノの神さましか長続きしないし、無常を超えていられない。

カメは同じ場所で同じ名で変わらず在って、変わらなすぎて
さりげないし、神の威光など着ていない。
その人が神につながっている者だということを人がうっかり忘れてしまう
くらい自然にそこに在って、やさしい。

けれど、うさこはほんとうのことをかたときも忘れない、だから
神さまの領域(常世)のスソ野の平安に身を置かせていただいている。
そのことを感謝しても、いくらしても、足りないので時々呆然として
困っているのである。

困るとき、どうしているかというと、ベイビーを抱き寄せて
ゴシゴシ、ゴシゴシ、スリスリ、唐突だがそうするのである。
すると、ちょっとだけ感謝が分散して、困った感が薄れていく。
こんなことを日々繰り返している、アホうさこである。
もっと実のあることに精出すべきだとわかっているが‥
とほほなヤツだ。







コメント (1)
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