想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

お国恋しや、お国はどこにあるか?

2011-02-02 01:50:08 | Weblog
在日4世のサッカー選手が1ゴール決め一夜で有名になったアジア杯。
翌日夕刻のテレビニュースは話題の人が出演し、ヒーローになりたかった、
なれて嬉しいとコメントした。
帰化して日本代表として出場したわけだが、日本代表としてではない一個人の
出世街道まっしぐらを目指す本音が吐露されていて、ワールド杯からこのかた
一丸となって闘う代表チームと著しく異なる波動に違和感を覚えた。
残念な思いと、激しい競争社会ゆえのいたしかたなさと、あいまってやはり
不快さのほうがまさっていたのだった。

人にとって祖国とは何だろうか、故郷とはどこをさすのだろうか。



わたしの故郷はこの森である。
いや事実、物質的には九州の片田舎であり、この風景とよく似た場所を見て
育った時期が数年でもあるのだが、そこを故郷とは思えない。
愛する人がそこにいるわけでなし、睦い人ももういない。覚えているのは
忌まわしい記憶ばかりしかない所なので、帰らない。
この森がなぜ故郷であるかは、わたしがここを選んだから。
そしてこの樹々がわたしを育んでくれるからだ。

しかし、この森の住所は本籍地ではないし、実際の出身地ではない。
つまり土地そのものではなく、ここに漂う気がわたしを包んでいる。
わたしもこの気に溶けて一体となって自然でいられる。
そのとき、わたしの肉体もわたし自身も一つになって森の中を軽く漂う。
安心していられる。さみしくない。

人の故郷とは、どこにあり、何をさすのか。
祖国とは何か。

わたしは世界じゅうの誰とでも親戚になり友人になりたいと願う。
膚の色や髪の毛が異質でも生まれてきて覚えた言葉が違っていても
わかりあいたいと願う。
そしてそれはかなわざることではないと思っている。

なぜならば、国境とは人が作り、人が書き換えてきた幻である。
これからさきの未来、いくらでも変更可能である。
幻の線をまたいで、幾億年も人は移動し続けているのである。
たかが千年、数百年のことで、敵だ味方だ争いだと言いながら、
人は産み、育て、混ざり合い、増え続けてきた。



在日4世の君が日の丸を背負ってボールを蹴っても少しもおかしくはなく、
在日という肩書きがむしろ邪魔なのではないだろうかと思うのだが。
それがどうしても必要ならば、日の丸をぬいつけたユニホームを着て
栄光は我が物にと望むなら虫がよすぎはしまいか。

若くて感情だけがほとばしる。悲しくも愚かなことであるといずれ
わかるときがきて、そんなこともあったっけと無心に走る、そうで
あることを願っている。
勝利の神が降りてくるのは、無私の働きに対してである。







コメント
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