『原発』ー 小出裕章 / 広瀬隆 (電力不足はウソ!)まとめ
小出氏の「二酸化炭素は植物の光合成に必須、生きものに必須物質、
かたやウランが燃えたら死の灰しかできないんだ、どちらを選ぶか
ならわかりきっていることだ」という言葉が強く耳に残った。
死の灰、放射能というよりそういわれた方がより実感があるのは
ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸での被爆の記憶があるからだろう。
真実は曲げられ歪められ騙され、それでもまだじっと待っているなら
死の灰は降りやまない。
誰の頭上にも平等に降ってくる。
村上春樹の原発ノーの講演が話題になっている。カタルーニャ国際賞
(スペイン)を受賞しバルセロナで受賞記念のスピーチを行ったのだ。
一方国内ではこのお二方が(小出氏と広瀬氏)実にわかりやすく真実
を話してくれている。
何十年も屈する事なく志を曲げず変えず、反原発を貫いて冷や飯を
食っても変えず、今日まで来ているお二方だからこそ信用できる話だ。
上記の枠の中心をクリック、アクセスしてぜひ聞いて欲しい。
茶など飲みながらでいいので聞いて欲しい。
大江健三郎の今月の定義集(朝日新聞水曜日掲載)では今回も
日本人は核を怖れ闘い続けよ被爆国民としての務めだと繰り返し
述べられている。こちらの方が春樹より数段、格調高い文章で
胸を打つのだが‥。
今大事なことは、物事をはっきりさせ、筋を通すことである。
村上春樹がノーをはっきりと大声で言うことは実は待たれていた事。
国内では文章以外に表にでて発言等しない作家だ(出版ビジネスの
戦略的なものあってそうさせているのだろうが)バルセロナではなく
東京か福島で講演してくれたら読者になってもいいけど‥。ともあれ
多くの人がスピーチがあったことそのものに納得したはずだ。
村上春樹はわかりやすい言説なので広く浸透するというメリット大だ。
講演内容はYOUTUBEで「村上春樹 原発」で検索すると4分割された
講演全てを聴くことができる。
色々な視点があるが、総論は同じだ。原発反対であること、絶対に。
簡単なことである。
正しい情報を、努めて求めようとすること。
聞き流さないこと。
誰かが何かをやってくれると思わないこと。
エラい人、という発想を政治家に持たないこと。
ひとりでは何もできないと思って諦めるのは間違いであると気づくこと。
ひとりがたくさん集まって大人数となり、住民投票と選挙で容認した結果、
雇用を生むと説得されて勤め先ができるからと妥協してきた結果、
今日の日本の海辺には全国津々浦々55基の原子力発電所が建っている。
建設予定も含めるともっと多い。さらに増やそうとしているのだ。
日本は島国だから海辺がぐるっと国土を縁取って、内陸と海辺までを
横断道路でつなぎまくった。
発電所建設の見返りとして道路と雇用、貧しさから抜け出したい人の弱み
につけ込んだやり方だ。貧しい者も政治家も同じく金で買われた。
あの手この手で懐柔し、騙し、魔が差したように人々は宝を売った。
騙されたという言葉を使わず、要らない、もう要らないと言おう。
電気は余っているのだから、土地を海を返せと言おう。
エセ知識人がテレビでしゃべる「しかし日本経済にとって必要だ」
という言説には、逆にたたみかけてつっこみを入れるべきである。
そんで、あの、ウランは燃えたら何になるんかの?
そんで、あの、いらんようになったウランはどこに捨てるんかの?
ずっと使えて安上がりってほんとかの?
30年も前のが安心して使えるのかの?
日本のぜんぶの発電所が爆発したら、どうなるんかの?
あの、エコだからいいってのはなにがいいのかの?
おばちゃんたちにわかるようにストレートに答えられるかの?
関係者は答えず、雇われた知識人(評論家、大学教授等の肩書きでテレビに
出てしゃべる人)ができるだけわかりにくくしゃべっている。
今、テレビで必要だとコメントする人は悪人である。
「明確で劇的な価値の転換を求められている」という言い方や「効率を
求めるのはやめよう」とも言う。いずれも反対のための意見ではある。
しかし、原発こそが非効率的であったことを言わなければ体制と世論に
対して両天秤な、目先を見ながらのすっきりしない話に聞こえる。
そのスタンスの取り方に生き様が表われてくるのではないだろうか。
小出氏の「二酸化炭素は植物の光合成に必須、生きものに必須物質、
かたやウランが燃えたら死の灰しかできないんだ、どちらを選ぶか
ならわかりきっていることだ」という言葉が強く耳に残った。
死の灰、放射能というよりそういわれた方がより実感があるのは
ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸での被爆の記憶があるからだろう。
真実は曲げられ歪められ騙され、それでもまだじっと待っているなら
死の灰は降りやまない。
誰の頭上にも平等に降ってくる。
村上春樹の原発ノーの講演が話題になっている。カタルーニャ国際賞
(スペイン)を受賞しバルセロナで受賞記念のスピーチを行ったのだ。
一方国内ではこのお二方が(小出氏と広瀬氏)実にわかりやすく真実
を話してくれている。
何十年も屈する事なく志を曲げず変えず、反原発を貫いて冷や飯を
食っても変えず、今日まで来ているお二方だからこそ信用できる話だ。
上記の枠の中心をクリック、アクセスしてぜひ聞いて欲しい。
茶など飲みながらでいいので聞いて欲しい。
大江健三郎の今月の定義集(朝日新聞水曜日掲載)では今回も
日本人は核を怖れ闘い続けよ被爆国民としての務めだと繰り返し
述べられている。こちらの方が春樹より数段、格調高い文章で
胸を打つのだが‥。
今大事なことは、物事をはっきりさせ、筋を通すことである。
村上春樹がノーをはっきりと大声で言うことは実は待たれていた事。
国内では文章以外に表にでて発言等しない作家だ(出版ビジネスの
戦略的なものあってそうさせているのだろうが)バルセロナではなく
東京か福島で講演してくれたら読者になってもいいけど‥。ともあれ
多くの人がスピーチがあったことそのものに納得したはずだ。
村上春樹はわかりやすい言説なので広く浸透するというメリット大だ。
講演内容はYOUTUBEで「村上春樹 原発」で検索すると4分割された
講演全てを聴くことができる。
色々な視点があるが、総論は同じだ。原発反対であること、絶対に。
簡単なことである。
正しい情報を、努めて求めようとすること。
聞き流さないこと。
誰かが何かをやってくれると思わないこと。
エラい人、という発想を政治家に持たないこと。
ひとりでは何もできないと思って諦めるのは間違いであると気づくこと。
ひとりがたくさん集まって大人数となり、住民投票と選挙で容認した結果、
雇用を生むと説得されて勤め先ができるからと妥協してきた結果、
今日の日本の海辺には全国津々浦々55基の原子力発電所が建っている。
建設予定も含めるともっと多い。さらに増やそうとしているのだ。
日本は島国だから海辺がぐるっと国土を縁取って、内陸と海辺までを
横断道路でつなぎまくった。
発電所建設の見返りとして道路と雇用、貧しさから抜け出したい人の弱み
につけ込んだやり方だ。貧しい者も政治家も同じく金で買われた。
あの手この手で懐柔し、騙し、魔が差したように人々は宝を売った。
騙されたという言葉を使わず、要らない、もう要らないと言おう。
電気は余っているのだから、土地を海を返せと言おう。
エセ知識人がテレビでしゃべる「しかし日本経済にとって必要だ」
という言説には、逆にたたみかけてつっこみを入れるべきである。
そんで、あの、ウランは燃えたら何になるんかの?
そんで、あの、いらんようになったウランはどこに捨てるんかの?
ずっと使えて安上がりってほんとかの?
30年も前のが安心して使えるのかの?
日本のぜんぶの発電所が爆発したら、どうなるんかの?
あの、エコだからいいってのはなにがいいのかの?
おばちゃんたちにわかるようにストレートに答えられるかの?
関係者は答えず、雇われた知識人(評論家、大学教授等の肩書きでテレビに
出てしゃべる人)ができるだけわかりにくくしゃべっている。
今、テレビで必要だとコメントする人は悪人である。
「明確で劇的な価値の転換を求められている」という言い方や「効率を
求めるのはやめよう」とも言う。いずれも反対のための意見ではある。
しかし、原発こそが非効率的であったことを言わなければ体制と世論に
対して両天秤な、目先を見ながらのすっきりしない話に聞こえる。
そのスタンスの取り方に生き様が表われてくるのではないだろうか。