想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

老犬のしあわせ1

2011-07-02 22:30:33 | 親分
  (4歳のころ)
MRIの結果を記すといいながらベイビーの診断結果だけしか
書いていなかった、起承転結のない文章を書いてるねー、アホです。
いかに狼狽した日々を送っているか、露呈しています。
で、続きであるよ。

MRI検査をした部位は脳である。ネックは全身麻酔だった。直腸の手術の
際にも決断まで1年越しだった。
とにかく麻酔が怖い、そう思うのである。覚醒しなかったらどうしよう、
ダメージを受けて障害が残ったらどうしよう、と悩ましい。

高齢犬はそこまでやることないだろう的な意見もよく聞くし、わたしも
そう思っていた、ちょっと前まで。
けれど結局、わたしは両方を短期間に行った。もう終えたことで今さら
数えたくもないが、全身麻酔は都合3回である。
いずれもベイビーはよくふんばって無事生還したわけなんだが。
知人はこのことををとても驚いて、非難した。いったいどうしたの?
あんなに嫌がって、よけいな事はしないと言ってたじゃないのと。
そうれもそうだ、そう思うよ、自分だってさ。

なぜそこまでして、と思うのか?
早晩、命は尽きるから苦しめなくてもいいじゃないか、ということか?
高齢犬はおだやかに過ごさせてあげるほうがいい、そういうことか?

犬は言葉にして訴えないが、ヒトと同じに病気は辛いものである。
病気の犬は我慢強くさえ見えて、かえってけなげである。ヒトはそれに
対してどうするのが一番いいのか考えてきたが、不快感を除いてあげる
ための最善の方法を知りたいし、そうしたいのである。

今現在のその状況を、「おだやかに」に変えるにはどうすればいいのか?
何もしないでは「おだやかに」過ごさせてあげられないのだから医師に
相談し、調べまくり、聞きまくり、いいという物があれば東へ西へと駆け、
なんとか助けようとするのはあたりまえのことである。
しかし、方法はそんなに多くはなく、選択肢はほぼ、やるかやらないかの
二択しかないのであった。
そして、やらない方を選ぶのもけっこうシンドイことなのだ。

直腸にできた腫瘍は結果として悪性のものではなかったけれど、あれが
あったばかりに長いあいだ血便をし排泄はスムーズにいかずひどい時は
唸っていた。
手術を勧められたのを麻酔が怖くて渋り、バキソを飲ませ続けた。
(バキソは持続性抗炎症剤、癌に効いたという症例もあれば、いや効かない
という医師もいる、未だよくわかっていないらしい)

放置しておけばいずれ症状が悪化する、たいていの場合は医師に悪化
した場合のケースをじゅんじゅんと説明され、聞いているだけで卒倒
しそうになるんだな、これが。
排泄が困難になる、垂れ流しになる、それがどんなに辛いことか、想像
したくない。

2年近く血のついたウンチを朝晩見てきて、血の量がいっこうに減らず
散歩のたびに憂鬱だった。赤く染まったティッシュに息が詰まった。
そういう日々を経て、後悔もあって手術の方へ掛けたのだった。
しかし手術日をはさんで前後の1週間、自分が自分ではないまるで別人
のような精神状態で過ごした。
そして、結果として検査も手術も滞り無く終わり、幸いかなとてもいい
経過を辿って手術そのものは成功だったといえる。マトモなウンチを
ひさかたぶりに拝んでいる(本当に拝みたい心境なのね)

そこへ今度はあらたな問題として脳の検査だ。
今回、これを即断したのは以前の1年間を思ったからと主治医への信頼
からであった。

外部のMRIの検査センターで事前にリスクについて丁寧な説明がある。
承諾書にサインする前に、わたしは一つの質問を幾通りもの言い方で
重ねて問うたが(いつものしつこさとは又別の精神状態かな)検査を
担当した医師はわたしの問いを自分の言い方に要約したりしなかった。
面倒がらず、目を見て質問の数だけ答えをくれた。
そのあいだに、わたしは心の整理をしたのであった。そうでなければ、
それができなければ、たとえ直前であっても連れて帰るつもりだった。

説明が終わり、医師に頭を下げ退室し廊下に出て、手洗いへ行った。
リスク説明はかなり不安を倍増させるものだった。洗面所で手を洗い、
鏡に写った顔は白くて歪んでいた。深呼吸して手をていねいに洗って、
待合室へ戻った。

覚醒しない場合以外のリスクとは‥。
麻酔をしたことによってそれ以前にはなかった症状、潜在的にあった病
が発現することがある。たとえば歩けなくなるとか‥、病変が新たに出て
しまう場合があるということだ。つまり結果として弱ってしまうわけだ。
特に高齢犬の場合は当然のことリスクは高くなる。
その確率がどのくらいのものか、しつこく聞き出した。
万が一の話、個体差の話、予見はできないことであることもわかった。
だからこそ説明と承諾書が必要なのであった。

待合室で看護士に抱きかかえられて出てくるコーギーに駆け寄る飼主を
見て、そのヨロコビようをみて、大丈夫だったんだろうかと思いつつ、
ベイビーは歩いてくるだろうか、抱かれてくるだろうか、目を覚まして
くれるだろうかと、待っている間じゅうグルグルと思い続けた。

予定の時刻をとうに過ぎても現れないので気が気でなかった。
通路を横切る看護士さんを呼び止め、うちの子は目は覚めたかと聞いて
くれませんかと頼んだ。
明るい顔で、ああ、黒ラブちゃんならもう終わってますよと言われて、
今度は見ないうちは安心できないに変わり、この手に触れないとに変わる。



しばらくして担当医から呼び出しがあって検査結果の説明があり異常無し
という結論をまず最初に言って下さった。
よかったと応えるとそう言っていただけるとこちらも嬉しいですと言われ
たがそれ以外に何を言うことがあるというのか、考えられないが、医師達
は飼主である動物の家族達のさまざまな感情とつきあわねばならず、その
苦労がにじみでて、かような言葉となったのではなかろうか。

麻酔が残っていて立ち上がれないベイビーは抱き抱えられて車に乗った。
途中、信号停止のたびにわたしは後部座席を振り返り、彼が生きている
ことを確かめた。じっとしているので不安だった。
帰宅後2時間ほどで麻酔は完全に醒め、よく食べよく飲んで爆睡したので
あったが‥不安は高く迫っては引き、また来る波のように続いた。

いまのところ、リスクで言われたような新たな症状は顕われていない。
問題の視神経の過敏な反応と立ちくらみのような症状だが、腫瘍や水頭症
や脳梗塞、血栓の痕跡などは検査で除外されたので結局、原因は不明だ。
脳の外側を被うように走っている電気が時々ショートするらしい。

MRIの件を検索してこられている方へは詳細な説明にはならないと思うが、
あえて結論めいたことをまとめるとすれば、結果を受け入れる覚悟が
いるということだ。悔いるのはダメだ。悔いないために行う方法である。
ペットと言わずコンパニオン(アニマル)、パートナーという表現にも
あるように動物とのつきあい方も変化している。
同時に獣医学は著しく進化し、ヒト同様の高度医療で多くの命が救われて
いるのは確かだ。(続く)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする