議会が制度としてきちんと機能している例がこちら。
○米政府機関の閉鎖 過去最長21日間に 給与支払いも滞る | NHKニュース2019年1月12日
======【引用ここから】======
アメリカでは国境沿いの壁の建設をめぐるトランプ大統領と野党・民主党の対立で政府機関の一部閉鎖が続いています。閉鎖期間はこれまでで最も長かった記録に並び、職員への給与の支払いも滞っていて、今後、政権への反発が広がる可能性もあります。
アメリカでは、トランプ大統領が主張するメキシコとの国境沿いの壁の建設費を野党・民主党が認めず予算を成立させられないため、政府機関の一部の閉鎖が続いています。
======【引用ここまで】======
議会が予算案を可決しなければ、予算が成立しない。
予算が成立しなければ予算を執行できず、職員給与も支払えない。
結果、政府機関は閉鎖ということになる。
これは当然の姿。
予算が成立せず住民生活に支障が出れば
「否決した議会に責任がある」
ということになるし、住民生活に支障が出なければ
「閉鎖してる政府機関はそもそも不要だったのでは?」
ということになる。
そして、議会が否決しても予算の執行をすることができるということになれば
「じゃあ議会は何のためにある?」
という話になる。
では次は、異常な国の例を見てみよう。
======【引用ここから】======
資料の中で宮崎氏は、議会で予算が否決された場合に市町村長は「経費を支出することができる」という地方自治法177条の規定に触れている。この規定で市町村長は原案を執行することが「できる」のであって「議会で予算案が否決された事実を前に、これに反して市町村長が予算案を執行することは議会軽視であり、不適切である」としている。
この見解について行政法が専門の井上禎男琉球大学法科大学院教授は「地方自治法177条の枠だけで、市町村長の判断を正当化することはできない」と指摘する。
井上教授は「県民投票条例13条や地方自治法252条17の2を踏まえると、177条の解釈としては予算は義務的な執行と解釈せざるを得ない」と述べ、宮崎氏の解釈を否定した。「ほとんどの法学者は同様の意見だろう」とも指摘した。
======【引用ここまで】======
行政法の学者様が
「議会で予算が否決されても、予算の執行は義務だ。ほとんどの法学者は同様の意見だろう」
って言っちゃうお粗末さ。
この国では本当に議会制が採用されているのだろうか?
ちなみに、条文は、
============
地方自治法
第百七十七条 普通地方公共団体の議会において次に掲げる経費を削除し又は減額する議決をしたときは、その経費及びこれに伴う収入について、当該普通地方公共団体の長は、理由を示してこれを再議に付さなければならない。
一 法令により負担する経費、法律の規定に基づき当該行政庁の職権により命ずる経費その他の普通地方公共団体の義務に属する経費
二 (略)
2 前項第一号の場合において、議会の議決がなお同号に掲げる経費を削除し又は減額したときは、当該普通地方公共団体の長は、その経費及びこれに伴う収入を予算に計上してその経費を支出することができる。
============
予算案の中に自治体の義務的な経費があり、市議会はこれを否決した。
この時、市長は理由を述べて再度市議会に予算案を提出しなければならない、というのが地方自治法第177条第1項。
そして、再提出した予算案が否決されたとしても、市長は義務的な経費なら執行できるとしたのが第177条第2項。
役所が閉鎖しても住民生活に支障がなかったら、役所の面目丸潰れになってしまうから。
そんなお役所万歳な立法者でさえ、同じ条文の中に
「再議に付さなければならない」
という文言と、
「その経費を支出することができる」
という文言を並べている。
「~ならない」という義務を意味する表現と
「~できる」という裁量を認める表現をわざわざ使い分けているのだ。
自治体に課せられた義務を遂行するために必要な経費を予算案に盛り込んだが、議会で否決された。この時、義務的経費なんだから再度議会に提出して可決に持っていけるよう勝負しなさい、というのが第177条第1項。
ところが、議会は再度否決した。執行する予定だった予算は成立していないのだから、職員給与も何もかも支払いストップで役所閉鎖するのが本筋であるはず。
だが、地方自治法の立法者は「できる」という文言で義務的経費を支出する道を残した。これが第177条第2項。
お役所万歳な立法者ですら、議会による2度の予算案否決をそれなりに尊重すべきと考えたのだろう。最後は、議会制の尊重と義務の遂行とを天秤にかけた市長の政治的判断に委ねたと解すべきだ。
この「できる」という文言すら、新聞記事中の法学者が言う
「177条の解釈としては予算は義務的な執行と解釈せざるを得ない」
となると、じゃあ、議会による二度の予算案否決は何だったのか、議会による否決すら法律上拘束力が無く、義務的経費と名前がつけば議決の有無によらず支出しなければならないというのであれば、そもそも議会なんて要らないだろう、ということになる。
予算案を議会に提出せずに、
「あ、この予算?義務的経費ですよ?議会で否決されてもどうせ執行できるので、議会にかけても時間が無駄になるだけです。議会にかけることなく執行してますが何か文句でも?」
ということがまかり通るようになる。
これはさすがに乱暴だろうと思うんですけど、どうなんでしょうね琉球新報さん?
○米政府機関の閉鎖 過去最長21日間に 給与支払いも滞る | NHKニュース2019年1月12日
======【引用ここから】======
アメリカでは国境沿いの壁の建設をめぐるトランプ大統領と野党・民主党の対立で政府機関の一部閉鎖が続いています。閉鎖期間はこれまでで最も長かった記録に並び、職員への給与の支払いも滞っていて、今後、政権への反発が広がる可能性もあります。
アメリカでは、トランプ大統領が主張するメキシコとの国境沿いの壁の建設費を野党・民主党が認めず予算を成立させられないため、政府機関の一部の閉鎖が続いています。
======【引用ここまで】======
議会が予算案を可決しなければ、予算が成立しない。
予算が成立しなければ予算を執行できず、職員給与も支払えない。
結果、政府機関は閉鎖ということになる。
これは当然の姿。
予算が成立せず住民生活に支障が出れば
「否決した議会に責任がある」
ということになるし、住民生活に支障が出なければ
「閉鎖してる政府機関はそもそも不要だったのでは?」
ということになる。
そして、議会が否決しても予算の執行をすることができるということになれば
「じゃあ議会は何のためにある?」
という話になる。
では次は、異常な国の例を見てみよう。
【予算は否決、されど執行?】
○宮崎氏解釈を疑問視 法専門家「予算執行は義務」 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース2019年1月16日======【引用ここから】======
資料の中で宮崎氏は、議会で予算が否決された場合に市町村長は「経費を支出することができる」という地方自治法177条の規定に触れている。この規定で市町村長は原案を執行することが「できる」のであって「議会で予算案が否決された事実を前に、これに反して市町村長が予算案を執行することは議会軽視であり、不適切である」としている。
この見解について行政法が専門の井上禎男琉球大学法科大学院教授は「地方自治法177条の枠だけで、市町村長の判断を正当化することはできない」と指摘する。
井上教授は「県民投票条例13条や地方自治法252条17の2を踏まえると、177条の解釈としては予算は義務的な執行と解釈せざるを得ない」と述べ、宮崎氏の解釈を否定した。「ほとんどの法学者は同様の意見だろう」とも指摘した。
======【引用ここまで】======
行政法の学者様が
「議会で予算が否決されても、予算の執行は義務だ。ほとんどの法学者は同様の意見だろう」
って言っちゃうお粗末さ。
この国では本当に議会制が採用されているのだろうか?
ちなみに、条文は、
============
地方自治法
第百七十七条 普通地方公共団体の議会において次に掲げる経費を削除し又は減額する議決をしたときは、その経費及びこれに伴う収入について、当該普通地方公共団体の長は、理由を示してこれを再議に付さなければならない。
一 法令により負担する経費、法律の規定に基づき当該行政庁の職権により命ずる経費その他の普通地方公共団体の義務に属する経費
二 (略)
2 前項第一号の場合において、議会の議決がなお同号に掲げる経費を削除し又は減額したときは、当該普通地方公共団体の長は、その経費及びこれに伴う収入を予算に計上してその経費を支出することができる。
============
予算案の中に自治体の義務的な経費があり、市議会はこれを否決した。
この時、市長は理由を述べて再度市議会に予算案を提出しなければならない、というのが地方自治法第177条第1項。
そして、再提出した予算案が否決されたとしても、市長は義務的な経費なら執行できるとしたのが第177条第2項。
【「できる」をどう読むか】
地方自治法の立法者は、アメリカのように議会が予算案を否決して役所が止まる事態を極度に恐れ、この条文を作ったのだろう。役所が閉鎖しても住民生活に支障がなかったら、役所の面目丸潰れになってしまうから。
そんなお役所万歳な立法者でさえ、同じ条文の中に
「再議に付さなければならない」
という文言と、
「その経費を支出することができる」
という文言を並べている。
「~ならない」という義務を意味する表現と
「~できる」という裁量を認める表現をわざわざ使い分けているのだ。
自治体に課せられた義務を遂行するために必要な経費を予算案に盛り込んだが、議会で否決された。この時、義務的経費なんだから再度議会に提出して可決に持っていけるよう勝負しなさい、というのが第177条第1項。
ところが、議会は再度否決した。執行する予定だった予算は成立していないのだから、職員給与も何もかも支払いストップで役所閉鎖するのが本筋であるはず。
だが、地方自治法の立法者は「できる」という文言で義務的経費を支出する道を残した。これが第177条第2項。
お役所万歳な立法者ですら、議会による2度の予算案否決をそれなりに尊重すべきと考えたのだろう。最後は、議会制の尊重と義務の遂行とを天秤にかけた市長の政治的判断に委ねたと解すべきだ。
この「できる」という文言すら、新聞記事中の法学者が言う
「177条の解釈としては予算は義務的な執行と解釈せざるを得ない」
となると、じゃあ、議会による二度の予算案否決は何だったのか、議会による否決すら法律上拘束力が無く、義務的経費と名前がつけば議決の有無によらず支出しなければならないというのであれば、そもそも議会なんて要らないだろう、ということになる。
予算案を議会に提出せずに、
「あ、この予算?義務的経費ですよ?議会で否決されてもどうせ執行できるので、議会にかけても時間が無駄になるだけです。議会にかけることなく執行してますが何か文句でも?」
ということがまかり通るようになる。
これはさすがに乱暴だろうと思うんですけど、どうなんでしょうね琉球新報さん?