Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ロフォーテン諸島 オー(Ao)

2022-08-12 05:14:21 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ノルウェー北部、北極圏に位置するロフォーテン諸島は、”世界で最も美しい場所のひとつ”と言われる風光明媚な島。氷河の侵食により削り取られた大地が水没して出来た地形は、海から岩肌をむき出した崖が屹立しており、”アルプスの頂を海に浮かべたよう”と形容されます。(地球の歩き方から転用)

 

この島の主要産業は干鱈で過去にはベルゲンのハンザ商人の庇護で、最高級品として輸出されていました。現在は鱈の採り過ぎにより過去の収穫量の半分ということです

港で乗客や車を下した後、ボードーへ帰ってゆくカーフェリー。

 

モスケネスのキャンプ場に着いた翌日は島の最南端の村 オー(A)へ行こうと二人で海辺の道を歩きました。オーの村まで4.5Km道は車が交差できる幅はありますが、曲がりくねって上り下りの激しい道で、フェリーがモスケネスの港に着くと、はき出されたキャンパーやキャラバンがオーの村をめがけて、列を作って走ってゆきます。海に沿った道端には鱈が干され珍しい景観を作っています。

 

ところどころに小さな村があり、皆裕福そうで素晴らしくきれいな庭と木造平屋建ての家々が並んでいたりします。特に目に付いたのが各家の庭に必ず立っている国旗を揚げる高い柱でした。あちこちに国旗が翻っています。これはここロフォーテンだけではなく北欧の多くの田舎でも見られたのですが、初めに気づいたのがこの村だったわけです。

一軒の素晴らしくきれいな庭を見とれていると、その奥の童話の世界にあるような小さな家からおばあさんが顔を出し、鉢植えの手入れをしだしました。写真をとっても良いかと聞くととっても喜んでくれました。

 

オーの村の入り口のサインは英語圏の人たちには珍しく、車を停めて写真を撮っている人たちがいました。

村に入ってすぐトイレを探して、干鱈の博物館というのが有り入ってみました。館長が”君は日本人で初めてこの日本語の案内書を手にした人だ。”

と言って鱈の歴史からノルウェーの干鱈の料理方法まで教えてくれました。

世界でただひとつと言う干鱈の博物館は、昔はこの大きな建物の中で、水揚げした鱈の売買をしていたそうですが、近年の収穫量半減のため閉鎖に追い込まれ、博物館に変えたものだと言うことでした。

 

オーの小さな村の道路の行き止まりには、大きな駐車場があって、ほとんどのキャンパーがここで一晩を過ごすのです。この行き止まりの海辺で写真を撮ってバスでキャンプサイトまで帰ってきました。

 

 

 

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ロフォーテン諸島 フラグスタッド島

2022-08-11 23:59:38 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

ロフォーテン諸島は大きく分けて4つの島から成っています。そしてこれらの島々は船が通り抜けられるよう太鼓橋のような高い橋で結ばれています。私たちはモスケネス島から隣のフラックスタッド島へ向かいました。

 

 

 

 

 

 



モスケネス島の中で一番大きな町レイネ(Reine)はロフォーテン諸島の中でも特に美しい町として知られ絶景そのものです。
レイネからフィヨルドの淵や崖のすぐ横を道路が延びて群島をつなぐ橋と橋が折り重なるように架かっています。
真っ青のフィヨルドの中には鮭の養殖場が見られます。



フラッグスタッド島のキャンプ場には一時間ほどの距離で、野の花が咲き乱れる埃っぽい一本道を海に向かってゆくと海を背景に広いキャンプサイトが現れました。真っ白の砂浜でここは西に面し今夜は真夜中の太陽が見られます。
 


午後は2Km程離れたフラックスタッドの町へショッピングと写真を撮りに歩いてゆきました。この日も雲ひとつないような晴天で、ティーシャツにショーツで歩いても暑い一日でした。小さな町で島民の足はモーターボートらしく小さな桟橋はボートがぎっしり並んでいました。


町を通り過ぎて数キロ歩き余りの暑さに疲れて引き返しましたが、何処も目を見張るほどの絶景、天気の良い日のこの島は一生住みたいと思うくらいに、きれいでした。
 


キャンプサイトの周囲は背の低い葦が生えている砂丘が広がり、すぐ近くにグレイの毛だまりのようなかもめの雛が日向ぼっこをしていました。この砂丘にはこのような雛を襲う動物がいないのではないかと思われます。私が雛にカメラを向けている後ろの小屋の屋根には、私の動きをけん制している親鳥がいました。
 

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真夜中の太陽

2022-08-10 04:42:00 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

 

 


フラクスタッドのキャンプサイトは海に向かって左側に高い山があり午後から夜9時近くまで太陽は山の向うを照らしています。9時過ぎ山陰から現れた太陽は水平線上を横にスライドして行くので、写真は 9PMから1AMまで1時間ごとに写したものです。
 


夜中の12時にはキャンプサイトの人たちがほとんど海辺に出て真夜中の太陽を楽しんでいました。砂丘や山裾などにも散歩をしている人たちがいました。
又真夜中の太陽の下、若い女性二人が冷たい海に入って戯れていました。この北海の水はメキシコ海流が北上しているため、冬でも海は凍らないそうです。それでも気温は下がるので海水も冷たいことには変りありません。

 


 


私は砂浜のはずれに有る海草のこびりついた大きな岩が、引き潮で現れたのでビニール袋を持ってウインクル(能登では潮だめと呼びます)を採りに行き、大きなきれいなのを袋いっぱいに採ってきました。夜の10時過ぎのことで、夜に貝とりができるような経験はここしかないと、大変嬉しくキャンパーでゆでて一人楽しんで食べました。
 

 

夜中の1時、遠くの山が薄紫色に変化し、この世のものとも思われない幻想的な景色になりました。写真で少しでもあの時の感激が判ってもらえるなら嬉しいのですけど。

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ヴァイキング博物館

2022-08-09 21:40:28 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

 

 

フラックスタッド島のキャンプサイトで真夜中の太陽を楽しんだ翌日、三番目の島ウ”ェストウ”ォーゴイ島に渡りました。

ここはウ”ァイキングにゆかりの島でそのほぼ中央部の村ボルグ(Borg)にウ”ァイキング博物館があります。

 

 

 

この巨大な建物は長さ83メーターのウ”ァイキングの住居を復元したもので、中には生活用品や装飾、食料、衣装などの展示や歴史絵図などが飾られています。

 

 

敷地の奥の湖まで歩く途中に火とトンカチで武器を作っている小屋があり、まるでウ”ァイキングの子孫のような男性に写真を写したいと頼みましたら快く承知してくれました。 3人のノルウェー人はきれいな英語を話し”どうだね、このノルウェーの天気は?すごいだろー?

いつもこんなのだよ。”といたずらっぽく云ったので、こんな晴天が続くのはきっとまれに違いないと思いました。

湖にはウ”ァイキングの使った船が復元されており、観光客を乗せて湖を航海するそうです。

博物館前の駐車場。御覧のようにほとんどがキャンパーです。

 

湖へ行く途中の岡の上にはなんともモダンな教会があります。北欧のこのような教会はどれも木造建築です。

 

博物館の外には猪夫婦と2匹の子猪が囲いの中にいて、一匹の活動的な子はお昼ねしているお父さんの背に登るのに懸命、とうとうお父さんが起きて”アーもう仕方ないなー”と子供の相手をしていました。なんとも人間的でおかしい親子でした。

 

博物館からこの夜泊まったキャンプサイトは又橋を越え4番目のウ”ォーゲン島にたどり着いてからでした。フィヨルドの淵に沿った道路わきの細長いキャンプ場でしたが、設備が良くてキッチンが充実していたので、キッチンで夕食をクックして食べました。

赤いきれいな家はロルブー(Rorbuer)と呼ばれるキャビンで、ロフォーテン諸島全般で見られる漁師小屋で、各村や町など海辺に設置されています。又何処のキャンプ場にも必ず設置されています。旅人は車で来て簡易宿泊施設のロルブーに泊まり、食事はキッチンで自分たちでクックできるわけです。

 

 

 

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スキボッツ キャンプサイト

2022-08-07 06:20:12 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

相変わらずの快晴の朝9時半、キャンプサイトを出発したときには、昨夜グループで楽しんでいたオランダのキャンピングクラブの人たちは、1台しか残っていませんでした。あんなにたくさんのキャンパーが知らない間にひっそりと去って行ったのです。

私たちは30分ほど北へ行った港でハドセル・フィヨルドをわたるフェリーを待ちました。この日でロフォーテン諸島を去るのです。

 

この1週間素晴らしい天気に恵まれ、いたるところ目を奪われるような景色に感動し、真夜中の太陽を写真に写して、と心からこの諸島へ来てよかったと思いました。次に来るときは釣竿を持って海釣りを習って来たいと思っています。

ノルウェー本土へたどり着くまでいくつも長い橋を渡り、設備の行き届いたグイレス・フィヨルドの畔のキャンプサイトで一泊した後、ナーヴィック(Narvik)の北でノルウェーのただ一本の主要幹線E06に合流し、北へ向かって数百Kmを走りました。

 

 

この夜はストーフィヨルド(Storfjorden)の畔のキャンプサイト・スキボッツ(Skibotn)に一泊しました。

 

このあたりは蚊は余りいないのですが、蝿やアブのような昆虫が非常に多く、キャンパーの窓に当たって死んだ虫で、気持ち悪くなるほど窓が汚れていました。

この夜サテライトテレビがよく見えて、故ダイアナ妃の誕生日コンサートがウエンブリーから実況放送されていました。ダイアナ妃がなくなってもう10年、月日の経つ早さに驚かされます。

そして天気予報では南のオスロは3日間雨が続いているとのこと。私たちはなんとラッキーだろうと話し合いました。

 

 

 

 

 

夜11時半西の山陰から太陽が顔を出し、数分おきに峰峰の後ろを移動していて、出たり隠れたり、こんなに地球の自転の速さを感じたことは有りませんでした。

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アルタ

2022-08-06 18:59:45 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

昨夜は思いがけない真夜中の太陽を見て、目がさめてみると昨日までとは打って変わってあたりはグレイ、小雨が降っていて気温が下がって寒く、これが本来の北極圏の天気ではないのかと思いました。

 

 

 

道は木が一本も見当たらないなだらかな高原で途中に5−6軒の山小屋がある他は、家も人影も見当たらない長い一本道が続いています。

行きかう車もまばらで、今までキャンパーでにぎわっていたのに皆何処へ行ったのだろうかと不思議でした。

 

フィヨルドの畔を走るといたるところに鮭の養殖場が見られますが、ノルウェーで鮮魚にめぐり合えたのは、フィンランドとの国境のスーパーが初めで何処のスーパーでも冷凍魚ばかり、もしかしてこれらの鮭はスモークド・サモンとして外国へ輸出しているのかもしれません。

 

 

 

 

この日は300Km も走ってやっとアルタの町にたどり着きました。町の玄関口にアルタ博物館があり、ここはユネスコ世界遺産に登録されています。アルタの岩絵は石器時代の遺物で約7000−6000年前のものだとのことです。おおよそ5000位のシンプルな絵が氷河で磨かれた岩の上に彫られそのままでは見分けがつかないためと保存のために赤い色彩が施されています。

 

 

博物館から良く手入れの行き届いた2.9Kmの歩道を、案内書を片手に半分廻ったところで、カメラのバッテリーが切れてしまい、写真を写せず一回り見てきたのですが、余りに残念、思い立って博物館の案内所でバッテリーの充電をお願いしたところ、快く引き受けてくれ、再度2.9Km を走り回って写真を写してきたのです。

 

博物館の中には皮をなめしてつくったカヤックが展示されていて、人間の英知に少なからず感動しました。

 

又スレートの歴史が書かれていろいろなサイズのスレートが展示されています。スレートは日本では知られていませんが、平らな自然の石を屋根瓦に使うのです。ここアルタの主要産業はスレートで、1850年ごろから近隣に販売していたものですが、1912年に機械化し大量生産が可能になり1970年からは電動切断機で生産できるようになり以降はスコットランドへ輸出しているそうです。

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ソダンキュラ フィンランド

2022-08-05 03:34:33 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

昨夜一晩中雨が降り続き、今朝も止んでいるとはいえ何時でも降りそうな天気、小さなイナリの町のキャシュマシーンでユーロの現金を引きおろしました。そしてドイツの三輪バイクの夫婦に別れを告げ、一路南へ向かいました。

 

途中サーリセルカ(Saariselka)の立派な観光インフォメーションでフィンランドのブローシャを集め、カモシカ肉の缶詰と冷凍肉を買いました。

 

このインフォメーションで見つけたカモシカに関する注意書きによりますと、一年に交通事故死するカモシカは4000頭にものぼり、多いときは一日に10頭も事故死するそうです。(ちなみにフィンランドの制限速度は時速100Kmです)。

7−8月に多いのは、森の中での蚊の襲撃から逃れるため、広い道路へ出て来て交通事故にあうのです。

もし事故にあった場合の連絡先やするべきことなどが丁寧に書かれていました。

 

このインフォメーションセンターから今夜の目的地ソダンキュラまで120Km、道は真っ直ぐで針葉樹の森と、白樺の林、そして大小の湖が次々と現れます・・・・・・が何処まで行っても景色は変りません。フィンランドには高い山はなく、ノルウェーで見られたため息の出そうな素晴らしい景色は,何処にも見られませんでした。

時々道端で道草を食っているカモシカくらいが、単調な景色に彩をそえているくらいでしょうか。

ソダンキュラはイナリの町よりも大きく、メインスクエアにはラップランドらしいトナカイの銅像、その近くに素晴らしくきれいな真っ白の教会、又教会の後ろの墓地には大変手入れの行き届いた戦没者のお墓がありました。

フィンランドは第2次世界大戦が終わるまでロシア、ドイツ、スエーデンの弾圧や戦争など過酷な歴史を持ち、多くの戦死者を出しています。そして何処の町でも、戦没者に対する墓地の管理がよく行き届いていることに感心させられました。

この夜キャンプサイトに今まで見た事もないような、キャンピングホテルカーが停まりました。

ドイツの数十人の団体はホテルカーの後ろのテントで夕食を食べ、キャンプ場のトイレやシャワーを使って、キャプセルホテルみたいなホテルカーで寝ているのです。キャンプ場の屋根つきバーベキューの囲炉裏端にはこの夜12時近くまでドイツ人たちでいっぱいでした。彼らは夕方から襲ってくる蚊など気にも留めていないようでした。

翌朝ドイツの団体は観光バス一台にゆられてキャンプサイトを出て、その後をトラックに引かれたホテルカーが出てゆきました。ドイツ人は合理的な国民とは聞いていますが、これほど安上がりの団体旅行はめったにないだろうと思いました。

 

フィンランドもノルウエーと同じような言い伝えがあるらしく、お店のショーウインドーにトロールの人形が飾ってありました。

 

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ホニングスヴォーグ・キャンピングサイト

2022-08-05 02:45:26 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

アルタからは目指すはヨーロッパの最北端ノールカップ(Nordkapp)です。

 

 

この日は雨が降ったりやんだり、本当に寒い日でした。進む道も時々南下してくるキャンピングカーとすれ違うだけでした。何処まで行っても不毛の地のような緩やかな丘を抜けて、海辺の町オルダーフィヨルド(Olderfjord)からは海岸に沿って北へ向かいました。

海岸線の岩はスレートで出来ていて、いたるところで崩れていました。

 

緩やかな丘には今まで見られた残雪はほとんどなく、ただ身を切るような冷たい風が吹いていました。

きんぽうげの黄色だけがこの荒々しい風景を和らげていました。たまに広がる草地にトナカイが放牧されていて、初めて見るトナカイに感激したものです。

ノールカップはマーゲロイ島の北端にあり以前はフェリーで対岸に渡っていたものですが、1999年に6.8Kmの海底トンネルが開通し、アクセスが楽になったとのことです。でもこのトンネルの通行料が高くキャンパーを6メーターと偽って安く(片道16ポンド)で通り抜けました。

フェリーがなくなって気の毒なのはこのトンネルを通るサイクリングの旅行者です。このトンネルは3Kmのくだりと1Kmの平地、そして3Kmも上りで、車が排気ガスを撒き散らして走る横を必死でこいでいる人や、上りの3Kmを大きな荷物を積み上げて自転車を押して歩いている人たちがいました。

 

最果ての町ホニングスウ”ォーグ(Honningsvag)は人口3500人、漁船が出入りする港町ですが、ノールカップの玄関口として多くの観光客でにぎわっているそうです。町が見渡せる対岸の道端から大きな観光船が港に停泊しているのが見えました。

 

キャンプサイトはこのホニングスウ”ォーグから7Km北で、大きな立派なホテルと10軒くらいのロルブーと設備の行き届いたキャンプ場から成っています。夕方から暴風雨になり何時の間に来たのか、キャンパーやキャラバンが15台ほど泊まっていました。

キャンパーの窓からホテルの入り口や、テントを張ってある草地や、ノールカップへ登る坂道が見えます。夕方雨の中を、坂道を必死でペダルを踏んでいる二人組みのサイクリストや、5時過ぎてテントをたたんで自転車の後ろに積んでいってしまった若者など、いろいろな人生が見られます。

雨と風でこの日はキャンパーの中に、電気ストーブとガスストーブもつけて暖をとっているのに、外では半ズボンの若い男性がテントを張っていました。

ホテルには観光バスが3台停まっていました。

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サンタクロース村 フィンランド

2022-08-04 07:07:34 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ソダンキュラから北極圏の境界線まで120Km、朝はゆっくりキャンプサイトを出発しました。厚い雲が空を覆っていましたが、雨が降るようには思えません。真っ直ぐの道を走っていると途中から急に道幅が5-6倍くらいに広くなり距離にすると数Kmはあったと思います。
初めは広さに驚き、次にどうして?と考え、”もしかして飛行機が不時着するのではないか” と話し合いました。(この夜フィンランドのニュースでよく似たような道路が滑走路に早代わりしていて、私たちの想像が正しかったことがわかりました。)
 
道路わきには村も家もほとんど見えませんが、花飾りのバス停と10個以上も連なる郵便受けで、道路の奥に家々や村があるのがわかります。
11時ごろから太陽が出て青空が広がり急に暑くなってきました。ノルウェーの北極線上とは何と言う違いでしょう。
 
ここフィンランドの北極圏の境界線上(Arctic Circle)には有名なサンタクロース村があります。
キャンピングカー用の無料の駐車場があり、数時間をこの村で過ごしました。
まず一回りしてお店や、サンタのオフィスや郵便局など見て、境界線をまたいで写真を写し、郵便局でサンタの絵葉書をたくさん買い込みました。
キャンパーに戻って二人で絵葉書にクリスマスのメッセージを書き込み切手を貼って又郵便局へ持ってゆきました。12月のクリスマス時期に発送し
てくれるのです。郵便局の入り口には世界中からサンタクロースに送ってきた手紙が貼ってありました。
 
サンタのオフィスに入ってみますと、サンタと一緒に写真を撮る所だと言うのでポールと迷っていると、”サンタはもうすぐお昼ねに入るから貴方たちで閉めます”と云われ、決心つかないままに写真を写すことになりました。
サンタクロースはポールに”何処から来ましたか”ときれいな英語で話し、私が”私は日本人です”と言いますと、”日本の何処から来ましたか?”としっかりした日本語で聞き返しました。”金沢から”の返答に ”私は去年の冬に金沢へ行ってきました”とサンタさんが日本語で云ったので、きっとクリスマスの夜は世界中に出没しなければならないから、何処でも”そこへ行った”と言う答えになるのだろうと思いました。サンタさんに何ヶ国語を話せるのか聞くのを忘れたのが残念です。
”76歳になってやっとサンタクロースが本当にいるのだと知った”とポールが云うので二人で大笑いしました。
村を去る前に高い見晴し塔に昇ってみました。サンタクロースの村は高い針葉樹の森に囲まれ、見渡す限り森が続いて、山ひとつ見えませんでした。
 
この夜は北極圏の境界線上から10Km南下したロバニエミ(Rovaniemi)のキャンプサイトで泊まりました。

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ノールカップ

2022-08-04 06:07:45 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

昨夜激しい嵐で寒さに震え上がったのに、一夜明けたこの日、7月11日は素晴らしい青空でノールカップまで30Km、キャンプ場から急な坂道を登ってゆきました。あたりは一本の木もない荒野で、山の途中からキャンプサイトやホテルが見え、この島を取り囲んでいるフィヨルドが青く輝いています。

 

 

途中で道を間違えて、たどり着いたところは人口約175人のスカルスウ”ォーグの村でした。こんなところにも人が住んでいるのかと思うくらいの小さな入り江の周りに家が立ち並び、漁船が数隻停泊していました。

もちろん店などは見えませんでしたが、小さな郵便局のマークが目につきました。ここの島では11月18日から1月24日までは太陽が昇らないのです。そんな太陽のない2ヶ月間の厳しい冬など想像も出来ませんが、夏は5月11日から7月31日まで真夜中の太陽が見られるわけです。

 

30Kmは荒野の中の上下の激しい道で、サイクリングであえいでいる人たちを気の毒に思いつつ追い越し、とうとうノールカップに着きました。

 

入場料が結構高いのですが、48時間駐車可でたくさんのキャンパーが真夜中の太陽を見るために駐車しています。

 

ノールカップホールには世界最北の郵便局、小さな教会、レストラン、バーやシアターがあります。シアターではこの地域を空中撮影した映画を30分おきに上映していて、たとえどんな天気でも、真夜中の太陽が見られるようになっています。

高さ300メータの崖の上の岬には地球をモチーフしたモニュメントがあり、記念写真を写す人たちでいっぱいでした。

 

又世界の子供たちがデザインしたと言うモニュメントが有って、そのうちのひとつは日本の女の子であゆみと書かれています。

 

我が家を出て4週間、2215マイル(3542Km)でヨーロッパの最北端へたどり着いたのです。キャンパーからイギリスの友達や娘と息子に ”ノールカップに着いた。Banzai” とテキストメッセージを送りました。友達からすぐ”Omedeto”の返信がありとっても嬉しく思いました。

この岬は海が180度見渡せ、山や丘など高いものが一切ないので、このような晴天の日は太陽を24時間見ることが出来ます。

 

でも今までに3回も真夜中の太陽を見てきたので、もう充分と午後の2時にノールカップを後にしました。

又お金を払って海底トンネルを通り、島から100Km南下しました。

 

 

途中の道ではいたるところトナカイが道路上にさまよい出て、その度に交通がストップしました。でもこんなにたくさんの群れが出てきたのは、後にも先にもここだけでした。

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サンタクロース村

2022-08-03 07:07:34 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ソダンキュラから北極圏の境界線まで120Km、朝はゆっくりキャンプサイトを出発しました。厚い雲が空を覆っていましたが、雨が降るようには思えません。真っ直ぐの道を走っていると途中から急に道幅が5-6倍くらいに広くなり距離にすると数Kmはあったと思います。


初めは広さに驚き、次にどうして?と考え、”もしかして飛行機が不時着するのではないか” と話し合いました。(この夜フィンランドのニュースでよく似たような道路が滑走路に早代わりしていて、私たちの想像が正しかったことがわかりました。)

 


 道路わきには村も家もほとんど見えませんが、花飾りのバス停と10個以上も連なる郵便受けで、道路の奥に家々や村があるのがわかります。
11時ごろから太陽が出て青空が広がり急に暑くなってきました。ノルウェーの北極線上とは何と言う違いでしょう。

 


 
ここフィンランドの北極圏の境界線上(Arctic Circle)には有名なサンタクロース村があります。
キャンピングカー用の無料の駐車場があり、数時間をこの村で過ごしました。
まず一回りしてお店や、サンタのオフィスや郵便局など見て、境界線をまたいで写真を写し、郵便局でサンタの絵葉書をたくさん買い込みました。
キャンパーに戻って二人で絵葉書にクリスマスのメッセージを書き込み切手を貼って又郵便局へ持ってゆきました。12月のクリスマス時期に発送し
てくれるのです。郵便局の入り口には世界中からサンタクロースに送ってきた手紙が貼ってありました。


 
サンタのオフィスに入ってみますと、サンタと一緒に写真を撮る所だと言うのでポールと迷っていると、”サンタはもうすぐお昼ねに入るから貴方たちで閉めます”と云われ、決心つかないままに写真を写すことになりました。


サンタクロースはポールに”何処から来ましたか”ときれいな英語で話し、私が”私は日本人です”と言いますと、”日本の何処から来ましたか?”としっかりした日本語で聞き返しました。”金沢から”の返答に ”私は去年の冬に金沢へ行ってきました”とサンタさんが日本語で云ったので、きっとクリスマスの夜は世界中に出没しなければならないから、何処でも”そこへ行った”と言う答えになるのだろうと思いました。サンタさんに何ヶ国語を話せるのか聞くのを忘れたのが残念です。

 

 

”76歳になってやっとサンタクロースが本当にいるのだと知った”とポールが云うので二人で大笑いしました。
村を去る前に高い見晴し塔に昇ってみました。サンタクロースの村は高い針葉樹の森に囲まれ、見渡す限り森が続いて、山ひとつ見えませんでした。

 


 
この夜は北極圏の境界線上から10Km南下したロバニエミ(Rovaniemi)のキャンプサイトで泊まりました。

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イナリ フィンランド

2022-08-03 03:04:54 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

ノールカップを100Km南下すると、内陸に入ってゆくためか急に暖かくなり、この夜泊まったキャンプサイトは湖が近くて、蚊に悩まされました。

キャンプサイトのキッチンで会ったフランス人の中年女性は、自転車でヘルシンキから来たといい、日焼けした皮膚がしわしわで、体に贅肉も皮下脂肪もないくらいやせていて、この体でノールカップへのトンネルを通ってゆけるだろうかと、気の毒でもあり危ぶまれました。

 

朝9時過ぎ、うす曇の干潟のフィヨルドは灰色の大きな湖のように見えます。ラクスエル(Lakselv)の町で給油して、フィンランドへ向けて出発しました。初めての松林、雑木林に平坦な道、なだらかな丘など写真を撮ろうと思う気持ちになれません。

 

国境の町カラスヨキ(Karasjok)のスーパーで初めて生の鮭やマスを見つけ、マスの大きいのを一匹買いました。そしてこの清潔なスーパーの中にも蚊が飛んでいるので、ゾーとしました。

ノルウエーはEUに加盟していないので通貨もノルウエークロナーですが、フィンランドはEUに入っていて通貨もユーロです。今ではどこの国へ行っても銀行で両替することはなく、街角のキャッシュマシンでその国のお金をおろすことができます。

国境には一応税関の施設はありますが、人は何処にも見えず、止まる車もなく通り過ぎました。

 

後は真っ直ぐな道と白樺林と水溜りばかり、風景が平凡・平坦でがっかりです。出会うのはキャンパーばかり、時々ローカルの自家用車を見かけますが、本当に交通量が少なく、さびしいほどです。

 

 

途中の道でサーメ人のテントやまるで防空壕のような家などを見つけました

 

松の木のコケをかじる赤リス。

雨に濡れたワタスゲ。

 

国境から100Kmほど行ったところでフィンランド初のキャンプ場は、長さ80Kmに及ぶ巨大なイナリ湖の畔の町イナリでした。写真はイナリ湖の観光用小型飛行機です。

 

ここイナリにはラップランドやサーメ人の文化を知ることの出来る複合文化施設シーダ(Siida)が有り、サーメ人の生活様式をビデオで紹介したり、犬ぞりなどいろいろ展示しています。素晴らしい宝飾品があり、写真禁止と知らないで撮ってしまいました。

シーダの裏庭には17エーカーにわたってサーメ人の移動家屋や漁師の生活様式を見せるオープンエアー博物館がありますが、この日の午後は激しい雨になり、仕方なく雨にぬれて帰ってきました。

翌朝キャンプサイトの片隅に例の三輪バイクと小さなキャラバンを発見し、旧知にめぐり合ったように嬉しくなりました。ドイツ人の中年夫婦もここまで道中が同じだったことに驚きそして喜び、彼らは片言の英語でおしゃべりしました。

彼らはここからスエーデンへ向かい、ストックホルムで1週間をクルーズに行くと云っていました。

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ロヴァニエミ

2022-08-02 20:31:37 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

サンタ クロース村から 8Km南のロウ”ァニエミのキャンプサイトに落ち着いた夜11時ごろ、西の空が真っ赤になりそれが薄れた頃には空が夕闇に閉ざされました。7月15日、この頃には北欧の白夜もこのあたりではもう見ることは出来ません。これからだんだん夜が長くなってくるのです。

翌朝素晴らしい天気で、川渕のキャンプサイトから長い橋を渡って、ロウ”ァニエミの町へ観光に行きました。ロウ”ァニエミの町は1944年ナチス・ドイツによって徹底的に破壊され、戦後フィンランドの設計家によって近代的な町に再建されたのです。

 

 

歩いて一番近くにあったのがロウ”ァニエミ教会です。この教会も第二次世界大戦で破壊され、1950年スエーデンとアメリカの経済援助を受けて再建築されたのです。

真正面のフレスコ画はヨーロッパの古い宗教画を見慣れた目には、素晴らしく新鮮に見えました。そしてこの教会の入り口には各国語で書かれた教会の案内書があり、特に日本語の案内書には星野富弘さんの”命より大切なもの”と言うエッセイと三浦綾子さんの"もっとも確かな希望"と言うエッセイがプリントされていて、とっても嬉しくなりました。

この教会にどれほどの日本人がやってくるのか知りませんが、なんと言う親切、星野さんのエッセイに目頭が熱くなりました。

 

教会の裏には第2次世界大戦で戦死した兵士たちのお墓がきれいに並んでいて、若い男女3人が草刈や、お墓の掃除をしていました。

そして写真の石碑には戦争中疎開先でなくなった子供や老人たちの名前が刻み込まれています。戦後60年も経ち戦死した兵士たちの家族ももう亡くなっている人たちが多いと思うのに、いまだにあちこちのお墓に花束がささげられていて、(赤いベゴニアは植えられています)国のために若い命をささげた兵士たちを決して忘れないフィンランドの人たちを素晴らしいと思いました。

 

このロウ”ァニエミの一番の見所はアルクティクム(Arktikum)と呼ばれるガラス張りの建物です。ここは北極圏に関する博物館で、ラップランドの生活や歴史、ロウ”ァニエミの歴史など、コンピューターや映像、実物大の模型などで体験、学習できます。写真はラップランドのサーメ人の結婚衣裳です。一日2回上映するオーロラの映写を見逃し残念でした。このロウ”ァニエミから日本語ガイドつきのオーロラ観測ツアーが出ています。

オーロラは12月から3月の北極圏内で見られるとのことです。

 

 

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マナマンサーロ キャンプサイト

2022-08-01 00:33:31 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ロウ"ァニエミの町外れにはフィンランドに来てはじめてのショッピング・コンプレックスがあり、ここでしっかり食料品を買い込み又針葉樹の森の中の真っ直ぐの道を南下しました。

オウルヤルビ湖畔(Oulujarvi)の町カヤーナ(Kajaana)を目指しているうちに、道に迷い途中の川渕の小さなキャンプサイトで一泊しました。

午後フィンランドの10代の男の子4人が川に飛び込んで遊んでいます。このとき初めて気がついたのは、この川の水が真っ黒なのです。

それまで空のブルーを映して水はブルーに見えたのですが、子供たちの水面下の体が見えません。飛び込んだ時も水しぶきが茶色なのです。

この国には高い山がなく、古代から堆積された植物で出来た泥炭の間をくぐってくる水は、鉄分を含んで茶色から黒色に近い色なのです。

これ以降、フィンランドだけではなくスエーデンの湖でもやはり茶色の水だと気づきました。

 

ここのキャンプサイトも蚊が大変多く、キッチンでクッキングする時も、蚊取り線香をつけていた有様でした。トイレなどもってのほか・・・本当に困ったものです。

オウルヤルビ湖(Oulujarvi)の中の島にキャンプサイトを見つけ、蚊から逃れるように、早朝この小さなキャンプサイトを後にしました。

途中から松林の地面が一面に白く、不思議に思って近寄ってみると、今まで見た事もない地衣類でした。これは緯度と関係があるのか、スエーデンでも同緯度でこの地衣類が一面にはびこっていました。

マナマンサーロのキャンプサイトはオウルヤルビ湖の真ん中にあり突き出た半島から橋で結ばれています。大変大きなキャンプサイトで、高い真っ直ぐに伸びた松林の中にキャンパーやキャラバン、テントが散らばっています。サイトの設備も素晴らしく、キッチンや食堂、遊園地まですべてがそろっています。

 

オウルヤルビ湖は海のように大きく、茶色の水が湖畔に波打っていました。

 

 

キャンプサイトの周囲に散歩道が有るとのことで、簡単な地図を持って散歩に出ました。真っ直ぐな松林とあちこちに散らばる大小の湖の畔を歩いていると、一箇所の湿地帯で急に蚊が湧き上がるように出てきて、薄着のポールが頭や服の上からも襲われ、必死で逃げ帰ってきました。

 

キャンプサイトでは蚊はいなくても、もう何処にも行きたくないとポールが嘆いて、キッチンのオーブンで甘みの少ないビスケットを焼いて時間つぶしをしていました。翌日は島の反対側から無料のフェリーで島を後にしました。

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リエクサ と ピエリネン博物館

2022-07-31 01:42:45 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

どこの町にもある教会とその裏に整然と並ぶ戦没者の墓地。

 

 

オウルヤルビ湖からロシアの国境に近い北カレリア地方(North Karelia)に南下しました。ピエリネン湖の畔リエクサの町外れにキャンプサイトが有ります。この地方も写真のごとく湖は真っ黒です。湖は海のように大きく対岸は見えませんが、小島が点在し夜景がとってもきれいでした。

 

 

キャンプサイトから歩いて15分ほどのところに一番の見所ピエリネン博物館があります。この博物館は約100軒近くにのぼるカレリア様式の木造建築を集めたもので,数時間楽しめました。

 

丸太と丸太の間には隙間風を防ぐためにこのような地衣類をはさんであります。

 

この原始的なはしご、以前ボルネオで見たのと同じ作りだった。

 

 

これらの木造建築は18世紀から20世紀の農家や森林で働く人たちのログキャビンなどでこの地方の人々の生活がしのばれます。

野営で使われる簡単なキッチンや仕事に使われる道具類、丸木で作ったいかだ類、雑魚寝のような蚕棚のベッド、そして何処の家やキャビンにも見られるサウナなど興味深々でした。気がついたのは何処にもお風呂がないことです。彼らは仕事の終わりにサウナに入り、火照った体を雪の上に転がったり、あの真っ黒の湖に入って汚れを落とすのです。

丸太を組み合わせて作った3階建ての建物など内部まで丸太の柱に丸太の壁でこのダイナミックさには大いに感激しました。

 

これらの船は丸太の中をくりぬいただけで、非常に原始的。

 

この壁は丸太を半分に切って当地のカンナ?で削ったようだ。

リエクサは19世紀まで小さな村でしたが、木材の売買の中心地として急激に発展してきたものです。

オウルヤルビ湖から南には森林ばかりでなく、牧草地帯も見られ、写真はこの地方の牧草の乾し方です。そしてこの干草はこのような荷車に山積みにされて運ばれるのです

 

 

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