Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

パーテリ   エヴァ・リューナネンのアトリエ

2022-07-30 06:00:31 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

地球の歩き方北欧版に、リエクサから10Km程行ったパーテリはフィンランドを代表する女流彫刻家 エウ”ァ・リューナネン(Eva Ryynanen)のアトリエがあるというのでヨエンスー(Joensuu)へ行く途中だから立ち寄りましょうと、キャンプサイトを出発しました。

 

10Km行っても案内さえも見当たらず、途中から枝分かれした道路をあちこち走り回り、どうしても見つからず諦めてヨエンスー(Joensuu)へ行くことにしました。すると20Km以上走ったところで道路わきに案内があり、たどり着いたところがこのカフェのある駐車場です。

リエクサから28Kmの地点でした。

このカフェは2001年に86歳で他界されたエウ”ァ・リューナネンの最後の作品で、彼女の設計により建てられドアや内装・家具などすべて彼女の作品です。カフェで入場料を払って松林の坂道を登ると、彼女のアトリエや、作業場、住居、そしてユニークな教会が現れました。

 

 

上の木彫りの作品はフィンランドのアレクシス・キーウ”ィの小説"悪魔の岩で叫ぶ7人の兄弟"(直訳)から作られたもので、彼女の出世作品です。1944年に農家の奥さんになりそれ以来、家業の合間に500にのぼる作品を世に出し、1998年にはプロフェッサーに冠せられました。

上の写真は彼女の設計による小さな教会で、カレリア地方の建築様式を受け継いだ丸太をそのまま使っています。

丸太と丸太の間にはウール(だと思います)をはさんで隙間風を防いだ大変シンプルな壁や、丸太を削っただけのベンチ、木の年輪を利用した床タイルなど素晴らしい芸術に触れてとっても感激しました。

教会を見て帰りかけに若い女性が変った楽器を持って入り口に現れました。12時からこの伝統楽器カンテレの演奏をするとのことで、キャンパーに戻りお茶を飲んでゆっくりし、12時の演奏会に参加しました。

楽器はハープや琴のようでコントロールするキーが多く、見ていてなんと難しそうだと思いましたが、子守唄などやさしい音色でした。

次の多くの写真は彼女の作業場やアトリエに展示されていたもので、ぜひご覧いただきたいと思います。

 

 

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ヨエンスー 北カレリヤ フィンランド

2022-07-29 20:26:26 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ヨエンスー(Joensuu)は北カレリア地方の中心都市で、19世紀ロシアのニコライ皇帝によって建設され、当時から木材の運搬を主とした通商都市として発達しました。

 

フィンランドの北から田舎町を廻ってきた私たちの目には、碁盤の目のように企画整備されたこの町は、北欧での近代都市とはなんと素晴らしいものだと感銘を受けるに充分でした。

通りの両側の歩道には白樺並木が続き、街中にはギリシャ正教会とヨエンスー・ルーテル教会が有ります。旧市街に当たる中心地はほとんどの建物がフラット(アパート)で何処のフラットの前にも自転車が並べられています。

お店のショウウインドーにこれらの日本人形が飾られていました。一体買う人がいるのか疑問です。

八百屋のストールの真ん中に見えるグリーンピースですが、この北欧の人たちはこの皮を剥いてそのまま食べます。まるでお菓子や飴のかわりです。

 

中心のスクエアーには露天が並び、お土産品や花・野菜・果物などを売っていますが、日曜日も月曜日も混雑するような人出はなく、ゆったりとした町でした。

大きさ15cm位の魚を丸ごとフライにしている露天の店には人だかりがしていて、私は味見だけと思い2匹だけ買いたいと頼むと、ただでくれました。この町を囲む湖で取れた新鮮な魚です。ここの湖ももちろん水は真っ黒です。でも鉄分の多い水ならばこの地方には貧血の人が少ないのではないかと思うのですが・・・・・・水道の水は全く普通です。北欧では何処でも水道水がそのまま飲めて、ボトル入りの飲料水を買う必要はいっさいありません。

キャンプサイトは町の中心から歩いて1Km位で幅広の歩道を歩いていると、歩行器に頼って散歩している年寄りや、車椅子の人たちが多いことに驚かされます。

 

市庁舎の前のメタルのパネルの絵が原始的な絵で、このあたりにもこんな絵が描かれた遺跡があるのかしらとおもいました。 

 

 

市庁舎のすぐ後ろは船が上下できるような運河がありピエリス河口あたりから湖のクスーズ船がでています。

 

 

ヨエンスー美術館を訪れましたが月曜日は休館でがっかりし、町外れの植物園へ行きましたら3時半で閉まるとのこと、散歩で町を一回りしました。

スポーツ好きの国民らしく、サイクリングやローラースケートの若者たちがいたるところで見られました。

白樺並木を歩いていると大きな目でこちらを見つめているらしい木。枝を払った後の木の幹が目玉見たいで面白い。

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サヴォンリンナ

2022-07-29 04:37:10 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

北カレリア地方から南一帯は広大な湖水地帯で、湖に散らばる島々を橋でつなぎ道路を通した様なものです。サウ”ォンリンナ(Savonlinna)は大サイマー湖を形作る多数の湖にはさまれた小さな町ですが、フィンランド第一のリゾート地でも有ります。サウ”ォンリンナ(Savonlinna)地方の面積の半分は湖だそうです。

 

 

1985年日本の天皇、皇后陛下がサイマー湖の観光船で、プンカハリュー(Pankaharju)からサウ”ォンリンナ(Savonlinna)までの航路を楽しまれました。町のシンボルはフィンランドの3大古城のひとつといわれるオラウ”ィ城で500年前当時フィンランドを支配していたスエーデンによって建築されたものです。

 

オラウ”ィ城の観光で若い日本人男性2人に出会いました。彼らはアムステルダムに住んでいて、2週間の休暇をノルウェーの北へ飛行機で、そしてレンタカーでノールカップへ行きフィンランドに南下してきたとのことでした。お城の一室は小さな教会でフィンランドで一番小さなパイプオルガンがありました。今でもミサの時に使用しているそうです

 

お城の中庭はコンサートホールに改造され、夏の夜はオペラが上演されるそうです。

 

お城の観光の後、サウ”ォンリンナ周辺の周遊観光船に乗り、森と無数の島と黒い水が流れる湖の景色を堪能しました。

 

キャンプサイトは町から7−8Kmも離れた島のひとつで30.6ヘクタールもある広大なものです。キッチンやトイレ、シャワーの設備も完全で、湖の近くにあるサウナが毎朝7時から9時まで無料とのことでした。

 

サウ”ォンリンナを去る朝、7時半にサウナに行って見ますと、たくさんの男性が次から次と湖へ泳ぎに行っています。サウナは男女別で一室に10人が座ればいっぱいでした。私も20分ほどフィンランドの老若一緒くたの女性の中で汗を搾り、次に水着を着て湖へ泳ぎに行きました。

火照った体に湖の冷たさはとっても気持ちよく、水は濃い茶色ですが自分の足が見えるほど澄んでいます。空を見上げてぽっかり浮かんで "私はなんと素晴らしい経験をしているのだろう" と思っていました。

サウナは入っている人が変わり番に泳ぎに行くのでうまく回転していて約20人の女性が出たり入ったりしています。

私も又サウナと泳ぎを繰り返し、一時間ほどで切り上げましたがこの日一日気持ちよく、フィンランドの人たちがうらやましくなりました。

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ラッペンランタ

2022-07-28 20:22:19 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

サウ”ォンリンナから限りなくロシアの国境に近い国道を南下しました。あたりは南カレリア地方と呼ばれる大サイマー湖のある湖水地帯です。途中のイマトラ(Imatra)でロシアの国境まで行ってみようと話し合ったのですが、道路標識が判らなくて通り過ぎてしまいました。

 

 

サイマー湖畔の町ラッペーンランタの町はずれに大きなキャンプサイトがあり、午前中にはサイトに落ち着いてしまったので、午後は散歩がてら町まで観光に行きました。町まで歩いて30分、大変きれいな町で、湖に突き出た半島は城砦になっておりこの町の観光アトラクションです。

18世紀の木造建築が並んでおりほとんどがお土産店や博物館、観光案内所に改造されていました。

 

城砦の突端に遊園地があり素晴らしい砂の芸術がみられます。雨も降るだろうによく崩れ落ちないで持っているものだと感心しました。ポールはセメントで固めてあるのではと触ってみると、崩れるのです。

 

 

この町はロシアのセント・ピーターズウ”ァーグ(旧名レニングラード)に一番近く観光案内所でもロシアへのツアーなどを取り扱っていました。

日帰りか一泊どまりでセント・ピーターズウ”ァーグまで行けるなら行きたいと思い、聞くとビザを取るのに1−2週間かかると言われ諦めました。

 

この町からロシアへ向かって列車もあるし、イマトラの運河を通って観光船がロシアのウ”ァイボルグ(Vyborg)へ行けるので、港の税関の看板がロシア語で書かれています。

港の観光船やレストランにはフィンランド人かロシア人かの観光客がたくさん見られました。サイマー湖を周遊する観光船もこの町から多く出航しています。

 

 

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ストックホルム2日目

2022-07-27 08:04:05 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

キャンプサイトから歩いて行ける旧市街ガムラ・スタンは、狭い通りにお店が並んでいて、ウインドーショッピングをして歩くだけでも楽しいのですが、見ものもたくさんあります。王宮へ行く途中で高い尖塔を持つドイツ教会へ寄りました。ステンドグラスがとてもきれいな教会で17世紀から何度も改築されたそうです。

ここはストックホルム・オペラハウスです。日中は玄関先しか入れません。オペラ配役の衣装がたくさん飾られていました。

 

王宮の近くにノーベル博物館があります。中は歴代のノーベル賞受賞者の紹介や、ミスターノーベルがいかにしてノーベル賞設立にいたったかのいきさつなど展示したり、ビデオ紹介などがされています。

ガムラ・スタンのメインはなんと言っても王宮です。

王宮の中も居室や宝物の間も見て廻りましたが、過去に見たヨーロッパの王宮と取り立てて変ったものはなく、そんなものだと割りと醒めた目で見てきました。

ちょうどお昼に王宮前で衛兵交代の式典があり、観光客でいっぱいでしたが、それとても英国の衛兵交代に集まる観光客の半分以下でした。

 

現王室は子供たちにふさわしい環境をと1982年にドロットニングホルム宮殿へ移られました。

王室に付属する博物館では、グスタフ3世のアンティーク博物館が小さいながらも面白く、王の収集品が展示されています。特にローマの皇帝の胸像が多くて、オゥガスタスやアントニウス・ピウスなど何処でも見受けられるものは、その昔肖像画の代わりに胸像をたくさん作って各地に送ったものだと言うのが良く判ります。

ドロットニングホルム宮殿は現国王と家族の居城になっていますが、2階3階の一角は観光客に解放されていて、個人でも案内なしで一回り見学できます。私はガイドツアーで詳しく説明を聞きながら1時間以上も歩き回り、宮廷劇場の見学時間を見逃しました。

裏庭のバロック庭園の奥にガードテントが有り、中も見物できますがテントの様に見える木製の建物です。その近くに中国の城Kina Slott があります。中には中国の陶器などが飾られています。

宮廷劇場はこの夕はオペラを上演するそうで、内部見物は1時で締め切りでした。

ここの宮殿、中国の城、宮廷劇場はユネスコの世界遺産に登録されています。

写真はストックホルムの町角で借り出せる自転車です。北欧は自転車人口が多く借り出しも,返車も便利になっているそうです。最近の英国ではこの貸自転車が流行っていますが、このブログの2007年当時はこのシステムは採用されていませんでした。

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ヘルシンキ

2022-07-27 00:17:08 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

南カレリア地方から首都ヘルシンキへ向かうにつれ、道路に木材を運ぶトラックが多くなり、道端には今まで見られなかった麦畑が現れました。

ヘルシンキへ行く前に海辺の町ロビッサ(Loviisa)で一泊し,翌日午前中にはヘルシンキ郊外のキャンプサイトに落ち着きました。ロビッサからヘルシンキまではフィンランドで初めての高速道路でした。

 

キャンプサイトは非常に整備されキャンパーやキャラバンがぎっしり駐車しています。テントを張っているキャンプ場も広く7月末からの夏休みに入ったせいもあり、若い人たちがたくさんキャンプしていました。

キャンプサイトのすぐ外にヘルシンキ市内へ行く地下鉄の駅があり、ツーリストチケットが安くて便利だとの情報で3日券を買いました。この券で市内の交通(バス、地下鉄、路面電車、スオメンリンナ島へのフェリー)が全部有効です。

ヘルシンキの中央駅から路面電車で港へ向かっている途中見えたのが真っ白の大聖堂です。元老院広場の真ん中にロシア皇帝アレクサンドル2世の銅像があり、広場から大階段の真上に聳えるのがヘルシンキ大聖堂です。

 

訪れた日は土曜日で結婚式が行われていて中には入れませんでした。そしてこの大聖堂の近く、マーケット広場は港の周辺でお土産や食べ物の露天が並んでいて、私たちも昼食のパエリヤと小魚のフライを食べました。

 

マーケット広場から見える赤レンガ造りの教会は北欧最大のロシア正教のウスペンスキー教会で内部は今まで見た西洋の教会とは全く違います。

大聖堂、マーケット広場、ウスベンスキー教会がヘルシンキで一番観光客が集まるところだと判りました。

 

ヘルシンキの2日目には港からフェリーで約15分のスオメンリンナ島へ渡りました。あいにくこの日はにわか雨が何度も降って寒い日でした。

この島はフィンランドの南を守る要塞として、防御壁がめぐらされています。昔実際に使われていたという潜水艦も展示されていました。この島はユネスコの世界遺産に指定されています。

中央駅の近くにフィンランド最大のアテネウム美術館があり、2時間我を忘れて楽しみました。ここにはフィンランドを代表する画家の絵がそろっており、特に気に入ったのがアクセリ・ガッレンーカッレラのカラフルな作品です。フィンランドを代表する抒情詩カレワラを題材にした興味をそそる絵がありました。それで大きな本屋に入り英語版の抒情詩カレワラを買ったのです。

 

 

3日目に興味深い岩窟の教会へ行きました。ここは岩を自然な形で保とうと、デザイン競技会で優勝した作品で設計され、1969年に完成したものです。観光バスが何台も乗り付けてくるような有様で観光客がワンサといました。このテンペリアウキオ教会は別名ロックチャーチと呼ばれ、外観は決して教会とは見分けられません。

 

そのロックチャーチからゆっくりと歩いてたどり着いたのが、フィンランドの代表的作曲家シベリウスのモニュメントのある公園です

 

この日も寒くて小雨がふりだし、早々に路面電車でデザインミュージアムヘ行き、1時間半感嘆しながら見て廻り、写真が撮れたらどんなにいいだろうと残念に思いました。

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フィンランドからスエーデンへ

2022-07-26 21:17:59 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ヘルシンキの町でストックホルムへ行くフェリーをさがし、フィンランドの西海岸、スエーデンに近いトゥルクから出るシリア・ラインを予約しました。

ヘルシンキのキャンプサイトを去った朝は暗くて雨が降り続いていました。

道路際の風景も大して変らず、湖の代わりに入り江の海が見えるくらいで森林と麦畑が交互に現れます。麦畑はまだグリーンのと黄色になって取入れを待っている様なのとで、多分小麦やライ麦など種類が違いためだろうと思われました。

トゥルクはスエーデンによって建設された町で地図にもトゥルク(フィンランド語)とオーボ(Abo)の名前が載っています。オーボはスエーデン語です。

キャンプサイトが町から17Km離れた島で、島とは気づかないくらい深い森の中でした。キャンプサイトに落ち着いた午後も雨が降っていて何処へ行く気にもならず、キャンパーで昼寝や読書をしていると、フィンランドの夫婦がキャンパーのドアをノックして"イギリスから来たのか?私も一度行ったことがある。フィンランドのコーヒーを御馳走するから私たちのキャンパーへ来て欲しい”と言うのです。

北欧ではイギリスマーク(GB)のキャンパーにはほとんど出会うことがなかったので、この田舎から来たらしいフィンランド人には英国人は珍しかったのでしょう。

彼らのキャンパーは脱いだ服がテーブルに山済みになっていて、座る場所もないくらい乱雑でした。

 

運転席と助手席を回転させて私たちを座らせ、旦那様はコーヒーを沸かして立っていました。奥さんは一言も英語が話せず、旦那様の翻訳でわたしたちとお互い大変苦労しつつおしゃべりしました。

コーヒーのおつまみにと出されたのが生の鞘つきのグリーンピーで恐る恐る食べてみるとその甘さに驚きました。ヘルシンキのマーケットでも屋台でグリーンピーを売っていましたが、こうして食べるものだとは知りませんでした。

 

見違えるほど晴れた翌朝、キャンプサイトのキッチンで冷凍庫に入っている野菜や、トナカイのバーガーなどを全部クッキングし冷凍庫を空にしました。フェリーは夜9時20分出発で翌朝7時にストックホルムに着くまで、キャンパーのガスを全部停めなければなりません。

スタバンガーまでの一晩どまりのフェリーでは余り厳しいことは言われなかったのですが、ここフィンランドでは何年か前にフェリーが沈んで多くの人命を失ったことがあり、規則が厳しいのです。車のバッテリーで冷凍庫が何時間使えるかわからなかったので、初めから空にしておいたわけです。

 

 

 

 

シリア・ラインは大変豪華な船で、中国人の団体客がワンサと居て何処へ行ってもいたる処でグループ写真を撮っていました。

 

このフェリーのキャビンは窓無しの二段ベッドで寝苦しく大変でしたが、英国・ノルウェー間のフェリー料金の半額以下では文句も言えませんでした。

 

 

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ストックホルム

2022-07-25 18:09:59 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

朝7時にストックホルムの港に着きました。何の検査も受けずに上陸し、そのままキャンパーを走らせてキャンプサイトに向かいました。目的のキャンプサイトは探し回ってやっと見つけたものの、電気がないと言うことであきらめました。

南のキャンプサイトを探して走り回り、途中で何度も迷ってやっとたどり着いたのが、長い橋の下のキャンプ場でした。

ここは狭いところにぎっしりとキャンパーが並んでおり、キャンピングカーのみのサイトです。トイレ、シャワーの設備もヘルシンキのサイトとは雲泥の差、首都のキャンプサイトがこれでいいのかと怒りたくなるくらいお粗末で、料金は高いのです。

朝9時過ぎに着いたので、その日午前中に出発するキャンパーが出ないと入れないくらい満員盛況でした。キャンパーを停めてまずはスェーディシュ・クローナーを引き出さねばなりません。歩いて10分ほどの街角のキャシュマシーンでお金を引きおろしました。

ストックホルムは大小合わせて14の島から成っていてこの島々が橋で結ばれています。交通機関も地下鉄、路面電車、市バス、郊外電車などがあります。島の間はフィヨルドや湖でキャンプサイトからストックホルムの中心地区が見渡せます。

 

そしてフィヨルドの畔の道を歩いて20−25分ほどで王宮のある旧市街ガムラ・スタンにたどり着きます。

 

 

この日は個別の観光は明日に回して、地図を頼りに中央駅から市庁舎を廻って写真の長い橋を渡るフィヨルドを一周してきました。

 

市庁舎は20世紀初めに建てられた赤レンガの立派な建築物で、ハイライトは1900万枚の金箔で飾られた黄金の間です。ここはノーベル賞受賞パーティの舞踏会場として使われます。又大広間は毎年ノーベル賞受賞祝賀晩餐会が催される有名な場所なのです。ここの巨大なパイプオルガンは修理中で英国へ送られているとの説明でした。この市庁舎の見学は45分のガイドツアーで一回りできます。

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ストックホルム 野外博物館スカンセン

2022-07-24 01:52:33 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

この博物館のすぐ近くに建つ宮殿風の建物は北方民族博物館です。16世紀から現代までのスエーデンの発達歴史が学べます。

 

野外博物館スカンセンは、急激な近代工業化によって古い伝統を失って行くことを恐れた創設者のハッセリウスによって、スエーデン中から150棟の文化・歴史的建物が移築され1891年にオープンしたものです。

 

小さな工房には陶芸、ガラスメーカー、印刷所、金物屋など人々の生活、仕事などを実際に見ることが出来ます。

 

機を織っていた若い女性2人にリネンの材料は何かと聞いたところ、リンシードを採る植物フラックスを見せられました。リンシードはパンやケーキの中に入っていて健康食品のひとつになっていますが、その茎までがリネンの材料として利用されているとは知りませんでした。

ここでも昔からの人間の英知に感激しました。

 

シンプルなステージのある一角で、スエーデンの各地方の伝統民族衣装に身を包んだ男女が、バイオリンとアコーデオンの音楽に合わせて、フォークダンスを披露してくれました。暑い日差しの下で観客も、ダンサーも汗にまみれて楽しみました。

珍しい魚がいた水族館

 

 

 

スエーデンの建築物も以前フィンランドで見た木造建築とほとんど代わりが無い様に見えます。又屋根に草花がいっぱい生えている小屋などは、ノルウェーの田舎で多く見られた建物です。

 

 

動物園も充実していて、北欧の動物、狼やトナカイ、鹿などのほかに、リーマの檻の中に入って写真を撮ることも出来、猿やマントヒヒの檻等丸一日楽しめるところでした。

 

 

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ウプサラ( Uppsala) スエーデン

2022-07-23 05:55:55 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

今までのキャンピング旅行でも、最低の設備を有するストックホルムのキャンプサイトに、ぶつぶつ不平を云いながらも、4泊もしてほとんどの観光地を網羅し、5日目の朝 62Km北 のウプサラへ出発しました。

サイトには朝11時頃に到着し、ストックホルムで溜まりにたまった洗濯物を洗濯機2回廻してきれいにしました。この日は素晴らしい天気で、キャンプサイトに植えられている木々の幹に洗濯紐を縛り、シーツから布巾まで全部乾して満足しました。

 

午後4時過ぎにはすべて乾いて取り入れ、さてウプサラの町を見ましょうと出掛けました。運河に沿ったこの街は大学街でスエーデンでもっとも古い総合大学があります。私たちの行ったこの時期は夏休み、それに午後5時過ぎの町は大聖堂も観光案内所も閉まっていて、のんびり散歩するだけでした。

 

青空を映して明るい運河も、水は濃い茶色で、川渕で寝転んで読書している若い男女や、魚釣りをしている親子など平和そのものでした。

 

翌朝もっと北のダーラナ地方へ行く途中、ウプサラ市から15分ほどのガムラ・ウプサラへ寄り道しました。

ここは巨大な墳墓遺跡があり、4世紀から6世紀の政治、宗教の中心地であったとのことです。

古い教会と3つの連なる丘は過去の施政者の権力の誇示なのだろうと思いました。

横の情報の乏しい昔、何処の国でも己の死後までも権力を誇るために、巨大な墳墓を残した人々、それはエジプトであれ、メキシコであれ、日本であれ、このような北の国でも人間の考えることは同じなのかと思いました。

 

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レクサンド

2022-07-22 07:08:43 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

スエーデンの中心に位置するダーラナ地方はスエーデン人にとっては心のふるさとであり、太古の昔に隕石が落ちてできたと言うシリアン湖の周辺には多くの有名な村や町が散らばっています。

ダーラナ地方に入ってくると道端に馬鹿でかい木製の馬ダーラヘスト(Dala Horse)が現れました。これはスエーデンのただひとつ伝統のあるおもちゃであり、スエーデンのシンボルでもあります。

私たちは湖の南岸にある小さな町レクサンドのキャンプサイトにやってきました。町のサイズに反比例するくらい大変大きなキャンプサイトです。

ほとんどが長期間滞在のスエーデン人家族のキャンパーや、テント、キャラバンで、夏休も有って子供たちがいたるところで遊びまわっています。

 

松林の中のキャンプサイトにキャンパーを停め、レクサンドの町まで歩いて30分、町はシリアン湖に流れ込む川で2分されインフォメーションの近くにいかにもスエーデンの田舎らしい木製の人形が有りました。

 

この町の一番の見ものは、北欧では珍しい黒いたまねぎ形のドームを持つレクサンド教会です。最古の部分は13世紀からとのことですが、夕方で教会も閉まっていて周囲の墓地を見ながら、湖畔の散歩道をキャンプサイトへ向かってそぞろ歩きをしていました。

 

途中で日本庭園があるというので覗いて見ますと、小さな灯篭と曲がりくねった池に小さな太鼓橋そして日本語と英語でこの庭園の出来た謂れが書いてありました。こんな片田舎のほとんど誰も来ないこの庭園ですが、手入れは行き届いていました。

 

8月初旬のこの中央スエーデンでは日暮れは9時ごろ、夕方の湖では水浴している家族や自転車を乗り回している子供たちでいたるところから歓声が上がっていました。

 

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レートヴィークとダルッハラ・オペラシアター

2022-07-21 19:57:58 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

 

 

レクサンドからシリアン湖の東岸のレートウ”ィークにキャンプサイトを移しました。ここのサイトの設備は、今回の旅では多分最高と思われる素晴らしさで、トイレ、シャワーのみならず、テレビ室兼食堂、キッチン、家族用シャワールーム、プール、洗車場などまで完備していて、町営らしく料金も安いのです。サイトは非常に大きくて、ここも長期滞在のリゾート地になっています。写真の木の柵はスエーデンでしか見られない造り方です。それにこの集塵車のすごいこと。

スエーデン人の家族ばかりでしたが、気になるのはこの国の人たちは朝会っても挨拶もしないのです。こちらから”おはよう”と声をかけるとまるで驚いたような顔をする人たちが多いのです。田舎の人が多いのかとも思いますが、全体に無愛想な国民性なのではないかと思いました。

と言うのはこの後ドイツにも行っているのですが、ドイツ人は実に愛想の良い人たちが多く、何処でも挨拶しないことはありませんでした。

 

レートウ”ィークの駅から湖に出ると、全長628メーターの木造の桟橋が延びています。この湖は遠浅でこの桟橋の先端に船着場があります。桟橋の先端から見るレートウ”ィークの町は素晴らしくきれいです。

レートウ”ィークから北へ数キロの森の中にダールハッラ・アンプシアターが有るのを知り、天気の良い日に行って見ました。針葉樹の森の中の、石灰を掘り出した跡地を利用したアンプシアターです。大きさは400m x175m x 60m の竪穴で底の青い湖の上にステージが設置されていて4000席が設けられています。レートウ”ィークの観光案内所でその週末のオペラ・リゴレットのチケットを買い求め、オペラのためにこのキャンプ地で5泊もしました。

 

さてオペラ開演は夜8時から、夕方5時過ぎにはアンプシアターの近くの巨大な駐車場へ行きました。私たちより前にキャンパーが数台駐車しています。キャンパーだけは駐車場に一列に並んでいます。キャンパーで夕食をクックして食べお茶を飲み、駐車場がいっぱいになってきた7時半、座布団と毛布と暖かいコートを持って私はシアターへ降りてゆきました。オペラの大嫌いなポールはキャンパーでお留守番です。

 

この夜はエストニア・ナショナル・オペラの公演で舞台の前にスエーデン語と英語で字幕が映し出されました。このような片田舎のオペラシアターで観客は何処から此れだけ来たのか3000人ちかくの人出でした。舞台装置はシンプルでしたが伝統的な衣装で歌手もそろっていて素晴らしく、特にリゴレットの娘ジルダに扮したイリーナ・ドゥブロフスカヤがぴか一でした。

10時半まだ西の空に薄明かりが残っていて、オペラの終焉とともに、大急ぎで急な坂道を駆けるように上り、車のラッシュになる前に駐車場を脱出、キャンプサイトへ帰りつきました。

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ヌスノスからムーラへ

2022-07-20 20:53:10 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

 

 

シリアン湖の北岸にあるムーラへ行く途中に立ち寄ったのがヌスノス、ここはスエーデンのシンボルと呼ばれるダーラヘストを作る工房のあるところです。ダーラヘストが誕生したのは18世紀の頃、林業の盛んなこの土地で、冬の間男たちが木材の破片で子供のおもちゃに作ったのが、始まりだそうです。大小、色とりどりのダーラヘストが店先を埋め、職人が店先でデモンストレーションをしています。

こんなにたくさん造って大丈夫かしらと思うほど、完成前の馬が山積みでした。 木製の馬を手で削っている職人のおじさんに日本の東北のおもちゃの首ふりべこ(牛)を見せ”こんなに遠く離れた国でよく似たおもちゃがあるでしょう?”と言いましたら ”うーん”と云ったきり何も云いませんでした。

 

もう35年も前、イギリスに来る途中で出会ったスエーデン人が、小さなダーラヘストを胸に着けていたので、”日本のおもちゃでしょう”と言うとむっとして”此れはスエーデン製だ”と言いました。そんなことはスエーデンへ来るまですっかり忘れていたのですが、店先でひと目見たとき思い出しました。首ふりべこと同じサイズの小さいダーラヘストを買い、両方一緒にバッグの飾りにしています。

写真は毎年6・7月に行われるシリアン湖ボートレースに使われる全長18.5mのボートです。シリアン湖周辺の村々対抗ボートレースで、このボートはウ"ァイキングの舟形を受け継ぐ手作りのものです。オール20本、20人のこぎ手が調子を合わせ11ノットのスピードで競技するそうです。

壮観でしょうね。

ムーラにはこの町出身の有名な画家アンデース・ソーン(Anders Zorn)の住んだ家とその隣に美術館があります。実はこの美術館へ行くまで名前も知らない画家でしたが展示されている絵には大変感銘を受けました。写真が写せなかったので絵葉書を買い込みました。

庭の裸体像は彼の作品です。

 

 

写真はムーラの町のベルタワーで、ウ”ァーサ・スキーレースのシンボルだそうです。

スエーデンがデンマークの支配下にあった1521年、後の国王グスタフ・ウ”ァーサが独立を勝ち取るために、ダーラナの農民に協力を求めたものの,その協力が得られずノルウェーに向けて逃亡中、後悔した農民の代表でスキーの名手だった二人の男性が、ウ”ァーサを呼び戻すため彼の元へ向かい、後にともに戦い独立を勝ち取った・・・・・・と言う史実に元づいて、90Kmのクロスカントリースキーレースが毎年行われます。

このウ”ァーサロペット(Vasaloppet)と呼ばれるレースは世界最大、参加者は5万人を越えるそうです。

写真の女性は、ムーラの町の写真屋さんの店先に飾ってあった写真で、ローカルの女の子の成人式か、卒業式かで地方色豊かな珍しい服装をしていますね。

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オスロ ノルウェー

2022-07-19 03:05:04 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

ムーラからキャンパーを南西に向け,ストックホルムからオスロへの幹線道路にたどり着き、オスロへ着く前にスエーデンの国境近くで一泊しました。

この頃から天気が崩れ、晴れのち大雨と云う日が多くなってきました。

オスロの南郊外のキャンプ場に着き、午後バスでオスロ市内へ観光に行きました。オスロ中央駅の前でバスを降り、王宮までの2Kmの真っ直ぐの道を散歩です。

 

観光客でいっぱい、おまけにこの日は選挙運動をしている期間だったらしく、通りのいたるところに人々が集まり小集会や、テントでビラを配ったりしていました。国会議事堂の前の芝生には、ひと時の太陽に多くの人が日向ぼっこをしていました。

 

王宮はロンドンのバッキンガムパレスよりはきれいですが、もうすぐ嵐がやってくるような真っ黒な雲に怖気づき急いでオスロ市庁舎へ行きました。途中から土砂降りになり、市庁舎の中にヨーロッパ最大といわれる油絵を見ようと思ったのに、ここも選挙のために9月まで立ち入り禁止とのことでがっかり、

市庁舎正面入り口を飾る16枚の木彫りの絵と英語の説明で、北欧神話エッダの物語を読んでいましたが、雨しぶきがひどく8月の半ばと言うのに寒さで震え上がりました。

雨が小止みの間に国立美術館へ足を運び、この美術館が北欧ではただひとつの無料美術館で、嬉しくてゆっくり絵の鑑賞です。ただ残念ながら屋内では写真禁止。

ゴーギャンやルノワール、ピカソ、モネの絵など有名画家の絵も多く、1室全部をムンクの絵が展示されていました。ムンクは以前英国のナショナルギャラリーへ来た時に、ゆっくり鑑賞したことがあるのですが、どうしても好きになれません。

ノルウェーの画家ではクリスチャン・クロッグ(1852−1925)が、とってもきれいなロマンチックな絵を描いていて、ベルゲンや次に訪れたスエーデンやデンマーク、ドイツの美術館でもこの画家の絵を鑑賞することが出来ました。

この日から天気は最悪、おまけにキャンプサイトは狭く、多くのキャンパーは泥沼化した草地に駐車していて見るも哀れな有様でした。私たちはたった半日オスロを見て廻ったのですが、もう充分と翌朝土砂降りの中を南スエーデンめがけて南下したのです。

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ヴィットリッケ博物館とトロルヘッタン スエーデン

2022-07-18 21:05:00 | スカンディナビア キャンプ旅行 2007年

オスロから数少ないノルウェーの高速道路を南下してスエーデンの西海岸を下ってゆきますと、このあたりの岩山が大小どれもブリクスダール氷河で見たように表面が磨かれたようにつるつるなのです。

 

オスロも氷河から出来たフィヨルドですがこの海岸線も太古の昔には氷河で覆われていたのが判ります。

そしてキャンピング案内書で、このあたりにも石器時代の岩絵があることを知り、雨の中を行って見ました。

ウ”ィットリッケ博物館(Vitlycke Museum)はここもユネスコ世界遺産の指定を受けて、保存と観光奨励をしていますが、ここの岩絵は1箇所に集中していなくて、4−5箇所を移動しなくてはなりません。雨が激しくて森の中の道を歩き回るほど、熱意もなくて早々に引き上げました。

ここの岩絵がノルウェーのアルタで見た絵にそっくりなのです。こんな数千Kmも離れた寒冷地で人が住んでいただけでも驚きなのに、北と南で人々の交流が有ったのだろうかと考えてしまいました。

 

この夜は博物館の近くの小さなキャンプサイトで一泊しましたが、一晩中雨が降り続き、翌朝も激しい雨でした。キャンプサイトのレセプションの若い女性が ”もう2−3週間こんな変な天気が続いていて、この8月は夏が無かった” と嘆いていました。

 

スエーデンの第二の都市ヨーテボリ(Goteborg)へ行くつもりで走っている途中、余りに雨がひどく雨宿りのつもりで立ち寄ったのがトロルヘッタン(Trollhattan)です。キャンプサイトに着いたときは青空が見えて太陽が出てきましたが、サイトの地面が水浸しで、嫌々ながらに駐車しました。

 

 

キャンプサイトから歩いてゆけるダムで毎日午後3時に水を放水するからと薦められ、町を横切っていってみました。余り人通りもない広い通りに英国のパブ ビショップ・アームと言うのが有り ホゥ、こんなところに英国のパブが・・・と嬉しくなりました。

 

ダムの周囲は運河と川が平行に流れダムから放水される水路は空でしたが、午後3時放水が始まると、橋の上で待ち構えていた多くの観光客から歓声が上がりました。30分ほどで放水が止まり、期待していなかった知らない町で、何だか得をしたような気持ちで晴れ晴れとキャンプサイトへ帰ってゆきました。

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