Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

ロンドンの新年 2022年

2022-01-02 08:18:47 | ロンドン周辺

明けましておめでとうございます。 昨年中私の拙ブログを読んでいただき、いろいろなコメントも有り難うございました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

元旦、素晴らしく明るい朝で、青空に初日の出が上った。気温も最近のレコードだそうで16.2度まで上がり、家の中も外気もほとんど同じくらいの気温だった。昨年(昨日)の午前中2時間くらい太陽が出たのが本当に久しぶりで、今日は午前中すばらしく良く晴れた。

昨夜は娘宅で年のくれパーティーに招待してくれ、娘の友達家族と私を入れて7人でささやかなお祝いをした。パトリックが一本80ポンド(1万2千円)もするシャンペンを開けたり、すごく甘いチョコレートのカクテルで酔って10時過ぎにタクシーで帰ってきた。

毎日楽しみにしている日本のブログを読んでいるうちに、もうすぐ12時、急いで娘が準備してくれた年越しそばを10本ほど食べた。何しろパーティー食に鰆の刺身や巻きずしなどたくさん食べてお腹いっぱい、それでも年越しそばは年内にと無理をした。

12時にテレビではビックベンの鐘の音と同時にテームズ河畔で花火が揚がった。今年はコロナ感染がひどいから皆テレビで見るようにとのお達しだったが、絶対言うことを聞かない英国人の若者たちが川渕にあふれたそうだ。

テレビの画面をカメラで写したものを、ここに載せたい。

 

 

画面に映っているメッセージはテレビが出しているもので花火にはならない。

 

 

新年は大騒ぎのパーティが普通だから、メッセージも  さあ皆、パーティの準備はできたかい?

 

 

みんな、踊って、手をたたいて ・・・

 

 

 

 

 

 

今年の花火は例年と全く違っていたがそれなりに良かった。

最後にシェクスピアのグローヴシアターから、男女の混声合唱団によるAuld Lang Syne ( 蛍の光)を歌って

ロンドンの夜景が映った。

その後シドニーや台北の新年の花火をBBCニュースで見せてくれたが、例年と違ってささやかなものだった。

実は昨日12月31日の朝からガスが止まった。朝起きたのが遅かったせいで、誰かが電話か玄関に来てガスが止まったわけを連絡してくれたらしいが、知らずに驚き困惑。

隣りに電話して初めて訳を知った。 ガスパイプに水が流れ込み、ガス会社と水道局が一緒に工事しているという。この地域全部がガスストップ、ガスクッカーやセントラルヒーティング、お風呂やシャワーが使えない。

ラッキーなことに、わが家ではキャンパーの中に設置していたプロパンガスボトルを居間のガスストーブに付け、キャンプ場で使っていた電熱器でクッキングできる。

昨日、今日とガス会社の緊急課から電話が入り、暖かい食べ物は食べられるか?もし必要なら食料のバウチャーをくれるとか暖房が困るなら電気ストーブを貸出しすると言ってきた。どちらも間に合っているからと丁寧に断り、なんて親切なと思ったが、お正月に必死で働かないといけない水道局やガス会社の人たちが気の毒になった。

それでももう2日経っても治らない。日本の様に昼も夜もついての突貫工事なんてしないから、やっぱりイギリスだものね。と友達に笑われてしまった。

 

 

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クリスマス・デコレーション と New Year

2020-12-30 07:55:56 | ロンドン周辺

英国の一般家庭のクリスマス・デコレーションは商業ベースでなく、庭のある人は庭木に電飾を飾り立て、窓や屋根にまであらゆるところを色とりどりに光輝かせている。

これらのデコレーションは11月初めごろから準備を始め、12月初めにはほとんど準備完了。クリスマスツリーは各自のリビングルームに飾られるが、庭木を利用して華々しく飾り立てるところもある。

クリスマスカードは12月初めから送付され、リビングルームの壁や暖炉の上などに飾られる。これらすべてのデコレーションは1月7日まで毎晩ピカピカやっているが、7日以降は完全に取り払われる。

 

 

 

 

これらの写真はクリスマスの2日前、インターネットで見つけた、クリスマスデコレーションを頼りに雨の中を見物に行ったもの。昨年1か所の袋小路の通りが全部の家を華々しく飾り立て、見物に来る人達にチャリティに上げる寄付を募った。昨年はもっと素晴らしかったということだが、このチャリティ募金を心無い人に盗まれてしまって、今年はインターネットで募金を募っているそうだ。

英国には1974年まではお正月を祝う風習がなかった。スコットランドは昔から新年を祝い、1月1日の12時きっかりに人々は腕を組んで Auld Lang Syne(蛍の光)を歌って新年を迎える。この蛍の光はスコットランド人のロバート・バーンによって作詞され、過行く年や毎年夏の2か月にわたるクラッシックコンサートのプロムスの最終日にも歌われる。

私が英国へ来た1972年にはまだ新年は祝日でなく1973年の1月1日は一般の人たちは出勤していた。お正月を祝わないこの土地で寂しい思いをしたことが思い出される。

私がまだ退職前だった1990年代、毎年31日の夜には日本人の友達を沢山呼んで新年パーティをやった。テレビでビックベンの12時の鐘の音と同時に皆でシャンペンでお祝いし、かるたやトランプで遊び興じたものだった。

1月1日が週日だと2日からは出勤するので、この週末の様に1月1日が金曜日で初めで3が日が休みになる。

今年2020年の1月1日はポルトガルのタビラでお正月を迎えた。娘夫婦がクリスマス前からポルトガルへやってきて、大きなお屋敷を借りていたので、タビラで知り合った日本人男性とオランダ人夫妻を招待してお正月のパーティーをやった。天ぷらとお寿司で楽しんだのに早いもので1年経って、元気だったポールもいない。

クリスマスイブからボクシングディと呼ばれる26日まで娘宅で過ごして上げ膳据え膳、露天風呂にも入ってクリスマスの朝には日本やスエーデンの友達に風呂の中からフェースタイムで驚かせた。

年末31日から3日まで娘宅でのんびりする。おせち料理は出ないが、ベジタリアンの娘の精進料理を食べることななるだろう。

この1年たくさんの方たちに私のつたないブログを見ていただき、応援してくださった方たちも、ありがとうございました。今年はコロナとポールの死で最悪の2020年でした。

新年こそコロナ難にもめげず、良い年になりますよう。皆様の健康とご多幸を祈っています。

Hope You have a very Happy New Year !!!

 

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クリスマス前のこの頃

2020-12-13 22:38:41 | ロンドン周辺

先日、娘宅へジャクジーに入ろうと歩いていくことにした。彼女の家までは車で10分、雨降りや暗い時には車を運転して出かけるほどの勇気がない。

それで小雨の中歩いて30分のところ、電車もバスもあるけれど、ロックダウンの時期、決して乗ってはいけないと娘から厳命されている。

サッカーグラウンドの横の歩道を歩いていたら、対向車側に小型トラックが止まった。この車は街路樹を剪定して回る、カウンシルの車で、その上にヤドリギ(英国ではミッスルトーと呼ぶ)がのっていた。

ちょうど止まった車の横の巨大な街路樹にもこのヤドリギが大きく丸く下がっている。ヤドリギは今の時期白い実がなり小鳥たちの冬の食べ物の一つだが、中の種の周りは粘着性で鳥が木の上でフンを落とすとその枝にくっ付いて芽を出し木の養分を吸って大きくなる。

さてこのヤドリギ、英国ではクリスマス時期だけ花屋さんや、マーケットで売られている。英国の伝統ではクリスマス、ミッスルトーの下で出会った人たちはキスを交わす。

 

トラックの若者に、そのミッスルトーをください。と頼んだら、気やすくOK と言ってその枝を持ち上げ、彼は唇を突き出してキスの真似をした。

大笑いをしてもらってきたが、こんな英国のユーモアが大好き。

娘の家の天井にはものを下げるところがどこにもなく、玄関の花かごを下げるところにミッスルトーは下げられた。今年はコロナ難、誰もわざわざミッスルトーの下でキスどころじゃない。近よりもできないんだから。

 

今年初めて作ってみたクリスマスの花輪(Wreath リースと呼ぶ。)わが家の庭のイチジクが細い新芽を伸ばし、細い枝を剪定した。この枝がしなってよく曲がるので集めて輪にし娘宅の庭の月桂樹の枝と赤い実のなっているヒイラギで作った。

娘婿のパトリックは 大変そうだから買ったらいいのに と言うがこうして作っている時が楽しいし、自作なら満足感も十分。

 

娘宅の裏庭のジャクジーは直径1メータ50センチ、温度設定40度で、日本の岩風呂に入っているようで、雨が降ってるときなど野球帽をかぶっている。

 

この間など入っている真上をサギ(グレイヘロン)が2回も旋回していった。

2年前にポルトガルで買って娘にプレゼントしたレモンの木も大きくなり、今まさに花があちこち咲いている。昨年もたくさん花がついたのに変な毛虫が繁殖して,実がなったのは2個だけ、それなのに最近まで庭に置いてあったので強風でなぎ倒されて結局、収穫ならずで終わった。今度こそと期待している。

 

まだ5歳半の孫のため、娘が作ったトリック。パトリックが日本人のお客さんからいただいたお土産を持ってきた。日本のデパートの缶入りクッキー、缶詰を高く積んでその上にクリスマスの小人(エルフ)が上ってクッキーを盗もうとしているところ。

エルフとサンタクロースは相談してクリスマスに来るのだからエルフに触ったらだめよ。孫のジュードはエルフ用にクッキーを余分にとって我慢できずに食べてしまった。

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コロナワクチン開始

2020-12-10 05:55:31 | ロンドン周辺

昨日12月8日に世界初のコロナワクチンの接種が始まった。90歳のマーガレット・キーナン婦人が世界初ということで昨夜のテレビでは世界中のテレビ局のニュースのトップを飾った。彼女は早朝6時31分に接種されたもので、この時ITV の早朝プログラムで、スタジオで見ていた健康大臣のマット・ハンコックは感涙にむせんだ。

このワクチンは3週間後にももう一度接種しなければいけないそうで、今後は80歳以上の老人と、医療関係者、老人ホームでもケアワーカーがまず最初に接種される。

新聞の投書欄では、年寄りは後回しにして、経済を立て直すために健康な働いている人たちを優先すべきだとか、サンタクロースをまず最初にするべきだなどとふざけたのもある。ボリス・ジョンソン首相はもうかかって免疫ができているからいいが、国会議員全員に接種して安全性を確かめるべきとの声もある。首相の父親スタンリー・ジョンソン80歳はもちろん自分の番が来たらすぐしてもらうと、確約しているそうな。

その次が75歳以上の老人と言うことで、私など来年1-2月に接種されることになればラッキーだろう。

ところがワクチンが世間一般に普遍される前に、最近の感染者が急増している。先週の土曜日、ロンドンのロックダウンが終わったところで、ロンドン市内の繁華街オックスフォード・ストリートやリージェントストリートはマスクもしない買い物客であふれた。がちなみに今日1日の感染者は1万6500人、死者も1日533人、死者のトータルが6万2566人、全く自慢にならない死者数ヨーロッパ1を誇る?ことになった。

この人たちが感染して自宅に帰り一人の人が3人づつに移したらどうなることか?今年のクリスマスは政府も仕方がない、クリスマスをキャンセルすることはできないと、家族が集まることを許したが、クリスマス後の感染者急増が今から危ぶまれている。

来春4月のイースターの時にポールの遺灰をポルトガルの山へ撒きに行きたいと願っているのに、いったいどうなることか予定がつかない。

クリスマス前にポルトガルまでの飛行機の予約をすればイースター前の予約とは半額以下になるらしいが、何しろコロナの蔓延いつ収まるのか先が見えない。

昨日のメトロ紙に載っていたクリスマスのジョークで一般投書の中から1位になったのが、やっぱりドミニック・カミング(首相のアドバイザーだった人で、ロックダウンの最中のコロナ感染中に英国北の自宅へ戻り大いに批判されたものの、首相は首にできなかった。)の話題が一番。そのジョーク・・・・ドミニックカミングの一番好きなクリスマスソングは何か?Driving home for Christmas.。

そして11位に入ったジョーク・・・ドミニックカミングはどのようにモノポリーで遊ぶか? 答え・・・ルールは無視し、好きなところへ行き、決してジェイル(牢獄)だけは行かない。  これには思わず噴き出した。

 

 

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我が家の近辺の変わりよう。

2020-12-07 07:57:26 | ロンドン周辺

私達がこのロンドンの郊外に当たる地に引っ越してきて28年、ずいぶん変わった。駅まで歩いて7分の道は両脇がスポーツグラウンドで、駅の前は工場地帯だった。

この小工場では英国で一番有名銘柄の染色剤がつくられていて、もう10年ほど前までは工場も稼働していた。それがいつの間にか、工場閉鎖、周りが、塀に覆われて、5年ほど前に中庭を配した4棟の巨大なアパートが建ち、その名も染色会社の名前をとってダイロン(Dylon)何とか?と名付けられた。

ところが今度はその高層アパートの横に去年からもっと巨大なアパートが建築中にある。

 

上の2枚は夜明けの建築中のアパートで、わが家のベッドルームから見えるもの。一晩中高い2基の起重機の先端に赤い光がともっていて、ヘリコプターへ危険を知らせるためだそうだ。

 

駅までのメインロードわきには通勤者の車がズラーと駐車している。ここの駐車場だけが無料だから、遠くの通勤者もここまで車できて、駐車後電車でロンドン市内へ仕事に行く。

 

 

毎朝無料の新聞を駅まで取りに行くのにこの建築群を見ながら通るため、建築中の進行状況がよくわかる。

これが完成した暁にはいったいどれほど多くの人口がふえるのだろうか? 

そしてわが家の裏庭に面したスポーツグラウンドやメインロードを挟んだ両側の広大なスポーツグラウンドは1990年代までは英国大手銀行のスポーツグラウンドだった。

それが2000年に入ると次々銀行が手放し初め、確かミドランド銀行のグラウンドはクリケットグラウンドに変わってしまった。

私が日系会社で働いて居た頃、会社のラグビー部員がこのグラウンドでトレーニングしていたこともあった。

そしてこの広大なサッカートレーニング場は昨年英国プロサッカーチーム・クリスタルパレスに買われ、大変革を遂げた。

この夏中巨大な土木機械が入って掘ったり埋めたり、まだ上の写真の場所は昔の儘のサッカーグラウンドそのまま。

 

11月上旬から毎朝若いサッカー選手が空色のユニフォームで集まってくるようになった。

 

真新しいトレーニング場が使用可になり、プロの選手達がトレーニングに励んでいる。

 

 

毎週土曜日朝はここで子供たちがサッカーのトレーニングをするため子供たちの親が壁一面に張り付いて、我が子の練習風景を見守っているが、上の2枚の写真はプロの選手を見るためのファンに違いない。

土曜日夕方4時過ぎ黄昏時、寒さにもめげず熱心に見守るファンたちは、物音一つも立てず、会話もせず静かに見ている不思議な雰囲気だ。

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ぎっくり腰と暖冬の話

2020-11-24 21:30:15 | ロンドン周辺

先週木曜日の朝、着替えてソックスをはいて立ち上がった瞬間、ぎっくり腰になってしまった。今年の2月にも一度なっているから癖になっているらしい。

午前中ずっと腰に湯たんぽを当てて椅子に座ったきりだったが痛みは治まらず、腰を曲げて歩くのは全くどこかのお婆さんと一緒。

とうとう娘に電話して、パトリックに迎えに来てもらった。一日で治るはずはないから、パジャマと歯ブラシ、そしてアイパッドも持って行った。

娘は安楽椅子をジュードの遊び部屋の巨大なテレビの前に設置し、私は丸2日間その椅子で日本の漫画やドラマを見て過ごした。

 

 

夕方ジュードが学校から帰ってくると、花束を持ってきてくれ、水につけておいてね。と頼むと花瓶に入れて椅子のそばに置いてくれた。

そして 枕はいるかい? と小さなクッションをあてがってくれとっても優しい。一緒に日本のマンガ この世界の片隅で と言う広島、呉の戦時中の映画を見た。とっても良い漫画で彼の教育にもなったと思う。

娘夫婦はとっても大事にしてくれ、夕食前にはワインが出、食事も上げ膳据え膳。そして二日とも裏庭のジャクジーで1時間近く暖まり、腰痛がずいぶん楽になった土曜日のお昼に送ってもらった。

 2日間止まっている間、玄関のドアーをロックしなかったと心配して入ったら中のドアも閉めてなくて20センチも開けっ放し。木曜日の朝どんなに痛くて焦っていたことか。泥棒に入られなくてほっと胸をなでおろした。

 

昨日腰の痛みは無くなりまっすぐ歩けるから、歩いて15分ほどのスーパーへショッピングに行った。、その途中の道に桜の花が満開。

 

 

 

手前の若木は今春植えたばかりらしく添え木2本で固定され,満開。

 

こんな11月に咲き誇って来春咲くのだろうか?それに今の時期咲いても華やかさが感じられないのは私だけかしら?

 

後ろの桜の木は住宅の前庭の大木で花は小さく大して目立たない。

今年の11月はずいぶん暖かく、10月に植えたアイリスはもう10センチ以上にも伸びていて1-2月の厳寒期を過ごせるか心配。それに10月末に植えた水仙も芽が出始めて、霜が入りたらダメになるかもと心配で、庭の落ち葉をしっかりかぶせて保護している。

お花はこうして守ってあげられるが、小鳥たちが時期を間違え巣づくりして雛がかえったなら、厳寒期をどうして、やり過ごすことができようか?

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ヒーヴァー城 ( Hever Castle)

2020-11-19 06:40:45 | ロンドン周辺

先週土曜日から天気は悪化し日曜日は一日中雨との天気予報だった。それでも一週間前にこのお城の予約をしてしまったので、土曜夜にはおにぎりを作って出かける用意をしていた。

それと言うのも孫のジュードのクラスでは、毎週末一人づつ白い熊さん(ベンジーベアと呼ぶ)と一冊のノートが預けられ、その一ページに週末の出来事を書き込み、写真を張らなければならない。

写真をたくさん張っておけば書くところが少なくて済むとの娘の提案で、一家総出でヒヴァー城へ出かけることになった。

 

朝から雨が降り続いて一家皆がレインコートを着ての出発。ベンジーベアも黄色のレインコートを着ている。

 

このお城は13世紀に造られたボリン家の城でヘンリー8世の2番目の妻アン・ボリンが子供時代を過ごしたことで有名、アンの父親が逝去後はヘンリー8世の持ち城になった。

でもジュードにとってはアンもヘンリーも興味なし。ここには大きな3階建ての子供の遊び場があり、元気いっぱいの子供たちで大騒ぎ。

 

コロナの影響で入場も予約し時間制限でお昼12時半には午前の部の子供たちは退場しなければならない。お城についてすぐ雨が上がり4時間ほどは青空が出てきたから、家族連れでいっぱいだった。

いろいろな動物の恰好や面白い庭木にはクリスマスデコレーションの準備に電球が張り巡らされている。

 

 

小さいお城だが、お城の後ろの家屋ではインターネットで予約すればベッド & ブレックファースト (BB)で泊まれるそうだ。

12時半でお遊びができなくなって、お城の前のベンチで持って行ったおにぎりやお菓子を食べて、湖畔の散歩。雨上がりで道はぬかるんで汚いこと。長靴のジュードは水たまりで大喜び。

 

 

今回初めて行った湖畔の奥に赤い鳥居と水に浮かんでいる小さな日本家屋?片隅に年寄り2人がマスクで座ってお喋りしているから一回りもできず、早々に引き上げてきた。

もう秋も中盤、あたり一面の木々は黄葉で紅葉だけは見られない。

帰り際激しい土砂降りの雨で、急いで車に駆け込んだ。

 

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孫と友達

2020-11-15 07:32:53 | ロンドン周辺

今日土曜日、何もすることがない。朝起きてすぐリビングルームでサーキットトレーニング20分をこなして、朝食。昨日ショッピングに行って一週間分の食料を買ってきた。誰とも話さないで、だれとも会わないで一日終わるのだろうか。

先週買ってきた大根を塩漬けにしておいたのを娘からもらった米ぬかに入れて塩水を足しぬか漬けに。数日すればおいしくなるだろうと期待する。

本当は昨日湖水地方の英国人の友達から送られてきた500グラムの毛糸で何か作ればいいのだろうが、いったい何を作ろうかと思案中。

ラップトップのユーチューブで日本の園芸のヒントなど見ていたら、娘婿のパットリックから電話が入って、今から孫と遊びに行くという。今日は天気が悪くてどこへも行けず、おまけにロックダウンで友達を呼ぶこともできないから、飽き飽きしていたらしい。

20分後にやってきた孫はまず最初からキャンパーで遊ぶのだという。パトリックは孫を私に任せてわが家でのんびりしている。

孫のジュードは先週初めてキャンパーで遊んでよほど嬉しかったらしい。バンクベッドに上ってカーテンを閉めたり開けたり上がったり下がったり少しもじっとしていない。

隣の7歳になる娘がキャンパーの窓すぐ近くへやってきた。半そでのパジャマ姿で寒いだろうからキャンパーへ入る?と聞いたら大喜びでやってきた。

ジュードが助手席の窓を開けていたので寒いから早く閉めてと言ったら、急いで窓を閉めるハンドルを回している。隣りの娘は 窓を閉めるのに電動じゃないの? と聞くから この車は古いから電動じゃない。と答えたら あなたの頃は電気が発明されてなかったの? と聞かれて答えに困った。あとで娘夫婦と大笑いをしてしまった。

隣りの娘とジュードは1歳半ほど違うが、会話を聞いてもほとんどお互い話していることが通じていないように見える。それでいながら二人で1時間も遊んでいたから子供って不思議なものだ。ただ一度だけ話している内容に驚いたのは二人がキャンパーの運転席と助手席に座って、安全ベルトをしての会話。キャンパーを運転してどこへ行くの?と聞いたら、 うーん今考え中.アメリカだけは行きたくないなー とジュード、どうして と聞いたらドナルドトランプがいるから。 あらジョーバイデンが大統領になるのよ、トランプが負けたから とは隣の娘。これが今どきの子供の会話。

午後1時過ぎパトリックが自分の家でランチを食べないかと誘ってくれ、彼の車で行った。昼食をいただいて、裏庭のジャクジーが温度40度になっているからと言われて、雨の中、野球帽をかぶり、水着でおよそ1時間も入っていた。日本の野天風呂と同じみたい。

気持ちよく4時半から始まるNHK の相撲の報道に間に合うよう送ってもらい、なんて素晴らしい土曜日だったろう。優しい娘夫婦に面白い孫、親切な近所の人達、ポールが亡くなっても私は感謝しなければいけない。

 

 

 

 

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相変わらずコロナ禍のこの頃

2020-11-10 12:41:40 | ロンドン周辺

11月5日からまたロックダウンに入った。でも今回は3月の時よりも緩やかで、一人は家族に会えるとのこと。毎週1-2回は娘宅へ行っているが、一切問題ないらしい。学校も普通に開いているから、孫は毎日通学しているし、学校の先生をしている娘も毎日仕事でアップ、アップなのだそうだ。

それにしても毎日の感染者が2万人を超えて、一向に減るように見えない。死者も先週は毎日6-700人ぐらいに増えてきているから、先が見えず暗澹たる思いってこれだろうな。

 

 

3月のロックダウンの時はこの新築中のアパートメント4棟は完全に仕事を取りやめていたが、今回は月曜から土曜日まで突貫工事をしている。来年春には完成しているのではないか。

10月に入ってもう赤くならないトマトを全部取って大鍋に細かく刻んだトマトと大きな玉ねぎ(奥に見える)2個と冷凍してあったクッキングアップルに酢と砂糖でグリーントマトチャツネを作った。大瓶3個分取れ一年中食べれそう。

 

 

冬はシクラメンの季節、近くのスーパーで安く売っていたので、いつもは買わないのに衝動買いをしてしまった。もう1か月近くキッチンの窓際できれいに咲いているから花が少なくなる時期、眺めているだけでも心が和む。

 

英国で曼珠沙華は見たことがないが、10月ころから咲くこのピンクの花はよく似ている。葉はほとんど終わったころにつぼみだけが長く伸びて群生し,花期が長い。もう1か月にもなるのに咲いている。

 

 

裏庭のイチジクの木はほとんど葉が落ちて、この春から伸びた新芽の枝がものすごい。これらの枝に来年は鈴なりの実がなるだろう。もうこれ以上大きくならないでほしいものだ。

 

裏庭の小さな野菜畑で植えているポルトガルのキャベツ。これは2年前に種から植えたもので、大きくなった葉をとってせん切りにして油でいため、そしてお醤油と砂糖で味付けて煮込むとおいしいおかずになる。

どんどん上に伸びて高さ1メーターくらいにもなるが冬の青物のあまりない時期重宝している。友達はお化けキャベツと呼んでいる。春に花が咲き始めると種になるから花芽を取っておけば何年でも育っていつでも食べられる優れもの。

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親切な隣人

2020-11-08 01:57:21 | ロンドン周辺

10月から11月4日まで毎日雨、時には大雨になることもあったが、4日から素晴らしい晴天が続いている。

前庭の垣根が伸びに伸びて、手入れが必要になった。昨年秋には、ポールも体力が無くて電気鋸をもって垣根を切ることもできず、プロの庭師に裏庭のイチジクやなしの木の剪定と同時に前庭の垣根もきれいに剪定してもらった。その時の料金は800ポンドだった。

今年は前庭だけで多分料金も3-400ポンドの予定。月曜日の朝に見に来てくれた庭師に切ってほしいところを話して見積もりをe-mailで送ってもらうことにした。

火曜日の朝、隣のお父さん(49歳)と話している時に、垣根の話になり、プロに頼んだことを言った。彼はすぐうちの息子(19歳)が大学から帰ってきているから、彼にやらせる。と言う。もうプロに頼んでいるからと言ったのに、水曜日の午後息子がやってきて 今から始める と言い、電気鋸2台にシュレダーまで用意して4時間かかってきれいに刈り込んでくれた。シュレダーでは大きな枝葉を細断し、すべてをコンポストにした。

金曜日の朝息子へお礼の手紙と一緒に100ポンドと包んでお父さんに渡し、そのままショッピングへ行った。

木曜日からロンドンもロックダウンになり、あまり出歩けない。だから1週間分以上の食料を満載してショッピングトローリーを引いて帰る途中、急にトローリーの車が取れてしまった。

昨年もう一方の車が取れたときはポールがまだ元気で直してくれ、帰りは5メータおきに小さな車が外れてしまう。ポール助けて と独り言を言いながらやっと帰宅。

朝駅から持ってきた新聞を配りに行った時、今年90歳になる友達のご主人が、作業小屋の地面が崩れて小屋が傾いたとコンクリで補強していた。彼が直してあげるからと言ってくれ、持って行った。午後しっかり治ったトローリーを奥さんが持ってきてくれた。

夕方隣の息子がやってきて、このお金は受け取れない と言う。今年大学へ行く前にもらったから と言うので私もお金のセービングをしたし君も少しでもお小遣いが増えて良いじゃない。受け取らないなら今後は君としゃべらないと脅かしたら、やっと これからもいつでもHelpしてあげるから必ず言ってくれ、約束する? と小指を出し指切りげんまん。英国で我が子もしたことのない指切り!!!

彼は嬉しそうに帰っていき、私はおかしくて笑いながら友達に報告。英国でも約束に指切りするとは思わなかった。それも19歳の男の子。

近隣から助けられて生きていくのをとっても嬉しく感じているこの頃。

 

 

 

 

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スポーツ漫画の歴史

2020-10-29 21:37:59 | ロンドン周辺

昨日、正午から一時間にわたってZoomでスポーツ漫画の歴史という解説があった。

これは毎年いろいろな試みをしてくれるJapan Foundation (日本基金)の一環で大変面白いものだった。

何しろ1972年に日本を離れ、以来日本の漫画など見たこともなし興味もなかったけれど、このコロナの影響で都心へ出ることもままならぬ。居ながらにして見られるZoomほど便利なものはない。

ということで先週Apply したのがこの解説だった。

日本のプロフェッサー吉村一馬氏が日本語で話すのを通訳の若い女性Bethan Jonesが直訳適切に話される。

まず初めの漫画は1947年に発行された バット君 作者は井上一雄氏、米国駐留軍が日本国内を管理していた戦後初めの漫画では格闘技(柔道や剣道など)は禁止されていて、民主主義を推し進めていた米国のアイディアで、日本は野球が国家のスポーツくらいに、人気を博した。(ちなみに英国では野球はほとんど知られていず、野球の漫画は現在に至るまでほとんど流通していない。)

格闘技が許可された1951年には福井英一氏の いがぐり君 が発行された。この当時親からは漫画ばかり読んでいないで勉強しなさいと言われた団塊世代がほとんどだったと思う。この漫画は柔道だった。

1966年には梶原一騎作、川崎昇氏漫画による 巨人の星 が人気を博した。私は読んだことはないけれどこの名前は知っていた。この漫画は野球のストーリーでスポーツ根性を描いた初めのものとして一躍人気を博した。これ以来スポーツ根性(今ではスポコンというそうだー日本語の何でも短くする言葉が定着すると判らなくなる。ここロンドンでも日本人女性の話す言葉でキンクロ(キングスクロス)やチャリクロ(チャリングクロス)と話すのを聞いてたまげたものだ。)

1968年東京オリンピックから4年後、バレーボールが主題の アッタクNO 1 や サインはVなどスポコン漫画が人気を博した。

1972年に水島新司氏の野球のストーリー ドカベン は2018年まで発行され続けたというからすごい。少年野球からプロ野球選手になった経過を描いているという。

1972年 ちばあきお氏による キャプテン は中学野球、1973年には同氏による プレーボール は高校野球を描いて、一人のヒーロではなくチーム各人のキャラクターを描いている初めての漫画と言われる。

1978年には小林まこと氏による 1,2の三四郎 これはラグビー、柔道、プロレスを織り交ぜたスポコン漫画を超えた人間ドラマを描いたものだ。

1981年、あだち充氏による タッチ は高校野球の少女が主人公、

1989年の河合克敏氏による柔道漫画 帯をキュッとね では今までいがぐり頭の男子が現代風に描かれるようになった初めという。

変わったスポーツでは2011年こざき亜衣氏の あさひなぐ は薙刀、1990年の坂田信弘作、かざま衛二漫画による、風の大地 はゴルフが主題、この頃には大人が漫画を読む時代に入った。

1987年戸部良也原作、山本修漫画の はるかな甲子園 は耳の聞こえない少年たちの高校野球を描いた感動的なストーリーで、これが障害者スポーツのはじめと言われる。

1999年井上雄彦氏の リアル は車いすバスケットボールを描いたもの。

2016年香川まさひと氏の ましろ日 はブラインド(盲目)マラソンをえがいたもの。

これら障害者の漫画ストーリーは障害者スポーツ協会の賛同を得ているという。スポンサーがつくのは漫画が発行され人気が出て初めてスポンサーの目に留まるもので、決してスポンサーが主題を示唆するものではないとのことでした。

ここ最近の傾向としては、高校クラブ活動を通して3年間に凝縮された人間関係が成長して社会に出ていくストーリーが多いという。

こうしてたかが漫画といえど社会と切り離せない歴史があり、今や日本ならず世界中で日本の漫画がブームになっていることが判った。

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Good morning Darling

2020-10-17 06:54:07 | ロンドン周辺

今朝11時過ぎ、ショッピングトローリーいっぱいに要らなくなった本を詰めて、セントクリストファーのチャリティーショップへ持って行った。

毎週金曜日の朝はごみ集めの車と人たちがやってくる。今朝は隔週で紙類の収集と一般ごみに生ごみを集めに来てくれる。

わが家のごみ箱はもうすでに空になっていたが、チャリティショップのあるベッケンナムへの1マイルの住宅街では今まさに紙類の収集が始まっていた。重いショッピングトローリーを引っ張って歩いている目の前を、中年のおじさんはわき目もふらずに、大きな車付きのごみ箱に道路わきの箱に入っている紙類を、手早く入れている。

通りすがりに Morning と声を掛けたら、Good Morning Darling(おはようダーリン)と返事が返ってきた。ポールが逝ってもう3か月、ダーリンと言ってくれる人などいないのに。

こちらの肉体労働者やマーケットの商人達等は、女性にはHello Love(ハローラヴ)とかHi ,Sweetheart(はーい、スイートハート)とか平気で挨拶する。彼らにとってはLove もSweetheartもDarlingも何の意味も持たない。女性なら皆その一言で挨拶する。間違っても おはようおばあちゃん などとは言わない。ちなみに男性にはHello Mate(ハローメイト)知っても知らない人でも区別ない。

お互い顔も見ないで、通りすがりの挨拶だったけれど、なんて懐かしい言葉、涙が出そうになった。

 

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もう10月

2020-10-02 00:29:31 | ロンドン周辺

今日待ちに待ったポールの死亡証明書が届いた。月曜日もう3週間にもなるのに来ないとしびれを切らして、ブロムリーのカウンシルに文句のメールを送った。

火曜日朝レジストレーション・サポート・オフィサーという人から返事で、私の送った申請書が見つからない。レシートの番号を知らせてくれとメールが来た。それで分かったこと、わたしはレシートを貰っていない。ということは私の申請書が向こうに届かなかったのだ。

もう3週間も無駄にして・・・と悔しくて、そのオフィサーに 私がバカだったのだと分かりました。すぐにもう一度申請します と書き送ったら、また返事が来て いえいえ馬鹿じゃないです、こんな悲しい時期に、いろいろな事務処理もしなければいけないのだから。申請したら僕がすぐ処理します。僕も昨年母を亡くしましたから。----こんな優しい心づかいのメールで泣いてしまった。

手書きの住所にファーストクラスメールであの親切なオフィサーが処理してくれたに違いない。すぐにお礼のメールを送り、同時にもう1か月も待たせた銀行に死亡証明書を送付した。

 

 

 

先週乳がんのチャリティソサエティから袋が送られてきて、衣類や本、DVDなどいらないものをこの袋に入れて木曜日に集めに来ますと書いてあった。それで亭主の下着やシャツ、パジャマなど2袋に入れて水曜日夜に庭の入口に置いたら木曜日午後無くなっていたから、これなら重いものを持って行かなくて済む。。

下着などチャリティではお店で売るのではなく、袋一つが何キロで、何ポンドと決まっていてぼろ布として売るのだそう、これは長年癌研のチャリティショップで働いて居る友達から聞いたもので、そんなことを知らなければ下着などごみとして出すよりほかないだろう。

まだワイシャツや、スーツ、オーバーなど一杯あるがそれよりも長年たまりにたまったタオル類とシーツを何とかしなければと取り出したのが上2枚の写真。

これらもボロとして処理されるのかもしれないけれど、ごみとして燃やされるか埋められるよりもましだろう。次のチャリティの袋が回ってきたら全部上げたい。

こうして少しづつポールの身の回り品が無くなっていく。個人がこの世に存在していたことさえも写真と思い出以外無くなっていく。

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9月末のこの頃

2020-09-29 18:50:04 | ロンドン周辺

この数日急激に寒くなった。昨日など外よりも家の中が寒くて、冬用のセーターに毛糸のスカーフまでして、オランダのキャンプ仲間とスカイプでおしゃべりして笑われてしまった。

ポールの死亡診断書はもう3週間経つのに届かない。とうとうインターネットで苦情を書き送った。とにかくこのコロナ以来、電話で文句を言おうにも電話番号が載ってなくて連絡しようがない。

電話と言えば昨日やっとインフルエンザの予防注射をする予約を入れた。先週初めにGPから予防注射の連絡が来て、金曜日の朝1時間ほど電話したがすべてお話し中、昨日月曜日はどこにも行かない覚悟で朝10時から5分おきに電話するもずーとお話し中で午後12時半やっと通じた。10月15日に予約が取れた。この予防注射は65歳以上は無料で、今朝のラジオのニュースによれば、今年が最高の予約が入っているという。皆コロナの恐怖でインフルエンザもウイルスならコロナに効くかもしれないと思っているのかもしれない。

8月半ば今年初めての裏庭で植えたトマトが実った。このミニトマトは昨年オランダ人の友達からもらったもので、昨年春種をまいたのに一本も芽が出ず、あきらめてその土をお花の鉢に使っていたところ、今春5本芽が出て裏の畑で大事に育てていたもの。あまり高さは大きくならず、ずんぐりに幹が太く実がたくさんついた。

毎年スーパーのトマトはまずいと文句を言っていたポールに食べさせてあげたかった。皮は固いもののとっても甘くて娘一家も大喜び、

 

毎年この時期私と孫の好物は、小魚のフライ。娘がヴィーガンなので孫もヴェジタリアンと称してもちろん肉は一切食べず、小魚のフライなどしたことがない。半分は娘一家に上げ、私は無くなるまで毎日昼、夜の食事に食べている。

 

先日友達の家へ訪れた際、昼食をごちそうになった。お皿にきれいに盛られた昼食は、彼女が独り身なのに,毎食盛り付けに気を配っているというので感心した。それでたくさんクックした食べ物もふた付きの容器から直接食べるのじゃなくこうして盛り付けを考えようとした初めての一品。

 

先日チャリティーショップで働く友達が、このロックダウンでお店で一番売れるのがジクソーパズルだと話してくれた。それで日曜日に大きな農場のブーツセールに行った際、見つけた英国・アイルランド地図のジクソーパズルを50ペンスで買った。

全部で250個、孫のために買ったものだけど、一度私がやってみてと夜中からやりだし、3日かかってあと少しのところで止め、孫が来た際残りのピースをはめ込ませた。まだ5歳の孫にはこのジクソーパズルは難しすぎる。それにしても1000個のピースのジクソーパズルをする人達ってすごい忍耐力があるのだと感に堪えない。

 

最近通りを歩くと栗によく似たコンカーズがいっぱい落ちている。このコンカーズは日本で言うとちの実、しかし英国のとちの実は種類が少し違って食べられない。昨年娘がこのコンカーズを集めてつぶし洗濯の洗剤にすると言い、家族みんなでクリスタルパレスへ拾いに行った。

それで今年も手伝ってあげるつもりで歩道に落ちているコンカーズを拾い集めて持って行ったところ、このコロナの影響で、毎日仕事に追われてコンカーズをつぶす暇もないというので、私がやることになった。飛ばないように雑巾で包んで金槌で叩き潰す。それをござに広げて日干しにして乾燥させないと腐ってしまう。

洗剤に使うには容器に3分の1ほどのコンカーズを入れて3時間以上水に浸すと泡立ってくる。これを金網でこし数回水を入れてよく振り、泡立ったのを洗濯機に入れて洗濯する。自然物だから排水が海に流れても環境にやさしく、洗濯物もきれいになると聞いて私も試してみた。シーツやタオルなど洗ったが、もともとあまり汚れているものでもないからきれいになったかどうかは判らない。それでも環境にやさしいと聞けば何となくうれしい。それにアトピーの人達には体の拒否反応がないからいいとのこと、生前体中に発疹ができてかゆくて苦しんでいたポールにもっと早く知っていたらと悔やまれてならない。

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我が庭の移り変わり

2020-09-29 01:09:52 | ロンドン周辺

 

 

 

昨年まで隣の庭とわが家の庭の塀に沿ってこんなに華々しく咲いていたクレマチスが今年は芽も出ず、花も咲かなかった。

塀に沿って枯れた蔓が絡まって小山の様になっている。

 

とうとう先週たまりかねて枯れた小枝を切り出した。すると隣のご主人(テレワークで自宅で働いて居る)と18歳の息子が電気のこぎりで助けてくれるという。枯れた蔓の中には小鳥の巣が3つもあった。この春コマドリが塀の中に出入りしていたから、巣立つのを待ってこんな時期まで放置しておいた。

この枯れ枝が凄い。カウンシル(地方自治体)が2週間に1回引き取りに来てくれる私が中に入って隠れるほどの大きなウィリービン2台に巨大なごみ袋2杯、中袋2杯が満杯になった。カウンシルが集めにに来てくれるのを待っていると4週間あってもまだ余っているだろう。

翌日18歳の息子が彼の車に積んでゴミ捨て場に持って行ってくれた。

この男の子来週から大学入学で、今はまだ親のすねかじり、しかし今どきの若者には珍しく素直で、コロナのロックダウン以来スーパーにショッピングに行ってくれていたし、芝刈り機が壊れて新しいのを注文した時も車で遠くまで取りに行ってくれた。

それでカードに祝入学と筆で書いて100ポンドの礼金を入れて渡したところ、昨日お礼のカードを持ってきてくれた。僕にとってあのお金はとっても嬉しいと素直に書いてあり、わたしも心があたたかくなった。

もう20年も咲いていたクレマチスも、巨大な根元が腐っていたので死んでしまったのだった。

 

クレマチスとほとんど同時に咲く前庭のピンクのシスタスの花も枝が次々枯れて、緑の葉が出なくなり6月ごろには枯れてしまった。

これも隣のご主人が電気のこぎりで切ってくれ、私が根元を掘り起こしてその後を耕してお花を植えることにした。

昨年までジャングルの様に生い茂っていた裏庭のイチジクの木は・・・・

昨年11月初めに小枝を切り払って丸坊主になってしまった。

今年5月初めまで一切の芽も出ず、イチジク大好きの隣のご主人など心配していたが、

 

今までよりも多くの新芽が出て今ではそれぞれの枝が2メートルにも伸びている。もちろん新芽にはイチジクの実はならないから、来年夏にはどれだけ大きくどれほど多くの実がなるか楽しみ。

隣近所に配って、一年に一度イチジク目当てにわが家へやってくる友達も多いから、どれだけ多くの人を楽しませてくれるか判らないイタリアのグリーンイチジク。

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