Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

辻邦生 背教者ユリアヌス と 塩野七生 ローマ人の物語14巻

2024-11-25 23:26:33 | 日記

11月の第一月曜日、近くのスーパーへショッピングに行ったら、入口を入ったばかりのところに、素晴らしいアマリリスの蕾が付いた鉢がたくさんならんでいた。

思わず考えもせずに買ってしまった。箱に入って居る球根で今から植えるというアマリリスも同じ値段だった。次に入ってきたイギリス人のおばさんもすぐこれはクリスマスプレゼントにちょうどよいと嬉しそうに買っていた。此の日が初めて入荷された日らしい。3日後にまた行ったら一鉢も残っていなかった。

我が家は寒いから未だ花が咲かないが、娘の家の暑いくらいの暖房ではすぐに咲いてしまうだろう。クリスマス近くになったらプレゼントにと思っている。

そのショッピングへ行く途中には今年もウインターチェリー(冬桜)が咲き出した。葉はもうすぐ黃葉して落ちそうなのに可愛いピンクの花が咲いて此の寒さに震えている。気温も先週まではマイナス1-2度、庭の水たまりは凍っていた。それでも昨日の日曜日は暖かい風が吹き荒れ、気温も急に上昇。

ウエールズ地方は豪雨で大洪水、どこで何が起きるか予測もつかない。

通りの街路樹に這い上がったウインタークレマチスが花盛り。クリスマスのデコレーションも随分異なったものになった。

最近日本人の友だちがまた一人日本へ帰ると言って家を売った。それでたくさん溜まっている本を捨てられないというので貰いに行ってきた。58冊もショッピングトローリーに積んでロンドンの北から南へ運んできた。

いただいた本でまず最初に読み出したのがこれ、2週間ほどかかって読み終わった。此の作家の本は初めてそれに此の本は1974年に出版されている。私がイギリスに来た2年後のことだ。

ローマ時代など若い時期には興味もなく、もし此の本を見せられても読まなかっただろうと思う。今思えば英国在住52年の間にほとんどのローマ帝国を訪れてしまった。

1993年ローマ人の物語が発行され、一年に一回づつ書かれた此の本は初めの頃は作者の塩野七生さんもジュリアス・シーザーに惚れ抜いて書かれていたが、此の14巻目になるとただそのときに有った出来事をスラーと書いているような気がする。そして此の本の中にも辻邦生さんの背教者ユリアヌスと書かれているからもちろん彼女は読んでいるに違いない。

大帝コンスタンティウス(AD 337-AD361)は死ぬ2年前に3人の息子と2人の異母弟に広大なローマ帝国の防衛と統治を分担任命した。ところが大帝の葬儀後粛清が起こり2人の異母弟とその家臣や親族50人ほどが抹殺された。3人の兄弟と残ったのが12歳のガルスと6歳のユリアヌスで彼らの父親ユリウスも殺されて、2人はキリスト教の司教に預けられた。

長男のコンスタンティヌス2世は20歳、疑い深い性格で次男のコンスタンティウス19歳と3男コンスタンス17歳に騙されたと思って(宮廷の宦官に耳打ちされて)挙兵し、次男のコンスタンティウスの本拠地で戦死、残った2人の兄弟の内、末弟のコンスタンスが長男の領土を取り入れたため、ローマ帝国の3分の2はコンスタンスの領土として10年が過ぎた。

コンスタンスの領土はほとんどが蛮族の兵士たちで占められていたため、コンスタンスを殺して反乱を起こした蛮族の首領マグネンティウスを打ち取るため、ガルスを起用したのが彼らの父親を殺した次男のコンスタンティウスだった。26歳になっていたガルスは副帝(カエサル)として帝国東方を治めるべく任命された。

東方を任せたコンスタンティウスはバルカン地方でマグネンティウスの反乱軍と対峙し勝利するも、戦死者の数はすざまじく、リオンへ逃げたマグネンティウスを直接撃たず、アフリカ北部からスペイン、を手中に収め、3年後には現状に絶望したマグネンティウスは自殺して、ローマ帝国全部がコンスタンティウスの管轄になった。

副帝ガルスはアンティオキア(シリア)で3年を送り、コンスタンティウスからミラノへ招聘された。その途中で去勢高官の宦官に責め殺された。

皇帝コンスタンティウスには子どもがいなかったうえに血族の殆どを殺していたから、自分の後継者か片腕となる人に恵まれなかった。

AD355年、23歳になっていたユリアヌスに皇帝からミラノへの呼出状が来た。

ライン河はローマ帝国の国境であり、防衛線で有ったが蛮族が台頭していった。これを討たんとしてユリアヌスに副帝を任命、11月30日に雪の降るアルプスを通ってガリア(現在のフランス、ベルギー、ドイツの一部)へ出撃、次々と敵を撃退し部下の兵士から皇帝に推される。それで怒り狂ったコンスタンティウスが東方から西方へ行軍する途中病死し、ユリアヌスを皇帝にと遺言した。

ユリアヌスはローマ国教であった多神教のローマ神を信じていたが,大帝コンスタンティヌスがキリスト教を保護したため帝国に急激なキリスト教徒が増え、キリスト教が1神教であったため、古代ローマの神々は偶像として破壊された。

これを昔のローマ神に戻そうとユリアヌスはキリスト教会優遇策の廃止を宣言。彼の在位はAD 361-363年と短い。 ササン朝ペルシアとの戦いで負傷し失血死したもの。ただの2年の間あらゆる勅令を発ししたが彼の死後殆どが廃止された。

ユリアヌス以降、皇帝は軍部のトップがなったが、キリスト教の神が認めたものが皇帝になると定められ、これ以降ローマ帝国は終焉する。

辻邦生さんの此の本を読まなかったら、もう一度ローマ人の物語を読むことがなかっただろう。そしてどの本も昔のローマ帝国と文化を思い出させてくれ素晴らしい本に巡り合った。

 

 

 

コメント (4)
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