「男たちの挽歌 REBORN」
原題:英雄本色2018/A BETTER TOMORROW 2018
2017年 中国 114分
■監督:
丁晟(ディン・シェン)
■出演:
王凱(ワン・カイ)
馬天宇(マー・ティエンユー)
王大陸(ダレン・ワン)
王雪(ラム・シュー)
中野裕太
曾志偉(エリック・ツァン)
●あらすじ
香港ノワールの傑作『男たちの挽歌』を中国でリメイク。
密輸に手を染めるカイは、警察官である弟・チャオには船乗りだと偽っていた。
そんな中、組織内で対立するピージャの罠にはまったカイはチャオに逮捕され、
さらには父親まで殺害されてしまう。
(TSUTAYA DISCASより)
★感想など
納得イカン!!!
オリジナルの1986年版は全映画史上一番好きな映画で、多分70~80回くらいは観ている。
出だしから1時間くらいは音楽付きで全てのシーンが脳内で再生できるくらい観ている。
DVDは初期版とBOX版と二つ持っているが、音源の良さから初期版ばっかり観ている。
ネットのみで販売されたサントラCDも最高で、こちらの望む以上の出来栄えのCDだった!
それ程好きな映画のリメイク!
正直本作の存在については、全く知らなかった。
数日前に偶然レンタルで見かけて、何じゃこりゃと思い早速レンタル!
するとタイミング良くゲームの友人からも本作について教えてもらい、これは天命とばかりに早速今日観てみた。
が、感想は上記のとおり!
まず面倒くさいから、役名とかに関してへ86年版ベースで語ります。
良く分からなかったらググってくれ!
まず本作が、1986年版をリスペクトして作られているのは良く分かった!
OPの曲からして本家の音楽のアレンジだし、たまに出てくる船のバー。
あれはまさに86年版バーとでも言いたい内容にしていて、最初は本作のマークが客に何故楊枝をくわえているんだ?
と聞くと、客が目線を送ったカウンターの片隅には「男たちの挽歌」の周潤發(チョウ・ユンファ)の写真が!
さらにそのバーで流れる曲は86年版主題歌である「當年情」がオリジナルそのままに流れてくれるし!
その前に主唱の張國榮(レスリー・チャン)のLPまで見せてくれる完璧ぶり!
「當年情」は良くカラオケでも歌ったし、携帯の着メロにしてたなあ。
ちなみにちょっと前まではスタン・ハンセンの「サンライズ」に。
今は「スター・ソルジャー」のパワーアップ時の音楽にしてます。
閑話休題
さてそれ以外にも、そのバーに置いてある船の模型。
これって「男たちの挽歌2」で張國榮が盗聴器を付けて石天(ディーン・セキ)に送った模型と同じやつか? とか
キットがこぶしを怪我してジャッキーに包帯巻いてもらうシーンなども、オリジナルとは違う使い方だけど
オマージュに見えた。
だが本作は納得イカン!
どの辺が納得いかないのか?
OPの曲でこちらのテンションを上げておいて、いきなり出てきたマークがホーに向かって言った台詞。
「弟が警察なんてこちらもやり易くていいな」
これはダメだ!
キットを利用しようなんて気持ちは、マークにはさらさらなかった。
むしろ自分の弟のように心配していた。なのにヤクザものの立場としてキットを見ている。
それはマークではない!
86年版で周潤發が作り上げたマークは、プライドのためなら死ぬくらいの男で、なめられるのが大嫌い。
だけど自分が信じた男(ホー)への友情は厚く、それゆえにホーの弟であるキットにも愛情を注ぐ。
複雑な役なんだけど、その辺が本作のマークには感じられなかった。
周潤發版マークって、心に深い傷を負いながらも二本の足で必死に立つ強い男なんだけど
アクション部分だけ見ちゃってリメイクしちゃうと、ただのチンピラになっちゃうんだよね。
周潤發はマークのキャラクターを作る時に、吳宇森(ジョン・ウー)と徐克(ツイ・ハーク)と三人で
沢山の時間を掛けて練り上げたらしいからね。
リメイクする時には、その辺をきちんとやらないとただのチンピラになってしまう。
韓国版リメイクと同じ失敗をしたね。
実際マークって「英雄本色」と言う映画では脇役でしかないんだから、その辺を履き違えると失敗する。
あと楓林閣のシーンも全然ダメだったなあ。
何で足を撃たれたマークは、あの日本人にリベンジしないのさ?
撃たれっ放しなんてマークらしくないだろうよ!
とまあ色々書いているが、一番感じる部分は、今と昔の中国人は違うのかも?
昔の中国人には「兄弟(ヒンダイ)」と言う関係があって、日本的に分かりやすく言うと
ヤクザが交わす兄弟分の盃の関係みたいなもん。
兄貴分は弟分に絶対服従の命令をすることができる。弟分はどんな困ったお願いでも兄貴分にすることができる。
もちろん兄貴分はどんな困り毎でも弟分を助けるために全力を尽くす。
こんな感じ。
昔の香港映画を観ているとそれ以外にも家族とか友達の絆を相当強く、その絆のために命を掛けて闘う映画がやまほど存在した。
10代のころそういった描写が当たり前だった香港映画を観ていた私は、友達とは? とか家族とは? とかの考えを形成する材料になっていった。
しかし本作はそういった部分が希薄なんだよねえ。
これって今の人たちはそうなのかも? とか思ったけど実態は知らない。
ただ時代の違い的にそうなのかなあと。
まあ後は各キャラクター達が必死に生きてないよね。
86年版はスクリーンに映るキャラクター全員必死に生きてた感じがしたけど、本作のキャラクターたちはなんか熱さを感じなかった。
敵役がはっきりしなかったのも良くなかった一因だと思うけど、シンの後ろにおいて置いた大男。
あのキャラクターが大男でイカツイ顔って辺りは、86年版1の成奎安(シン・フィオン)を意識しているのかな?
とか考えたのはマニア泣かせだねえ。
とにかく本作を作った人は86年版が好きで、俺はこう考えるというこだわりが強そうな気がする。
しかしそういったこだわりはこちらにもあって、お互い意見を言い合いたい。
そこはそうじゃないだろうと!
でも久しぶりに色々思い出したよ。そこは良かったかな。
でも明日には1986年版を観ると思うけど!