雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

言論の自由

2008-11-13 04:34:10 | 発想$感想
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言論の自由がある、日本はいい国である。
こんな、ブログで勝手なことを書いても大丈夫である。
ただ、田母神さんはそれを論文で発表したばっかりに、更迭され国会で参考人招致ということになった。


この一つの問題に対して、朝日新聞は『言論の自由のはきちがえ』と言う社説で非難している。

文民統制の主役としての政治の動きがあまりにも鈍い。麻生政権としての明確な態度を示さねばならない。麻生首相の認識が聞きたい。
と言っている。その通りだと思うが、こんなことを明確に言ったら、多分大騒ぎになって収拾がつかなくなるのである。


一方、産経新聞はその『主張』でこんな風に言っている。

主張】田母神氏招致 本質的議論聞きたかった

田母神氏の発言はあらかじめ制限され、質疑は懲戒処分とせずに退職させた防衛省の責任に集中した。安全保障政策や歴史観をめぐる自衛隊トップの発言がどれだけ許容されるのか、論文内容のどこが政府見解や村山富市内閣の「村山談話」に抵触し、不適切かといった議論は素通りした。
本質を避ける政治の態度が、憲法論や安保政策のひずみを生んできたのではないか。
 委員会の冒頭、北沢俊美参院外交防衛委員長は「参考人が個人的見解を表明する場ではない」と指摘し、質問に対する簡潔な答弁だけを認める方針を示した。
このような委員会運営となった背景には、田母神氏に持論を展開する場を与えたくない与野党共通の思惑もあったとされる。


どうも日本の『言論の自由』には本音で話される部分が少な過ぎるような気がしてならない。

新聞も、評論家も、議会も、与党も、野党もみんな自分の都合のいいことだけを言って、本質のホンネの話は避けたがるのである。

昨日の国会中継楽しみにしていたのに、中継されなかった。
誰がどのように判断し、決定したのか?
仮に、中継されていたとしても、議論される範囲はあらかじめ狭められていて、
本質の本来国会が議論すべき内容には触れられないように、仕組まれてしまうのである。

その程度の『言論の自由』である。
これなど見ていると、戦前の『言論統制』とあまり変わらないのではと言えば言いすぎだろうか。
子供であったから、そんなに詳しく解っていないが、
横文字の禁止とか、「ドレミファソラシド」が「はにほへといは」であったり、
国の方針に反対はダメは、『村山談話に反対はダメ』みたいなものである。

みんなそのときの、その人たちの立場で、都合のいい『言論の自由』にしてしまっている。
『ブレーンストーミング』の法則のように人の言ったことは否定しないにはなっていないのである。
むしろ、『言葉尻』は厳しく追求される。
井戸さんの発言は問題だが、『言葉狩り』と和歌山知事は弁護した。
確かにそんな雰囲気はある。


基本的に、この手の議論に、自分の国である『日本』に対する愛情が乏しすぎる。
日本は昔からいい国であった。
戦前のいろんな風習もいいものがいっぱいあった。
何もかにもひっくるめて、戦前はダメ、あの時は『侵略国』と言うのではなくて、
『若し仮に5分5分』なら、日本に味方するスタンスであって欲しい。

その逆の人たちが、『知識人』であった時代が長すぎたのだと思っている。
コメント
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