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現役のサラリーマン生活、40年ほどを振り返ってみると、
ずっと『システムとネットワーク』に絡んだことばかりをやっていた。
入社1年目から、来る日も来る日も手回しの計算機を使っての償却計算をやっていたが、これは馬鹿げていると思うようになった。
機械化を検討して、『償却計算のIBM化』をやったのが、システムとのはじめての出会いであった。
昭和33年、まだ日本にIBMなど一般化していなかった時代である。
(IBM社の講習の自己紹介で33年にIBM化と言ったら、先生が10年間違っていませんか。日本にIBMが言われだしたのは東京オリンピック後、昭和40年以降です、などと言われたのである。)
たまたま川崎航空機は米軍のジェットエンジンオーバーホール工場があったために、IBM室があったのである。
償却計算をIBMに載せるためには、品名の標準化、コード化などシステム化の準備段階は大変だった。
パンチカード時代のコードだから1桁でもコード数を短くする必要などがあったのである。
明石だけでなく本社も岐阜も巻き込んで、全社の償却計算のIBM化を目論んだ。
大変な作業であったが、そのシステムが完成てみると、10人近くもいた財産課の課員は全部不要になって、私は単車営業に転出することになったのである。
システムの凄さを実感したのは、このときである。
しかし、これはIBMというハードだけではなしに、
そこに組み込むソフトの質の高さでそのシステムの価値が決まるのだというソフトの重要さもよく解った。
20代に、こんな今まで誰もやらないことがやれたのが、
その後の厚かましさと、
新しいことにチャレンジする自信にはなったと思っている。
広告やレースなども担当したが、その後担当した、二輪車の販売は、
四輪などと違って販売網のネットワークでものを売る独自のシステム販売である。
カワサキは他メーカーと違った大型スポーツ車が中心の独特の販売網だったので、徹底して他社と差別化した『極端に店数を絞った高質の販売ネットワーク』を造り上げたのである。
部品供給も宅配便が世に現れたと同時に、第一線の部品拠点を全廃して明石1拠点の専門部品会社を造り全国に直送システムを創った。
1975年ごろ、どこもそんなことはしていなかった。
晩年は、末端ユーザクラブKAZEや遊びやレースのシステム化、専門化に取り組んだ。
バイクやジェットスキーは遊びの道具である。
その販売は、システムを生かしたネット販売である。
『遊んでいても自然に売れる』商品開発から販売後の遊びに至るトータルの仕組みの構築こそが一番重要だと思っている。
『売れないものを人の努力で売ろうとする』ことなど馬鹿げていると、今でも思っている。
売れるものは売れるし、売れないものは売れないのである。
そんなことで、『システムとネットワーク』は私の身に染み付いているのである。
この1,2年また、これが使えるような環境になった。
ブログだとかSNSだとかいう、無茶苦茶面白いかつ素晴らしいシステムが目の前に現れたのである。
『ひょこむ』やブログなど、更にはイベントなどを通じて、
この1,2年、償却計算を軌道に乗せた時のような、周到な準備段階を私なりにやってきた。
ひょっとしたら、今年は面白そうである。
去年までの単なるイベントなどではない、
『もう少し高度なものに取り組めないか』と、秘かに思っている。
ソフト、アタマを使うのと、いい人間関係が必要だが、
何とかなりそうである。
『すでにあるものを』
『システム的に繋いで』
『いい人間関係造り(広報活動)』を通じて。
『真に、目標とするもの実現を図る』
結構、面白いと自分なりに思っている。
出来ても出来なくても、誰からも怒られたりはしない。
いいぼけ防止だとも思っている。
現役のサラリーマン生活、40年ほどを振り返ってみると、
ずっと『システムとネットワーク』に絡んだことばかりをやっていた。
入社1年目から、来る日も来る日も手回しの計算機を使っての償却計算をやっていたが、これは馬鹿げていると思うようになった。
機械化を検討して、『償却計算のIBM化』をやったのが、システムとのはじめての出会いであった。
昭和33年、まだ日本にIBMなど一般化していなかった時代である。
(IBM社の講習の自己紹介で33年にIBM化と言ったら、先生が10年間違っていませんか。日本にIBMが言われだしたのは東京オリンピック後、昭和40年以降です、などと言われたのである。)
たまたま川崎航空機は米軍のジェットエンジンオーバーホール工場があったために、IBM室があったのである。
償却計算をIBMに載せるためには、品名の標準化、コード化などシステム化の準備段階は大変だった。
パンチカード時代のコードだから1桁でもコード数を短くする必要などがあったのである。
明石だけでなく本社も岐阜も巻き込んで、全社の償却計算のIBM化を目論んだ。
大変な作業であったが、そのシステムが完成てみると、10人近くもいた財産課の課員は全部不要になって、私は単車営業に転出することになったのである。
システムの凄さを実感したのは、このときである。
しかし、これはIBMというハードだけではなしに、
そこに組み込むソフトの質の高さでそのシステムの価値が決まるのだというソフトの重要さもよく解った。
20代に、こんな今まで誰もやらないことがやれたのが、
その後の厚かましさと、
新しいことにチャレンジする自信にはなったと思っている。
広告やレースなども担当したが、その後担当した、二輪車の販売は、
四輪などと違って販売網のネットワークでものを売る独自のシステム販売である。
カワサキは他メーカーと違った大型スポーツ車が中心の独特の販売網だったので、徹底して他社と差別化した『極端に店数を絞った高質の販売ネットワーク』を造り上げたのである。
部品供給も宅配便が世に現れたと同時に、第一線の部品拠点を全廃して明石1拠点の専門部品会社を造り全国に直送システムを創った。
1975年ごろ、どこもそんなことはしていなかった。
晩年は、末端ユーザクラブKAZEや遊びやレースのシステム化、専門化に取り組んだ。
バイクやジェットスキーは遊びの道具である。
その販売は、システムを生かしたネット販売である。
『遊んでいても自然に売れる』商品開発から販売後の遊びに至るトータルの仕組みの構築こそが一番重要だと思っている。
『売れないものを人の努力で売ろうとする』ことなど馬鹿げていると、今でも思っている。
売れるものは売れるし、売れないものは売れないのである。
そんなことで、『システムとネットワーク』は私の身に染み付いているのである。
この1,2年また、これが使えるような環境になった。
ブログだとかSNSだとかいう、無茶苦茶面白いかつ素晴らしいシステムが目の前に現れたのである。
『ひょこむ』やブログなど、更にはイベントなどを通じて、
この1,2年、償却計算を軌道に乗せた時のような、周到な準備段階を私なりにやってきた。
ひょっとしたら、今年は面白そうである。
去年までの単なるイベントなどではない、
『もう少し高度なものに取り組めないか』と、秘かに思っている。
ソフト、アタマを使うのと、いい人間関係が必要だが、
何とかなりそうである。
『すでにあるものを』
『システム的に繋いで』
『いい人間関係造り(広報活動)』を通じて。
『真に、目標とするもの実現を図る』
結構、面白いと自分なりに思っている。
出来ても出来なくても、誰からも怒られたりはしない。
いいぼけ防止だとも思っている。