1976年5月、東南アジアのCKD事業のための調査団を結成し、約1ヶ月インドネシア、イラン,タイ、マレーシア、台湾などの市場調査を行った。
高橋鉄郎さんを団長に、企画、開発、生産、営業、販売の各分野からのメンバーで構成された。
現地の経営のやり方や、市場、販売ネット、取引条件、ユーザーなどの主としてマーケッテングの分野を担当したが、商売のやり方はいろいろあるものだと思った。
一番印象に残っているのは、どの国も資金と回収が大きな要素で、そのためにはどのようなシステムが適切かという観点で考えられていた。
金を出資しているオーナーと、事業を展開している番頭さんとの関係も面白かった。
基本的には、ユーザーに対しては現金売りで利益率は3~5%と低いが,回転で稼いでしまうか、田舎のようにユーザーがそこから離れる恐れの無い場合は分割もするが、アドオンの高い金利で利ざやを稼ぐという両極端であった。
どちらも商売としては、極めて合理的であった。
イランでの話
アラブの商人である。
価格が決まってからその後支払いを考えるのではなく、まず最初にどんな支払い条件かというところから、商売の話はスタートする。
とにかく、「ものをどのように金に変えるか」ということだけに熱心なのである。
修理サービスなどは、殆ど考えておらず「ものが金に変わった後のこと」は専門の修理業者に任すというドライな考えであった。
タイでの話
タイのオーナーは所謂華僑で、二輪のほかにも沢山のビジネスを持っており、それぞれのビジネスに番頭さんがいて商売を仕切っていた。
資料のようなものもデーターも殆どない、そんな状況であった。
番頭さんを相手にいろいろと細かいことを聞いても、もう一つ辻褄のあう答えが出てこない。
そんなデーターを繋ぎ合わせて日本人独特の損益計算をやると、どうも儲かっていないという答えになる。
番頭さんに、商売は儲かっていないのではと聞くと、「そんなことはない。よく儲かっていると思う。」という答え。 「何故?」
曰く、「オーナーから貰う金よりも、オーナーに渡す金のほうが随分と多いから。」
従業員の給料、販促費、その他必要な金は、オーナーから貰う。資料も報告も不要である。使い方もその額も番頭さんの思いのままという。必要と言えばオーナーはくれるそうである。
ただし、ものを売って、それが「現金になったらその時点で、全てオーナーに渡す」仕組みだという。その中からは1円も使うことは出来ない。
現金にならぬ前の状況、例えば手形の段階では未だ番頭の責任範囲で、現金化されるとオーナーに渡すのだという。
このような単純な仕組みだから、幾つビジネスを持っていても番頭に任せて、渡す金よりも受け取る金が多い、儲かる商売はどれかということだけをオーナーは見ていればいいということのようだった。
いずれも「ものを金に変える」商売の本筋と感心した。
ただ、こんなお国柄のところで近代的な生産も伴うCKDビジネスを合弁で展開するのは大変なことであった。
新しいCKDビジネスは殆どの場合、先進国の大学に留学した息子や娘たちを相手に展開されていったのである。
どの国でも、「ものを金に変える」という商売の基本には見事なまでに忠実で徹底していた。