雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

北京オリンピック野球日本代表決定

2008-07-18 08:25:43 | スポーツ
昨日、オリンピックの日本代表候補を予想してこんなブログをアップした。

今朝の新聞に正規に選ばれた24人が載っている。
投手11人が10人になり、野手が逆にひとり増えた。

個人的な感想をいうと、

投手をひとり減らしたが、これはそれでいいと思った。
岩隈ではなく田中が選ばれたのは、中継ぎに使うのはどちらがいいかという判断かと思う。
小笠原が落ちたのは意外であった。
森野、荒木の中日勢はどこでも守れる、走れると言う役割か。
中島は内野が多すぎると思ったが、選ばれて当然の活躍である。

順当なところだろうと思う。

だが団体スポーツなので、監督なりコーチが変われば、また違うメンバーの選出になるだろう。
もう1チーム造ったとしても、実力的にほぼ互角だろうと思う。

もし大リーグの選手たちも入れて全日本を造ったら、どんなチームになるのだろう。
日本の野球も強くなったことは間違いない。
金メダルを期待したい。
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JJSBAの昔話

2008-07-18 04:53:00 | 7万台の挑戦の時代
JJSBAジェットスキーの日本のレース協会である。
ジェットスキーはカワサキの商品名であるから。このレースはカワサキのワンメークのレースである。
カワサキが主体的にリードしてゆかねばならないのである。


これは91年の話である。
平成3年3月25日に『JJSBA運営方針の変更について』というレポートがカワサキ社内で出されている。

新しく初めてのことに挑戦すると、いろんな問題も出てくるのである。
ジェットスキーのレースは、もともとカワサキのメーカーが始めたものではない。
もともとは好きな人が集まって、輸入元であった西部自動車やごく一部の販売店やユーザー、それにカワサキの孫会社などが協力したりしてスタートしていたのである。


JJSBAを設立したのは84年で、そのころからカワサキも関係を持ち始めたのである。
私はまだメーカーの企画にいて、JJSBAの設立のためにKMCに苧野さんとご一緒したりはした。当時のKMCは今川重の会長の田崎さんだった。
鶴谷君がオーストラリアから戻って、福井君らとジェットスキーの専門担当を始めたころである。
明石のカワサキ単車部門には企画部門以外にジェットスキーを担当する部門などまだなかった時期である。

ジェットスキーは発動機部門でエンジンを作り、リンカーン工場で組み立て、KMCがアメリカ市場だけに正規に販売をしていたのである。
輸入元は日本では西部自動車さんでどこからか輸入されていた。

そんな時代から、国内販売を起案し年間2~300台であった販売も、新しい販売ネットを作ったりして、91年ごろには5000台を超える水準になっていたのである。



当然JJSBAのレースも本格的な規模へと推移して、
当初の愛好者の集まりの組織体制では矛盾もいっぱい生じていたのである。

資料から抜粋すると、
組織の現状は次のようなものでいろんな人たちの集まりであった。

特別会員  カワサキジェットスキー販売、西部自販     2社

法人会員  KJSと西部の関係会社             2社
      KJSの販売店                 38社
      西部の販売店                 11社
      会則に合わない法人会員            33社

個人会員                        約1000人




この運営方針の変更は、当時の担当責任者の鶴谷君(現川重商事社長)が策定しているのだが、
西部自動車、販売店、協会実務担当者などなど過去の歴史を引っ張ってきているものを適当に整理しすっきりとしたものに再編成するためのものではあるが、
微妙に個人の利害関係や立場の想いなどもあって非常にその整理は難しいものだったのである。

幾ら案を立てて見ても、社内決済で解決できるものではなく、総会の議決で決まるものであった。
その議決権も運営費のほとんどを負担しているカワサキもその他の人たちも同じ議決権数なので、それを可能にするためには高度の政治的な配慮みたいなものがいったのである。

具体的な問題はいろいろあったが、結果それらを解決してJJSBAは今日に繋がっているのである。
端的に言って、当時の会長を勤められた故苧野豊明さん(初代JJSBA会長)と後JJSBAの会長も勤めた鶴谷君の精力的な努力がなかったら問題は解決しなかったと思っている。



この11月中旬に、神戸のメリケンパークでミニSLのフェスタを開催することになっている。
この6月には神戸フルーツフラワーパークで開催したのだが、初めてではあったが何とかなったのである。

次回の開催は神戸市のメリケンパークという公園で『神戸海洋博物館』『カワサキワールド』主催でおこなうことになる。場所が公園だしいろんな問題もありそうである。
主催といっても実務は愛好者グループを中心にまわしていく必要がある。
お盆前までには案を纏めて今度は神戸市と調整に入らねばならない。
華やかなイベントも裏ではいろんなことがあるものだ。


そんなことで創成期のJJSBAを思い出したのである。
そのころ一緒に苦労した仲間の福井君がいるにも何かのご縁である。






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4度目のカワサキワールド

2008-07-17 12:54:08 | カワサキワールド
先週の土曜日、
鉄道模型の走行会があると言うので、アメリカから遊びに来ている孫たちを連れて、カワサキワールドに行ってきました。

鉄道マニアや子供たちでいっぱいでした。
子供はバイクも好きですが、鉄道模型も大いに興味があるようです。


Yahooのブログに写真、纏めましたのでご覧ください。
写真だけで、現場の雰囲気はお分かりになるでしょう。
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北京オリンピック野球代表選手決定?

2008-07-17 04:48:34 | スポーツ
北京オリンピックの代表選手の候補選手が発表された。

これからもう一度選んでチームを構成するのだが、サッカーの場合もそうだが、これはなかなか難しいことである。

星野さんが最終決めるのだろうが、各コーチの意見が出るのも当然である。
今の候補選手から、

投手11人、捕手3人、野手10人、合計24人に絞るそうである。
あなたならどう選びますか

記事には
『野球の北京五輪日本代表編成委員会が20日、東京都内のホテルであり、81人の代表候補を39人に絞った。最終メンバーの24人は7月中旬に決める予定だ。
内訳は投手16人、捕手6人、野手が17人。球団別では阪神と中日から6人ずつ選ばれたのが最多で、オリックスからは一人も選ばれなかった。
星野監督は最終的に投手11人、捕手3人、野手10人の構成とする見通しを示した。』とあります。



代表候補は以下の通りですが、私が勝手に選ばれそうなのから順に並べてみました。

【投手】、、
ダルビッシュ、杉内、岩隈、藤川、川上、和田、成瀬、上原、岩瀬、渡辺俊、久保田、(以上11人)
    吉見、岩田、久米、田中、涌井

【捕手】阿部、矢野、里崎(以上3人)
    相川、石原、細川

【内野手】小笠原、川崎、新井、宮本、村田、西岡、(以上5人)
     荒木、井端、中島、片岡
 
【外野手】高橋由、和田、青木、G・G・佐藤 (以上5人)
     サブロー、赤星、稲葉、


と勝手に選んでみました。

それにしても落ちる選手はいやな気持ちだと思います。
果たして、どうなるでしょうか?

もうひとつチームを作っても同じくらい強いと思いますね。



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武雄市長と三条市長

2008-07-16 04:52:50 | 樋渡啓祐さんのこと
武雄市長樋渡啓祐さんと三条市長国定勇人さん、どんな市長かご存知ですか?

武雄の樋渡さんが三条市を訪問されています。
その様子が『武雄市長物語』に書かれています。

今回の訪問は力が入っていて3日連続でアップしておられます。
例によって、きれいな写真いっぱいです。

三条市長の国定さんもブログをアップしておられます。

樋渡さんはかって日本で一番若い市長さんでした。
国定さんが市長になられて、今はその座を国定さんに渡しておられます。
日本で一番若い市長さん(35才)と二番目の市長さんで、お二人とも総務省のご出身です。


行政の皆さんが他市を訪問する構図は沢山見られる。
それが市長であったり議員であったりして、一応は勉強のための視察と言うことになっている。
然し本当にそれがどれ位現実の市政などに反映されているかと言うと甚だ疑問である。


そんな視察や交流が多い中で、今回の武雄市と三条市の取り組みは異色である。
単に市長だけの交流や視察ではなしに、一般市民が主役の一般市民を巻き込んだ交流になっている。
その主役を務めているのが『GABBA』である。どこかタレントのチームかと思うようなネーミングだが、最高齢91才の元気な『がばいばあちゃんチーム』なのである。

佐賀のがばいばあちゃんのロケ地提供からスタートしたこの取り組みは、どんどんつながって『GABBA』もその中のひとつだが、結成されたときにこのような発展が予想されたであろうか?

武雄のよさと言うか、樋渡さんの手法は小さな一つのことでもそれを『育てる』努力の継続があり、さらに何かと繋ごうという『執拗な執念』みたいなものを感じる。そしてそれが成功の大きな要因になっている。

そして、武雄市以外への視点が明確である。武雄市内だけでの活動ではなくて常に外に向いての働きかけがある。
九州の温泉の連携やタイヤ台湾など海外へも視野を広げている。

これらを非常に有効に機能させているのが、ブログである。
武雄は毎日広報誌が、発行されているようなものである。
今回も武雄市長も三条市長もそのブログで『想い』を語っている。


今回のような『GABBA』も公演はニュースである。
『夢いちき県央塾』の開校式である。『人が元気、まちが元気』これを機会にまた次の発展があるかも知れない。
こんな市政はあまり例がないが、楽しくていいと思う。


大体、市役所の毎日の作業などは、市長などのトップがそんなに気にかけなくても、経験豊かな人がやっているのだからうまく回るはずである。

トップは是非このような新しい試みにチャレンジして欲しいものである。
そうすれば、人もまちも元気になって、自然にその名も有名になっていくのだと思う。

旧態然とした慣例を重んじる行政などにはみんなあきあきしているのである。

武雄市長、三条市長、大阪府知事みんな若さが漲っている。
少しぐらいの失敗はあってもいい。新しいことにチャレンジして欲しい。





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3000台の鉄道模型が集まった

2008-07-15 04:36:56 | カワサキワールド
新聞にも結構大きく報道されたので、ご存知の方も多いと思うが、
12,13日にカワサキワールドで鉄道模型の走行イベントが行われた。

鉄道に少しだけ関係しだしたのは、今年の1月からである。
鉄道マニアについては、そんなに詳しく知らなかったがこれはすごいと思っている。
二輪車もマニアの世界ではあったが、どうやら鉄道はその上を行くようである。


今回の走行会にも3000台の鉄道模型が集まった。
私はアメリカから戻った孫を連れて見にいっただけだが、会場は自分の模型を走らせる人、親子で作る鉄道模型教室に参加する人など熱気に溢れていた。


このイベント、ミニSLフェアでも一緒にやっている「ぼけちん」さんや「こばちゃん」など神戸鉄道同好会の連中が、カワサキワールドと一緒に開催したものである。
『ひょこむ』の中にもコミユニテイを立ち上げている。このメンバーたちが主体なのである。


こんな話のスタートは今年の1月であった。
鉄道マニアでもあるs850m君に乗せられて、川重に話し、神戸市に繋ぎ神戸市の推薦で、先日行ったフルーツフラワーパークのミニSLフェアは大成功であった。
そのときも、鉄道模型の走行会も併催したのだが、場所の問題もあって、盛り上がり方は、もうひとつであった。
それが今回はこれが主役で開催されたのである。


鉄道マニアの絡むものはほとんどボランテイアでお金が要らないのが特徴である。

今回も神戸海洋博物館は場所を提供しただけだろう。
神戸フルーツフラワーパークもグリーンピア三木もそうだった。
場所さえ提供すれば、『やりたい人がいっぱい集まって』開催される。
好きな人が『やりたくてやる』イベントの原点みたいなのがしっかりしていていい。




11月には、メリケンパークでカワサキワールド主催で大掛かりな『ミニSLフェア』を開催する予定で、これはまた違った種類のフェアだが、鉄道マニアが主体であることには間違いない。

今日午後、神戸の川重本社でその打ち合わせをやることになっている。
今回は『カワサキワールド主催』となるので、関係部門の方たちも出席されるが、
中心はs850mさんや、ミニSLさん、それにぼけちんさんなど今回の主役たちも集まるのである。

私自身はハードにも、イベントの運営もそんなに解らないので、全体を『繋ぐこと』に徹している。
これだけ、鉄道関係のイベントが関西地区で盛り上がってきたので、それぞれ個別ではなしに、全部を繋げないかと思っている。

特に、10月にある全国一の規模だという福知山市と正式に繋げないかと思っている。
前回の神戸フルーツフラワーパークでは、
ミニSLさんの人脈で福知山市も北条鉄道グリーンピア三木にも応援して頂いたのである。


鉄道マニアを中心に、行政や企業が連携してこのようなイベントをほとんど予算なしにやっていく。
これは非常に面白い試みで、『そんな繋ぎの部分』を担当してお手伝いをしたいと思っている。

今日の会議、多分いい方向に纏まると思っている。

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世界の才能争奪戦

2008-07-14 04:50:22 | 発想$感想
昨日の朝日の3面『世界の才能争奪戦』と言う見出しが躍っている。

「少子化進み優遇策で人集め」とも書かれている。
間違いなく時代は変わってきている。

日本が得意とした生産管理型の効率化でコスト競争に勝って企業業績をあげるようなやり方は、
すでに中国でも時代の先端とは言い難く、ベトナムなどの開発途上国へ現実に移りつつあるようだ。


ちょっと教えて貰って真面目に取り組みさえしたら誰でも出来る、例えば「トヨタ方式』のようなものから、
世界はもっとより高度な、ひとり一人の真に高度で独特な発想とか、知恵が求められる時代に変わってきているように思う。
別に日本人でなくても外国人であっても優秀な人材が求められているのである。
日本人そのものの特徴であった純血主義みたいなものも、考え直す時期だろう。


かっての日本型の経営の特徴は中堅の優秀なスタッフがトップを担いで、規模や資金の大きさで勝負する『おみこし型の経営』と言われてきた。
そのおみこしの上に座る大企業のトップなどは、出身や育ちさえよければ誰でも出来ると言われていたし、事実そんな面も見られたように思う。
今後はそれでは持たないだろう。


今回、Jリーグ発足以来日本のサッカー界を引っ張ってきた川淵三郎キャプテンから犬養新会長にバトンタッチされた。
Jリーグ自体が旧い野球界に比べたら、だいぶ発想が新しいのだが、
今回の人事のやり方も、選ばれた新会長の経歴などを見ても、従来の日本型でないユニークな実力中心の人選であるように思う。
こんな傾向は経済界でも一般化しつつある。

一番遅れているのは、国の政治体制のような気がしてならない。
ここだけが、順送り人事を繰り返している。やはりこれは制度的な欠陥で、官僚体制の問題もあり、なかなか直りそうにない。
地方では、大阪の橋下知事など政治は素人だが、発想はユニークだしやり方も従来の政治手法からは逸脱しているのだろうが新鮮である。

農耕民族のみんなで協力して、毎年同じ時期に同じことを繰り返してゆくことで熟練しいい結果を全員で生み出すようなことから、
時代は強力なリーダーの強力な個性やッリーダーシップが求められているのだと思う。


こんな世の中の動きを機敏に捉えて、対応したところだけが生き残って行くのだろうが、肝心の中央が何とかならないものかと思うこのごろである。

日本のリーダーだけは世界から争奪してくる訳には行かないのである。






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4度目のカワサキワールド

2008-07-13 04:51:33 | カワサキワールド
鉄道模型の走行会があるというので、アメリカから遊びに来ている孫3人を連れてカワサキワールドを訪ねた。

1度目はカワサキワールドに行った積りが懐かしい田中さんや吉田君に会って事務所で昔話をしてほとんど何も見ずに帰ってきた。
2度目は、昨年夏孫を連れて訪れた。
3度目は、この春フェアのときに
そして、今回は4度目である。


休日でフェアと重なって、圧倒的に子供連れで、どこもいっぱいであった。
バイクも人気だが、鉄道車両はなぜか子供たちには人気が高い。
館内はどこもいっぱいだった。

親子で作る鉄道模型教室なども開催されていて「こばちゃん」は先生役で活躍中だった。


そんなイベントの影響で、カワサキワールドのバイクの会場も、新幹線もバートルもどこもいっぱいの人だった。



4度目ではじめて解ったこと、今までどうしても解らなかったことが解った。
これはどうしても調べておきたかったのである。

それは、カワサキが二輪事業に本格的に進出する直接のきっかけになった、カワサキの初めてのレース青野ヶ原のモトクロスがいつであったかということである。
直接ではないが、私の係りで川合寿一さんが担当していたのだが、日記をひっくり返してもなかなか見つからなかったのである。

それをカワサキワールドの会場で見つけてきた。
そのときの写真とともに1963年5月19日と明確に表示されている。
写真には、このモトクロスの責任者中村治道さんや高橋鉄郎さんの若いころの写真も載っている。
左から、中村、高橋、秋原、多賀井、?、藤森、飯原、藤井、加藤である。

一人だけ名前が解らぬが、あとは後々いろんなことで色濃く関係した人たちばかりである。

この日付がはっきりしたことは、今日の大収穫であった。
この記念すべき日が明確になったので、あといろいろといろんなことが明確になるはずである。


ちなみに、今までなぜ解らなかったのか?
当時の日記は、ちょうど速記の練習をしているころで、1日おきに速記で書かれているのである。
速記は、書くことよりも読むほうが難しい。
長年速記とも離れてしまって、速記の字から、青野ヶ原のモトクロスを見つけることが出来なかったのである。

ひとつ、核になることが解ればその前後の関連は解り易いと思うにである。
霧が晴れた感じである。



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北見紀生君のこと

2008-07-12 05:13:46 | カワサキワールド
北見紀生君、バイクの雑誌などにも登場したりして、この世界では有名人である。

私の交友関係というか人脈は、ちょっと普通の方とは変わっていて、
川崎重工などのそこそこ偉い方も知ってはいるのだが、どちらかと言えば、社会的な地位と言うよりもその世界での実力者や有名人が意外に多いのである。
広い範囲で、いろんな方とのお付き合いがある。

こう言えば失礼だが、そんな方たちも、お付き合いを始めたときはそんなに有名人でもなかったし、成功者でもなかった方も多いのである。

共通して言えることは、
武雄市長の樋渡さんの言われる『奇人、変人』の類であることだけは間違いない。
『奇人、変人』は成功する率は至って高いと言っていい。
成功とは職位や地位の場合もあるが、世間一般の評価の場合のほうが貴重であると思っている。



北見紀生君と直接はそんなに長く付き合ったわけではないのだが、なんとなく気があって、いろいろ接触したのを覚えている。
当時は東京営業所のサービス主任?みたいな地位だった。
腕は確かであった。なぜか当時の、メグロやメイハツ出身のサービスの人たちは、職人気質の実力者が多かったのだが、そんな中でも最右翼の人だった。

当時あの界隈で二輪に乗っていた威勢のいい連中も、お世話になった人は多いようである。
ずっと後、レースやKAZEで関係のできた岩城洸一なども、北見さんをよく知っていた。知っているだけではなくて、尊敬する対象であったようである。

そんな北見君とひょんなことで最近出会ったのである。
5月末にmixiで『カワサキ馬鹿』を主催するAkiraさんからこんなメッセージを頂いた。


『コミュニティ参加ありがとうございました。
カワサキOBということですが、もしかしたら北見紀生さんを御存知でしょか。
旧メグロからカワサキになって整備をされていた方です。
御年齢が同じくらいでしたのでもしかしたら御存知かと思いました。
北見さんのコミュの管理人もさせて頂いております。
今後とも宜しくお願い致します。 』

そんなことから、北見君の承認制のコミユニテイにもジョインしたのである。
そして今朝またこんなメッセージを「職権打刻」さんから頂いたのである。

『今日は北見さん宅に伺いました。
相変わらずZの整備をしておりました。
物凄く綺麗な、関西方面のナンバーのZをばらしておりました。
カムチェーンが伸びきり(北見さん曰く初めてということ)それにより点火時期・バルブタイミングの異常・テンショナーもだめという、割と重症のマシンでした。
走行距離7000マイルと言うのも購入価格を予想すると、可愛そうです。
あれやこれやを、きちんと走りよく直してしまうのだから・・・凄いですよ。

rfuruya1様のお話をいたしましたら、
「相変わらず、バイクさえさわっていれば元気なんですと、お伝えください」
との事でした。
野球部だったこと、お世話になったことなどカワサキ時代の少しお話もしていただきました。
取り急ぎご連絡まで。 』


このほかにも、関東の方から、Z1の調子が悪いので診て貰いたいのだが、ご紹介願えませんかなどのメッセージを頂いたりした。


ひょんなことで繋がったのだがが、自宅でバイクを触っている北見君の生き方も如何にも『奇人、変人』らしく面白い。

北見君が繋いでくれているのである。
北見君、確かお酒好きだったけど飲んでますか?お元気でお過ごしください。
来年のカワサキ会ででもお会いできたらいいなと思っている。






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洞爺湖サミットのホテルで思うこと

2008-07-11 04:45:37 | 北海道&建機
北海道の洞爺湖サミットは温室効果ガスの削減の長期目標について議論された。

洞爺湖の丘と言うか山にそびえるホテルを会場に、サミットは開かれた。
これに掛かった費用が400億円で、沖縄の600億から200億円の削減とか、削減額も凄いが400億円掛かるとはビックリしてしまう。

世界のトップが集まるとやはりこれくらいは掛かるのかと思ってしまう。



サミットについては、高度すぎて私などが口を挟む余地はない。
個人的に一番気になっていたのは、あの山の上のホテルのことである。

97年から99年まで2年とちょっと札幌にいた。
バブルの後遺症などが原因で、拓銀が破綻したあの頃である。

洞爺湖には何度も行ったが
あの山の上の豪華なホテルも倒産して閉められたまま、黒い姿を晒していたのである。

そのホテルでサミットが開かれることは早くから決まっていたが、何時再開したのだろうとぼんやりと思っていた。
まさか、警護上の問題で国が再開を支援したわけでもないだろうと思っていた。

今日、サミットも終わるので今調べないと解らぬままになってしまうと思って調べてみた。
こんな記事を見つけたのである。



『北海道サミットでよみがえる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」

拓銀破たんから10年 “悪魔の黒いマント”は“優雅な羽”に
 

洞爺湖町での2008年サミット開催が決定し、今回の北海道サミットのメイン会場となる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」は、バブル崩壊と拓銀の経営破たんの荒波を乗り越えて、いま、主要国首脳会議サミットの会場として表舞台に再登場しようとしている。

 93年6月に開業した当初の名前は「エイペックスリゾート洞爺」。
当時の経営会社は札幌の「エイペックス・リゾート」で、総事業費は700億円以上投じられた。

 拓銀のずさんな融資とバブル崩壊を背景に、その余波からホテル利用者は伸び悩み「エイペックス・リゾート」は98年に倒産する。
その直前、97年には「ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル」の管理下となる。
それから2年半の間空き家となり、“バブル崩壊の象徴”としてホテルは残された。
当時、洞爺湖から見上げると、全体が黒い造りだったこともあり、
悪魔が黒いマントを広げて山頂から挑みかかってくるように見えた。
まさにバブル崩壊の象徴的建物であった。

 その後、セコムグループが施設を買い取り、
内外装を変更し、引き続きウィンザーホテルズ社の運営で、2002年6月1日に再開業する。
この時の買い取り価格は50億円とも言われ、投資額700億円に遠く及ばなかった。

05年度に初めて単年度黒字を達成し、建設から12年を経て経営が安定してきた。
波乱に富んだ丘の上のホテルが、サミットのメイン会場になる。
拓銀の破たんから10年、サミットの桧舞台に踊り出た。

 ザ・ウィンザーホテル洞爺」は“悪魔の黒いマント”ではなく「エーゲ海に捧ぐ」のジュディ・オングのように、優雅に羽を広げて洞爺湖を見下ろすことになるだろう。バブル崩壊の象徴からサミットの象徴としてイメージチャンジしていくことになる。』



この記事を読むと、拓銀の破綻と共にこのホテルも倒産し、
丁度私が北海道にいた2年間だけ眠っていたようである。

洞爺湖の下から見上げると、この記事の通り『巨大な黒い異様とも思える建物』だった印象だけが残っている。

700億円が50億円で買い取られたとか。
そういえば400億円もの投資であったオートポリスもカワサキの買取額は10億円程度だったとか。
まさにバブル崩壊である。


ついこの間のことと思うが、北海道にいたのも10年前である。
まだ札幌ドームは建設中で完成していなかった。
プロ野球と言えば巨人の時代であった。

10年経つと世の中も変わるものである。
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カワサキのバイクの価格も上がっている?

2008-07-10 04:46:31 | カワサキワールド
二輪車の世界にはホントに永く関わった。

それもレースから始まって、いろいろとやった割には、
二輪車のハードそのものには全く弱いのである。

ところが、この世界のマニアという人たちは、
二輪車のハードに対する関心とその知識はビックリするほどのものなのである。
自分が解らぬ割には、そんな人たちの話を聞くのは好きなほうで、
ずっと聞き役ではあるが、そんな話に付き合ってきた。




まあ、いろんな人が回りにいたが、カワサキの仲間で3人上げると、

いいやつだったのに、早く亡くなってしまった岩崎茂樹君。
私だけではなしに、彼の話に付き合った人はいっぱいいるはずである。
バイクだけではなく何でも博学ではあったが、バイクとレースの話は特にうるさかった。
本人はずっと若い頃、
カワサキがまだバイクの製造をやっていない頃からのハーレーの、
それも大阪の船場モータースのお客さんであった。

続いて、山本隆君。
モトクロスの全日本チャンピオン。星野一義の兄貴分で、
レースの腕も確かではあったが、二輪のことに関する知識は相当のものである。
講釈師とあだ名されるその話術も面白いが、中味も確かである。
東北6県の白バイ隊員に講義と実技の指導をして廻った。
教室での話もサマになっていた。
私の二輪の知識は彼のからの受け売りも多いのである。
彼とは今も「60おじさん」のハンドルネームで付き合っている。

もう一人、本職は二輪ではないが、ジェットスキーの福井昇君。
彼の話も独特である。
ジェットスキー、4輪、2輪、汽車ぽっぽ、動くものなら何でも来いである。
今は、彼の蒸気機関車の夢に乗せられて、ミニSLフェアなど手伝わされている。
彼のハンドルネームは「s850m」ホンダのs800を850ccにボアアップして喜んでいるのである。



そんな3人に、最近私の技術関係の先生が1人増えたのである。
seaz companyの登山さん、ハンドルネーム『カバン屋さん』である。

不思議なご縁で、故岩崎茂樹君のことをブログで書いたら繋がったのである。
そしてまた、上に上げた3人は、カバン屋さんと面識があるのである。
『類は類をーーー』と言うのだろう。
家も私と同じ町ですぐ近くなので、技術的に解らぬことは全て聞くことにしている。

その『カバン屋さん』は、「カワサキのZ」のことを語らせたら、兎に角詳しい。
全国のZのマニアを束ねる組織なども持っていて、カバン屋が今は本職のようだが、Zのほうも扱っている。

そのカバン屋さんのブログに、

『Z1が150万円! Z1000MK2が200万円!!』と載っている。
私はZ1は兎も角、Z1000MK2と言われるとどんなクルマなのかも解らない。

このブログ、頻度はそれほど多くなかったのだが、
最近は『にほんブログ村』の『カワサキ』にジョインされて、今3位まで上がってきた。
これも、私がバナーの貼り方を聞いたので、そんなことで参画されたのである。
頼んだ本人は、ギブアップしてしまったが、
ブログを見て面白かったら『カワサキ』をクリックしてあげて下さい。
詳しすぎて解らなかっても『クリックだけ』はお願いします。


今度、カバン屋さんはバイクに乗るほうも復活されるそうで、
そのバイクの名前は『Bimota Kb1』だそうです。
ひょこむのブログに出ていましたが、私にはどんなことか解りませんでした。

カワサキのエンジンを積んだイタリアのバイクだそうです。
早速、60おじさんがコメントしています。
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七夕祭り 星に願いを1000本のキャンドルナイトin美嚢川

2008-07-09 09:19:51 | みっきぃふるさとふれあい公園
昨日キャンドルナイトin美嚢川をアップしましたが、
写真が全然でした。

三木市役所のJJさんが、『ブログdeみっきぃ』に綺麗な写真が出ていますので、ご覧下さい。

こんなに綺麗で楽しい イベントでした。

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遊びの世界? いろんなものがあるものです。

2008-07-09 04:51:23 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
最近、検索にはまっている。
ホントによく出来ていていろんなことが解るようになっている。

昨年の今頃はまだ『Wikipedia』も知ったばかりだったし、それを人に聞いても知らぬ人も多かった。
1年経って、世の中はだいぶ進んだ。

Wikipedia的に一般の人たちが参画しながら、完成させていこうとするような仕組みがあちこちに見られるようになった。

検索もある意味そうである。
そのことに対して、いろんな角度からいろん穴ことが集約されている。

七夕祭り、星に願いを!『1000本のキャンドルナイトin 美嚢川』 
などは7月6日、三木の美嚢川の河川敷で行なわれたイベントだが、これを検索すると、ブログ中心にいっぱい出てくるのである。


こんなことをして、遊んでいるとこんなものに巡りあった。

『みんなで造ろうYahoo地図』である。
そこで「キャンドルナイトのイベント」が行われるという情報が掲載されている。
結構いろんな情報が既に入っている。
そして更に情報が溜まれば、それが蓄積されていくのだと思う。

どうもこんな仕組みを、使いこなすのは苦手なのだが、投票とちょっとしたコメントだけは入れておいた。



人の協力を得ながら、自然に物事をいい方向に引っ張っていこうというコンセプトである。
誰かが旗を揚げたら、賛同する人たちが協力するスタイルである。
ネット社会の自然な流れだから、強制が無くて面白い。

sartreimkjrさんが仕掛けられているのだろうが、
こんなの行政や施設が遊び心で仕掛けていけば面白い。


『みっきいふるさとふれあい公園の地図』が 『Yahoo地図』 という出来上がった仕組みを利用して出来ないものかと、すぐこんなことを思うのである。
そして、これは可能性いっぱいである。
三木市の広報やホームページのみっきいふるさとふれあい公園が旗を振って、連携して動き市民が協力すればすぐ出来ると思う。

ただ、思うのは思うのだが、私自身は技術的になかなか付いていけない。
現役の頃なら、誰か適当な人に頼めばすぐやってくれたので、何でもどんどん進んだのだが。
カンは意外にいい。方向としては間違っていないと思っている。

『さるとる』さんあなたが描く公園の地図、みんなで造りませんか?
これは、面白いものが出来ると思いますよ。
これを一つのツールに使えばいいのです。


コメント (2)
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パソコン普及率とその対応

2008-07-08 04:51:55 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
私自身70歳までパソコンなど触ったことが無かった。
勿論、インターネットもメールも無縁の存在であった。

現在のパソコン普及率とかインターネットの普及率はどんなものか。
あまり新聞紙上などでそんな話題も無いので、一度どこかで聞いて見ようなどと思っていた。

今日、ふと検索してみたらひょっとしたら出ているかも知れないと、半ば期待はせずに検索してみた。
『パソコン普及率』の時系列の推移である。

その結果はこうである。

そして『パソコン携帯電話の県別普及率』(2004年)のデーターはこれである。



これは私の予想以上であった。
現役を離れて、例えば我々の会合はOB会が多い。
そんな会議の案内や資料も殆どが郵送であったが、最近はメールも使われるようになった。

Z1会のゴルフの案内は殆ど全てのメンバーに対しメールである。
ところが野球部のOB会の案内や連絡は全て郵便である。郵便料は馬鹿にならない。
OBのトップクラスがパソコンがダメなのである。


役所の情報伝達などももう少し普及率などを調べて、大して需要でないものはパソコンやインターネットを使うべきだと思う。
こんな普及率になっているのに、旧態依然とした対応は如何にも不合理である。
パソコンの無いところは例外対応にすべきではないだろうか。



これを調べてみようと思ったきっかけは、これである。

東京の千代田図書館は唯一Web図書館があって、『Web図書館を導入して欲しい』という人は70%に達しているのである。

もうそんな時代になってきた。
我が家では母も家内もパソコンは解らぬが、世の中はパソコンは必需品のようになってきている。

ふとしたことから、やりだしたパソコンだがやっていてよかったと思っている。
関連してこんなブログも。
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キャンドルナイト行ってきました

2008-07-07 08:26:45 | みっきぃふるさとふれあい公園
川の日の前夜祭。
美嚢川のキャンドルナイトに行ってきた。

正式なネーミングは何だろう。
『七夕祭り 星に願いを 1000本のキャンドルナイトin 美嚢川』
案内には書いてある。
主催はみっきいふるさとふれあい公園の『景観プロジェクトチーム』ということらしい。


みんなの協力で、1000本のキャンドルは2000本以上になった。
第一回のスタートとしては大成功である。

肩の張らない自然なイベントに出来上がっていたのはよかった。
点灯はこんな風に2000本のキャンドルにみんなで灯を灯した。
こんな風に綺麗に並べるのも大変だったと思う。


私も幾つか手伝った。
牛乳パックにどのようにろうそくをと思っていたのだが、パックの中に水を入れてろうそくを溶かして作った容器をその上に浮かしているのである。

キャンドルの灯がほぼ灯ったところで、さるとる君の上司の西山さんの開会のご挨拶。
七夕飾りを背に、これは秀逸であった。
写真からもその感じが伺えるように、気取らずこの場に合ったものだった。
簡単なようで、その場にあったスピーチは難しいものである。



これは午後8時、会場の電気が消されて、2000本のキャンドルの灯だけになった盛り上がった瞬間の、主催者の中心人物『さるとる君』のご挨拶。
若さや、熱意が前面に出た選挙演説のようなスピーチでヨコの司会の方の柔らかいトークとは対照的であった。
『彼らしくていい』と一応は褒めておこう。
こんな彼の一途な熱心さがこのイベントをここまで持ってきたのである。



この女性はFMみっきいからこのイベントを取材に取材に来られたプロである。
初回からちゃんと取材をして頂いて有難い。
そんなFMみっきいが三木にあることはご存知だろうか?

三木のいろんなグループが応援をした。
さるとる君のブログの中から、お借りした。
『本番では、2つの団体にお世話になりました。
1つは、「三木四季あそび応援団」。議員の茂木さんを中心としたグループですが、3時から7時の点灯まで、間のびしてしまうのではと紙芝居を用意していただきました。
子どもたち楽しんでましたよ。

もう1つは、「エプロン三木」の皆さんです。
ごはんがなかったら、お腹がすいてしまうかもしれへんよ~ということで、ご飯を用意してくれました。
その名も「黒穀御膳」です。
レトルトパックの商品なのですが、三木の郷土料理として、今後売っていこうとしています。
僕も、いっちょかみたいな~なんて思います。』





これは失敗作の典型だが、あちこちのイベントでいつもご一緒する大西ひでき市議とさるとる君と影の主催者の実力者の方である。
大西さん笑顔がいいのに、変な写真ですみません。
でも、いいトークが出来ました。頑張って下さい。


こんなジーン景虎さんのブログ、ご紹介します。
エプロン三木のお姉さん方がご馳走してくれた『黒穀御膳』が紹介されています。
ちゃんとブログで紹介すると約束したのに写真がダメでした。
黒穀御膳のレタリングも、食欲を増進するという黄色い色のエプロンも私には強く印象に残りました。
またいつか、どこかでお会いした時にちゃんとご紹介します。



コメント (2)
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