雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

8月の神戸ベンチャー研究会

2023-08-17 05:20:39 | NPO The Good Times

★ 神戸ベンチャー研究会は毎月1回、ベンチャー企業の方の発表をする機会を創っているのだが、
 この8月26日の土曜日にはその開催回数が269回になるという歴史を誇る由緒ある研究会なのである。

    
    


今回の発表者のお一人は松島裕さんで、東京から来られての発表である。
松島裕さんとはもう10年以上のお付き合いで、
 現在のNPO 法人 The Good Times のホームページは実は松島裕さんの作なのである。

  


 そのホームページのバナーには、
 ●神戸ベンチャー研究会
 ●登山道夫さんが立ち上げられたKAWASAKI Z1 FAN CLUB
 ●松島裕さんが主宰されている「二輪文化を伝える会
  https://2rin-tsutaeru.net/

  がそのTOPを飾っている。

 NPO The Good Times の初代理事長は私なのだが、
 現在はあの3年連続モトクロス全日本チャンピオンの山本隆さんが引き継いでくれている。

   
   

 実は来年4月からは松島裕さんが3代目の理事長を引き受けてくれることになっているのである。
 

松島裕さんのプロフィールは、神戸ベンチャー会のホームページで、
 このように紹介されている。

《プロフィール》
 松島 裕(まつしま ゆう) 1965年生まれ 18歳からオートバイロードレースを志し、怪我や資金不足に苦戦しつつも、1995〜2000年に鈴鹿8時間耐久レース(鈴鹿8耐)に出場。 
引退後は、ホームページ制作などウェブ関連の支援サービスを主業務として開業。現在に至ります。 
また、NPO法人The Good Times との出会いから、2012年より「二輪文化を伝える会」の活動を開始。
 日本のオートバイに関する歴史や文化について、一般社会のみならずバイクに関わる人でさえ歴史をあまり知らないことに驚愕し、二輪の歴史を調査・考察して、それを二輪文化としてインターネットを中心に伝える活動を続けています。
 活動12年目を迎えた今年、デジタルミュージアムを基本構想に、特定非営利活動法人(NPO法人)として認証され、新たなスタートを切りました。 
スローガンは「バイクに乗らなくてもバイクが好きな人を増やしたい

 ホントにその通りで
バイクに乗らなくてもバイクが好きな人を増やしたい」というスローガンがいいと思う。
 私自身がバイクも持っていないし、バイクにも乗らないが、
 バイクもバイクの世界も好きで、ずっと活動しているのである。

★今回の神戸ベンチャー会の講演会は
 今週の土曜日8月26日に、神戸三宮で13時からあるのだが、
 その詳細は以下の通りなのである。

 是非、関西の二輪ファンの皆さんに松島さんの話を聞いて頂きたくて、
 このブログをアップしている。
 勿論私も登山道夫さんと一緒に参加する予定なのだが、
 この私のブログをお読みになっている関西の二輪ファンの皆さん
 来られませんか?


 

 
 「異種・異質・異地域をみんな繋いで、いいときを過ごそう
 ガ基本コンセプトです。

 出来ればこんな機会に、ネットだけではなくて、
 直接お会いできて話ができる機会にしたくて、こんなブログをアップしています。
  
 場所は三宮の駅の東、徒歩3分のこちらです。

 


 是非、お気軽にお越しになってみて下さい。
 みんな、気さくないい方ばかりです。

 
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台風7号  無事一過

2023-08-16 04:48:06 | 発想$感想

★ お盆の15日だというのにテレビは終日台風7号のニュースだった。
 ニュースを見る限り各地で大変な被害状況である。
 昼頃に明石付近に再上陸し北上したというので
 明石も三木も東経135度の子午線が通っているまちなので、
 私の住んでいる三木の真上を間違いなく台風は通っているのだが、
 雨は幾らか降ってはいるが、風は殆どなくて
 ホントに拍子抜けの感じなのである。

 極端に言うと、「台風など全く関係のない雨のよく降る1日だった」と言ってもいいくらいなのである。
  





 雨は幾らか降ってはいるが、風は殆どなくて
 ホントに拍子抜けの感じなのである。

 庭の木などもこの程度で殆ど揺れたりはしていない。


 


 いまが一番ひどいとされる15時半なのだが、
 ホントに全く静かなのである。


15時半の天気図だが、
 確かに雨は降ってはいるが、そんなに大した雨ではなくて、
 普通の雨の日の程度なのである。

  
 

 上図の台風の進路図を見ても、
 明石に再上陸してからはスピードを上げたのだろう。
 15時にはもう三木を通り過ぎていて、
 今回の台風7号は、何の被害もなく無事通過したのだと思う。

★ これは我が家のある立地にも深く関係があると思っている。
 この一帯はかっては山だったのを大規模開拓して出来たこ広大な住宅地なのだが、 
 水利権の問題があって、全く平らに造成されているのではなくて、
 かっての山の水が流れた通りに緩やかな勾配がついている。
 直ぐ横には有名な廣野ゴルフ倶楽部があるのだが、
 廣野ゴルフ場のほうが我が家よりも高い位置にあるという、
 ちょっと不思議な立地なのである。
 斜線が入っていない地域は、我が家よりも高い位置にあると思って頂ければいい。
 
 

 
 粗っぽくだが、この辺りの我が家と同じように低いところに斜線を入れてみたが、
 我が家は周囲よりは低い立地にあるので、
 雨は兎も角、風は周囲の立地で遮られているのだと思う。
 周囲が自然の防風林の役割をしてくれているのだと思う。

 そんなことで今回も雨は降ったが、風は殆どと言っていいほど吹かなかったのである。


★三木に住んでほぼ50年になるのだが、
 三木自体も自然災害のホントニ少ない町だと思う。
 昔の人は、経験値から安全な住みやすい町に住んだのだと思う。
 
 かって東北に4年ほどいたが、
 昔からの旧い町は、冬でも雪が少ないのである。
 仙台盛岡秋田も周辺は雪が多いのにそんなに雪は降らないし、
 周辺の町が雪で覆われる山形県も山形市は不思議なほど雪が降らない。
 東北6県の県庁所在地で大雪の降るのは青森市だが青森は近年になって北海道との連絡船で開けたまちなのである。

 そんなことで、一応は旧い町の三木市も災害が少ないのかも知れない。
 Facebook で何人かの方から「台風7号、気をつけて下さい」とメッセージも頂いたのだが、
 「台風7号は無事通過しました」 とご報告しておこう。



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メダカ  雑感

2023-08-15 04:55:42 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★このところ1日の中で『メダカのウエイト』は結構高い。
 何もすることがない毎日だから、メダカなどに凝っているのだが、
 何匹ものメダカが毎日卵を産みだして、どんどんメダカが増えるものだから、
 こんな小さな水槽二つに入れていたのだが、
 1cmちょとになったので、これくらいになると金魚にも食われないと思うので、
 池に放すことにしたのである。

 
 



 池に放す前の状態だが
 小さなバケツには30匹ほどのメダカがいるのだが、
 これを池に放してやった。





 金魚と一緒に泳いでいる。




 池に入れると殆ど目立たないのだが、
 これからどんどん生まれるので、
 秋ごろには池でも目立つぐらいの数になるだろうと思っている。
 




★ 小さな鉢に10数匹のメダカがいるのだが、
 そのうち何匹かが卵を産みだしたので、
 ホテイ草にはいっぱい卵がついている、それを小さなバケツに入れておくと
 今の時期では5日ほどでメダカが孵る。
 それが1cmぐらいになるには1か月ほど掛かるので秋口辺りがより忙しくなるだろう。

  



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カワサキ単車の昔話  12    星野一義さんのこと

2023-08-14 05:41:19 | カワサキ単車の昔話

★Facebook で繋がっている中尾省吾さんから、
9月1日発売のSOBマガジンで、星野一義さんのインタビューを掲載させていただきます。
つきましては、星野さんのバイク時代のお写真や雑誌の記事などお持ちでしたら、お貸し願えませんでしょうか。」
 と言うメッセージを頂いたのは7月のことなのだが、
 
「 ところで星野がカワサキのマシンに初めて乗ったのは、和歌山でのスポニチ主催の第1回モトクロスです。
 彼はカワサキコンバットのトラックの運転手として来てたのですが、 当日の朝、岡部能夫が練習中に荒井市次と接触して指骨折で出られなくなったので、岡部の代わりに岡部の名前で出場したのです。 
この話はオモシロいので是非聞いて上げて下さい。 」
などとご返事して手元にある星野の写真を送ったのである。

 この写真は私がシャッターを切っているのだが、
 この4人に金谷秀夫がいたら、私のレース担当時代に一番思い出に残っているライダーたちなのである。
 金子豊・岡部能夫・星野一義・山本隆の4人で、星野にとっても一番関係の深かったライダーたちなのである。

 

  
 中尾省吾さんからは星野のオモシロい話が満載のメッセージを送ってもらっているのだが、
多分雑誌のインタビュー記事なので、そのまま記載することは出来ないのだが、
和歌山のモトクロスの件はこのように星野は喋っている。

「そんなとき、秋だったかな、突然、レースに参加するチャンスがやってきた。 和歌山県でカワサキ本社主催のレースがあって、我々コンバットのメンバーも遠征してたんだけど、練習のとき、岡部ヨシオ先輩がヤマハの荒井イチジさんとぶつかって手の指を骨折。 
ミツハシ監督だったと思うけど、オマエ、オカベの代わりに走るかと声をかけてくれて、もちろん、ハイと答えた。 90だったか125だったかオカベさんのバイクに跨って、オカベさんの名前とゼッケンのまんまで、走る用意は何もしてなかったから、ヘルメットも綿のツナギもブーツも先輩たちから借りてさ、いやあ嬉しくて張り切り過ぎたんだろねー。
 スタートしたらすぐにぶっ飛んだらしくて、気がついたら病院のベッドの上。 幸いケガは脳しんとうだけで済んだけども、カワサキ本社のレース担当者は、上役からこっぴどく怒られたらしい。」
 と語っているのだが、この本社のレース担当者が私なのである。

 当時の直接の上司だった苧野豊秋部長からは、未契約の選手を走らせたとこっぴどく怒られたのである。
 確かにあのまま星野がおかしくなっていたりしたらこれは大変なことだったのである。

★そんな星野一義と私の出会いなのだが
 翌年は彼はまだ17歳だったと思うが、年額24万円で契約したのである
 まだ星野も新人だったが、この写真の左から4番目が星野である。

 

 
 ノービスの頃からべらぼうに速くて、
 契約してすぐのMCFAJの全日本モトクロスで優勝したりしたのだが、
 ノービス時代の好敵手がスズキにいた吉村太一ちゃんだった。
 星野の和歌山での岡部の名前でのデヴュー戦1964年11月8のことだったが、
2年後にはセニアライダーとして、山本隆とともにカワサキのエースライダーに成長していたのである。

★ 星野はその後1969年にカワサキのライダーだった歳森康師の推薦で日産の4輪ドライバーに転向し、『日本一速い男』と言われるまでに大成するのだが、
 さらにモトクロス時代の仲間であった金子豊と「ホシノインパル」を設立したのが32歳であったとか。

 カワサキを離れてからの星野一義は、日本でも超有名人で忙しいのだが、
 本当に義理堅くて私が関係したイベントには必ず顔をだしてくれているのである。

 これは片山義美を偲ぶ会での星野と清原と私のスリーショットだが、
二人ががレースをスタートしたのも私のレース担当時代だったのである。

 


 同じ会合での星野がカワサキ時代のレース監督だった大槻幸雄さんとの2ショット。

  



 これはごく最近、昨年11月の『カワサキZ40周年記念祭』だが
 この時も明石まで来てくれて、
 当時のカワサキの仲間たちと旧交を温めているのである。

  

 

 同じ会合で、村上力さんとのスリーショットである。





★こんな星野一義とカワサキや私との関係だが、
 私も短い間だが、レース界に関わったお陰で
 私の人生は大いに豊かになったと思っている。


 今回もSOBマガジン9月号に『星野一義インタヴュー記事』が載るようだが、 
 その記事の内容は如何にも星野らしくて面白いので、
 是非、関心のおありの方は買ってお読みになってみて下さい。


  


  
これが多分前月号、鈴木忠さんです。
 


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お殿様のお墓   雑感

2023-08-13 04:52:14 | 発想$感想

★明石の長寿院にお墓参りに行ったのだが、まだ7時ごろで気温もそんなに高くなかったので、久しぶりにお殿様のお墓を見てきた。

 長寿院は旧明石城主歴代菩提寺なのである。


  

 
 長寿院は明石の天文科学館の直ぐ南にあって、
 一般のお墓は右のほうにあるのだが、
 お殿様のお墓は、この写真の左上の一画なのである。







 いまは明石市の教育委員会の「指定文化財」になっているようだ。






  この一画がそうで、






  こんな門から入って行く。


 



  これがお殿様のお墓で、やはり一般人と違って立派である。

 



 こんなお墓だが、その院号がとてつもなく長い。






  普通立派とされる「居士号」でも9文字だが、
 その字数が何文字あるのか、写真に入らないほど長いので、
 何文字あるのか解らなかった。


 



  この一画にはお殿様以外の多分奥方などの墓もあるのだが、
 それはそんなに大きくなくて、普通のお墓なのである。

 
 



★ずっと昔、私がまだ小学生の頃だが、
 伯父はこの長寿院の檀家総代をしていて、
 お殿様の子孫の方が、お墓参りに来られた時は、
 伯父宅にお泊りになったりしたのである。
 その頃はまだ、昔のままのお殿様と家臣の関係があったように思う。

 そんな伯父の態度を見て
 私は「お殿様は偉いんだ」と思ったりしたのを想い出す。

 現在は松平のお殿様のご子孫は多分東京におられるのだと思うが、
 お盆に明石までお墓参りに来られるようなことはないと思う。
 やはり戦前はまだそんな時代だったのである。
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お盆の墓参り

2023-08-12 04:47:21 | 発想$感想

★お盆休みと言えば盆踊りなど世の中にはいろいろあって、
 都会から里帰りする方も多く、高速道路の渋滞など 
 お盆特有の現象もあり日本の伝統文化は今も続いている。

  
 


 現役時代は長いお盆休みがあって、
 いろいろとすることも多く楽しみな期間だったのだが、
 昨今はお盆と言えば墓参りだけになってしまった。

 一度お墓の草抜きをしていたら熱中症にかかりそうになったので、
 明日は朝早くから明石の長寿院に行くことにして、
 今日はそのお供えの花を買いに行ってきた。

 このお店の花は安いということで大変な混雑で、
 10時過ぎにジムの帰りに寄ったのだが、
 番号札を出して整理するほどの混雑ぶりである。

  
  



  番号札は81番だった。
  専用のレジが二つもあるのだが長い列ができていた。


 


★我が家の墓は明石にあって、明石松平藩の菩提寺と言う由緒ある寺なのだが、


  
 
 
 そんなお寺への墓参りも多分私の代で終わりかなと思っている。
 私自身も明石から三木に移り住んだのだが、
 幸い車で30分の距離だからいけるのだが、
 息子は鎌倉、娘はアメリカに住んでるから、お盆の墓参りなどちょっと無理だと思う。

 私がクルマの運転ができるうちは、続けたいと思っている。




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毎朝のウオーキング

2023-08-11 06:13:50 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★毎朝のウオーキングをやりかけて、もう何年になるのだろう。
 最近は暑くなったので時間を早めて、お日様の昇る時間の5時半ごろにしているが、
 その時間に既に公園の横の広い道路はクルマがいっぱいなのである。

 



 世の中の方はホントに早起きである。
 高齢者の方が多いが、犬の散歩で来られている方も多い。


 


  
  歩き始めると、お日様が顔をだし始めた。
  





  
 夏場なので、ちょっと歩数を減して6000歩ぐらいにしているのだが、
 健康寿命を延ばすためには、中強度が最適な運動強度とされているとか。
 健康寿命が延びるウォーキングとは大股で地面を力強く蹴って歩く
 「うっすらと汗ばむ程度に早歩きをする・息が弾むぐらいのペースで歩く」    
とあるので、大体そのように スロージョッギング しているのだが、
 ウォーキングは1日何歩が適正か? と言うと
 65歳以上では男性7,000歩、女性6,000歩と言われているようなので、
 大体その線を行っている。


★ 三木総合防災公園は、ホントに広大なのでいろんなコースが取れていい。
  今朝は滅多に来ない東側のちょっと急な坂道を下り、そして登って来た。
  春は両側が桜並木なのである。


  
  

 さらにどんどん下って行く。

  


 
  下りはいいが、登りは斜め、斜めに歩かねばならぬほど、
  勾配はきついが、いい運動にはなる。

  今朝の歩行で6500歩約5kmだった。
  朝7時ちょっと前である。
  写真では、もう一つよく解らぬが、止まっている車は殆どいなくなって、
  遠くに1台だけある白いクルマが私のクルマである。

  




1時間ちょっとの時間だが、
 ひょっとしたらこの公園の一番のラッシュアワーかも知れない。
 

 
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猛暑と熱中症と甲子園

2023-08-10 05:07:19 | 発想$感想

★ このところ猛暑が続く。
 この猛暑日には明確な規定があって、最高気温が35℃以上になれば「猛暑」、
 30℃以上35℃未満であれば「真夏日」として気象庁は予報を行うそうである。

 そんな猛暑日が続くと連日「熱中症」の話題である。
 「熱中症」と言う言葉自体もいつ頃から出来たのだろうか?
 昔はそんな言葉はなくて、確か「日射病」などと言ってたから、
 当時でも暑さで倒れる人はいたのだと思うが、そんなに一般的な話題にはならなかった。

 そんな「熱中症」の患者の救急搬送1週間で1万人を越えたというニュース。




 
 住居での発生が最も多く、全体の4割を超えているとか。  
 また、年齢別では65歳以上の高齢者が6割近くを占めるというので、注意しなくてはいけない。

★ ただ、こんな状況は世界で日本だけかも知れない。
 医療費が高額なことで知られるアメリカでは、救急車の利用にも高額の費用がかかり、
 救急車の利用かたくなに拒む人が殆どだという。
 アメリカの救急車利用にかかる費用は、例えばカリフォルニア州での救急車の利用基本料 2,700.95ドル(約36万4628円)だとか?

  


 確かに、これでは利用を拒むこともよく解る。
 なぜこんなことを知ってるのかと言うと、
 ずっと昔、アメリカにいた孫が小学生の時代だが、
 アメリカに行ってた息子が子どもたちを集めてサッカーをやってたら、
 一人がけがをしたので「救急車を」と言ったら、周囲の人が「それはダメ」と止めたのだという。

 こんなに簡単に救急車を利用するのは日本だけかも知れない。
 私も3回ほど救急車に乗ったことがある。
 勿論無料だし、病院では最優先での待遇なのである。

★ところでこの猛暑の中で甲子園が始まった。
 昨日は兵庫県の社高校日大三高の試合があったので、
 テレビを観ていたが日大三高が3-0で勝利した。

  


 もう15年も前のことだと思うが、
 夏の甲子園の日大三高の試合娘のほうの孫の長男と観に行ったのだが、
 戻って来たら、孫が「日射病」に罹ったようだったのだが、これが私の最後に見た夏の甲子園である。
 なぜそんな試合を観に行ったのかと言うと
 その当時息子のほうの孫の古谷仁日大三高の生徒会長をしていて、応援に来てくれ」と言ったからなのである。

 そんなこともあって昨日の試合はどちらを応援するか迷ったのだが、
 こんな結果になったので、日大三高優勝しないかな?
 試合を見てたが、相当に両チームともハイレベルな戦いだった。

 それにしても70年も経つと高校生の野球の中身もこんなに変わる。
 私の時代はヘルメットもなかったし、金属バットなどなくて木製だった。
 昔はこんなに三振などしなかったと思うが、
 それはピッチャーの投げる球が、直球とシュートとカーブぐらいしかなかったからだと思う。
 この頃のピッチャーは高校生でもいろんなボールを投げるからバッターの読みは大変だなと思う。

 70年も経つと世の中は変わる。
 暑さも変わったし、新しく熱中症なる言葉も出来たし、
 高校生の野球のレベルも随分と変わった。

  



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今朝の三木総合防災公園

2023-08-09 05:14:13 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★このところちょっと早起きして朝早くから運動することにした。
 お日様が上がる前なら気温も低いし影の道も多い。
 まだ開門前なので、こんな広い道に車を止めて、
 そこからスロー・ジョッギングすることにしている。
 
 



 今朝はこんなコースを一回りした。
 ご覧の通り広大だから、公園の一部を周っただけだが、
 これでも6600歩・5kmを少し超えたし
 消費カロリーは1000を越えたりした。


 


こんな競技場の横の広場からスタートして、




 こんな道に出て





こんな橋を渡るのだが、




 この橋の下はこんな立派な4車線の道路が走っていて、
 この公園を東と西に分けている
 高速道路のようにも見えるが、普通の一般道である。

 三木の道は結構広いこんな道がいっぱいある。

 


 橋を渡って、世界一の屋内テニス場・ビーンズ・ドームの方へ向かう。





 そこからは 1.5%のなだらかな上り坂、




 その先にあるのが林間広場、この公園で一番高いところにあり、
 かっては、この辺りの山の頂上付近である。

 下の方では蝉しぐれも聞かれたが、ここでは1匹、2匹静かな鳴き声である。






 そこから引き返して
 広大なゲートボール場の方に向かって休憩していたら、
 今朝も三木の市会議員をされている又吉健二さんにお会いした。
 
 
 



 又吉さん、こんなに朝早くからこの公園で、
 楽器オカリナの練習をされるのである。

 オカリナとはこんな楽器がだ、

  


 今朝はその演奏を聞かして頂いた。
 曲は「福山雅治の桜坂」
 小さな楽器だが音が大きいのでいつも朝早くこの公園で練習なさっているという。


   
  

 これはつい先日もお会いして
 一緒に撮って頂いた写真である。

 



 そんな今朝の三木総合防災公園だった。
 又吉健二さん 今年からの市会議員さんだが、政治に関しては一切関係はない。
 何となく親しくして頂いているのだが、
 出会いは三木の体育館のジムだったとか。
 あれからもう何年になるのだろう?
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カワサキ単車の昔話  11   田舎なれども南部の国はよ

2023-08-08 05:28:01 | カワサキ単車の昔話

★ 昭和42年(1967)1月から新しく仙台事務所を創れという命を受けて、仙台事務所長として赴任した。
まだ34歳の時で明石を離れるのは、初めての時だった。
 当時のカワサキはまだ海外市場はなく国内市場だけで、
 125ccの実用車中心の『実用車のカワサキ』の時代で、全国で東北6県が最大の市場だったのである。
 山坂に強い登坂力などがウリだったから、広大な東北の山坂にはもってこいの商品だった。

 どれ位広大かと言うとざっとタテ600km、ヨコ200kmという広さで、
 200kmと言うと、関西で言えば明石から名古屋までだから、
 その間5県に跨ってる距離なのである。

 
 


★ そんな中でも日本一の広さを誇る岩手県全国一の販売実績を誇っていたという、
  考えられないような時代だったのである。
 「田舎なれども南部の国はよ 西も東も金の山」と南部牛追い唄に唄われた南部の国岩手県は、日本一の実績を誇ったこともあってよく訪れたし、
 当時の社長久保克夫さんには単車の販売の実際をいろいろと教えて頂いたし、私のマーケッテングの実地の先生だったのである。
 久保さんを乗せて岩手県の販売店を走り回ったので、
 その時の販売店への対応などは非常に参考になったし、
 岩手カワサキ独特の販売システムはその後の私の販売手法の展開に大いに役立ったのである。
 
 一言で言うと「差別化戦略」で他県・他銘柄とは完全に差別化されていて、それが徹底されていたのである。
 私の人生の生き方の基本が「差別化」になったのも久保さんの影響なのだと思う。


 


 当時はまだ南部とか伊達などと昔のお殿様の領地の感覚が色濃く残っていて、
 岩手県でも南部の一関辺りは「あそこは伊達」だと言っていたし、
 青森県の八戸はもともとは南部の国で、
 それぞれ「八戸カワサキ会」と「津軽カワサキ会」に分かれていたが、
 これはかって戦ったことがあり一緒に会合などすると、酒の席では喧嘩が始まるからだとか言っていた。

 福島県でも福島地区会津地区は代理店が別に存在していたという
 まだ、そんな時代であった。


 
 

★カワサキの車で言えば、125B1が販売の主体で、

 

  
  120-C2SS などのスポーツ車が発売され始めた時代で、

 




 250A1などもあったが、まだ東北ではそんなに売れなかった時代である。
 


 


★ 仙台には4年間いたのだが、まだ各地には代理店が残っていた時代で、
 東北地域の各地に点在した10店ほどの代理店のそれぞれの経営方式も勉強になったし、
 兎に角、販売第1線の担当は川崎航空機籍では最初だったので、
 その後「販売の第1人者」と言う位置づけになったし、本当に役立ったのである。

 仙台の肉屋には牛肉がなくて豚肉ばかりで『すき焼き』も豚肉だったのだが、
 その仙台で「牛タン」が産まれたのは驚きで、どうやら始まったばかりの年代だったのだと思う。
 この仙台時代の4年目に、川重・川車・川航3社合併があって、崎重工業となるのである。

 今から言うと50年も前の「カワサキ単車の昔話」である。


 
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メダカがどんどん増える

2023-08-07 05:06:21 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★先日もちょっとメダカのことを書いたが、
 メダカを増やすにはどんどん餌をやるとどんどん増えるとあって
 こんな「2倍も増える」という餌を買ってきて
 どんどん餌を与えたら、


  


 こんな鉢に飼っているメダカのうち7匹が毎日卵を産みだした。
 1匹が10匹産むとしても、毎日70匹も増えることになる。
 ホントにメダカは卵を産みだすと毎日産み続けるのである。






 私のメダカの増やし方は
 こんな鉢にホテイ草を浮かしておいて、
 そこに卵を産み付けるので、それを毎日小さなバケツに入れると
 5日ほどでメダカが孵るので、
 それを衣装箱の引き出しを水槽代わりにして入れている。 
 結構大きいから何匹になっても大丈夫である。

 これが「私のメダカの増やし方一式」である。

   
  

 この調子で増えると秋には1000匹以上になるとは思うが、
 小さいけど池があるので、何匹増えても大丈夫だと思っている。
 池には昨年入れたメダカもいて、池でもコドモは生まれているが、
 自然界での増え方は、そんなにいっぱいは増えないのだが、
 人間が援けてやるとホントに幾らでも増える気がする。

 結構、メダカで楽しませて貰っている昨今である。



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光の当たらぬ樹には蝉は止まらぬ  続・蝉雑感

2023-08-06 05:03:08 | 発想$感想

★ 昨日も「蝉しぐれ」について書いたが、
 蝉について私なりにいろいろと考えた。

 山の中ではどうして蝉の声は聞こえないのか?
 今朝は三木総合防災公園では「蝉は鳴いているのか?」
 チェックしに久しぶりに防災公園に行ったのだが、
 住宅地では鳴いているのに、山の中の道に入ると蝉の声は聞こえないのである。
 
 ここは途中の交差点だが、
 この辺り四方が山なのだが、蝉の声は全く聞こえない。

  
 

  ここを曲がって1kmほどで防災公園なのだが、
  防災公園に行ってみると、蝉の声は聞こえていたが、
  協同学苑のような「蝉しぐれ」と言うほどではない。
 
 



 ただここでも山の中の道に入ると、蝉の声は全くしないのである。


 


★ この道だけではなくて周りの樹が茂って太陽の光が届かない樹には
 蝉がいないようである。

 これは私の全くの勝手な推理だが、
 蝉は太陽の光が当たる樹に止まって鳴いてるので、
 お日様の光が届かぬ樹には止まらないというか、行かないのだと思う。

 そう言う意味で、昨日の協同学苑もそうだったが、
 山の中では蝉は鳴いていなかったのである。

 さらに私の勝手な推理だが、
 三木のこの辺りは、協同学苑も含めてかっては山で深い森だったので、
 蝉はいなかったのに住宅地や公園を開拓したので、
 だんだんと蝉が住みついたのだと思う。
 協同学苑はもう40年近くになるので、蝉も多いのだが、
 防災公園が開拓されたのはずっと後だから、蝉の数も少ないのだと思う。


 林間広場なども樹はいっぱいあるのに、
 蝉の数は少なかったし、

  
  

 ここの駐車場はこんな陰地だし、山の頂上に近いこともあって、
 「蝉の声」は全く聞かれなかった。


 


★昨日・今日、蝉のことばかり考えていた。
 ネットでいろんなことを検索してみたが、
 『光の当たらぬ樹には蝉は止まらぬ』とは書いていなかったが、
 私の勝手な推測である。

 この2日間2万歩近く歩いて、実地に確かめての『私の結論』なのだが、
 当たっているだろうか?


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蝉しぐれをバックに散歩してきた

2023-08-05 05:43:10 | 発想$感想

★ 暑くなったので朝の散歩の時間を早めた。

 協同学苑、朝5時半、ちょうど日の出の時間にスタートする。
 それでも温度は26度5分あった。

  
 

 この辺り一帯「蝉しぐれ」である。
 今朝はそんな「蝉しぐれ」をバックに約5000歩、
 1時間ほど歩いたのだが、
 蝉が鳴いてるところと、全く蝉の声がしないところがあるのに気が付いた。
 
 




 スタートして直ぐこんなところに出る。
 左手は山なのだが、山では「蝉の鳴き声」が聞こえないのに気が付いた。
 この通りの手前のほうでは全く蝉の声が聞こえない。





 そしてこの辺りに来ると、まさに「蝉しぐれ」なのである。
 それに「蝉の声」はやかましいほど大きく思うのだが、
 その声が届く範囲は、歩数にして40歩ほどなのである。




 この竹林の中も全く静かだった。





 そしてそこを抜けてこんな広場に出ると、
 蝉の声がずっと続くのだが、
 
 




 
この突き当りから、山道になって、そこから約400メートル山の中を歩くのだが、
 全く静寂そのものだった。



 一番下には池があって、
 そこまで行って、引き返すのだが、
 この池の辺りも静寂そのものなのである。


 



  引き返してきて公園の広場に出ると蝉の声の大合唱である。
  この左手は住宅街なのだが、
  我が家もそうだが、住宅街には蝉はいっぱいなのである。





 
★ 不思議なことだが、自然の山の中には蝉はいなくて、
 人の住む近くには蝉の声が聞こえるのである。

 明日の朝は三木防災公園には蝉がいるのか調べに行ってみよう。

 



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風鈴    雑感

2023-08-04 06:41:00 | 発想$感想

★この歳になって感じることは、
 いろんなことを殆ど知っていないなと言うことである。

 昨今は検索と言う便利なものがあって、
 何でも調べてみようと思うと直ぐ解るのがいい。
 このところテレビで夏の風鈴が出てきたので、
 風鈴について調べてみた。

 先ず思ったのは、「風鈴は日本独特の文化かな」と言うことだったのだが、
 やはり中国が先で唐の時代に
 占風鐸(せんふうたく)という占いの道具として使われていたという。






 奈良時代に遣唐使により仏教文化とともに風鐸(ふうたく)が伝わり、
 主にお寺で魔除けとして使用されていたという。
 江戸時代に西洋からガラスの文化が伝わり、ガラス製の風鈴が生まれたとか。
 ただし、当時ガラス製の風鈴はとても高価だったため庶民には広がらなかったという。
 現代ではガラス製品の価格が下がり、庶民の間でも流行し、本来の魔除けではなく、風情を楽しむ娯楽として普及しているようである。

★風鈴は大きく分けて3つのパーツで成り立っていて、風鈴の本体である「外見(そとみ)
外見(そとみ)から吊り下がっているのが「舌(ぜつ)」。
その外見(そとみ)と舌(ぜつ)の素材の組み合わせやそれぞれの形などによって、ひとつひとつ違う音を発するのだとか。
舌(ぜつ)の先に吊り下げられているのが「短冊(たんざく)」で、
短冊が風を受けることによって、舌(ぜつ)が揺れて外見(そとみ)にぶつかり音が出るという。





★読んでみると当たり前のことだが、風鈴として各地でいろんな形で生れているようである。

 
 夏に風に揺れてなる風鈴はまさに日本独特の文化だが、
 風で音を鳴らすというのは形は違うが、世界にもアメリカにもあるようだ。

 日本でも各地独特の風鈴があって、
 南部鉄で造られた岩手の風鈴は有名である。


  



 兵庫県でも佐用町の光明寺の風鈴まつりが、
 7月から9月10日まで行われているようである。


 


 こんな風に、いろいろ調べてブログにすることで
 自分自身の新しい知識として身に付いていくのかなと思っている。


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 運動と体重と消費カロリー

2023-08-03 05:42:53 | 発想$感想

★毎日運動し毎日体重を測っているのだが、
 7月に入って夏痩せどころかちょっと体重は増え気味である、
 6月までは7000歩以上1万歩も歩いていて
 消費カロリーは2500キロカロリーぐらいはあったのだが、
 暑いので7月に入ってちょっと距離を落としたら
 2000キロカロリーぐらいに減ってしまって、
 体重は83kgと1kgほど増えてしまった。



 

 目指す体重は81kg台、できれば昔のように7kg台を目指したいのだが、
 なかなかそれがムツカシイ。


★ 先週あたりから暑いので、散歩を止めてジムに行っているのだが、
 ジムの器械による運動は消費カロリーは外での運動よりはどうも低いようで、
 その結果なのか、体重は83kg台と増えてしまった。

 そんなことで昨日は朝早くから久しぶりに協同学苑をスロージョッギングしてきた。
 朝6時まだ気温も26℃ぐらいの時間に日蔭の道を選んで約5000歩、
 1時間ほど運動してきた。

 


 周回路は日影だし、




 山道は全く陽が当たらない。




 約5000歩で6月よりは歩数は少なかったが、
 夕方体重計に乗ってみたら、久しぶりに82kg台に復活していた。
 多分ちょっとだけだが消費カロリーが増えたのだと思う。

★今日は木曜日でジムは休みだから
 今から協同学苑に行くことにしよう。
 時間は朝の5時40分である。
 まだ陽も上がっていないからちょっと歩数を増やしてみようかと思っている。

 ホントは体重を気にするなら、食うのを控えたらいいのだと思うが、
 食い卑しくて、それがなかなかできないのである。

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