しゃもじぃが死んでしまった。
一直線を突っ走った、しゃもじぃらしい最期だった。
50年前、1年半同じ職場だったが、その後別々の道に進み、全く没交渉だった。
10年前、巾着田の彼岸花見物に来たしゃもじぃに偶然会い、猫額亭に押しかけて来た。
以後5~6年だったか、隣の町から山を越え、猫額亭へ頻繁にやってきた。
しかし、泥靴で玄関に入る、葉書の送り主を誰何する、等々迷惑が多くなった。
森生が反発し、次第に足が遠のいていた。
今年の元旦に逢った時は、年下の森生より元気だった。
4月始めに音楽会の招待券をくれた時、身体中が痛いとこぼしていた。
5月始めに、数年前、腰の手術をした整形外科病院に検査入院した。
そして直ちに癌専門の大学病院に転院。
そこで胃癌が骨に転移していると診断され、酷く落ち込んだ声で電話を寄越した。
見舞に行こうとしていたら、緩和病棟に転院。
3週間前、森生は大学病院の眼科で1回目の精密検査をした。
いい機会なので、急坂を上り下りして、緩和病院へ見舞に行った。
その時は、検査直後の視界不良でよろよろしている森生よりも元気だった。
そして、さばさばとしている様子だった。
3週間後、再び眼科で造影剤検査を済ませ、緩和病棟に行ったら既にいなかった。
受付は詳しい状況を話してくれなかった。
余命半年と診断されていたので、一旦退院し身辺整理をするのかと思った。
翌日、念のため自宅に電話したら、初めて夫人が出て、通夜と葬式の準備中という。
急に意識が混濁し、3日前に亡くなったそうだ。
しゃもじぃの自宅は隣の町の丘の団地にある。
森生は、夜間の外出を控えている。葬式の時間は2本目の抜歯予定がある。
結局両方とも失礼した。
哀悼は形式ではない、心でするものだ。
しゃもじぃは親友だったのだろうか。
ここ数年は互いに距離をおいていたけれど、時々ズケズケ言い合える仲だった。
世間に無関心なじぃさんが多い。
しかししゃもじぃは倒れるまで、地域活動や福祉活動に参加していた。
そちら方面を敬遠している森生にとって、貴重な存在だった。
やはりしゃもじぃは親友だったのである。
さらばしゃもじぃ、また逢う日まで。
180713
しゃもじいさま、おさらばです。
森生クンはもうしばらくは行きません。
親しかった人を失ったのは3人目です
同期入社の2割は亡くなっています
最近 最期の迎え方を考えるようになりました
良寛和尚の
死ぬ時節には死ぬがよく候
これは災難をのがるる妙法にて候
という境地に達すれば と思いますが さて
返事が遅れてごめんなさい