艦長さんの本は刺激的だった。そして日本の神話について、あまりにも無知だったことに今頃気付かされた。
それで、かすかに覚えていた神さまや場所や出来事を、艦長さんが出版した本や電子辞書やネットでつまみ食いをしてみた。
クダラナイ妄想的理解かもしれないが、とりあえず分ったことが幾つかある。例えば順番はごちゃごちゃに、
・ジンム天皇130歳、は現在の1年を、当時は春秋暦2年で数えたからだ。
つまり今風に数えれば65歳で亡くなられたのだ。
・海サチヒコと山サチヒコの仲違いは深刻な家督争いだった。
末っ子ヤマサチは色仕掛けで網元の娘と懇ろになり、舅を味方にし、兄ウミサチ
を倒したやり手だった。
・オオクニヌシは乱暴狼藉者スサノオの子。イズモからやがて山陰九州地方を支配
した。新興ジンムからアマテラスの正統は自分だから全部返せ、と言われ、領土
返上の見返りに、六本木ヒルズのようなイズモマンションを造らせた。
・天孫降臨の地はタカチホの峰ではなく、本当はサガ県マエバル市だった。
明治政府=カゴシマ派は、学者を総動員して我田引水、タカチホとした。
それでもサクラ島にしなかったのは、流石に気が引けたからだ。
・あの頃のエライ人はみんな「神」にした。エライ人=上(かみ)さま=神さま、だ。
天皇家のご先祖は天下ったから「天つ神」、地元先住の有力者は「国つ神」、とサ
ベツした。ヒガシコクバルは「国つ神」.....って言うのは買い被りかな。
等々である。
これらを断片的に調べていると、天孫降臨地を奪われた佐賀藩は勤皇派ではなく佐幕派だったのか、などと新しいギモンが幾らでも湧いてくる。
電子辞書やネット上のコトバをまた電子辞書で調べたりして、一日くらいはあっという間に過ぎてしまう。
艦長さんは記紀に則り真実を求め、その成果を出版した。
凡人森生には記紀探求は、暇潰しとアタマの体操に大いに役立つのだった。
耳学問ですが、「クダラナイ」は「百済じゃないからクダラナイ」という意味だそうで。
初期平安王朝は百済系がハバを利かしていたそうで。
写真は吉野ヶ里遺跡。
独立行政法人情報処理推進機構の「教育用画像素材集サイト」から。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます