金を食う構造物。
関西における四ダム、果たしてダム造りが洪水対策になるのか?
確かにそれもひとつの手段かも知れない。
問題なのは環境の変化である。
ある人が昭和28年に洪水が起きたからダムが必要と言っている、あれからこの星の気象状況は変化している。単にダムを造れば全てが対策になるという一方的な考えが果たして正解なのか疑問である。
そのダムを造ることによって一握りの人は恩恵を受けるのは事実、しかしそれを作る事によって失われる自然の構築は出来ない、造られるのは道路であり、新たな建造物である。
ある意味で便利になるだろうし、生活も変わる。その結果死滅してしまうものや、追われた動物たちが生活を求めて私たちの生活の場に下りてくることになるのも事実。
そして騒いで行政の問題とか殺す事によって解決を図る、それが今の日本である。
川の問題は人の血管に似ている。
流れをスムーズにすれば水は流れて詰まることはない、それと均一の外壁の厚さであろう、
実際、その外壁は均一でない。
それはその時々の状況、思惑で工事を行ない、厚さが均一で管理されていない、至るところに手術が施されているのが実情であろうと思う。
上流の砂防ダム、堰堤、林道造り、伐採などで自然が本来持っていた力が奪われ、その被害が下流に及ぶ、それが現実である。
本来、水だけが流れると言う趣旨から反して、川にはいろんなものが流される、その一番が安易に捨てられる塵であり、開発で流される廃物である。
栄養過多になった川にはヘドロ、血栓となる草木が茂り、堤防を弱める事になっている。
つまり大切な川のメンテナンスを行なわないで、単にダムを造ってそれで国の役目は終わり、後は自治体でと言う考えが可笑しいのであって、根本は、ひとつの川に齎される影響を考えないで行なわれた開発が問題である。
確かに人は生きている。
同じように自然も、動物も生きている。それらの現状を踏まえ、調和と将来にたった展望で買えていくのが人間の責任である。
ひとつの建造物を造ることで失われる自然は再構築できないのである。
今の日本に欠けているのは一貫性がないことと、どうしたら自然と環境と災害から守れるかである、その英知が結集されずひとつの権力と利害に集中して弱者の環境、住民、第三者の意見が反映されない事である。
私が住んでいたときに話が持ち上がって、造られたあの話題の徳山ダムが今年完成されたと名古屋に訪れたときに知りましたが、あのダムが何十年という歳月と費用をかけて造られたことを知っている人は少ないと思います。
文明の恩恵である電力は大切であると同時に、年々温暖化が進んでいくなかで、自然がバランスを保ってきて、数年に一度か何十年に一度か、自らが手術を行なって元に戻していく自然の治癒能力を奪ってしまうのも考えされる面だと思うのですが、皆さんはどう思われるでしょか。
いま、何が大切なのか。
ダム造りによる遺産つくりでなければ、雇用対策でもない。
自然を守りながら、既存を大切に維持して、破壊を止めて調和と自然体系のバランスを崩さないことである、それが温暖化を食い止める施策になると思うのである。
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