5月12日(日)、母の日である。
私の母が亡くなってからもう数年が過ぎようとしている。
昨年まで母がいないため、妻の母に感謝の気持ちを込めて義母が好きなものを贈っていたがその義母も昨年亡くなり、もう今年は贈る人はなく、寂しいと思うのは私だけだろうか・・・母の日を前に考える私。
私の友人が親父の亡くなった時は余り悲しみに駆られることはなかったが、母が亡くなった時は悲しさに涙が溢れたと話してくれた。
その時はそんなものかと軽く流したが、いざ、自分の母が亡くなり見送った時に、棺を開け、最後の別れの時にさすがの私もいろんな想いがこみあげ涙がこぼれたものである。
確かに男女の違いはあるにせよやはり母の見送りはきつい、そう思った母の想いで。
古人はよく言ったもので「親孝行したいときに親はなし」改めて深く考えさせられる言葉である。
母
私を産み育ててくれた母
その母もいまはもうこの世にはいない
いつも私の中心にいた母も亡くなり
日々の生活から
記憶から
消えようとしている母
私たちのためにいつも身を粉にして
苦労しながら私を育ててくれた母
その老いていく母の姿を見ながら
他人事として見ていた私
いま亡くなって知る母の優しさ
人としての温もりその思いやり
いま年を重ねても母には近づけないでいる。
確かに父親が仕事をしながら収入があるからこそ生活が出来る、それは事実であるが、
家庭を守り、子育てしながら家を守って運営していく母がいるからこそ男は仕事が出来るのであって、その存在は無視できない、男はどうしても経済力が在るとおごってしまい、自分が今を作っていると妻を見下す傾向がある。
私の母が亡くなってからもう数年が過ぎようとしている。
昨年まで母がいないため、妻の母に感謝の気持ちを込めて義母が好きなものを贈っていたがその義母も昨年亡くなり、もう今年は贈る人はなく、寂しいと思うのは私だけだろうか・・・母の日を前に考える私。
私の友人が親父の亡くなった時は余り悲しみに駆られることはなかったが、母が亡くなった時は悲しさに涙が溢れたと話してくれた。
その時はそんなものかと軽く流したが、いざ、自分の母が亡くなり見送った時に、棺を開け、最後の別れの時にさすがの私もいろんな想いがこみあげ涙がこぼれたものである。
確かに男女の違いはあるにせよやはり母の見送りはきつい、そう思った母の想いで。
古人はよく言ったもので「親孝行したいときに親はなし」改めて深く考えさせられる言葉である。
母
私を産み育ててくれた母
その母もいまはもうこの世にはいない
いつも私の中心にいた母も亡くなり
日々の生活から
記憶から
消えようとしている母
私たちのためにいつも身を粉にして
苦労しながら私を育ててくれた母
その老いていく母の姿を見ながら
他人事として見ていた私
いま亡くなって知る母の優しさ
人としての温もりその思いやり
いま年を重ねても母には近づけないでいる。
確かに父親が仕事をしながら収入があるからこそ生活が出来る、それは事実であるが、
家庭を守り、子育てしながら家を守って運営していく母がいるからこそ男は仕事が出来るのであって、その存在は無視できない、男はどうしても経済力が在るとおごってしまい、自分が今を作っていると妻を見下す傾向がある。
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