四季の旅人

私のブログは生きるを旅として、四季を歩きながらその表情を文に纏めているのが私のブログです。

問いに対して。

2009-07-11 | Weblog
きょうは私がある人から質問を受けたことに対して書いてみました、もちろんそれぞれいろんな考え、意見はあると思いますが、これはあくまで私の考えであることを前提に読んでもらえるとうれしいですね。


原子力と温暖化

私の故郷には原子力発電所が集中している。
それは地場産業の落葉を補い自己の政治生命を高めるための手段にしか私に映らない、
つまり安直な県政としか取れないのである。

樹を植えよう、そう言いながらあれる森林、大きくなって持て余し美化、景観、障害と言って伐採される街の樹木これが現実。
果たして原子力は温暖化の切り札か?それはNOである。
たしかに火力と違ってCO2は排出されないけれど、その廃棄物、冷却水、送電ロスを考えるとマイナスの面が多々多いのである。
我々の発想が乏しいのはすべてを集中させ、コスト、安全、生活という人間を守ることにある、たしかにそれは大事なことであり大切ではあるが自然の環境、動植物の生息していることを無視することに問題がある。
片方では湯水のように消費される電力、それが必要な生活のインフラ整備など、誰かに権力が集中して儲かるようになっている、一人ひとりの生活、生きるということを考えればそれは必要であるとは思うのですが、余りにも考え、進め方、取り組みがアンバランスな面がありすぎであろう、たしかに利害もあり企業は利益を国は対世界とのバランス、国民の生活を考えたときには温暖化をこれ以上に悪化させない仕組み作りと取り組みの姿勢は大切である。
しかし現実は人の欲望は満たされることはない、温暖化を阻止しようといいながら片方では荒れる耕作地、必要以上の道路、ダム、空港等の箱物、欲望を満たすための温室栽培、四季と共に生き、食して旬を味合うという日本のよさが失われ、すべてが石油、電力に委ねられているという現実がここにある。
原子力が安全で温暖化の切り札であるなら、送電ロスを考えても電力の大消費地に隣接設置すればはるかにコスト削減にもなるし維持、メンテナンスも効率よく運用できると思うのですが、出来ないというのは環境面においても安全性においても問題がある施設であるということになるのである。
温暖化ということを考えたとき大切なのは利用バランスであろう、つまり火力、水力、原子力に地域の需要、特性に太陽光、風力、雨水、ごみ、廃棄物をうまく利用する仕様書を作り、それらを地域の特性に組み合わせた街造り、インフラの整備など体系的に考える事がこれからは必要である。
その上で最終的に住民に対して初めて企業、自営、家庭という単位に環境税などの負担整備を図るべきである。

原子力は安全であるか。

答えはYESかNOで言えばNOであろう。
原子力は熱を大量に発生させる以上その冷却のコントロール、配管の腐食、劣化は避けられず、また人が管理運用する以上絶対に100%安全に管理コントロールは難しく、自然を破壊して構築している以上その自然から受ける歪み、災害に対しては完全とはいえないのである。
つまり安全防止策は講じていても予期せぬ出来事は常にあるという前提で考えないといけないのが原子力である。

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