四季の旅人

私のブログは生きるを旅として、四季を歩きながらその表情を文に纏めているのが私のブログです。

私がいつも思う疑問

2008-03-26 | Weblog
私が住んでいた岡山で、また同じような事件が起きた。
「なぜ」皆がそう思うだろう。
それが普通である。
彼の心の中で何が起きたのか、それは誰にも分からない。
分かるのは、やはり追い詰められていたのか、
そう思うだけである。
独りで悩み、苦しんでいたのであろう彼の気持ちを考えると、とても残念だ。
彼は「自己中心、人として最低、惨い、甘えている、意志が弱い」
普通ならそう言い、思うであろう。
また専門家はいろんな推測をして、マスコミは取り上げ、ニュースに流すであろう。
私が思うのは、「彼には心から信じ話せる友達がいたのかな・・そう思うのである」
彼の家庭、学校、地域がどれだけ彼をカバーしたのか考えてしまう。
確かにそこまで学校、先生に管理を押し付けるのは酷であるけど、
両親や信頼出来る人が彼にいたなら、そう考えて止まない。
確かにいまの社会、政治、未来を考えた場合、若い世代に希望があるとは思わないし、
生きて行く方向が示されていないのも事実。
「甘えるな、世の中そんなに甘いものではない、人生は厳しいものだ」
当たり前である、人生も仕事も遊びではない。
特に私たちの世代ならそう話すであろう。
しかし、いかなる理由があろうと命を奪ってはならないし、
全てのものに生きる権利が在るのである。
人間はそんな弱い立場の人を守らなければならないのに、
学校、職場でいじめはなくならない。
自分の都合主義で子供は殺す、そんな親がいるのも事実であり、
手本にならないといけない大人が殺人を平気で起こす世の中である。
政治も社会もおかしい世の中になって、建前が罷り通り、自分の事しか考えない、
個人主義の社会構造になってしまっている。
彼がなぜこのような行動にでたのか分からないけど、ひとりで悩んでいたのは事実だと思う。
自由のない、制約された刑務所の生活が、素晴らしいと、
普通なら思わないと思うのですが、それが希望と言って殺人を平気で行なう、
この行為が私には分からない、これも年代のギャップなのか、
もう少し、先をみて考えて欲しいし、悩みをぶつける人がいたなら・・・
そう思えてなりません。
人であれ、動物であれ、命を奪うと言うことは、
知って欲しいし、周りの幸せを全て奪うことになる事を考えて欲しいものである。
いまの時代、互いに信じ合い助け合う、心の友人が作れないところに、
問題があるのではないかとおもう。
最後に亡くなった人のご冥福とご家族の幸せを祈って止まない。

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