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四季の旅人

私のブログは生きるを旅として、四季を歩きながらその表情を文に纏めているのが私のブログです。

母の日に寄せて

2009-05-11 | Weblog
この文は昨日の母の日に載せるつもりでしたが、なぜか疲れてしまい今日になりました。
一日遅れ、たしかにそれはゆがめませんが前回の文とセットです、
読んでもらえると嬉しいでよろしくお願いします。

母の日の思い

人は必ず年月を経て老いていく、
それは誰にも平等に訪れる、神は公平な裁きをしてくれるものである。
5月11日(日)は母の日である。
もう私の母は他界してしまい、私の家族はもう私しか残っていない。
その母が亡くなって7年が過ぎた、時の流れとは早いものであり、その記憶の老化の早さに唖然とするひとりである。

母の晩年は痴呆が悪化して、私の手に負えなくなり施設に入れて、晩年の数年を施設で過すことになり私はこの関西から生まれ故郷まで介護に通うことになり、その度ごとに薄れていく記憶の中で何とか私のことを忘れまいと必死になっていたことを想いだすのでした。
最期は病院のベッドの上で独り寂しそうに家族に見守れることなく亡くなった母。
翌朝駆けつけたときはもう病院から住みなれた我が家に移り仏壇の前に寝かされていた母、
私には辛い、やりきれない再会でした。
親類の人には余り言われなかったけど、の人には激しく責められたのが相当応えたことを覚えています。
こういったことをすれば私も同じことをされるだろうな・・・
そう懺悔して反省をして母に詫びたことを。

私は忠実な仕事人間、その最期を赴任先で聞いても直ぐに駆けつけることが出来ず、このことが私にとっていつも後悔の想い出になっているのである。
母は強い、子を守るその愛、優しさは男にはないものが母にはある、私は小さいときに父が亡くなっているので判らないが、あるとき仲のいい友人が「父の時は涙が流れなかったが、母の時はさすがに涙がこぼれた」その言葉が妙に気になっていたけど、実際に自分の母が亡くなり見送りの場に立って母の顔を見たときは、とうとう耐え切れなくなって涙をこぼしました。
晩年、最期は介護されるかも知れない、たしかに保険料は支払っているがそれですべて癒されるものではない。人の最後を見送るのは家族の務め、私を生み育て愛してくれた母に最期は結局いまの制度の中に埋没させた私、ある意味で最低かも知れない。
不景気という社会状況の中で、いま母が生きていたらこの時期にちゃんと見送ることが果たして出来るだろうかと考えたとき私にはその自信がない。
母を看る。それは自分を育ててくれた母への恩返しをするのは子供としての務め、そう田舎に育っている私はそう思うけど我子にはその概念がないのが哀しい。
人が老いていくという事は子供に戻ることである。
改めてこの母の日に考えたいのは母の子としてしての務め、綺麗ごとで済まされない介護、母への愛、子供になった母をちゃんとおしめを替えたり、食事を与えたり、話しかけたりして介護をする、母の面倒を看る、子守をする。
それは子にしか出来ない、母の日とはある意味でそんなことを考える日である。
母の日は母への「ありがとう」を改めて問い、考える大切な日。

老いる、それは母が子供に戻る時、すべてがそうなるとは限らないが、老いた時は子供になった思い、母が私をあやしてくれたように、今度は私が母をあやしたい。
母の日とはそんなことを改めて考え、その母に対して素直に、「母さんありがとう」
子として心を籠めて話しかえる最良のメモリアル記念日。

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