大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

滅鬼の刃・5『うかつな思い出』

2021-01-11 13:23:26 | エッセー

 エッセーノベル    

5・『うかつな思い出』   

 

 

 準急に間に合わせるため、三つ手前の信号から走りました。

 

 十五年ほど昔の事です。

 平年よりも五度ほど高い気温だとは天気予報で知っていたのですが、ソメイヨシノが終わって、造幣局の通り抜けの八重桜には間があると言う四月の半ばごろの事なので走っても汗にはならないだろうとタカをくくっていました。

 混んでいるエスカレーターを尻目にホームへの階段を上がると、ちょうど目当ての準急が出たところでした。

 上着を脱いで額の汗を拭こうと思ったらハンカチがありません。

 脱いだ上着でゴシャゴシャと汗を拭いて、カミさんは、こういうの嫌がったなあと反省。

 やっときた各駅停車に、オッサンが気楽に腰を下ろせるほどの空席がありません。

 しかたなく、隣の車両に移動して、六人掛けのシートに三人しか座っていないのを発見して腰を下ろしました。

 すると、視野の端に入っていたオバサンが間合いを詰めてきます。

「おおはっさん」

 呼ばれて顔を向けると、初任校でいっしょだったM先生です。

「あ、ああ、お久しぶりです(^▽^)」

「走ってきはったんですか?」

「アハハ、準急を逃してしまって。M先生、いまはどこの学校に?」

「○○高校に、去年から」

 ○○高校は、わたしの勤務校よりも偏差値で15ほど上の学校です。

――あ、ええなあ――

 思いましたが、むろん声には出しません。

 ほとんど十年ぶりに会う方なので、精一杯の笑顔で受け答えします。

「S先生といっしょなんですよ(o^―^o)」

 S先生という名前に、わたしの精一杯は吹っ飛んでしまいます。

「去年退職しはって、今はH短大で教えながら非常勤で来てはりますよ(^▽^)」

「Sだけは許せんのですよ」

 反射的に言ってしまいました。

 M先生は、S先生がわたしの恩師であることを承知していて、久々の邂逅の話のタネにしようと思われただけなのは「Sだけは……」の「だけは……」で思って、しまったという気持ちになります。

 M先生は、よく言えば鼻白んで、公平に見れば傷ついて憤慨されてしまわれました。

 可愛い子犬と思って頭を撫でようとしたら噛みつかれたみたいな感じです。

 M先生に罪は無いので、すぐに挽回しようと思うのですが、とっさには間に合わず、二つ向こうの目的の駅に着いて、わたしは降りてしまいました。

「それじゃ」とか「失礼します」とか言ったのか、無言で降りてしまったのか記憶にありません。

 それほど、S先生の名前は、わたしの脳みそを瞬間で沸騰させてしまったのです。

 S先生は、こんな先生でした。

 一時間目の授業には来られません。

「おれ、一時間目は来ないけど、ぜったい職員室に呼びに来るなよ」

 一年生で学級委員長になったわたしを廊下に呼び出して言い含めました。

 せいぜい、次の一時間目の授業だけかと思ったら、連休前になっても一時間目の授業に来ません。

 たまたま、教室の前を通りかかった担任がS先生の不在に気が付いて「おい、委員長」と廊下に呼び出され、「五分たっても先生が来られない時には呼びに行くようにいっただろう!」と叱られます。

 子ども心にも本当のことを言ってはまずいと思い「すみません」と、その場は謝っておきました。

 その次の一時間目もS先生は来なかったので、さすがに職員室に呼びにいきます。

 そこで知れました。S先生は一時間目に間に合うようには出勤していないのです。

 ちょっと問題になって、わたしはS先生に𠮟られました。

「おい、呼びに来るなって言っただろうが!」

 ちょっと不貞腐れるように謝った記憶があります。

 授業はヨタ話というか余談の多い先生でした。学生時代の話や、学校の噂話などで、一時間目に来ないこともあいまって、総授業数の半分ほどしか実質の授業がありません。

 連休明けになると、真面目な生徒は自分で勉強していたように思います。

 テスト前の四時間……三時間ほどでしょうか、大慌てでテスト範囲の内容を黒板の端から端まで三回ほど書いて早口で説明されていました。

 主要教科ではなかったので、それ以上に問題になることはありませんでした。

 幸か不幸か、二年生になるとS先生は学年が異なったこともあって、授業を持っていただくことはありませんでしたが、こんな出来事がありました。

 S先生が予備校で授業をしていると噂が立ったのです。

 進学校でしたので、現役の生徒でも塾や予備校に行っているものが居て、その関係で噂が広まったようです。

 放置しておくわけにはいかなくなって、同僚の先生たちが「ちょっとまずいよ」的な注意されますが、今風に言うと「それはフェイクです」と突っぱねました。

 先生たちの中には、S先生が高校生だった頃の恩師もおられ「ちょっとS君、いやS先生」と差しで話しているのを図書室で目撃しました。

 ああ、これはヤバいなあと思いましたが、S先生の恩師は、それ以上注意することを控えて、腕組みしたまま図書室を出ていかれました。

 強い喜怒哀楽というものは言葉にしなくても溢れてきます。例えば殺気ですねえ( ゚Д゚)。

 殺気を感じて振り返ると、隣接する司書室からI先生の怖い顔がガラス越しに見えます。

 I先生は、正義感の強い先生で、なんと、放課後S先生の後を付けて行きました。S先生の向かった先は、噂通りの予備校で、窓の外からS先生が講義をしていることを確認。勤務を終えて出てきたS先生に「おい、S、やっぱりやっていたじゃないか!」と詰め寄られ、S先生の予備校勤務は白日の下に晒されました。

 でも、ここまでであれば、まだ校内のもめ事ですみました。

 なんとS先生はI先生に匿名の……なんというか、強い意志表明の手紙を出しました。

「大橋君、あいつ、こんなもの寄こしてきやがったヽ(`Д´)ノ」

 見せていただきましたが、恐ろしくて「強い意思」であったことしか覚えていません。

 ここまでくると、穏やかに事は運びません。

 新聞社に情報を漏らした者が……生徒か、保護者か、教職員の誰かか、今となっては知る由もありませんが、法律で禁じられている兼職をやっていることや授業をロクにやっていないことが新聞に書かれました。

 いまなら免職ものでしょう。

 教師には甘い時代でした。

 生徒でしたので、詳細は分かりませんでしたが、どうやら戒告程度で済んだようで、勤務はされていました。

 しかし、すでに学校関係者や世間の知るところとなり、府議会でも問題になり、府議会の文教委員の議員数名が随時査察にやってきました。

 これはこれで面白い事件だったのですが割愛いたします。

 S先生は、翌年、府内でも指折りの困難校に転勤になりました。離任式の日に図書室に寄られて、他の先生にグチっておられるところを、また目撃してしまいました。

 子ども心にも――どの面下げて――と思ってしまいました。

 S先生は、わたしが所属していた部活の顧問でもあって、部活でもいろいろあったのですが、ここでは触れません。

 とにかく、この先生は許せないと思ったのですが、M先生と電車で会ったのは、それから四十年近くたっています。

 ちょっと呑み込んだら「ああ、S先生ですかあ……懐かしいなあ、お元気にやっておられますか(o^―^o)」くらいに言えたのですが。

 信号三つ分走って、準急に間に合わなかった悔しさと汗で、スイッチが入ってしまったんでしょうねえ。

 あれから、十余年、思い出しては汗が出てきます。

 うかつな思い出は、不用意に人を傷つける刃になります。

 こんどM先生にお会いする機会があったら、ちょっとフォローしておきたい失敗でありました。

 

 

 

 

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滅鬼の刃・4・『わざわざ法律』

2021-01-03 08:03:08 | エッセー

 エッセーノベル    

4・『わざわざ法律』   

 

 

 お祖父ちゃんは「食べれない」という言い方を嫌います。

 

 子どもの好き嫌いを戒めての事ではありません。

「栞(しおり)、ちゃんと『食べられない』と言いなさい」と注意されるのです。

 そうなんです『ら抜き言葉』を注意するのです。

「たかが二三十年の言葉の流行りで日本語を崩しちゃいけないよ」

 そう注意されて――ほんとかなあ――と思って、昔の小説を引っ張り出します。

 なるほど、小松左京も野坂昭如も佐藤藍子も瀬戸内寂聴も司馬遼太郎も、ちゃんと『ら入り言葉』です。

 いっしょにテレビを見ながらホカ弁を食べていて『そのパセリはプラスチックだから食べれないよ』と注意したら、お茶目なお祖父ちゃんは、ズイっとラー油を押し出しました(^_^;)。

 わたしが生まれる前は、学校では日の丸も君が代もNGだったとは知りませんでした。

 わたしの世代は、保育所にだって日の丸ありましたからね。

 学校の門の前には学校の看板があるのと同じくらいの常識で日の丸は翻っていましたし。

 そういう当たり前のことを復活させるって大変なことだと思うんです。国や教育委員会が「ああしろ」「こうしろ」と言って変わるもんじゃないと思うんですよ。

 上から言って一発で変わるのは独裁国家です。

 お祖父ちゃんに言わせると四十年ほどかけてまともにしたんだそうです。

 職員会議で日の丸に賛成すると「法律には書かれていない!」と反対意見を言う先生がいたそうです。しかたなく政府が国旗国歌法(合ってたっけ?)を成立させると「法律で強制するのはけしからん!」と反発されるとか。わたしの知る限りでも国旗国歌法に反対する広範な国民運動が起こったことは確認できませんでした。

 国によっては国旗・国歌の扱いを口やかましく法律にしてあるところもありますが、日本は「日の丸を国旗とし君が代を国歌とする」的なことしか書かれていません。

「それは、国旗国歌については日本が長年慣習法でやってきたからだよ」とお祖父ちゃんは言います。

 慣習法と言うのは、当たり前の事なので、わざわざ法律にはしないということらしいです。商業の慣習とかがそうらしいんですけどね。

 日本の言葉は日本語だというくらい当たり前の事なんで、わざわざ成文法にはしなかったということなんだそうです。

 お祖父ちゃんのように、そういうことを主張してきたからこそ、いまの当たり前があるんだと思います。

 そういうことを地道に主張してきたお祖父ちゃんは偉いと思います。

 ちなみに、うちの家は日の丸は揚げません。

 ちょっと矛盾みたいですけど、まだまだ一般家庭で旗日に日の丸を揚げるところまではいっていません。

 お祖父ちゃんは、わたしのことを気遣ってくれているんです。

「おお、栞んちは日の丸挙げてんだ」と、場合によってはネトウヨを見るような目で見られたりします。そういうリスクをわたしには持たせたくないので気を使ってくれているんです。

 

http://wwc:sumire:shiori○○//do.com

 

 Sのドクロブログ!  

 あら、今度もアクセスしてくれたのね(o^―^o)

 お祖父ちゃんて、友だちが居ないのよ。

 分かるでしょ、団塊の世代なのにさ、日の丸君が代に反対だなんて、そりゃあ世間狭くなるわよ。

 一介の平教師が反対したってさ、世の中変わるもんじゃないっしょ。

 それをヒーローぶってさ、学校の会議でわざわざ手ぇ挙げて主張する!?

 友だち失くすって!

 んなことしたって、退職金増えるわけじゃないし仕事が減るわけでもないっしょ?

 ちょっと考えりゃ分かるじゃん。

 まあ、ソフトは家……アハハ、おっもしろい。

 変換ミスって面白いよね。

「祖父とは云え」と打ったら「ソフトは家」だもんね。

 家はソフトじゃねえっちゅうの!

 気づいた人もいると思うんだけど、あたしはクソジジイと二人暮らし。

 あたしも哺乳類だから生物としての両親は居るよ。

 でも、親とはいっしょに暮らしてはいない。

 なんでかは、まだ言いたくない。ま、いろいろ想像して楽しんでよ。

 ブログに晒すんだから、そのくらいにオモチャにされることは覚悟してるわよ。

 あ、名前ばらしちゃったよね(^_^;)

 Sのドクロブログなんて看板なのにね、あたしもアホだ。

 そう『栞』ってのがあたしの戸籍名。

 あんた『栞』って、一発で読めた?

 中二の時、新任の先生が出欠点呼してて、あたしのとこで詰まっちゃった。

 大学出てんのに『栞』読めねえんだよ。生徒には初見で読めねえやつってけっこういたからさ。ま、いいんだけどぉ。

「えと、しおりって読みます。『耳をすませば』って宮崎アニメの主人公の名前なんです(#´ω`#)」

 ブリッコで注釈したらさ、いたく感動されて、その先生の前ではブリッコ通さなきゃならなくなって困った。じっさい、通したしぃ。

 夢壊されるのって嫌いだから、人の夢も壊さないようにしてんの。

 ら抜き言葉とかもTPO考えて使い分けてるよ。時々ほかのクソジジイやクソババアに感動される。

 まあ、ポッと頬染めて、ますますブリッコに磨きがかかる。

 どーでもいい話なんだけどさ。

 三分とか四分とか、どう発音する?

 ああ、これ、宿題。こんど聞かせてよ。

 じゃね。

    by Shiori (^▽^)/

 

 

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滅鬼の刃・3・『正月の日の丸』

2021-01-01 08:48:43 | エッセー

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3・『正月の日の丸』   

 

 

 昔の正月と言うとしめ縄と日の丸が当たり前でした。

 そう、正月三が日は旗日でありました。

 会社や大きな商店ではしめ縄・日の丸どころか門松が門前に据えられていました。

 

 昔と言っても戦前の話ではありません。わたしが子どもの頃の正月ですから、昭和四十年くらいまでのことです。

 元日の朝、年賀状を郵便受けから出そうと表に出て見ると、人気(ひとけ)のないことと、大晦日とは打って変わったしめ縄と軒ごとに日の丸が並んでいる新鮮さに、子どもながら『年が改まった』と感じたものでした。

 いまは、門松はおろか、しめ縄も日の丸もほとんど見かけません。

 いまは、昔、門松があったくらいの割合でしか日の丸を見かけません。

 いまは、学校や官公庁には年がら年中日の丸が揚がっています。

 

 学校に勤めていたころ、入学式や卒業式を控えた職員会議では『日の丸の掲揚』が問題になりました。

 

 校長が、日の丸の掲揚をお願いすると、組合の分会長あたりが手を挙げて「日の丸は侵略戦争の象徴であって、学校の行事に掲揚することはそぐわない」と反対します。議長が「他にご意見はありませんか?」とふると、数名の先生から手が上がります。

「国旗にアイデンティティを求めるのはアナクロです」

「日の丸は国民的な同意を得ていない」

「侵略戦争の意味を考察することなく掲揚することは許されない」

「外国籍の生徒だっているんです」

「日の丸問題を教育現場に持ち込むな」

「日の丸の強制は戦時政策で、戦時中そのものだ」

 と、まあ、こんな意見が述べられます。

 で、「それでも日の丸は掲揚します」と校長が宣言しておしまい。

 

 当初は、式の時間に校長室に優勝旗のように飾られるだけでした。

 次に、グラウンドや屋上のポール、その次には式場の隅に、その次の次には壇上の隅、その次に演壇の横、その次には舞台の正面に校旗と並んで掲げられる現在の形になり、式の最初に唱和する『君が代』とセットになって今に至っています。

 子どもの頃の記憶があるわたしは運営委員会や職員会議で「戦後も平気で揚げていました、日の丸の忌避は野党やマスコミの日本批判の『ためにする』シンボルにすぎません」的なことを発言してきました。

「侵略戦争の残滓であるという事実に目をつぶっている!」的な反対意見に袋叩きの目に遭ってきました。

 特にあの戦争の戦時政策を研究しているわけではありませんでしたが、記憶をもとに意見を述べました。

「戦時政策の残滓なら、他にいっぱいあります」

 みんな「はて?」という顔になります。

「電鉄会社や電力会社、ガス会社などは大手企業の寡占状態ですが、これは戦時中に戦争遂行のために統合されたものです。東京が都政を布いて東京市を廃止にしたのは戦時中です。日本語を横書きにする場合、左から書きますね。あれは委任統治領であった南洋の人たちが「右書き左書きが混在しているので、南洋の人たちが混乱する」と南洋庁からの申し出があって、戦時中に左書きを標準とすることに政府と軍部が決めました。ことほどさように、戦時政策は改正されることなく続いているのです。そこを言わないで日の丸だけを目の敵にするのは、間違っておりませんか。戦時政策の残滓を解消するならば、横書きを右書きにし、東京市を復活し、寡占企業を解体する事こそ大事で、分かりやすくはないですか」

 こういうことを発言してきました。

 みなさん黙っているか、それ、ほんまか? という顔をなさっていました。

 組合や政党の支持や闘争方針にはないことなので、どう理解していいかお分かりにはならなかった様子でした。

 まあ、上から下りてきたドグマを無批判に信じてきたことからくる一種のゲシュタルト崩壊であります。

 このドグマは先生たちにとっては学校と言う狭い世界でアイデンティティを維持するための滅鬼の刃でありました。

 あまりに狭い世界でしか通用しない滅鬼の刃だったので、とっくに擦り減って、翩翻と日の丸が翻っております。

 かつて日の丸に反対した先生の幾人かは、校長になって、昔からそうであったかのように「日の丸は国旗であります、学校に国旗を掲揚するのは当たり前です」のフレーズで絶滅危惧種になった先生たちを瞬殺しておられます。

 

 

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滅鬼の刃・2・『お祖父ちゃんをよろしく』

2020-12-29 11:03:07 | エッセー

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2・『お祖父ちゃんをよろしく』   

 

 

 お祖父ちゃんが『滅鬼の刃』というブログエッセーを始めました。

 

 部活の同窓会をやって、いろいろ感じたのが動機なんだそうです。

 同窓会に集まったのは昭和30年前後生まれの人たちばかり。

 昭和30年というと、東京オリンピックはおろか、東京タワーもありません。有名な『三丁目の夕日』よりも古い時代です。

 お祖父ちゃんは昭和28年生まれなんで、ほかのみなさんとは、ちょびっと年上さんです。

 21世紀生まれのわたしから見ると、30年前後生まれの人たちは一括りに『ちょっと元気なお年寄り』になります。

 それでも、ちょっと元気なお年寄りにも微妙な違いがあって、それを面白がっているようなブログです。

『鉄腕アトム』は、わたしには古典のコミックでありアニメに過ぎません。

 知識としては知っていても、実際に見たことはありません。YouTubeで検索したらダイジェストで見られます。

 うーーん、古典ですね(*´∇`*)。

 同窓会でアトムが話題になって、主題歌を歌ってみると、お祖父ちゃんと後輩の皆さんとでは全然違ったというのが面白いんですよね。

 話してみると、お祖父ちゃんのアトムは実写版で子役の少年がアトムのコスを着てやっています。

 ま、そのギャップが面白かったんですね(o^―^o)。

 

 ブルグには書いていませんでしたが、お祖父ちゃんは孫娘の、つまり、わたしの自慢をしたんです。

 すると、後輩のみなさんが「先輩、お孫さんにも、なんか書いてもらってください(^▽^)/」ということで、一回交代でわたしが書くことになりました。

『滅鬼の刃』とは恐れ入りました。

 アニメ映画の興行収入ランキングで『千と千尋の神隠し』を追い抜いて堂々一位になった作品のタイトルをモジるとはビックリです。

 でも、お祖父ちゃんのやることですから、単に「あてこんだ」とか「あやかった」とかだけでは無いようです。

 お祖父ちゃんは、常々「人の心には鬼が居る」と言っています。

 人には妬みとか嫉みとか、あるいは優越感とか自尊心とか、そういう鬼のために人に悪いことをしてしまうことがあると、半ば自嘲気味に言ったりします。

 そういう鬼封じの意味があると思います。

 もう一つは、世渡りしていくうえで人が携えている『刃』です。才能と言い換えれば分かりやすいですね。

 勉強の才能 スポーツの才能 スピーチの才能 音楽の才能 お料理の才能 計算の才能……とかです。

 お祖父ちゃんは、そういう才能が自分にもあって、それを使って生きてきて、そのおかげで無事な年金生活ができていると自他ともに認めています。

 でも、自他の事を公平な目で見るお祖父ちゃんは、自分が持っていた才能という刃は、どこか不完全というか生かしきれなかったというか、象徴的に言うと「メッキの才能」だったんじゃないかという思いがあります。

 それが『滅鬼の刃』というタイトルになったんじゃないかと思います。

 含蓄があるというかシャイというか、そういうお祖父ちゃんのエッセーを応援……というよりは、稽古台にさせてもらって自分の表現力を磨いて行ければと思います。よろしくお願いいたします。

 自分でもブログをやっていますので、興味のある方は下のURLにアクセスしてみてください。

 

 http://wwc:sumire:shiori○○//do.com

 

 

 Sのドクロブログ!  

 

 よくたどり着いたわね。

 いちおうURLは貼り付けといたけど、ほんとうにアクセスして来るとは思わなかった(-_-;)。

 ここは本音だから、そのつもりで読んでね。

 クソジジイがブログを始めた。

『滅鬼の刃』だって!

 ゲロ出そう!

 完全、パーフェクトのパクリじゃん。

 年とると、恥も外聞も無くなるんだね。

 やってらんねえっちゅーーの!

 まあ、クソジジイはあたしの保護者だしい、じっさい、経済的にはよっかかってるわけだから、いちおう提灯記事的には書くけどさあ。

 本音ぶちまけとかないと、ほんっと! 悶絶して死ぬし!

 コロナでGOTOとかも廃止になったっしょ。

 それをノコノコ同窓会に行くって、どういう神経よヽ(`Д´)ノプンプン!!

 昨日も国会議員の人が死んだとこじゃん。

「暗殺かもしれないなあ」なんて、クソジジイは言う。

 アホか!

 コロナに決まってんじゃん。今朝のネットニュース見たら、そうゆってたし。

 なにかあったらどーすんだよ。

 クソジジイになんかあったら、あたし路頭に迷うんだからね!

 鉄腕アトムの主題歌で耳クソみたいなジェネーレーションギャップ感じたって、よくブログに書くね。

 恥ずかしいよ!

 ハズイじゃないよ、恥ずかしいだよ!

 昔だったら切腹もん! 腹切れ! クソジジイ!

 刃は才能のことで、自分のそれはメッキだったって!

 UUUU……目まいがするしい。

 そんな逆説めいた自慢なんかすんなよ!

 こう言い回しって、女子にいちばん嫌われる!

 事実、あたし嫌いだし、大っ嫌いだし!

 

 あたしって、本音で書くと、文節短い。短っか! みんな一行で済んでるし(^_^;)

 

 ああ、もうくたびれたあ。

 

 じゃね、もう書かないかもしんないけど、つでとかがあったら、また来いよ。

 

 

 

 

 

 

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滅鬼の刃・1・『ジェット推進十万馬力』

2020-12-20 09:43:47 | エッセー

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1・『ジェット推進十万馬力』   

   

 

 あやかりものと申しましょうか、パクリっぽいタイトルで申し訳ありません。わたしなりの思い入れはあるのですが、最初に書くと、なにか言い訳っぽくなってしまいます。お読みになっているうちに「ああ、そうなのか」と感じていただければ幸甚です。感じられなかったらごめんなさい。

 とりあえず、エッセーかラノベか判然としない、そういう虚実皮膜的な駄文を、どこまでいくか分かりませんが、とりあえず鞘から抜いてみることにしました。

 
 部活の同窓会を南森町のイタ飯屋でやった時の事です。

 還暦前後のおっさん・おばはんの話は子どもや孫の話題になりました。

「こんどのガンダムは動くらしいで(^▽^)/」

 ワインに酔ったT君がスマホを出します。

「ああ、東京のどっかにあるやつやなあ」

「横浜や」

「せやったか……あれはポリさんの人形みたいに立っとるだけで動いたりせえへんぞ」

 警察を定年で辞めたY君が遮る。

 生徒だった頃から、人の間違いは正さずにはおられない性格で、その正義感が災いして、警部補止まりでの定年。いまだに定年後の再就職先が決まっていないY君。

「ガンダムて、うちの息子がガンプラ集めてるわ」

「うちは、亭主が集めてる」

「エバンゲリオンと双璧やねえ!」

 ん十年前のJKたちも身を乗り出してくる。

「これ見てぇ! 孫といっしょに日本橋(大阪なのでニッポンバシと発音します)行ったらさあ、お店丸ごとガンプラいうのんがあったのよ。ほら、これこれ、店の看板がガンダムの上半身! なんや、ずぼらやのフグ提灯みたいや思わへん?」

「そんなんちゃうねん、東京のは全身像や。これこれ」

 Y君は画像をつぼめて全身像であることを強調する。

「それは古いやっちゃ、これこれ、こっちを見いや」

 空き瓶やら空き皿を押しのけて、テーブルの真ん中にスマホを据える。

「え?」

「あ?」

「どんなん?」

「こんなん」

「「「「「おおおおお」」」」」

 テーブルを囲んで盛り上がる。

 横浜の山下ふ頭の実物大ガンダムが動き出すのを見て、どよめきが起こる。

 見てくれは還暦前後だが、こういう珍しいものへのリアクションだけはン十年前のままだ。

 そういうジジババ予備軍の好奇心に還暦を七年過ぎたわたしは着いていけない。この数年の歳の開きは、意外に大きい。

「俺はアトムとか鉄人28号やさかい、ガンダムはよう分からへん」

「ああ、アトムやったら、あたしらも観てましたよ(^▽^)/」

 バランス感覚のいいKさんが、現役のころと変わらぬエクボを浮かべて話を継いでくれる。

「そうや、アトムの主題歌て、ここ一番いうときに浮かんでけえへんか」

 T君が受け取って、自然に話題を膨らます。

 そうや、アトムの主題歌なら、俺も歌える!

 わたしの高揚を察してくれて「先輩、歌ってくださいよ!」とマイクを差し向けてくる。

「よし、ほんなら、みんなで合唱や!」

 カラオケメニューを呼び出すのももどかしく、合唱の音頭を取る。

 いち に さん ハイ!

 
 で……歌が違った(;゜Д゜)

 
 空を超えて~ ラララ 星のか~なた ゆくぞ~アトム ジェットのかぎ~り♪

 後輩たちは陽気に空を超えた。

 わたしは。

 ぼーくは無敵だ 鉄腕アトム 七つの力をもーっている♪

 
 わたしのアトムは実写版だった(-_-;)

 
 子役の少年がマンガのそれとは全然違う昆虫を思わせるウェットスーツみたいなのを着て、アトムヘッドを被って活躍するというものだ。当然、アニメのそれとは主題歌が違う。

「あ、いや、アニメのんも知ってるからね(^_^;)」

 自分でフォローをして、みんなに合わせて、事なきを得ました。


 人生、ここ一番という時に口ずさんでしまう歌が、一つや二つはあるもんですよね。


 それが、後輩たちの場合は『ゆくぞアトム ジェットのかぎ~り(^^♪』で、わたしの場合は『ジェット推進十万馬力~(^^♪』になるわけであります。

 昭和もガンダム世代や平成生まれの若い人には「どっちも同じ(^▽^)ジジババ」のノスタルジーなのでしょうが、この差は団塊の世代の境界面になるのです。

 アニメアトムの世代は、心情では左翼っぽくとも、デモに行ったり集会に参加したりはしない人が多いように思います。

 実写アトム組は、団塊の世代の尻尾の先で、雰囲気にのまれてデモの最後尾に付いたり、校長や学長への大衆団交の末席におりました。いわば現場の端っこに居ましたので、その後の団塊本流の、よく言えば行く末、悪く言えば変節を目の当たりにしてきました。

 大正生まれの親たちが「わしら、子どものころは江戸時代生まれの人が生きてたでぇ」とか言うのと似ているように思います。

 同窓会の帰り道、みんなの話をニコニコ聞いていたX先輩が地下鉄の階段を下りながら言いました。

「実写アトムはシーズン1とシーズン2があってな、君の言うてたのはシーズン2のほうや」

「え、そうなんですか!?」

「シーズン1は、カチカチの外骨格みたいなん着とった……こんど写真見せたるわ」

「そんでも、アトムの主題歌は『ジェット推進十万馬力~』でしょ?」

「う~~ん……俺はアトムよりも『赤胴鈴之介』かなあ、山東明子のナレーションで、吉永小百合が子役で声やってた」

 うう、それは知らんかった。

 改札に入るころは、まだ決着の付かない大統領選挙の話題に替わり、当然の如く先輩はバイデン押しでありました。

 長幼の序を旨とするわたしは、あいまいな返事をしてイコカを改札機に認識させたのでありました。

 

 

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小説学校時代 24『賃金職員』

2020-06-29 07:56:57 | エッセー

 24 

『賃金職員』  

 

 

 賃金職員という言葉をご存知でしょうか?

 

 賃金職員とは、三交代を含むフルタイムで働くなど、仕事の内容、責任も正規の職員と同じなのに、「定員外」だという理由で一年未満の雇用契約の更新をくり返し、賃金や労働条件も差別されている職員のことです。 例えば夏季休暇、結婚休暇、育児休暇、介護休暇などを認められず、正規の定員職員より長時間労働となることも珍しくありません。

 検索すると、上記のような説明が出てきました。

 

 え? そんな恐ろしい仕事だったのか!?

 

 わたしは、この賃金職員を三年間やっていました。母校である高校の賃金職員です。

 最初は、図書室司書の産休補助でした。

 卒業後も部活の指導と言えば聞こえはいいのですが、大学がつまらないので、週に四日ぐらいは母校に通っていました。

 そんな中、在学中からお世話になっていた先生や司書の先生が「三月からの三か月だけどやってみない?」と勧められて、就職が決まっていなかったので渡りに船と引き受けました。

 終わりのころになると「保健の統計員の仕事があるけど」と言われ、図書室の隣の保健室で身体測定結果の集計をやりました。

 六月に終わると、他のバイトをしながら再び部活の指導に通いました。

「学校が好きやねんなあ」という評判がたちました。

 あくる年に、再び司書の産休補助の仕事が回ってきて、今度は育児休暇込みでしたので、一年近くやっていました。

 本性は就職浪人でしたので、仕事以外は暇です。

 正規の司書は実習助手なので、勤務時間は8時30分から午後の5時15分までです。

 図書室を利用する生徒は5時になると「そろそろ閉館します」と急き立てられます。

 利用する生徒の半分は図書室を自習室に使っていました。家に帰っても勉強できる環境にない生徒が数十名いました。そのうちの十数人が恒常的に放課後の図書室で勉強しています。

 賃金職員をやりながら部活の指導もやっていましたので、学校には6時過ぎまで居ました。それで、図書室も6時過ぎまで開放していました。

 勉強の区切りがつかない生徒の為に、夏場ですと7時近くまで開けていたこともありました。

 まあ、半分以上は好きで居残っているので、特に苦にもなりません。

 組合的な思考をすると、正職の司書が復帰した時、同様な勤務を求められると困るので、賃金職員といえど、勤務時間はまもらなければならないのですが――生徒の役に立っていことでもあり、好きにさせておこう――ということで、自由にさせてもらえました。

 二度目の臨時司書をやっていた二月ごろでしょうか、いつも最後まで残って勉強していた女生徒が頬を赤らめてカウンターに寄ってきました。

 え、なにごと?

「ありがとうございました。家では勉強できないので、本当に助かりました! お陰様で無事に大学に受かりました!」

 わざわざ、受験結果の報告とお礼に来てくれたのです。

 いつも奥の席で勉強している姿は憶えていましたが、口を利くのも初めてですし、名前も知りません。

 浅はかにも、ちょっと別の想像が頭をよぎったのですが(^_^;)

「よかったね、おめでとう!」的なことを言ってあげたと思うのですが、アタフタして定かではありません。

 自分が、気まぐれ的というか気楽に居残っていたことが感謝されたり、思い違いしたりで、狼狽えたというのが正直なところでした。

「それで、どこの大学に通ったのかなあ?」

「はい、大阪大学です!」

 圧倒されました。わたしが出た大学が大阪の地べたであるとしたら、大阪大学を標高で表せる山はありません。生駒山はもちろんのこと金剛山でも足りません。あっぱれ、富士の山頂でありましょう。

 この間、いろいろ面白い事がありましたが、それは、また稿を改めて。

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小説学校時代 23『中庭』

2020-06-28 08:35:48 | エッセー

 23 

『中庭』  

 

 

 校舎の無い学校はありません。

 プールもたいていの学校に備わっています。

 

 無さそうで、けっこうあるのが中庭が備わっていない学校です。

 

 中庭とは、校舎と校舎に挟まれた空間で、花壇やベンチ噴水付きの池や藤棚、ブロンズなどのオブジェが付属した憩いの場です。

 昼休みや休み時間は生徒の姿が絶えません。中庭はプールや体育館と同じくらい必要な施設だと思っています。

 中庭が無い学校というのは、校舎と校舎の間の空間が無い学校です。

 

 昔の大都市の小学校は、工程を囲んで『コ』の字や『L』の字に校舎が配置されているところが多くありました。

 花壇や生け垣は、校舎に沿って配置されるので、生き物係の活躍の場は校舎の縁でした。運動場側にも花壇が作られたりはしますが、基本的に校舎から運動場に出るための通過の場所で、憩いの場という感じにはなりません。

 校舎裏は塀と校舎に挟まれた長細い空間なので落ち着きませんし、管理が行き届きません。高校ではコンクリートで固めてしまって自転車置き場にしているところもあります。

 第二次ベビーブームの子たちが高校生になる八十年代に一棟式校舎が流行りました。

 並の校舎の倍ほどの幅があり、たいてい四階建てです。

 校舎の中央を幅広の廊下が貫いていて、廊下の南側が教室、北側に職員室や準備室が配置されています。

 一棟式の校舎の面白さは改めて書きたいと思います。

 一棟式の学校は、本校舎以外の主な建造物は体育館とプールしかありません。

 体育館やプールに挟まれた空間は中庭には不向きです。体育館のごっつい壁やプールの塀では雰囲気がありません。

 七十年前後に高校にも学園紛争の波が押し寄せた時、全学集会は体育館で行われましたが、不定期の生徒集会は中庭で行われました。

 真ん中に池があり、池の周囲には一学年くらいの人数が収まるプロムナードがあります。

 ここに大型ハンドスピーカーを持ち出した○○高校反戦反帝連合(連盟?)のメンバーが出てきて、アジ演説的スピーチを始めると、プロムナードに生徒たちが集まります。両側が校舎なので、校舎の窓にも人が集まり、ときに鈴なりとなって、中庭は絶好のパフォーマンス空間になります。

 年配の先生が「マリリンモンローがジョーディマジオと日赤病院に来た時みたいやなあ」とおっしゃたのが印象的でした。

 演説だけではもたないので、ギターを持ち出して、みんなで合唱し始めます。

『友よ』『翼をください』『今日の日はさようなら』『ウイシャルオーバーカム』とか、当時流行ったフォークソングというかプロテストソングというかを下校時間を過ぎた七時くらいまでやっていました。行き届いた学校で、中庭には水銀灯が二基備わっていて、その照明が、また雰囲気なので、ちょっとしたカルチェラタンでありました。

 回を重ねるにしたがって、演説の時間が減っていき、中庭はみんなで歌うための『歌の広場』になっていきました。

 大規模なものは半年ほどで衰退しましたが、 数人から十数人の『歌の広場』は、その後も続いていきました。

 これが、グラウンドや体育館、昇降口の前では続きません。

 中庭には、そういう雰囲気がありました。

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小説学校時代 22『小学校のニオイ 中学校のニオイ』

2020-06-23 08:11:44 | エッセー

 22 

『小学校のニオイ 中学校のニオイ』  

 

 

 就学前登校? 入学前登校?

 

 どちらか忘れましたが、中学入学前、春一番が吹くころに中学校に行ってテストを受けました。

 国数英の三教科だったと思います。

 入学式もまだだというのに、男子は学生服、女子はセーラー服であったように記憶しています。

 何の屈託もなく受けたテストですが、あれは、入学後のクラス分けのために行われたものです。

 高校ならば入試の成績でクラス編成をしますが、公立の中学に入試はありません。そのために学力を正確につかんで、均等にクラス編成をするために実施するテストです。

 

 大方の子が、初めて中学の校舎に入ります。

 その初めての中学校の印象に触れたいと思います。

 

 中学は小学校に比べると、ニオイがしません。

 小学校は尋常小学校時代からの木造校舎でしたので油の匂いがします。

 廊下も教室も板張りでしたので、年に二三回ほど油引きをします。

 小学校と言うと、この匂いです。

 大阪は戦災で焼けていますが、小学校は意外に焼け残っていました。その焼け残りの大半が木造校舎なので、どこの小学校に行っても同じ匂いがしました。

 校舎の一部、便所に近いところは汲み取り便所特有の香しいニオイが混じります。普通の家もほとんどが汲み取りで、映画館も同様で、まあ、人間が住むところは、おおむね便所のニオイがしました。

 中学では、その便所のニオイがしません。

 休憩時間中にトイレに行きましたが、水洗トイレなので小学校の便所とは異質のニオイです。

 このニオイの違いで、中学生になるんだと自覚しました。

 

 窓枠が違いました。

 

 中学の校舎の窓は鉄製なのです。鉄製の割にはガタついていましたが。

 鉄製の窓枠と言うのは、なんとも上等な感じがしたものです。窓辺に寄ると鉄のニオイがしました。

 机は小学校と同じ木製でしたが、小学校のようにニコイチの二人掛けではなく、一人掛けであったように記憶しています。

 教室にガス管が入っているのにも驚きました。

 小学校は石炭ストーブでしたので、ガス管はありません。

 そうです、中学はガス暖房だったのです。新鮮でしたね。

 

 ニオイとか、感覚的なところから中学を感じたという思い出でした。

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小説学校時代 21『地域との付き合い』

2020-06-22 06:32:26 | エッセー

 21 

『地域との付き合い』  

 

 

 地域で評判のいい学校というのは、あまりありません。

 

 前回触れたように、登下校が地域の邪魔になるとか、勝手に私道や駐車場を通られるとか、ゴミをまき散らすとか、声がうるさいとか、長時間居座られて営業の邪魔というファストフードとか、部活の騒音とか、校舎の窓から水を掛けられたとか、家の中を覗かれるとか……etc

 そういうマイナスイメージを少しでも払しょくするために、地域の清掃をやることがあります。

 グラウンドに全校集会の要領で生徒を集めて「これから、地域の清掃活動にかかる!」と宣言し、クラスごとに担当地域を割り当て、ゴミ袋と金バサミを持たせ、全教職員が指導と監督に当ります。

 主に通学路で、ところによっては私有地まで(ちゃんと断って)入ります。

 時間的には、たいてい一時間目で、通勤の人もまばらに居て、地域の会社やお店は営業にかかる時間帯です。ご近所の主婦の方々が掃除をしていらっしゃったりします。

 普段、シャクに触る生徒たちが、甲斐甲斐しくゴミ拾いをしていると、たいてい喜んでいただけます。

 学期に一度くらいのわりで行って、地域の評判を取り戻します。

 

 こんな対策を立てる生活指導部長の先生もいました。

 

 地域の神社に御神酒とのしを付けた酒瓶をぶらさげて生徒の安全祈願や学業祈願に行かれます。

 神社というのは、地域の情報センター的な存在でもあり、地域との結びつきは確固たるものがあります。

「いやあ、先生がお参りに来られるなんて初めてですわ!」

 神主さんに感動していただけます。御神酒にも○○高校と書かれて、しばらくは拝殿に置いてもらえます。

 神社には氏子の組織があって、噂は結構広まります。中には神社のホームページに載せてくださることもあります。

 むろん、お神酒も祈願料も個人もちであることは言うまでもありません。

 この先生は転勤されるまで、この年一回のお参りを欠かしませんでした。

 

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小説学校時代 20『フランスデモ』

2020-06-21 06:45:41 | エッセー

 20 

『フランスデモ』  

 

 

 

 フランスデモというのをご存じでしょうか。

 

 文字通りフランス発祥のデモの形態で、道幅いっぱいに広がってやるデモで、厳密には横の者同士手を繋いで連帯の強さを誇示するとともに参加者の絆と想いや怒りの強さを示すものです。ホコ天の参加者が、一斉に手を繋いで行進し始めたと思えば近いと思います。

 フランスデモをやると、デモ参加者以外の交通を完全に妨げてしまうので日本ではご法度です。

 過去に日本で行われたフランスデモは、いずれも自然発生的なもので、警察の規制が効かなくなったことの証拠でもあります。

「許可されたデモは右側一車線分です、広がることなく右側の車線に戻ってください」

 警備の警察が言っても聞きません。

 この段階を超えると警告の上警察は実力行使に出ます。

 そして、往々にして警察は追いまくられ、石は飛んでくるわ火炎瓶は飛んでくるわ、ゲバ棒でシバキ倒されるわで、押し合いへし合いの中で孤立した警官や機動隊員がボコボコにされ、最悪の場合死者が出ます。

 

 デモの話ではありません。

 

 生徒の登校風景がフランスデモになっている学校があります。

 一時間目の予鈴が鳴る五分前くらいから始まり、始業五分くらいがピークになります。

 かつて公立でも1000人を超える生徒がいた時代の、いわゆる困難校の登校風景は壮絶なものがありました。

 要所要所に教師が立って整列を促したり急がせますが、一向に効き目がありません。

 注意していないと、シバキ倒されたり足払いを掛けられたり、石さえ飛んでくることもありました。

「左に寄れ! 二列まで! 三列以上にはなるな! 鐘鳴るぞ! 急げ!」

 叫んでも効き目は有りません。

 慣れてくると、手で静かに誘導するだけにします。下手に熱血してしまうと身に危険が及びます。

 

 地域の人達は登校時間のピークを避けて通行されます。

 だれもフランスデモの中を横切ったり逆らって歩こうとは思いません。

 それでも已むに已まれずデモの中を通られる方がいらっしゃいます。トラブルや不測の事態が起こらないように、身を挺して局所的に交通整理と申しましょうか、通行される人の安全を確保します。

 学校が指導を放棄している姿は見せられませんし、許されません。

 やってはいるんだけれども、及びません!

 そういう姿勢を見せておかなければ、世間は学校を許しません。

 

 先生も大変やねんなあ……

 

 カルチェラタンのようになっても、きちんと見てくださる地域の方々や生徒は、少数ですがいるものです。

 そのわずかな理解を、どのようにして広げていったかというお話を次回にはしたいと思います。

 

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小説学校時代 19『学校のプール』

2020-06-20 06:55:23 | エッセー

 19

『学校のプール』    

 

 

 プールが火事になればいいと思っていました。

 

 あんな水たまり、どうやったら火がつくねん?

 そう思われるでしょうが、実感としては毎年思っていました。

 六月のこの時期は、学校の水泳の授業が始まります。

 学校には必ずプールがあって、水泳の授業ができるのは、世界的にはかなり恵まれたことのようです。

 

 日本の学校は、何てクールなんだ!

 

 留学生がやってきて、たいてい設備の充実ぶりに驚くそうです。

 世界的にプールを備えている学校は希少で、欧米の学校でもプールを完備しているところは少ないそうです。水泳を習おうと思ったら、放課後や休日に料金を支払ってスイミングスクールにいくか、自然に存在している川や池や湖に出向くのが世界標準。

 実は、日本国内の数十万のプールに水を貯めておけるのは国のインフラが整備されていることや経済的に恵まれていること以外に水資源が豊かなお陰であると言えます。水質管理も行き届いており、普段は意識しないが、国際的にはかなり恵まれたことのようです。

 しかし、泳げない生徒や人前で肌を晒すのが嫌いな生徒にとっては、プールなんか燃えてしまえ! はなはだ論理的でない呪いの声を上げるほどの苦痛であります。

 高校三年の十月に突入して最も嬉しかったのが『もうこれでプールに入らなくてもいい!』でした。たとえ体育の評価が『2』であっても、水泳の授業を受けなくていいという嬉しさは十代で二番目くらいの喜びでした。

 では、一番の喜びはなにかと言うと、三年生の三学期。最後の体育の授業が終わった瞬間。

 あさはかなわたしは、大学で体育の授業があるとは全然思っていませんでした。大学のオリエンテーションで『体育』のコマを発見した時は、お祓いした悪霊が付いてきたような気持ちになりました。

 いっしょに合格した友だちが、あっさり水泳を選んだのを横目で見て「こいつは化け物か!?」と怖気を振ったものでした。

 いやはや、プールというのは単に忌避するだけではなく忌むべきものとして、情緒的には火をつけて浄化しなければならないものではありました。

 

 この親の敵のような体育やプールについて、時々書いていこうと思います。

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小説学校時代 18『屋上』

2020-06-19 06:16:48 | エッセー

 18

『屋上』     

 

 

 ラノベやアニメで屋上がよく出てきます。

 

 お昼ご飯を食べたり、友だちと語らったり、時にはカレやカノジョの告白の舞台になったりします。

 ラブライブや続編のラブライブ!サンシャイン!!では、ミューズやアクアのレッスン場になっていました。

 学園物を描くには欠くべからざるロケーションです。

 

 でも。じっさい、学校の屋上と言うのはどうなんでしょう?

 

 屋上に通じる階段は大抵閉鎖されてはいませんか?

 青空天井で突き抜けているように思えますが、学校の生活空間からは切り離された、ほとんど死角と言って場所で、不慮の事故が起こったり、問題行動が起こったりしないために、日ごろは鍵が掛けられているのではと思います。

 屋上への階段そのものを最上階から上を鉄格子などで閉鎖している学校も多いでしょう。

 学校と言うのは弱い立場に立たされるもので、いったん事故や事件が起こると悪さをした生徒たちよりも学校が糾弾されます。生徒たちも、あまり屋上を使おうという発想がないのか、昔の高校生ほど屋上の開放感に魅力を感じないのか「屋上を使わせろ!」という声は上がりません。

 この屋上に目を付けた部活がいくつかあります。

 

 ダンス部

 近年、高校の部活はダンス部と軽音の人気が高いようです、他に伝統的なパフォーマンス系ではブラバンも入るでしょう。

 ダンス部は盛んなところだと部員が百人前後になります。

 百人が自由に踊れるところは、学校と言えどそうはありません。

 グラウンドは運動部に優先的な使用権があり、他の部活が専有的に利用することはできません。

 ボールが飛んできたりの危険もあるし、他の部活の騒音もあって集中することが難しい。体育館のフロアも同じ理由で、特別な大会前などに体育科や運動部を拝み倒して数時間使うのがやっとです。

 

 演劇部

 マイナーな部活なので、普段は人の意識にも上らないのだけれど、屋上を使用した方がいい部活であります。

 コンクールなどで使うステージは学校の舞台の倍くらいの広さがあります(とくに奥行き)。

 芝居は、本番と同じ広さを確保してやらないとうまくいきません。

 考えても分かると思うのですが、野球部やサッカー部がテニスコートほどの広さしかないところで練習していて、本番にちゃんとしたプレイができるわけがありません。

 ところが、演劇部自身が「え、そうなんだ?」というところがあって、狭い教室や間尺が合わない視聴覚室でやってしまい、本番の舞台で「タイミングが合わない」「とちってしまった」ということが多いように思うのですが、どうでしょう。

 

 屋上は、章を改めて続きを書きたいと思います。

 

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小説学校時代 17『昇降口・3』

2020-06-18 07:01:40 | エッセー

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『昇降口・3』   

 

 

 昇降口は学校で一番人の出入りが多いところです。

 

 登下校時のみならず、体育の授業でグラウンドシューズに履き替えたり、学校によっては生徒の個人ロッカーを兼ねていて、授業の度毎に教科書や資料を取りにきたり。一日で、のべ数千人が出入りします。

 当然、砂ぼこりやゴミが溜まりやすく、学校で一番汚れるのが早い場所になります。

 私学では、生徒に掃除させるだけでなく、専門の清掃係を雇っていて重点的にきれいにしているところもありますが、たいていの公立高校では行き届きません。

 そこで、下足ロッカー、特に個人用ロッカーと兼ねている場合、いろんなものが溜まります。

 三年生が卒業するときには、期限を切ってロッカーの中を空けておくように指導しますが、行き届きません。

 期限を三日ほど過ぎたころに、三年生担当の教師でロッカーの大清掃をやります。

 

 鉄条網を切るような大きなカッターで南京錠を破壊して、ロッカーの中の残留物を全て放り出します。

 

 残留物のトップは教科書のたぐいです。

 毎年「教科書は自分で処分するように」と事前指導するのですが、ほとんど効果はありません。

 ほとんどまっさらで、開いた形跡のないものもあります。実にもったいない。

 もったいないので、教師はハイエナになります。

 英語の辞書や国語便覧、社会の地図帳などは数十冊から百冊ほど持っていきます。辞書も便覧も地図帳も書店で買えば安くてもニ三千円はします。役に立つから持って帰れと指導するのですが、今はネットで必要な情報が必要な時必要なだけ取り出せるのですから説得力がありません。

 重量数百キロの教科書・資料を廃棄します。昭和生まれのオッサンは、どうももったいなくて仕方がありませんでした。

 ご禁制の品が出てくるのも毎年の事です。

 たいていはタバコやライターの喫煙具。

 三月末日までは籍があるので、厳密には指導の対象なのですが、卒業式が終わっているので、よっぽど法に触れるブツでない限り、そのまま処分します。

 男子のロッカーからはアダルトなものが出て来たりしますが、ま、微笑ましいものです。

 汗臭いまんまの体操服。数か月以上入れっぱなしというものもあって、強烈な臭気を発していたりします。

 男子のロッカーから女子の水着が出てきたことや、避妊具が出てくることもありますが、かまわずにゴミ袋にぶち込みます。

 ロッカーの鍵、たいていは南京錠ですが、チャチナものなので比較的簡単に開きます。中には鍵をぶら下げておくだけで施錠していないものもあります。だから、入っていたからと言って名義人のものだとは限りません。

 時に、手紙やメモが残っていることもあります。

 生徒は、授業中でも平気で手紙のやり取りをやりますが(携帯やスマホが普及しても廃れません)人に読まれたくない場合ロッカーに入れることがあります。また、もらった手紙やメモは不用意にゴミ箱には入れられない(前述しましたが、ゴミの不法投棄の場合中身を改めることがあります)ので、生徒なりに粗略には扱えずロッカーに入れっぱなし。

 こういうものも読まずに処分します。

 年度末の多忙な時期でもあり、関わり合ってはいられないというのが現実ではあります。

 片づけたロッカーはどうするかと言うと、翌々日くらいに業者に来てもらって、全て廃棄になります。スチール製の立派なロッカーなので、もったいないのですがスクラップです。わたしたちのころは、何世代にもわたって使いまわしました。それも木製の粗末なもので靴以外はモノを入れるスペースなどはありませんでした。

 空いたスペースには、新入生のロッカーが設置されて四月からの新学年に備えます。 

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小説学校時代 16『昇降口・2』

2020-06-17 06:41:08 | エッセー

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『昇降口・2』   

 

 

 昇降口と称するには条件が居る。

 

 下足室と言い慣わしてきた大阪人としては思うのです。

 昇降口と称するなら、昇ったり降りたりということがあるはずで、下足スペースが階段に直結していなければ理屈に合いません。

 めったにないでしょうが、平屋建てだけの校舎なら昇降ということばそのものが使えません。

 初めて昇降口ということ名に接した時は、その音から焼香口を連想しました。

 ほら、お葬式の時、一般参列者が三人ほどまとめてお焼香をするところ。

 あるいは、将校口。軍隊の営舎の入り口で、下士官や兵とは別に設えられたエライサン専用の出入り口。

 

 そろそろ『昇降口』が普及している地方の方々から叱られそうなので、切り口を変えます。

 

 ラノベなどの設定で、昇降口で彼や彼女の出会いがあったりしますよね。ロッカー式下駄箱の角を曲がると、たいていあわただしい朝の時間。ドーンとぶつかったところから恋が始まるとか。下駄箱を開けたら手紙が入っていて、差出人の名前は書かれていないけれど、あきらかに女の子の筆跡。そこからドラマが始まります。

 放課後の屋上で待ってますとか、前からずっと好きでしたとか書かれていたり。時には、それがイタズラであったりするのですが。スクールラノベが展開していくシュチエーションとしては、屋上と並んで欠くべからざるロケーションです。

 下駄箱に手紙を入れるのは女の子ですね。それもたいてい男の下駄箱に入れます。女子高の設定だと女の子が先輩女子の下駄箱に入れるのもありですね。

 ラノベのたぐいはいろいろ読みましたが。男子が女子の下駄箱に入れるというのは読んだことがありません。

 昇降口と言うのは、ことスクールラブにおいては、女子がアクティブになれる空間なんかもしれません。

 

 下足室……では、モッサリしすぎでしょうか。トイレを便所と表現したのと同じくらいの違和感があるかもしれません。

 全国的に見ても、昇降口が主流で、下足室と称するのは大阪を中心とする西日本の一部なので、過去の作品を見直して昇降口と書き換えております。

 下足室・昇降口の現実に次回は触れたいと思います。

 

 

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小説学校時代 16『昇降口』

2020-06-16 06:49:54 | エッセー

 16

『昇降口』     




 割合は分かりませんが、多くの学校が二足制だろうと思います。

 アニメで学校が舞台だと、たいてい出てきますね。

 

 学校に着いたら、全生徒の下駄箱があるところで上履きに履き替えて教室に行きます。

 この下駄箱のある空間をどう呼んでいるでしょうか?

 

 わたしは、ずっと下足室と呼んできました。   

 生徒の時と教師になってからと六校しか経験がありませんが、聞いた限りにおいても下足室が多いようです。

 ライトノベルを読むようになってから気づきました。

 読んだ限りは『昇降口』です。

 登校時は、下足から上履きへ。下校時は上履きから下足へ。

 

 履き替えることに寄って良いと思われることがあります。

 

 校舎内に持ち込む土砂の量がグンと減ります。

 晴れた日のアスファルト道を歩いていても、靴には結構な量の土砂が付着しています。

 一人が少なく見積もって一グラムの土砂を持ち込むとして、生徒数七百で700グラム、月に14キロ、年間では100キロ以上の土砂が持ち込まれます。雨の日や体育のあとなどを計算に入れれば、おそらく一トン以上の量になるでしょう。

 それを未然に履き替えるということで低減できるのですから、優れた制度、あるいは慣習だと思われます。

 もう一つは、履き替えることで気持ちの切り替えができることです。

 むろん、気持ちの切り替えは他にもいろいろあります。

 制服に着替えた時、カバンを持って家を出た時、通学の電車に乗った時と下りた時、ここを曲がったら校門が見える角を曲がった時、校門を潜った時、教室に入った時、他にも色々。

 でも、全生徒が同じ場所で履き替えるという生活習慣を繰り返す下足室・昇降口の意義は大きいと思います。

 日本人には当たり前の二足制も、欧米の高校生には、奇妙にも新鮮にも感じられます。

「二足制と言うのはね、校外で靴の底に付いてきた穢れ……分かるかなあ、学校の外には霊とか、妖怪とか、ほら、ゲゲゲの鬼太郎なんかに、よく出てくるでしょ、ああいうものを校舎の中に持ち込まないためなんだよ」

 二足制を不思議に思う高校生に言うと、日本人なら「なにをアホなことを」と笑い飛ばされますが、外国の高校生なら「そうだね、そう言えば、日本人は畳を使わなくなっても、家に入る時は靴を脱ぐもんねえ、なるほどね……」と感心してくれます。今回のコロナ騒ぎでも、日本での罹患者や死亡者が少なかったのは、この二足制の影響かもと言われています。

 物の怪・妖怪の類はともかく、気持ちが切り替わることに意義は無いでしょう。

 

 では、なぜ下足室・昇降口と呼び方が違うのか、二足制のアレコレと合わせて、次回、また考察したいと思います。

 

 

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