大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

小説学校時代 17『昇降口・3』

2020-06-18 07:01:40 | エッセー

 17

『昇降口・3』   

 

 

 昇降口は学校で一番人の出入りが多いところです。

 

 登下校時のみならず、体育の授業でグラウンドシューズに履き替えたり、学校によっては生徒の個人ロッカーを兼ねていて、授業の度毎に教科書や資料を取りにきたり。一日で、のべ数千人が出入りします。

 当然、砂ぼこりやゴミが溜まりやすく、学校で一番汚れるのが早い場所になります。

 私学では、生徒に掃除させるだけでなく、専門の清掃係を雇っていて重点的にきれいにしているところもありますが、たいていの公立高校では行き届きません。

 そこで、下足ロッカー、特に個人用ロッカーと兼ねている場合、いろんなものが溜まります。

 三年生が卒業するときには、期限を切ってロッカーの中を空けておくように指導しますが、行き届きません。

 期限を三日ほど過ぎたころに、三年生担当の教師でロッカーの大清掃をやります。

 

 鉄条網を切るような大きなカッターで南京錠を破壊して、ロッカーの中の残留物を全て放り出します。

 

 残留物のトップは教科書のたぐいです。

 毎年「教科書は自分で処分するように」と事前指導するのですが、ほとんど効果はありません。

 ほとんどまっさらで、開いた形跡のないものもあります。実にもったいない。

 もったいないので、教師はハイエナになります。

 英語の辞書や国語便覧、社会の地図帳などは数十冊から百冊ほど持っていきます。辞書も便覧も地図帳も書店で買えば安くてもニ三千円はします。役に立つから持って帰れと指導するのですが、今はネットで必要な情報が必要な時必要なだけ取り出せるのですから説得力がありません。

 重量数百キロの教科書・資料を廃棄します。昭和生まれのオッサンは、どうももったいなくて仕方がありませんでした。

 ご禁制の品が出てくるのも毎年の事です。

 たいていはタバコやライターの喫煙具。

 三月末日までは籍があるので、厳密には指導の対象なのですが、卒業式が終わっているので、よっぽど法に触れるブツでない限り、そのまま処分します。

 男子のロッカーからはアダルトなものが出て来たりしますが、ま、微笑ましいものです。

 汗臭いまんまの体操服。数か月以上入れっぱなしというものもあって、強烈な臭気を発していたりします。

 男子のロッカーから女子の水着が出てきたことや、避妊具が出てくることもありますが、かまわずにゴミ袋にぶち込みます。

 ロッカーの鍵、たいていは南京錠ですが、チャチナものなので比較的簡単に開きます。中には鍵をぶら下げておくだけで施錠していないものもあります。だから、入っていたからと言って名義人のものだとは限りません。

 時に、手紙やメモが残っていることもあります。

 生徒は、授業中でも平気で手紙のやり取りをやりますが(携帯やスマホが普及しても廃れません)人に読まれたくない場合ロッカーに入れることがあります。また、もらった手紙やメモは不用意にゴミ箱には入れられない(前述しましたが、ゴミの不法投棄の場合中身を改めることがあります)ので、生徒なりに粗略には扱えずロッカーに入れっぱなし。

 こういうものも読まずに処分します。

 年度末の多忙な時期でもあり、関わり合ってはいられないというのが現実ではあります。

 片づけたロッカーはどうするかと言うと、翌々日くらいに業者に来てもらって、全て廃棄になります。スチール製の立派なロッカーなので、もったいないのですがスクラップです。わたしたちのころは、何世代にもわたって使いまわしました。それも木製の粗末なもので靴以外はモノを入れるスペースなどはありませんでした。

 空いたスペースには、新入生のロッカーが設置されて四月からの新学年に備えます。 

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小説学校時代 16『昇降口・2』

2020-06-17 06:41:08 | エッセー

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『昇降口・2』   

 

 

 昇降口と称するには条件が居る。

 

 下足室と言い慣わしてきた大阪人としては思うのです。

 昇降口と称するなら、昇ったり降りたりということがあるはずで、下足スペースが階段に直結していなければ理屈に合いません。

 めったにないでしょうが、平屋建てだけの校舎なら昇降ということばそのものが使えません。

 初めて昇降口ということ名に接した時は、その音から焼香口を連想しました。

 ほら、お葬式の時、一般参列者が三人ほどまとめてお焼香をするところ。

 あるいは、将校口。軍隊の営舎の入り口で、下士官や兵とは別に設えられたエライサン専用の出入り口。

 

 そろそろ『昇降口』が普及している地方の方々から叱られそうなので、切り口を変えます。

 

 ラノベなどの設定で、昇降口で彼や彼女の出会いがあったりしますよね。ロッカー式下駄箱の角を曲がると、たいていあわただしい朝の時間。ドーンとぶつかったところから恋が始まるとか。下駄箱を開けたら手紙が入っていて、差出人の名前は書かれていないけれど、あきらかに女の子の筆跡。そこからドラマが始まります。

 放課後の屋上で待ってますとか、前からずっと好きでしたとか書かれていたり。時には、それがイタズラであったりするのですが。スクールラノベが展開していくシュチエーションとしては、屋上と並んで欠くべからざるロケーションです。

 下駄箱に手紙を入れるのは女の子ですね。それもたいてい男の下駄箱に入れます。女子高の設定だと女の子が先輩女子の下駄箱に入れるのもありですね。

 ラノベのたぐいはいろいろ読みましたが。男子が女子の下駄箱に入れるというのは読んだことがありません。

 昇降口と言うのは、ことスクールラブにおいては、女子がアクティブになれる空間なんかもしれません。

 

 下足室……では、モッサリしすぎでしょうか。トイレを便所と表現したのと同じくらいの違和感があるかもしれません。

 全国的に見ても、昇降口が主流で、下足室と称するのは大阪を中心とする西日本の一部なので、過去の作品を見直して昇降口と書き換えております。

 下足室・昇降口の現実に次回は触れたいと思います。

 

 

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小説学校時代 16『昇降口』

2020-06-16 06:49:54 | エッセー

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『昇降口』     




 割合は分かりませんが、多くの学校が二足制だろうと思います。

 アニメで学校が舞台だと、たいてい出てきますね。

 

 学校に着いたら、全生徒の下駄箱があるところで上履きに履き替えて教室に行きます。

 この下駄箱のある空間をどう呼んでいるでしょうか?

 

 わたしは、ずっと下足室と呼んできました。   

 生徒の時と教師になってからと六校しか経験がありませんが、聞いた限りにおいても下足室が多いようです。

 ライトノベルを読むようになってから気づきました。

 読んだ限りは『昇降口』です。

 登校時は、下足から上履きへ。下校時は上履きから下足へ。

 

 履き替えることに寄って良いと思われることがあります。

 

 校舎内に持ち込む土砂の量がグンと減ります。

 晴れた日のアスファルト道を歩いていても、靴には結構な量の土砂が付着しています。

 一人が少なく見積もって一グラムの土砂を持ち込むとして、生徒数七百で700グラム、月に14キロ、年間では100キロ以上の土砂が持ち込まれます。雨の日や体育のあとなどを計算に入れれば、おそらく一トン以上の量になるでしょう。

 それを未然に履き替えるということで低減できるのですから、優れた制度、あるいは慣習だと思われます。

 もう一つは、履き替えることで気持ちの切り替えができることです。

 むろん、気持ちの切り替えは他にもいろいろあります。

 制服に着替えた時、カバンを持って家を出た時、通学の電車に乗った時と下りた時、ここを曲がったら校門が見える角を曲がった時、校門を潜った時、教室に入った時、他にも色々。

 でも、全生徒が同じ場所で履き替えるという生活習慣を繰り返す下足室・昇降口の意義は大きいと思います。

 日本人には当たり前の二足制も、欧米の高校生には、奇妙にも新鮮にも感じられます。

「二足制と言うのはね、校外で靴の底に付いてきた穢れ……分かるかなあ、学校の外には霊とか、妖怪とか、ほら、ゲゲゲの鬼太郎なんかに、よく出てくるでしょ、ああいうものを校舎の中に持ち込まないためなんだよ」

 二足制を不思議に思う高校生に言うと、日本人なら「なにをアホなことを」と笑い飛ばされますが、外国の高校生なら「そうだね、そう言えば、日本人は畳を使わなくなっても、家に入る時は靴を脱ぐもんねえ、なるほどね……」と感心してくれます。今回のコロナ騒ぎでも、日本での罹患者や死亡者が少なかったのは、この二足制の影響かもと言われています。

 物の怪・妖怪の類はともかく、気持ちが切り替わることに意義は無いでしょう。

 

 では、なぜ下足室・昇降口と呼び方が違うのか、二足制のアレコレと合わせて、次回、また考察したいと思います。

 

 

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小説学校時代・15『イジメの一考察』

2020-06-15 06:37:31 | エッセー

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『イジメの一考察』      

 

 

 四半世紀あまりの教師時代、身の回りで自殺した生徒は一人も居ませんでした。

 賃金職員、非常勤講師の四年間で三人の生徒が自殺していることと対照的です。

 教壇に立って授業なりホームルームを、一度やると分かってくることがあります。

 

 聞く耳を持っているかいないか。

 

 前回の都知事選挙で「わたしは聞く耳を持っている」と言った候補者がいましたが、わざわざ言わなくても、佇まいで分かってしまうところがあります。
 ちなみに、聞く耳と言うのは、お行儀の良さとは関係ありません。
 大人しく座っていて、教師が指導する必要が無いような生徒でも、聞く耳を持っていない者がいますし。逆にガサツで切れやすく落ち着きのない者でも聞く耳を持っている者も居ます。

「すまん、ちょっと話があるねん」

 最初の授業を終えて、一人の男子生徒を廊下に呼び出しました。

 友だち同士のように、廊下の窓枠に肘を預け、少しばかり大事な話をする感じで切り出します。

「二列目の一番前に座ってるやつなあ」
「え、うん?」
「去年、おれのクラスでダブリやねん。悪い奴やないねんけど、めっちゃ愛想悪いねん。声かけても返事返ってけえへんことも多い奴や」
 男子生徒は振り返って、その生徒を一瞥した。
「……そんな感じやなあ」
「おまえみたいな奴からしたらムカつくようなことがあるかもしれんけど、まあ、覚えといたってくれや」
「お、おう」
「ほならな」

 これだけを言っておきます。

 ちなみに、この男子生徒はクラスの顔の一人で、ヤンチャクレで、辛気臭い奴は、遠慮なくハブったり、張り倒したりする奴であります。
 その後、二三度「あいつ、どないや?」と、ヤンチャクレに聞く。
 これで、イジメのタネは芽を吹かなくなります。

 生徒個人の中には天使と小悪魔が住んでいて。天使も小悪魔も生徒自身には制御できません。
 早めに天使が動きやすいように道を付けてやることが大事というか、コツなのかと思います。
 前述の件の場合、ダブリの生徒の評判が立ってからでは手遅れになります。
「そやかて、あいつムカつくで!」「あの暗さはゴミやで!」
 そう言わせてからでは、教師が何を言ってもオタメゴカシにしか聞こえません。

 それでも、全てのイジメの芽は摘めません。

 生徒が三日も休むと「あれ?」と思う。
 五日も休むと家まで押しかけます。
 そこで話をすれば、その屈託ぶりで、事の有無が推し量れます。
 時に、深刻なイジメが潜んでいることに気づきます。
 いろいろやって、イジメている生徒が分かったときは、時に荒事に及ぶこともあります。
「イジメられてた奴はなあ、これよりも痛かったんじゃ!!」
 本気で怒って張り倒していました。
 張り倒したことは、保護者や生徒の間にも、言わずもがな式に広まっていきます。
 イジメの重大さと学校の本気度が、生徒にも保護者にも伝わります。
 稀にこじれて、保護者が弁護士を連れてくることがありましたが。

 記録と実績で、なんとか乗り切れました。

 むろん、今の時代、張り倒しは、張り倒したという一点だけで糾弾されます。

 まあ、昔は良かったこともあったというため息であります。
 

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小説学校時代・14『寸止めの勇気』

2020-06-14 06:21:35 | エッセー

 14

『寸止めの勇気』    


 

 返事が返ってけえへん……。

 食堂のオッチャンがぼやいた。

「オッチャンも、そない思わはりますか?」

 うどんをすするのを中断してオッチャンの顔を見た。
 
 オッチャンの視線の先には、トレーの始末をして食堂を出て行こうとしている、新任の女先生二人の後姿があった。

 わたしはバイト歴が長いせいもあって、挨拶はきちんとする方だった。
「伝わらんのは挨拶とは言わない」「挨拶は返すものじゃなくて、するものだ」というようなことが身についていた。
 職場は人間関係の円滑が重要で、バイトでも朝礼があるところがあった。
 別に強制されたわけではないが、挨拶をキチンとする職場にいれば普通に身に着くことが多く。舞台やテレビの仕事をすると、普通では間に合わず、先輩からいろいろと叱られた。

 その年の新転任は女性が多く、それも「美人」や「可愛い」という範疇に入る人ばかりだった。

 その美人で可愛い先生が、食堂を出て校舎の外を歩いていると、校舎の三階あたりから声がかかる。

 ブスーーー!!  死ねオバハン!!

 女先生は、ピクリとするが、声は無視する。
 この女先生が、授業の始めには、こう言う。
「ちゃんと挨拶しなさい!」
 クラス全員が起立礼をしないと機嫌が悪いのだ。
 女先生の意識では「けじめをつけさせる教育」である。この局面だけをとらえると間違ってはいない。
 教室の外で出会った時の素っ気なさが、食堂のオッチャンのボヤキになり、生徒の「ブスーーー!!」「オ死ねオバハン!!」になる。

「寸止めされました!」

 生活指導室で部屋番をしていると、女先生が男子の手首を引っぱって連行してきた。
「どないしはったんですか?」
 聞くと、授業に遅刻してきた男子を注意したところ、顔面パンチの寸止めをされたということであった。

 寸止めは威嚇行為であり、十分に指導の対象になる行為である。

「おまえは、アホか」
 そう言って、横の指導室で反省文を書かせて、指導した。

 被害者の先生は授業があるので、帰ってしまわれたが、授業後も生徒指導室に顔は出されなかった。

 ブスーーー!!も、死ねオバハン!!も、寸止めも生徒に非があることはたしかではある……。

 わたしは「おおはっさん」と職場で呼ばれることが多かった。これがつづまると「おっさん」になる。
 だが、つづまった「おっさん」と、ハナからの「オッサン」は確実に違う。
 学年の初めごろ、生徒が、この「オッサン」の方で声を掛けてくることがある。
 けして聞こえないフリはしない。元気がある時は「いま、なんちゅうーた!」「もっかい言うてみいー!」と追い掛け回す。
 時にヘッドロックをかけたりする。非力なわたしのヘッドロックなどかかるわけがないのだが「わー、ごめんごめん」と笑いながらかかってくれる。

 わたしの対応が全て成功したわけではないが、ま、こんなこともあったのである。

 いま家庭で「おはよう運動」を一人でやっている。二十歳の息子は三回に一度くらいしか返事をしない。それもひどくめんどくさい様子である。今朝はカミさんからも返事が返ってこなかった。

 寸止めをかます勇気が、わたしには無い。
 

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小説学校時代・13『生徒の正義』

2020-06-13 06:17:47 | エッセー

・13

『生徒の正義』   


 

 A君は激怒した!

 キミの学校、いい噂聞かないねえ。通行の邪魔だし、あっちこっちでタバコ吸うし……こないだは小学生どついたいうて問題になってたなあ。

 K大学の面接に行って、書類を見た面接官が、のっけに学校の悪口を言ったからである。

「そんな悪い学校とちがいます!」
「そやけど、ねえ……(鼻で笑った)」
「1200人も居るんです。ちょっとはトラブルもあるけど、いい生徒が多いんです!」
 このあとのA君の記憶は途切れている。
「こんな大学は、こっちから願い下げじゃ!」

 A君は椅子を蹴飛ばして面接会場を飛び出してしまった。

 廊下で面接の順番を待っていた仲間は真っ青になった。

「お前は、なんちゅうことを……」
 A君本人から報告を受けた担任と進路の先生は頭を抱えた。
「ごめん先生、ついカッとしてしもて……」
 いつもの元気はどこへやら、A君は、悄然とうなだれてしまった。
「謝りに行かならあきませんね……」
 進路部長は、ロッカーからネクタイと上着を取り出した。

 A君は、業界用語では「明るく元気な生徒」だった。

 校内の言葉では「やんちゃな生徒」

 有り体に言えば「問題ばかり起こしている生徒」だった。

 生活指導でお世話になることも一度や二度ではなく「このクソ学校!」と言うのが彼の口癖であった。
 本人も、周囲の生徒や教師も「Aは、うちの学校を嫌っている」と思っていたし、本人もそうだった。

 進路指導部長がネクタイを締め終わったころに、大学から電話があった。

――いやあ、感服しました! A君は、近頃珍しい愛校心に溢れた生徒です! どうかお叱りにならないように――

 さすがに合否までは言わなかったが、その後A君は無事に大学に合格した。

「ええか、真似すんなよ。Aは、企まずにやったから評価されたんや。わざとやったら、絶対逆効果やからな!」

 あくる年からは「受験の心得」でA君の話をしたが、絶対真似するなと付け加えた。
 

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小説学校時代・12『教師の正義』

2020-06-12 06:26:54 | エッセー

・12

『教師の正義』  


 

 安保法案が予算委員会で可決された時のことです。

 与野党の議員が委員長席に押し寄せ猿山のように大騒ぎになりました。
 野党議員は、採決をさせないために議長から裁決に必要な書類をふんだくろうとし、与党議員は、委員長を守ろうとして身を楯にしました。

「与党議員に殴られた!」

 野党議員の一人が吠えました。
 その様子は、新聞やテレビやネットに出回っていて、一見与党議員の拳が、野党議員の顎にさく裂しているように見えます。

 動画で見れば明らかに分かります。

 与党議員は委員長に襲いかかる野党議員を手を伸ばして制止しているのです。

「拳にしたのは安全のためです。指を広げていると目や口や鼻の穴に入って怪我をさせることが多いんです」

 この与党議員さんは、元幹部自衛官でPKOにも派遣され、修羅場での対応はプロでもあります。なにより動画を見れば殴ってなどいないことは一目瞭然です。
 それでも、この野党議員は「殴られました」と、ことあるごとに発言していました。

 一種のイチャモンであります。イチャモンも繰り返し言えば、正しく聞こえてしまうことが、往々にしてあります。

 入学式卒業式での日の丸の掲揚、君が代の斉唱が問題になっていたころ、こんなことがありました。

「日の丸君が代は軍国日本の象徴です。学校で掲揚することは馴染みません」

 この見解が、職員会議では圧倒的多数でありました。

 わたしは昭和28年の生まれで、子どものころ、正月などでは大方の近所の家々では日の丸が掲揚する習慣がありました。
 掲揚されなくなったのは、左翼やマスコミが軍国主義の象徴と言いだしてからだろうと思います。

「軍国主義の象徴どころか、戦争遂行のための法律や通達が、そのまま残っているのですが。それは問題にしないのですか?」

 具体的に例を挙げて説明しました。酒税・たばこ税を始め、私鉄や電力会社などが戦時法で統合されたままなこと、横書きの場合日本語を左から書くことは戦時中南洋庁が『横書きは左右が混在して、南洋の人たちには読みにくい』と政府に要望して左書きに統一したのを、戦後の閣議で追認したものです。

 などなど、数え上げれば勉強不足のわたしでも、いくつも数えることができます。

「それは嘘や」「牽強付会や」という声ばかりでした。繰り返すと黙殺されました。

「うちの学校は外国籍の生徒が多いんです。日の丸は馴染みません」
 今なら「アホかいな」と思われる言い回しに、多くの先生は頷きました。
 これは上意下達の組合と党の方針そのままです。
 ドグマと言うものは人も組織もダメにすることの見本ですね。
 そのことを指摘すると、こう弾劾されました。

「裏切者!」「破壊分子!」

 ちなみに管理職は「そう言う話は組合でやってくれ」と言ったきりダンマリを決め込みます。

 主題は、ここからです。

「先生、夏休みのプール使用計画をたてたいんですけど」
 7月の頭に、水泳部の生徒が顧問に相談に行きました。
「あかん、夏休みのスケジュ-ルは組んでしもたから、練習には付き合われへん」

 繰り返すが、水泳部の顧問の発言であるのです。

 プールは教師の付き添いが無ければ、水泳部と言えども使用できない決まりです。

「なんでですかあ?」
 生徒は食い下がりました。
「いろいろ会議やら研修があるねん」
 その会議と研修は組合のそれであります。
「先生らは、君ら生徒の教育を守るためにやってんねん。理解してくれ」
 という意味のことを言った。この先生の意識では正義であった。

 このことは、介護休暇明けの三者懇談で、生徒本人と保護者から抗議されて知りました。

 この生徒は水泳部を辞め、他の部活に入ることもなく卒業するまで心を開くことはありませんでした。

 

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小説学校時代・11『不法投棄を見つけてしまった』

2020-06-11 06:02:04 | エッセー

 11

『不法投棄を見つけてしまった』   


 

 昔のゴミ捨てはゴミ箱ごと集積場に持って行きました。


 取っ手が付いていたように思うのですが、プラスチック製だったか金属製だったか、記憶はあいまいです。
 とにかく、ゴミ箱を集積場まで持っていき、ゴミを捨てた後、ゴミ箱は教室に持って帰ります。
 労力という点では、その後のゴミ袋時代の倍はかかります。
 
 このゴミ捨てを嫌がる者はいましたが、無精をかましてゴミ箱を放置してくる者は居ませんでした。

 教師になった昭和の50年代、ゴミ捨ては黒いビニール袋になっていました。
 ゴミ箱を教室に持って帰る手間がいらず、労力としては半分になりました。
 またビニール袋なので、ゴミ箱そのものに触ることが無いので、かなり清潔でもあります。

「必ず、ゴミ捨て場(集積場)まで持って行けよ」

 学年はじめのゴミ捨てには、この注意をします。
 気を抜くと、すぐに不法投棄をされます。
 空き教室や、階段のゴミ箱、植え込みなどが不法投棄の現場です。

 不法投棄を見つけた場合。

 事を荒立てずに、自分で捨てに行く先生と、不法投棄したクラスを突き止め、そのクラスの担任に返す先生とが居ました。

 クラスを突き止めるには、ゴミ袋の中身を調べます。

 ゴミの中には、小テストや返却プリントが入っていることが多く、それが無い場合でもクラスを特定できるものは大抵入っていて、その証拠を二つ以上見つけてゴミ袋に貼りつけておきます。
 で、たいていの担任は、あくる日に不法投棄した生徒に捨て直させます。

 正直手間ではありますが、こういうことをやっておくことが学校の秩序維持に繋がってきます。

「やー、やっぱりセンセのクラスきれいなあ」

 去年担任していたヤンチャクレが、教室を覗き込んで呟きました。
 ガサツでアナーキーな学校でしたが、たいていの生徒は秩序と平和を望んでいます。きちんと指導すれば八割がたは指導に乗ってきます。
 迫り方はいろいろだし、迫るレベルもまちまちですが、担任が自分の力量いっぱいにやっていれば、いつの間にか納得しています。

「こら、また不法投棄したやろ!」とゴミ袋を突き付ける。

「俺とちゃうわ!」
 開き直られるのは、気分で怒ったり、それまでの指導にムラがあったりした場合です。
「あ、バレてしもた?」
「バレバレじゃ!」
「しゃーないなあ((n*´ω`*n)」

 こういう風にいけば、入院しない程度のストレスで一年が過ごせました……。

 ちなみに、教師一年目は三月目で入院してしまい夏休みいっぱいベッドの上で過ごすハメにはなりました。

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小説学校時代・10『コミニケーション論・2』

2020-06-10 06:51:07 | エッセー

 10

『コミニケーション論・2』     


 

 スキンシップは、人間関係において重要なファクターですね。

 保育所や幼稚園では、当たり前に実践されています。
 お遊戯で手を繋いだり、落ち込んでいる時にはハグしたりしてあげたり。幼児は、この肌感覚で、相手への信頼感を育んでいるのですね。

 中学高校と進むに従って、スキンシップが無くなってしまいます。

 このご時世、教師が下手にやったらセクハラを取られます。

 遠足などで盛り上がり、生徒と一緒に写真を撮ることがあります。盛り上がり方によっては肩を組んだりすることも、決めポーズでは接触することがあります。

 某先生は、女生徒の肩に手を回して、数名でにこやかにスナップ写真を撮りました。

 で、セクハラにとられました。

 ある先生は、教科指導をしていて「この問題はやなあ……そうそう、そうやるんや。がんばれよ」と肩を叩いてセクハラをとられました。

 一つのスキンシップが問題になると、尾ひれが付く。こんなこともあった、あんなこともあったとあげつらわれます。

 あたかも魔女裁判のようになり、この二人の先生は退職に追い込まれました。

 わたしの経験上、スキンシップはあったほうがいいと思っています。

 弟に自殺された生徒がいました。
 真っ先に、担任のわたしに電話してきました。
「直ぐに学校に来い!」と返事してやりました。

――大橋先生、〇〇君が来ました――

 校内電話で聞いて、相談室に直行。
「〇〇!」
 とだけ言って、椅子に座っていた〇〇を後ろからハグしてやりました。ちなみに男子生徒です。それまでにも、いろいろ問題行動があった生徒で、肩や背中ホタホタと叩いてやったことがあります。弟とプロレスごっこをやったりすると言うので、技を掛けてもらったこともあります。

 指導の局面において、生徒の体に触れることは有ってもいいと思っていました。

 父子家庭の三人姉弟で、お母さん代わりをやっている女生徒がいました。

 あちこちへの支払いのため10万余りの現金を持ってきていて、それを盗まれました。月末のため、忙しい父に代わって振り込むためです。二クラス合同の授業の後だったので、二クラスの生徒を会議室に集め「知っていることがあったら、無記名で良いから書いてほしい」と紙に書かせました。何人かの生徒には質問もして、学校としてはできうる限りの調査をやりました。

 会議室に隣接する応接室で書かせたものを精査し、生活指導や学年の先生たち、教頭とも話し合いました。
 
 結果何も出てきません。
 会議室前の廊下では、先生たちに見守られるようにして本人が待っています。
 
「すまん、学校としては、やれることは全部やった。そやけど分からへん」

 女生徒は目に一杯涙を溢れさせ、わたしに突進するそぶりを見せました。すがり付いて泣きたかったのが痛いほど分かりました。

 わたしは、ハグしてやるために手を差し伸べるべきでした。が、ためらわれてしまった。
 つい先月、セクハラをとられた同僚のことが頭に浮かんだからです。
 女生徒は瞬時に悟って、身を引きました。

 ためらった自分も情けなかったのですが、そういう空気を作った学校も……まあ、仕方がありません。

 手相を見るというささやかなスキンシップで、必要な時には触れ合いができるように。ぼんやりと、そんな思いがあったのですが、わたしに度胸がなかったこともあり、それ以上のことはできませんでした。

「センセの手相、よう当たったよ! で、センセ、なんの教科のセンセやったっけ?」

 同窓会で、ン十年ぶりの卒業生の弁。ま、いっか……。

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小説学校時代・09『コミニケーション論』

2020-06-09 06:24:33 | エッセー

 09

『コミニケーション論』    


 

 どうにも授業にならない時があります。

 プールの後。

 試験範囲まで行ってしまった後。

 時間割変更で二時間連続で授業をしなくてはならなくなった時など。

「ほんなら、あとは、静かに自習しておきなさい」

 そう言って、先生は引き上げてしまい、生徒は穏やかに自習していた……私たちが生徒だった半世紀前の話。
 今は、時間いっぱい教室に張りついて監督していなくてはなりません。

 いきおい、つまらないことを注意しなければなりません。

「静かにしなさい!」「脱走するんやない!」「飯くうな!」「トランプするな!」「競馬新聞はしまえ!」「マージャン始めるんやない!」などなど……。

 注意される方も不愉快だし、する方も面白いはずもない。

 以前にも書きましが、対教師暴力などのトラブルの多くは自習時間中に起こりました。
 だから、不器用なわたしは、授業内容をコントロールして、自分の授業時間では極力自習にならないように努めました。

 しかし、先に挙げたように自習監督があたったり、プールの後の6時間目など、どうしても実態としては自習にならざるを得ない時があります。

 押し出しの強い先生は、制圧して静かにさせておられました。

 押し出しが強くないわたしは、いろんな話をしてやりました。いわゆる余談というやつで、生徒は一般的に余談を聞くのは好きです。
 両手の指ほどに余談のネタは持っていましたが、持ち上がりで三年生にもなってしまえばネタ切れになりまする。

 そこで編み出したのが占いです。

 主に手相をやりました。いちばん生徒の食いつきが良いのです。
 手相の基本は、大学の心理学で習った怪しげなものです。あとは二三冊の手相の本を読んでインプットしておいたものです。

 最初に黒板に大きな手のひらを描いて、手相の基本である生命線・運命線・頭脳線・感情線などを確認し、それぞれの線の意味を教えます。
 たとえば、頭脳線と感情線のバランス。頭脳線が際立っていれば「考えてから行動するタイプ」。感情線が際立っていれば「直感で行動するタイプ」という具合。
 生徒の集中力は教科授業の10倍くらいに良くなります。
 ふつう教師のオタメゴカシ(「やれば出来る!」というような)は一年の一学期ぐらいしか効果がありません。
 しかし手相とか占いの結果であれば「おまえは20代で運が開ける」とか「人知れず見てくれている人がいる」とか「あんたは、他人に使われるより自営業が向いてる」など、素直に聞いてくれます。
 
 そして、簡単にスキンシップがとれる。

 長くなりそうなので、この項、次号につづきます。 

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小説学校時代・08 制服 プール 掃除当番

2020-06-08 06:18:51 | エッセー

 08

制服 プール 掃除当番     




 制服 プール 掃除当番 日本の学校の特徴をあげたら、この三つになるように思います。

 むろん、他にもあります。

 入学式をやることや、学年の始まりが4月であること、ディベートの授業が無いことなど。

 しかし、概ね外国から「クールだ!」「うらやましい!」「いいことだ!」と思われているのは、この三点であるように思うのです。

 わたしたちの時代には「画一主義」「没個性」「おしつけ」などと評判が悪く、中には学園紛争のころにやり玉にあがって制服を廃止してしまった学校もありますが、日本のほとんどの学校には制服があります。

「わたしたちは、こんなものを着せられて個性を奪われている」

 国連の子ども会議だったかで、日本の高校生が訴えたことがありました。

「うらやましい! 制服が着られるなんて恵まれているじゃないか、なんで不満なんだ?」

 外国の子どもたちの反応は、おおむねこのようでありました。

 制服があれば、毎朝着る服に悩まなくて済む。同じ学校の生徒として一体感が持てる。服のセンスにとやかく言われない。などが「うらやましい!」の理由であったようです。

 今は、これに加えて「日本の制服はカッコいい!」が加わっているようです。

 前世期の終わりごろから、日本は高校を中心として制服のモデルチェンジを行ってきました。

 火付け役は『東京女子高制服図鑑』であったように思います。リセウォッチングと言って、女子高生の制服を観察してイラストに起こし、寸評を書いた本がありました。一見アブナソウなんですが、観察についてのルールが厳格であり、イラストも文章もいたって真面目であることから、大げさに言うと、制服改訂のバイブルのようになりました。

 多い学校では5回以上改訂された学校もあり、日本の学校の制服はかなり洗練されたものになってきました。

 日本の学校では当たり前に存在しているプール。外国にはほとんどありません。

 日本の学校の設置基準は、諸外国に比べ要求されるる水準が高く、その象徴的な施設がプールでありましょう。小学校から大学まで、25メートルプールは当たり前で、中には温水プール完備の学校まで存在します。
 この高いプールの普及率は、日本の教育投資のレベルの高さの現れではあるのだろうけど、一つには水資源の豊かさが背景にあると思うのですが、どうでしょう。

 25メートルプールに入っている水はたいそうなものです。

 勤めていた学校のプールが悪戯され、一晩で水を抜かれたことがありました。新しく水を入れ直しましたが、その料金はウン十万円であったと聞き及んでいます。。
 こんなプールが、大阪府だけでも数千校に及びます。やはり水が豊かなのでしょう。

 学校のプールについては、項をあらためて書きたいと思います。

 掃除当番。

 外国には、あまり無いようだ。
「これはいいことですね」
 ケント・ギルバードさんだったかがおっしゃっていた。自分で使う学校の施設は自分たちできれいにする。だから学校を大事にするという気持ちも出てくる……そうおっしゃっていたが、それほど簡単なものではない。

 前号で書いたが、生徒を掌握するポイントは、出欠点呼と掃除当番をキッチリやらせることである。

「今日の掃除当番は〇班、しっかりやれよ」という言い方はしなかった。これでは全員に逃げられる。
「今日の掃除当番は、赤井! 井上! 上田! 江本! 大崎!」と言う具合に、本人の目を見ながら終礼で叫んでおく。
 聞こえへんかった。忘れてた。を言わせないためである。
 終礼が終わったら、直ちに箒と塵取りをロッカーから出して、掃除当番全員に渡す。雲隠れして掃除が終わったころに現れるズルをさせないためである。担任自身も箒を持って掃除をする。まちがっても「やっておけよ」はやらない。
 掃除当番監督の最大の要諦は『ごみほり』をキチンとやらせるいことである。ごみほりの順番はジャンケンで決めさせることが多かった。若干のギャンブル性と公平さを担保するためであった。

 いささか長くなってきたので、以下は次号で。
 

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小説学校時代・07 出欠点呼

2020-06-07 06:27:10 | エッセー

学校時代 07 

出欠点呼   


 

 出欠点呼を覚えているでしょうか?

 学校の朝は出欠点呼から始まる……わりには憶えていない。

 小学校は、朝から担任がいるので担任の先生が取っていた……と思います。

 たぶん、クラスの座席が頭に入っているので、一瞬で確認して出席簿に付けていたのではないかと。
 クラスには50人近い児童がいたけれど、呼名確認はしていなかったように思います。先生の目に狂いはないと児童も保護者も思っていました。

 中学は、朝礼が無くって一時間目の先生がチェックしていたように記憶しています。

 まず自分の閻魔帳に付けて、出席簿に転記していたように思います。
 クラスの出席簿は日直が職員室から学級日誌といっしょに持ち出していた……記憶が蘇って来ました。

「おはようございます、1年5組の日直です。出席簿と学級日誌とりにきました」

 そう言って持って行った。持っていくについてのお作法は、上級生がやっているのを見て覚えたような気がします。
 今のように、職員室のドアに「失礼します~失礼しました」までのマニュアルは貼られてはいなかった。だから、生徒によってバラつきがあり、きちんと挨拶する者も何も言わない者も居ました。わたしは「1年5組です」くらいで済ませていたように思います。
 職員室の先生たちが生徒の声に応えることはほとんどありません。今の学校なら「はい」とか「ごくろうさん」ぐらいは返していると思うのですが、どうでしょう。

 出席簿に付け間違いがあると、生徒は自分で申し出ました。

「すみません、この時間居てたんですけど」
「あ、そうか、すまんすまん」

 これで済んでいました。相互に信頼関係があったというか、いい加減と言うか、出席簿というのはその程度のものでした。
 先生たちが真剣に点呼したのは、遠足や修学旅行の時ぐらいでじゃなかったかと思います。校外学習でミスをすると置き去りとか、洒落にならない事態になるからでしょう。

 高校でも朝の出席点呼はしませんでした。

 建前は、一時間目の教師が点けることになっているのですが、ろくに点けていない先生も多かったように思います。一時間目の自習(つまり先生が休んでいる)も多く、遅刻に関しては、正確な把握はされていなかったのかなあ。

 そうそう、程度の差はあるけれど、出席簿の管理は日直、または学級委員の書記の仕事でした。午前中に職員室前の黒板にクラスの出欠を書きに行ったことを覚えています。書き洩らしがあると『〇年〇組出欠が書かれていません、早く書きに来てください』と教務の先生が校内放送されました。それでも書きに来ないと「日直(または書記)しっかりせえ!」と担任に怒られます。

 自分が教師になったときは、完全に担任がつけていました。

 きちんとつけないとトラブルになります。
「〇〇、今朝は遅刻やったな」
 終礼で宣告すると。
 ジト目で「おった」あるいは「おったわ、ボケ!」と返されます。

 ちなみに、この返事のパターンに男女の区別はありません。時には、俯いたまま「殺すぞ……」という凄みのあるのもありました。

 試行錯誤の結果、以下のように定着しました。

 予鈴3分前に教室の前に行き、窓から「もう鐘鳴るぞ! 急げ!」と大音声で叫びます。1分前からカウントダウンし、予鈴が鳴ると共に教室に入る。

「座れ! 自分の席に着いてないやつは欠席やぞ!」

 そしてバインダーに挟んだ座席表を見ながら呼名点呼をやる。ここで大事なことは、必ず生徒の目を見ながら確認することであります。いなければ欠席記号の『/』を点けます。
 目を見ておかないと「おったわ、ボケ!」をかまされます。
 クラス35人余り、全員が居ると20秒ほどで終わります。たいてい20人もいないので10秒余りで終わります。
 ただ、この10秒の間にも入ってくる生徒がいるので、もう一度欠席者の名前を叫んでおきます。二回目の点呼で確認できればセーフというわけです。セーフの場合は『/』にコの字を二つ加えて『出』の字に変えます。

 これを続けていると「おったわ、ボケ!」をくらわなくなります。

 うちの担任は出欠に関してはシビアやと刷り込んでしまうのです。

 出欠点呼をきちんと取ること、掃除当番をサボらせないこと、この二つが生徒との信頼関係の基礎でありました。

 

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小説学校時代・06 学校の食堂

2020-06-06 06:35:30 | エッセー

学校時代 06 
学校の食堂    



 中学より高校がカッコいい!

 大半の高校生が、そう思っているのではないでしょうか。

 カッコいい理由の一つは、学校に食堂があること。

 今の中学校はお弁当か給食、昔の中学はお弁当と決まっていました。20年ほど前から給食になる中学校が増えました。事の良し悪しはともかくとして、給食と言うと、なんだか小学校に戻ったみたいに感じた人も居るのではないでしょうか。

 給食はどんなに美味しくても、あてがいぶちであることに変わりはなく。自分で選ぶというカッコよさがありません。

 給食は、決まった時間に、決まったものを一斉に食べるということでカッコよくない。幼稚園や小学校と変わりがありません。そこへいくと食堂は、自分の都合で行けるし、メニューも、誰と食べるかも選べます。

 わたしたちの時代、食堂は、開店していればいつでも利用できました。

 クラブの朝練の後、食堂に寄ってパンとコーヒー牛乳を買って一時間目の授業に備えたり、業間の休み時間や自習時間でも食堂が使えました。
 自分の都合で好きな時に利用できるのだから、なんとも大人なんだなあと気分がよかったものです。

 食堂を利用すると、いろんなことが分かる。

 給食と違って、クラスメート以外の人間といっしょになる。先生も居るし先輩も後輩も居る、高校に入って別のクラスになった友だちと会うこともあります。
 食べているメニューで好き嫌いや癖、席の取り方で、人間関係が分かったりもしました。

 ガッツリ系のランチや定食は男子に人気で、女子は麺類やサンドイッチなどが多かったように記憶しています。セルフサービスもおおむね守られ、食堂のおばちゃんがマナー違反の食器を片付けている姿はあまり見かけませんでした。お行儀の良い女子たちは食器を片付けるだけでなく、雑巾を借りて使用後のテーブルまで拭いていました。

 A高校の食堂は独立した建物で、8メートルはあろう天井は吹き抜け、南北の壁面はガラス張りの開放感で府立高校とは思えないくらいオシャレでありました。文化祭などで他校の食堂を利用すると、なんだか暗くて狭い印象をうけたものです。食堂に限ったことではありませんが、他校と比較してモノが見られるということも高校の大人部分だったのではないでしょうか。

 ある時、生徒会に、こんな問題提起がなされました。

 食堂のお箸を割り箸にしてほしい。

 それまで食堂のお箸は竹製の丸箸で、使いまわしでありました。むろん回収された箸は煮沸消毒された上に天日干しされたものでしたが、使いまわしということで女子からは敬遠されていました。
「そんなことが気になるねんなあ」
 男子の大方は、やや潔癖すぎる要望であると感じました。割り箸にすることで値上がりに繋がったら……事実、割り箸化の明くる年に食堂は値上げに踏み切りました。
「ほんなら、スプーンとかフォークはどないやねん?」
 と思っていたが、そういうことを追及するほど野暮ではありません。
「ああ、女子っちゅうのは、こんなんやねんなあ」
 そう納得しました。
 むろん男子もバカではありません。当時、部活には社会問題研究部などというものがあったぐらいで、生徒たちの意識は、今時の大学生よりも高かったようです。

 学校の食堂と言うのは薄利多売を絵にかいたようなもので、一品当たりの単価は驚くほど安い。

 かけうどん:30円 カレーライス:70円 定食:100円(90円だったかも) というぐあい。

 食堂で利益率が高いのは自販機の飲料です。

 そういうことを知っていました。自販機の料金設定も一般のそれよりも10円ほど安く設定されていて、むやみに生徒が校外に出ていくことを抑止していました。
 野放図に生徒が外に出ていくことを「良いことだ」とも思っていなかったので、既得権を守るためや無用ないさかいをしないためにも、意識無意識に妥協点を探っていたのかもしれません。

 今は食堂のことを「学食」とか「カフェテリア」とか言うらしいですね。設備も垢ぬけてきているようであります。生徒諸君の思いはどうなんでしょう?
 

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小説学校時代・05 昔は自習監督なんか無かった

2020-06-05 07:46:49 | エッセー

小説学校時代 05 

昔は自習監督なんか無かった   


 

 教師時代、しんどい仕事の一つが自習監督でした。

 教師も人の子なので、病気もするし、よんどころない用事もあります。
 で、そういう時は受け持ちの授業は自習になります。
 これは昔も今も変わりません。

 ただ、昔の生徒は「大人扱い」されていたので、自習監督の先生が自習課題などという野暮なものを持ってきて監視するというようなことはありません。
「6時間目と4時間目自習なんで、調整してきます」
 てなことを言って、世話女房タイプの副委員長が職員室に掛け合いに行き、授業のコマを弄り、5・6時限を自習にしてクラス全員午前中でおしまいにするというような要領もかましていました。
 むろん普通に自習になっても、自習監督の先生が来ることはありません。

 無茶をやる生徒も居ましたが、たいていは教室か図書室で本当に自習していたように思います。自習時間中の早弁はおろか食堂で早めの昼食もOKだ。OKどころか、昼休みの食堂の込みようは尋常ではないので、合理的なことだと思っていました。
 先生も生徒もハメをはずすことはめったにないので、こういうことができていた。平和な時代です。

 もちろん、当時も後の時代で言うところの困難校はあったわけで、そういう学校の苦しさは後の時代と変わらないようで、クラブの用事で女子高に行った時、一年生の教室の前に『上級生は無断で一年生の教室に入ってはいけない 学校長』という張り紙に驚きました。

 ごくごくたまに酔狂で自習監督に来る先生が居ました。

 大方は生徒が好きな先生で、来ると一時間いろんな話をしていく。学校の裏話であったり、先生の自分史であったり、恋愛論であったり。あの頃の先生は大正生まれが中心で、年配の先生は明治生まれでありました。大陸や半島からの引揚者も多く、話の中身も分厚く豊かでした。
 けして巧みな話術ではありませんが、実際に体験した人の話は面白いもんです。
 戦争で乗っていた船が撃沈され丸二日間海に投げ出された人。疎開先でいじめにあった話。女郎屋でモテたことを話し半分に聞いたこと、モテたことはともかく、その中で話された学生やお女郎さんの生活、関東大震災の体験談、幼児の頃に見た「生きた姿の徳川慶喜」などというものもありました。

 当時の高校生は、そういう話をきちんと聞くという習慣が身についていたし、下手な話でも頭の中でイメージする力が(今よりは)あったような気がします。
 あの時代、まだ知性や経験で人を圧倒することができたし、そういう大人の知性や経験を、とりあえず生徒も尊重するという空気があったように思います。
 あの時代、教師が、もう少しきちんと生徒に向いていたら、学園紛争や校内暴力による荒廃も、少しはちがったものになっていたような気がするのですが、どうでしょう。

 先生が1時間目と6時間目の授業を忌避して講師につけを回しているようではどうにもならない、後の学校の荒廃は自明の理であったと言えるでしょう。

 
 わたしの教師時代の自習監督は、大げさに言えば命がけでありました。

 自習課題をやる生徒は半分もおらず、居ても10分ほどで適当に片づけてしまい、教室は無政府状態です。
「セン(先生という意味)、トイレ」「あ、おれも」「あたしも」「うちも」「拙者も」
 一人にトイレを許可すると、クラスのほとんどが居なくなることもありました。居なくなった生徒は学校の内外で悪さをするので、身体を張って教室を死守する。対教師暴力の多くが自習監督時間内に起こっていたことでも困難さが分かると思います。
 教務では自習監督表というものをつけていて、自分が出した自習と、請け負った自習監督数のバランスを取り不公平が出ないようにしていました。新任三か月で入院を余儀なくされたわたしは体調不良や通院で自習を出すことが多く、自習監督表を見るのがとても苦痛でした。

 この項、続く……かもしれません。

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小説学校時代・04 大人扱い・3

2020-06-03 16:05:18 | エッセー

学校時代 04 

大人扱い・3『書体』  

 

 1970年の安保改定を前にした二三年、全国的に学園紛争の嵐が吹き荒れました。

 大学の正門やピロティーにベニヤ製のパネルに独特の書体でスローガンやアジ文が書かれて、何枚何十枚と立てかけられていました。ヘルメットにタオルの覆面、ハンドスピーカーでアジ演説しながらアジびらが配られ、時にはカンパの募金箱。

 学生会館やクラブハウスには学校はおろか学生自治会の人間も立ち入れません。講義中にメット姿の活動家学生が乗り込んできて、講義を中断して演説したりカンパを募ったり。意に沿わない教授をつるし上げたり、大衆団交をやって高齢の学長や女子学生が倒れて救急車を呼んだり、とりまいたり。ストをやったりピケを張ったり、学内デモをやったり、騒然とした数年間でした。

 

 これを高校でもやっていました。

 

 制服の廃止、進路別学級編成の反対、生徒の職員会議傍聴要求、中教審答申の反対声明の要求、食堂の値上げ反対……。
 要求は様々でしたが、今から思うと無理難題やイチャモンでありました。

 簡単に言えば、カッコいい大学生の真似っこでありました。正門横に張り出されたアジ看板は、向かって右が見事な東大風、左が京大風です。

 

 ある高校では、制服は非人間的な画一化教育の現れであり、廃止すべきと生徒たちが要求しました。

 そもそも詰襟は、明治日本の軍服が元になっている! セーラー服は水兵服だ! 制服で学校が知れてしまう! 高校生にファッションの自由を! まあ、いろんな理屈がありました。

 結局、その学校は次年度からの制服を廃止しして私服に変えましたが、新入生の大半は自由購買になった旧制服を着て入学式に臨みました。

 どういうルートがあったのか、国連で「わたしたちは、こんな制服を強制されているんです!」と演説する機会を得た高校生たちが居ました。

「そんなに良い制服を着られて、どこに文句があるのか?」

「クールじゃない、制服があったら、毎朝着るものに苦労しなくて済むんじゃない?」

 世界は大半、そういう反応でした。

 その学校は今世紀に入って再び無事に制服に戻りました。

 ある学校では、進路別学級編成を教育差別だとして、半年にわたる紛争になりました。校内のあちこちで討論集会や生徒集会、あるいは大衆団交が行われ、その都度授業がストップしました。ガラスが割られ、空き部室が活動拠点として治外法権になり、酒やたばこも持ち込まれていました。

 学校は手を出せません。手を出せない学校を活動家の生徒たちはバカにして、ほとんど授業にも出なくなりました。

 夏休みを挟んで、朝夕が涼しくなると、多くの生徒が冷めていき、活動家の生徒たちも正気に戻って自分の進路が心配になってきました。

 あっさりヘルメットを捨てて、進路相談のために進路指導室に通うようになりました。相談相手は徹夜の大衆団交でドクターストップのかかった進路指導部長。「こんなことをやっても、学校のためにも君らのためにもならない!」と叫んでいた先生に「反動!」「ナンセンス!」と封じてきた生徒君ですが、先生は咎めません。むろん、生徒も「すみませんでした」の一言もありません。

 ノンポリの大学生の兄に見てもらった書類は完璧な内容でした。生徒は内心『どんなもんだ』とつまらないプライドを守りました。ありがとうございましたの一言も言わずに席を立ちました。

「あ、ひとつだけねえ」

「なに?」

「内容には問題ないがね、その字はだめだよ。アジビラの書体でしょ、書き直した方がいいよ。ま、君の自由だけど」

 そいつは、近場の京大に通って一年がかりで書体を身に着けたのですが、なかなか元に戻らず、それが原因なのか、志望校は全て落ちました。



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