イスカ 真説邪気眼電波伝・01
「停まれーーーーーーっ!!」
文化祭を三日後に控えた教室は茜色の夕陽に染め上げられ、カラスが鳴いたら仲良くおてて繋いで帰りたくなるような穏やかさだった。
だが、それは管理職のアリバイに、後ろ手組んでのんびり校内を巡視している、定年を数カ月後に控えた校長の目に映った――こうあって欲しい――願望というフィルターを通した光景に過ぎない。三十七年にわたる教師の経験で、もう二三秒見ていたら穏やかな夕陽に化かされることも無かったかもしれない。
教室にはクラスの半分の十八人と担任の香奈ちゃんが重苦しい空気に押しつぶされそうになっていた。
「……もう一度やって」
「無理よ……やるたんびに離れていっちゃうんでしょ」
佐伯さんはゴスロリ衣装の裾を広げ、床にしゃがみ込んだまま立ち上がろうともしない。
「ここんとこ決まらなきゃ、ラストシーンの書きようがないよ」
静かな声だが、門田が切れかかっているのは誰もが分かっている。香奈ちゃんは落としどころを探るように腕組みして天井ばかり見ている。クラスのみんなは、痛々しくて床に目を落としたりアサッテの方を見たり、てんでバラバラだけど、佐伯さんと門田の方を見ないという点では一致している。
ようは行き詰ってるんだ。
嫌がる門田に脚本と演出を押し付け、これまた気の進まない佐伯さんの主役を決めたのが一か月半前。
脚本は『MASCHERA 〜堕天した獣の慟哭〜』というタイトルがハナから決まっていた。数年前に流行ったアニメの劇中劇、なんとなくカッコいいということだけで、中身を吟味することも無く多数決で決まった。佐伯さんはお母さんがクール系の女優さんで、母親譲りの美人だ。佐伯もお父さんが作家。なんとなく、この二人に任せておけば出来るだろうという雰囲気で決まってしまった。
二週間前には脚本も演技も行き詰まっていたんだけど「じゃ、大道具とか衣装とか先にがんばったら雰囲気もできるんじゃない?」香奈ちゃんの教師らしい一言で二週間持ちこたえたけど、ここにきてデッドロック!
本が書けてこないからと佐伯さん、主役がイメージにのってこないからと門田。
むろん面と向かって言うことはないけど、周りの人間は思っている。思っているから、それぞれ門田と佐伯さんの肩をもって、より空気を悪くしている。クラスは、ここに居ない半数の無関心と、もう半分の門田、佐伯派に色づいて危機に瀕している。
「じゃ、キャストと演出だけ残って続けよっか、みんな残っていてもプレッシャーなだけだし」
天井に向けた視線を下ろして香奈ちゃんが言う。みんな控えめにホッとして、帰り支度を始める。
気がとがめないことも無かったけど、残っていてもなんのプラスにもならない。オレは他の十七人とともに教室を出た。
昇降口に降りると、図書室にでも居たんだろう、西田さんが靴を履き替えていた。
西田さんは二学期になって転校してきた。
静かな優等生で、あまりしゃべらない。
女子は下の名前で呼び合うことが多いんだけど、西田さんは佐伯さんと並んで苗字で呼ばれている。
豊かな黒髪は前髪を切りそろえたロング、制服のリボンを緩めることも無く、黒縁の眼鏡と相まって表情はうかがえない。
笑うと可愛いという男子もいるが、オレは笑顔どころか「おはよう」と「田島君掃除当番よ」という言葉以外聞いたことが無い。
近寄りがたいので二三秒タイミングをずらして昇降口を出た。
時計塔まで来たところで悲鳴が上がった。
発見したのはランニング帰りの女子テニスの集団。校舎に背を向けていた下校する生徒たちも女子テニスの指さす屋上に目を向けた。
佐伯さッん…………!?
佐伯さんがゴスロリ衣装のまま屋上の柵を超え、屋上の縁に立っている。
――飛び降りるつもりだ!――
秋の夕陽は見渡すものすべてを茜色に染め上げているが、ゴスロリ衣装は佐伯さんの闇そのままのように漆黒だ。
キャーーーーー!
再び女子たちの悲鳴が上がった。
女子たちは、佐伯さんが跳ぶ前の気の張りつめ方で察したんだ。男子たちの「ウオーーー!」よりも一瞬早い。
スカートを気にした佐伯さんは両手を広げ、真っ逆さまに墜ちていく。
だれもが地面にたたきつけられる佐伯さんの姿を思い浮かべ目を背けた瞬間に、裂ぱくの叫びが聞こえた。
「停まれーーーーーーっ!!」
佐伯さんは、二階と三階の中間で水泳の高飛び込み選手のように静止していた。