銀河太平記・150
仮想モニターの前で腕を組んでいると、メイからメールが来た。
―― 事変拡大の兆し、事業展開に意見ありや? ――
メイなりに気を使っているんだと、キーボードに手をかざして止めた。
返事を打つには、まだ決心が固まっていない。
越萌姉妹社の共同経営者としても、在野の立場で時局を監視する本来の任務からも、軽々に動くことはできない。
西之島を護らなければならないのは言うまでもない。
西之島のパルス鉱、特に近年発見されたパルスギは、人類に初めて恒星間旅行を可能にする新エネルギーだ。
二百年前の『宇宙戦艦ヤマト』以来、人類の見果てぬ夢であったワープ航法が実現するだろう。兵器に組み込めば、核兵器以来の革命的兵器になる。もし、独占する者が現れたら、地球はおろか、まだ見極めても居ない銀河の半分を手にすることができるかもしれない。
自治領とはいえ、これが日本の施政権下にある西之島で発見されたのは幸運だったと言っていい。
他の国で発見されたら、世界征服の道具にされてしまう。無理くりに世界を征服した後は、きっと銀河宇宙に手を伸ばす。銀河宇宙には、地球と同等かそれ以上の力を持った惑星が必ず存在する。力で地球を支配した者は必ず、そういう銀河勢力との大戦争に突入する。銀河帝国主義……地球をガミラスやクリンゴンのようにしてはいけない。
この西之島に漢明が手を伸ばした。
策略をもって洛陽号を西之島のドッグに入渠させ、国家的記念艦と言っていい洛陽号を爆破し、それを西之島の策略であるとして、旅団規模の軍隊を送って事実上の戦争を仕掛けてきた。
先般、岩田総理の通訳兼秘書として秘密首脳会談に赴いたが、岩田総理は丸め込まれてしまった。
劉宏大統領の不拡大方針に子どものように載せられてしまった。
―― 西之島を取り巻く艦隊も、攻撃を仕掛けてきた旅団も暴発した地方軍で、漢明の国家的意思ではない ――
漢明政府の言い訳を日本政府だけが信じて西之島に救援軍を差し向けていない。
通訳、実質的秘書官として岩田総理を支え、合法的に解決の道を探ろうとしたが、そろそろ限界。
官房長官の意を汲んだ総理から、強制的に休暇をとらされてしまった。
ザザァァァァ……ザザァァァァ……
岩にくだける波音も、この湘南では、どこか優しい。
山荘を出て島を一周する遊歩道を歩く。
江ノ島は俗な島だが、僅かに神聖さを残している。帝都からパルス車で三十分。本気を出せば十分少々で首相官邸に飛べる。
足元に波音、頭上には江ノ島弁天への参詣道があって、観光客のさんざめきも心地い。江ノ島大橋の西に目を移せば湘南の砂浜。伝説の総理吉田茂が葉巻を加えて散歩したのはあのあたりだろうか。
吉田は、海岸を散歩する時にもソフト帽に袴、足もとは下駄をひっかけても純白の足袋を脱ぐことは無かった。
「爺さん、赤坂の料亭に行くんじゃないんだから、せめて洋装にしな」
秘書の白洲次郎に言われても、フンとソッポを向いて、その白洲も二回に一度は散歩に付き合って歩いたそうな。
「爺さん、講和の演説を英語でやるのか!?」
白洲に言われて、急きょ巻紙に日本語で書いてスピーチした。それがとてもぶっといので『吉田のトイレットペーパー』として歴史に残った。
タイプは違うが、そういう総理と秘書の関係で居たかった。
しかし、この期に及んで秘書を遠ざけるようでは見込みがない。
この脇道に入ると児玉神社。
児玉源太郎は日露戦争における満州軍総参謀長。日露戦争における陸戦の実質的な指揮官と言っていい。
第三軍の乃木が旅順を攻めあぐんでいた時、奉天から身一つで駆けつけ、一時乃木から指揮権を取り上げて旅順要塞を攻略。要塞が陥落すると、攻略の功は全て乃木と参謀長伊地知のものとして奉天に戻り本務の奉天包囲戦に専念した。
海の東郷、陸の乃木と云われるが、陸戦の実質は児玉に帰せられる。
その児玉が日露戦争後、籠って満州やシベリアの心配をしたのが江ノ島だ。
兵児帯に下駄ばきの小男は陸軍大将には見えず、島では東京の小店の隠居程度に思われていたらしい。
児玉の没後、児玉の功を惜しんで神社が建てられたが、乃木ほどの知名度が無く、昭和平成の時代には社殿の維持にも窮していたという。
いつもの散歩コースなのだが、不覚にもボーっとしてしまう。事態の急展開に頭がついてこないのだ。
メイは―― 事変拡大の兆し ――としか書いていなかったが、綸旨が出てしまったのだ。
確かに、カンパニーの氷室社長は秋宮空子内親王の五世孫ではあるが、皇室の裔というには無理がある。
女系である内親王の血筋では苦しい。まして空子内親王はアメリカに渡られ早くに皇籍を離脱され、そのお子からは米国籍をとっておられた。三十年も前なら話にならなかっただろう。
しかし、本家本元の陛下が女性天皇であらせられる。
皇嗣殿下の須磨宮妃殿下が薨去され、女系天皇への道筋は崖っぷちのところで留まっている。
須磨宮妃殿下の姫皇子心子内親王殿下は、紆余曲折あって、今は火星の扶桑幕府に身を寄せておられ、皇嗣宣下は延び延びになっている。
おそらくは、陛下も先延ばしにされておられる。
そういう様々な事情が重なって、今回の氷室睦仁社長の大時代な『西之島救援要請』の綸旨になったのだ。
氷室社長の発案ではない。氷室神社を建てたのも、シゲという老技師のアイデアだ。パルス鉱にだけ頼らずに観光による島の興隆を考えるなら、俗ではあるけど悪いアイデアではない。
しかし、この綸旨を受けて西之島の救援に向かったら、皇統に乱れを作ってしまうことになりはしないか?
しかし、しかし、このままでは西之島のパルス資源を漢明に持っていかれてしまうのではないか?
総理は頼りにならず、陛下に伺う訳にもいかない。
視線を感じる。
子ども会の奉仕活動かなにかなのだろうか。狛犬の横に竹箒を持った少年と少女がうろんな目で見ているではないか(^_^;)。少女は――賽銭泥棒!?――と怪しんで携帯ハンベで動画を撮ろうとしている。
そうか、髪はザンバラな上に、Tシャツにダメージジーンズ。それが、少し俯き加減に賽銭箱に目を落としているんだものな。
ゴソゴソ
慌てて財布を出して百円玉を取り出し、お賽銭を投入。
チャリン……パンパン……
きれいに二礼二拍手を決めて回れ右。
視野の端、箒少女がニコッと笑った。見るとポケットに突っ込んだ携帯型ハンベのストラップは、我が社の新製品。
よし、メイには、この事実だけを伝えてやろう。
そう思いついて、午後には島を出る決心をした越萌マイであった。
☆彡この章の主な登場人物
- 大石 一 (おおいし いち) 扶桑第三高校二年、一をダッシュと呼ばれることが多い
- 穴山 彦 (あなやま ひこ) 扶桑第三高校二年、 扶桑政府若年寄穴山新右衛門の息子
- 緒方 未来(おがた みく) 扶桑第三高校二年、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた
- 平賀 照 (ひらが てる) 扶桑第三高校二年、 飛び級で高二になった十歳の天才少女
- 加藤 恵 天狗党のメンバー 緒方未来に擬態して、もとに戻らない
- 姉崎すみれ(あねざきすみれ) 扶桑第三高校の教師、四人の担任
- 扶桑 道隆 扶桑幕府将軍
- 本多 兵二(ほんだ へいじ) 将軍付小姓、彦と中学同窓
- 胡蝶 小姓頭
- 児玉元帥(児玉隆三) 地球に帰還してからは越萌マイ
- 孫 悟兵(孫大人) 児玉元帥の友人
- 森ノ宮茂仁親王 心子内親王はシゲさんと呼ぶ
- ヨイチ 児玉元帥の副官
- マーク ファルコンZ船長 他に乗員(コスモス・越萌メイ バルス ミナホ ポチ)
- アルルカン 太陽系一の賞金首
- 氷室(氷室 睦仁) 西ノ島 氷室カンパニー社長(部下=シゲ、ハナ、ニッパチ、お岩、及川軍平)
- 村長(マヌエリト) 西ノ島 ナバホ村村長
- 主席(周 温雷) 西ノ島 フートンの代表者
- 及川 軍平 西之島市市長
- 須磨宮心子内親王(ココちゃん) 今上陛下の妹宮の娘
- 劉 宏 漢明国大統領 満漢戦争の英雄的指揮官
- 王 春華 漢明国大統領付き通訳兼秘書
※ 事項
- 扶桑政府 火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる
- カサギ 扶桑の辺境にあるアルルカンのアジトの一つ
- グノーシス侵略 百年前に起こった正体不明の敵、グノーシスによる侵略
- 扶桑通信 修学旅行期間後、ヒコが始めたブログ通信
- 西ノ島 硫黄島近くの火山島 パルス鉱石の産地
- パルス鉱 23世紀の主要エネルギー源(パルス パルスラ パルスガ パルスギ)
- 氷室神社 シゲがカンパニーの南端に作った神社 御祭神=秋宮空子内親王