千早 零式勧請戦闘姫 2040
02『浦安の舞』
「すぐに参集殿に上がって」
「ええぇ、タコ焼き食べてからぁ。お姉ちゃんのも買ってきたんだからぁ」
「約束でしょ、早くしな」
「へーい」
玉垣の隙間から姉の姿が見えた時に千早は覚悟はしていた。姉の挿(かざし)は巫女服姿で境内の掃除をしている。神社の娘として境内で言い争うのはひかえなければならない。まして巫女服を着られていては言葉が返せない。
ブゥーーーーーーーン
手水舎の屋根越しに二度目の展示飛行をしているゼロ戦が見える。もう少し遊んでいたい千早だが、姉との約束があったので、ちょうど通りかかった農協の車に乗せてもらって帰ってきたところなのだ。
「え、もう帰るの?」
農協の田中さんは、丘の上で空を見上げている貞治に目をやりながらアクセルを踏む。
「ああ、うん。神社の用事があるから」
「あ、カザシちゃんの婚礼近いんだねぇ」
「うん、来月には大阪だからね」
「そうか、カザシちゃんの巫女舞、もう見られないんだ」
「大丈夫よ、夏祭りはあたしがやるし」
「プ……」
「なに、おじさん!?」
「いや、思い出すなア。元気で明るくって、キビキビしててさ。あの稚児舞は良かった。うちの婆さん、あれで食欲が戻って風邪が治っちまったもんな」
「アハハ、そりゃどうも……(^_^;)」
ついさっきの会話を思い出しながら、たこ焼きをテーブルに置いて指さし確認。姉が待っている参集殿への廊下を進む千早。
「装束着なきゃダメぇ?」
「千早はそのままでいいよ。先に見本見せるから思い出してみ」
「あ、うん」
すでにスタンバイしているパソコンをクリック、いつも通り十秒ほどの間があって、正面のスピーカーが神楽浦安を篳篥(ひちりき)・ 神楽笛・琴・太鼓の響きに載せて歌いだす。
挿(かざし)は、年配の氏子や世話役から『今紫の上』と呼ばれる美しい横顔を隠すように扇を立て、シズシズと摺り足で中央に進む。中央で直角に曲がると八足台の前に腰を落とし恭しく一礼。
くそ
千早は少し面白くない。
普通、八足台という小机は神前に置かれ神さまに挨拶するものなのだが、いまは千早の正面に置かれている。
舞の様子や所作をしっかり千早に見せるためなのだが、千早には――よそ見しないでしっかり見ろ。お姉ちゃんも神さまも、きっちり千早のこと見てるからな――と圧迫されているように思える。
天地(あめつち)の 神にぞ祈る 朝なぎの 海のごとくに 波たたぬ世を
浦安の歌詞は、わずか三十一文字。国歌の君が代と同じである。
同じ文字数なのは、両方ともに和歌だからである。
君が代は、いつの時代から歌い継がれてきたか分からないほどに古い詠み人知らずの名歌である。
しかし、神社の定番神楽である浦安は、千早たちの令和22年から振り返っても、たかだか100年の歴史でしかない。
昭和8年に昭和天皇が詠われた御製に、昭和15年の紀元二千年、その御製に多 忠朝(おおの ただとも) が神楽曲を付け、振りを付けたものが、日本中の神社で使われて二千年紀の始まりを寿いだ。
それから百年、浦安は巫女舞の定番になり、千早たちの令和22年に至っているのである。
奇しくも、千早・挿姉妹の神社は、その名も浦安八幡社。他の神社よりもピッタリで、九尾の街にテレビ局があったころには、浦安神社固有の神楽と勘違いしたプロデューサーが特集番組を企画したほどであった。
浦安の歌の意味は――世界中が凪いだ海のように平和でありますように――であって、まことに平和ニッポン、自由と人権の九尾市に相応しい。
しかし、これから姉に替わって浦安を舞わなければならない千早は気が重い。
素で詠んだら10秒も掛からない浦安。それが神楽舞として舞うと10分ちょっとかかる。そのことでも分かるように、やたらとゆっくりした所作で、とにかく長い。
今紫の上(いまむらさきのうえ)と呼ばれた姉に比べて、千早の評判はそれほどではない。
体育会系というほどではないが、子どものころから遊び相手は男の子の方が多く。小学六年でそのヤバさに気が付いた千早は努めて女の子の友だちを増やし、立ち居振る舞いも女ばかりの演劇部に入って改めようとしたが、周って来るのは男役ばかリ。去年の文化祭では『ロミオとジュリエット』をやったのだが、役どころはロミオ。相手役のジュリエットは学校で一番可愛いと評判の男子が客演で呼ばれて、二人ともに大評判になった。
「まあ、人生は長いし、いろんな目に遭った方が面白いぜ!」
幼なじみの来栖貞治は言ってくれる。
しかし、貞治も、千早の一大事である『巫女の跡継ぎ』には関心が薄い。
「まあ、ああいうのは宗教的な型なんだから、親父のミサと同じで憶えちまえばなんでもないさ」
貞治も挿の強いイメージが焼き付いているので、学年はじめの自己紹介を嫌がる友だちを慰める程度にしか言わない。
ちなみに、貞治は神社の二軒筋向いのキリスト教会の息子である。
天女のそれかと見紛うような姉の浦安が終わって、いよいよ千早の番。
ヒョォーーーヒョロローーーーーーーー
神楽笛の調べに合わせ、亀の方が速いだろうという摺り足で中央へ……しかし、微妙に義姉よりは速く、中央で直角に曲がるときは油の切れた蝶番のようにギクシャク――しまった!――という気持ちが目元口元に現れる。
しかし、それは一瞬のことで、すぐに巫女Pフェイス(巫女的ポーカーフェイス)に戻って、正面の八足台まで残り五歩の摺り足。
グヌヌ……心で歯ぎしりしながらも、祖父の介麻呂が「歌いだす前の山口百恵の顔!」と例える巫女Pフェイスを心がける。
巫女服なら、優雅に見える摺り足もジーパンのババタレ腰では――いまのあたしはカッコ悪い、お姉ちゃんみたくサマになってないし!――という意識が先に立って自分でも委縮していると思う千早。委縮すると怒ったような顔になるので、ここでは口を挟まない挿。
そういう姉の気持ちも分かるので、ますます意識して固くなってしまう。
八足の前に腰を落とす時は、文字通り落すになってしまい、木の床にドスンと座ってしまう。
一礼して扇を手にして立ち上がり、右足を滑らすと同時に、右手の扇を高々と掲げる。
プ( ´艸`)
「もう、笑うんなら、最初から停めて言ってくれたらいいでしょ!」
「いや、ごめんごめん。お稚児さんで舞ってたときのこと思い出して」
「あ、あの時はみんな喜んで褒めてくれたし」
「小さかったからね。でも、今の千早、お相撲さんの土俵入りみたい。さ、中央で回って四足台、そこから立って扇を掲げるとこまで。テンポに気を付けて、もう一回」
「う、うん」
それからも、「力み過ぎ!」「緩み過ぎ!」「見得きるな!」「歌舞伎じゃないぞ!」「指先まで伸ばして!」「ゆっくりと脱力は違う!」「顔が怖い!」と、途中で停めたり、流しながら注意されたり、まだ梅の実も蕾だというのに汗みずくになる千早であった。
「ゼーゼー……(''◇'')ゞ」
「あ、もうこんな時間だ。悪い、お宮参りが入ってるから、一時間休憩」
「お宮参りで巫女舞やんの?」
「うん、天野市長のお兄さん。あそこはいつも昇殿されるし、氏子筆頭でもあるしね。あとでミッチリやるから、動画見て練習しとくのよ」
「う……分かったぁ……」
拝殿に向かう姉を見送り、台所にスポーツドリンクを取りに行く千早。
窓から見える九尾丘の空、飛んでいるゼロ戦はレプリカやラジコンを含めて一つも見当たらなかった。
「ああ、終わっちゃったかなぁ……よし!」
スポーツドリンクにタコ焼きを付けることにした千早であった。
☆・主な登場人物
八乙女千早 浦安八幡神社の侍女
八乙女挿(かざし) 千早の姉
来栖貞治(くるすじょーじ) 千早の幼なじみ 九尾教会牧師の息子
天野明里 日本で最年少の九尾市市長
天野太郎 明里の兄