【浜離宮の夜桜】
4月1日先週の土曜日の朝、突然、姪っ子のSAORI が
「夜桜を見に行きたい!」と言い出したのだという。
母が、せっかくの孫の願いだから、と思ったのだろう。
ちょうどタイミングよく、ラジオから聞こえてきた
「浜離宮は今日から開園時間を延長します。
夜桜は午後9時まで見られます」というアナウンスを
耳にして、得意のネットで調べたらしい。
「今日の夜は浜離宮に行きましょう!」とお誘いを受けた。
私は仕事後、英会話のレッスンを済ませ、息子は
春期講習を終えて、4人で電車に乗って目的地へと向かった。
4月に入ったというのに、風が強くてとても寒い。
ダウンにマフラーと手袋をしっかり着こんで真冬のいでたち。
途中のコンビニでホカロンを買い込んだ。
浜離宮は新橋から海側に向かって徒歩15分ぐらいのところに
ある大きな庭園。海水を導き潮の満ち干によって
池の趣を変える「潮入の池」と二つの「鴨場」をもつ
江戸時代の代表的な大名庭園なのだという。
東京に住んでかれこれ40年。
浜離宮の前は何度も通ったし、噂には聞いていたが
これほどステキな公園だとは知らなかった。
汐留の高層ビルと東京タワーをバックに
東京湾とのコントラストが想像以上に素晴らしい。
都会の中に緑が息づいている。
しかも、野生のまま放置された姿ではなく
手入れが行き届き、“文化”を残すための
愛情のような心遣いを感じ取れる。
ラジオの効果なのか大勢の花見客が訪れていたが、
なぜかゴザを敷いて宴を繰り広げているグループがない。
夜桜は綺麗なのだが、酒臭さとドンチャン騒ぎの宴会が桜を囲み
しっとりとする気分は、なかなか味わうことができないが
浜離宮は、飲食禁止というわけでもないのに、
心行くまで桜を鑑賞できる。
しかも、来園者も多いといえば多いが、
都内にしてはごった返すほどでもない。
むせかえるような本数がないせいだろうか?
でも、1本1本丁寧にライトアップされていて、
周囲の漆黒の闇に幻想的に浮かび上がる。
***************************
大阪で娘時代を過ごした母が、結婚し私を産んでまもなく、
東京に住まいを移した時、その緑の多さに驚いたという。
大阪城の近くに住み、OL時代は御堂筋にある銀行に勤めた
都会育ちの彼女は、東京には公園が多くてまずびっくりしたそうだ。
そう思って改めて見回すと、都内には
大きな庭園があちこちに点在する。
少し思い浮かべるだけでも、清澄庭園、小石川後楽園、
芝離宮、有栖川公園など、大名や宮家の庭園が数多く
残っている。しかも、日本独自のスタイルの庭園を
きちんと残している。
その他にも代々木公園や、目黒の植物園、林試の森など
広大な敷地面積の公園がいくつも存在する。
そしてJR原宿駅に降り立つと、隣の明治神宮の森から
土と植物の合わさった、高原のような香りがすることがある。
ここが都会であるのを忘れ、一瞬リゾート地に来てしまったか
のような不思議な感覚に陥ってしまうほどだ。
***************************
都市化が進んで久しいのに、なぜここまで、
残っているのだろうか?
大阪と比べてその違いを私なりに考えてみた。
大阪は昔から商人の町。
商いを成功することに、きっと尽力したのだろうと思う。
そして、東京の歴史をひも解いてみると、
実は江戸時代、園芸が非常に盛んな地域だったのだ。
今でいうガーデニングブームで、人々は品種改良に
力を注ぎ、多くの花の種類がこの時代に確立したのだという。
もちろん、人々に愛されてやまない
「ソメイヨシノ」も江戸時代末期に江戸染井村(現在の豊島区)
で「吉野桜」という名で売り出されて、後に「ソメイヨシノ」に改名。
全国に広まった、という経歴なのだ。
日本の園芸は江戸時代に独自の展開をとげて、
当時の世界トップレベルにまで発展したのだそうだ。
それも、他の国々では見向きもされなかった野草が
次々に園芸品化されていったというから、驚きである。
(一説では、定職につけない旗本の次男や三男が
暇な時間を使って小遣い稼ぎに品種改良に精を出した、
という話もあるらしい。)
そして、参勤交代などて大名たちが持ち帰った苗も
独自に故郷で育成され、現代にまで受け継がれている。
園芸一大ブームは全国に巻き起こっていたようだ。
TOKYOに緑が多いのは、砂漠のような都会にならないためではなく、
実は江戸時代の園芸文化の名残なのではないか、と思う。
***************************
桜の名所ほどの、ゴージャスさはないけれど本当におススメ!
ライトアップは今月16日までなのだと、園内アナウンスが
流れていた。まだ蕾の桜もあったし、チャンスがあれば
もう一度来ようね!と4人で感激しながら意見が一致した。
そして、出入り口付近の樹齢300年の松は圧巻。
正面から眺めると、どこが根本かわからないほど、
太い枝が迫りくる。
「まるで龍みたいな松だ!」と圧倒された息子が一言。
300年の重厚さと、たくさんの支柱に支えられながらも
力強く伸び続ける大迫力の松は一見の価値あり。
「もう年だから…」と弱気になっている人や、
最近、なんだかパワー切れ、という人は
“老松”の底力と気迫を見るといい。
まだまだ大丈夫!と勇気をくれることだろう。
***************************
桜の花と、江戸の文化と潮の香りを満喫して
帰りはカレッタ汐留のイタリアンレストランでおなか一杯。
46階の夜景を見て、大満足。
短い時間だったが、まるでワンデイトリップをしたような
ホコホコした暖かい気持ちで帰路についた。
4月1日先週の土曜日の朝、突然、姪っ子のSAORI が
「夜桜を見に行きたい!」と言い出したのだという。
母が、せっかくの孫の願いだから、と思ったのだろう。
ちょうどタイミングよく、ラジオから聞こえてきた
「浜離宮は今日から開園時間を延長します。
夜桜は午後9時まで見られます」というアナウンスを
耳にして、得意のネットで調べたらしい。
「今日の夜は浜離宮に行きましょう!」とお誘いを受けた。
私は仕事後、英会話のレッスンを済ませ、息子は
春期講習を終えて、4人で電車に乗って目的地へと向かった。
4月に入ったというのに、風が強くてとても寒い。
ダウンにマフラーと手袋をしっかり着こんで真冬のいでたち。
途中のコンビニでホカロンを買い込んだ。
浜離宮は新橋から海側に向かって徒歩15分ぐらいのところに
ある大きな庭園。海水を導き潮の満ち干によって
池の趣を変える「潮入の池」と二つの「鴨場」をもつ
江戸時代の代表的な大名庭園なのだという。
東京に住んでかれこれ40年。
浜離宮の前は何度も通ったし、噂には聞いていたが
これほどステキな公園だとは知らなかった。
汐留の高層ビルと東京タワーをバックに
東京湾とのコントラストが想像以上に素晴らしい。
都会の中に緑が息づいている。
しかも、野生のまま放置された姿ではなく
手入れが行き届き、“文化”を残すための
愛情のような心遣いを感じ取れる。
ラジオの効果なのか大勢の花見客が訪れていたが、
なぜかゴザを敷いて宴を繰り広げているグループがない。
夜桜は綺麗なのだが、酒臭さとドンチャン騒ぎの宴会が桜を囲み
しっとりとする気分は、なかなか味わうことができないが
浜離宮は、飲食禁止というわけでもないのに、
心行くまで桜を鑑賞できる。
しかも、来園者も多いといえば多いが、
都内にしてはごった返すほどでもない。
むせかえるような本数がないせいだろうか?
でも、1本1本丁寧にライトアップされていて、
周囲の漆黒の闇に幻想的に浮かび上がる。
***************************
大阪で娘時代を過ごした母が、結婚し私を産んでまもなく、
東京に住まいを移した時、その緑の多さに驚いたという。
大阪城の近くに住み、OL時代は御堂筋にある銀行に勤めた
都会育ちの彼女は、東京には公園が多くてまずびっくりしたそうだ。
そう思って改めて見回すと、都内には
大きな庭園があちこちに点在する。
少し思い浮かべるだけでも、清澄庭園、小石川後楽園、
芝離宮、有栖川公園など、大名や宮家の庭園が数多く
残っている。しかも、日本独自のスタイルの庭園を
きちんと残している。
その他にも代々木公園や、目黒の植物園、林試の森など
広大な敷地面積の公園がいくつも存在する。
そしてJR原宿駅に降り立つと、隣の明治神宮の森から
土と植物の合わさった、高原のような香りがすることがある。
ここが都会であるのを忘れ、一瞬リゾート地に来てしまったか
のような不思議な感覚に陥ってしまうほどだ。
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都市化が進んで久しいのに、なぜここまで、
残っているのだろうか?
大阪と比べてその違いを私なりに考えてみた。
大阪は昔から商人の町。
商いを成功することに、きっと尽力したのだろうと思う。
そして、東京の歴史をひも解いてみると、
実は江戸時代、園芸が非常に盛んな地域だったのだ。
今でいうガーデニングブームで、人々は品種改良に
力を注ぎ、多くの花の種類がこの時代に確立したのだという。
もちろん、人々に愛されてやまない
「ソメイヨシノ」も江戸時代末期に江戸染井村(現在の豊島区)
で「吉野桜」という名で売り出されて、後に「ソメイヨシノ」に改名。
全国に広まった、という経歴なのだ。
日本の園芸は江戸時代に独自の展開をとげて、
当時の世界トップレベルにまで発展したのだそうだ。
それも、他の国々では見向きもされなかった野草が
次々に園芸品化されていったというから、驚きである。
(一説では、定職につけない旗本の次男や三男が
暇な時間を使って小遣い稼ぎに品種改良に精を出した、
という話もあるらしい。)
そして、参勤交代などて大名たちが持ち帰った苗も
独自に故郷で育成され、現代にまで受け継がれている。
園芸一大ブームは全国に巻き起こっていたようだ。
TOKYOに緑が多いのは、砂漠のような都会にならないためではなく、
実は江戸時代の園芸文化の名残なのではないか、と思う。
***************************
桜の名所ほどの、ゴージャスさはないけれど本当におススメ!
ライトアップは今月16日までなのだと、園内アナウンスが
流れていた。まだ蕾の桜もあったし、チャンスがあれば
もう一度来ようね!と4人で感激しながら意見が一致した。
そして、出入り口付近の樹齢300年の松は圧巻。
正面から眺めると、どこが根本かわからないほど、
太い枝が迫りくる。
「まるで龍みたいな松だ!」と圧倒された息子が一言。
300年の重厚さと、たくさんの支柱に支えられながらも
力強く伸び続ける大迫力の松は一見の価値あり。
「もう年だから…」と弱気になっている人や、
最近、なんだかパワー切れ、という人は
“老松”の底力と気迫を見るといい。
まだまだ大丈夫!と勇気をくれることだろう。
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桜の花と、江戸の文化と潮の香りを満喫して
帰りはカレッタ汐留のイタリアンレストランでおなか一杯。
46階の夜景を見て、大満足。
短い時間だったが、まるでワンデイトリップをしたような
ホコホコした暖かい気持ちで帰路についた。